はるかぜ
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
満開の桜の元…とは少しばかり離れた場所に陣取る、我が元銀華中テニス部レギュラーの面々。
シートを敷いた上に元マネージャーである私は体育座りして、缶ジュースを呷っていた。
「堂本ーそのチョコちょうだい」
「ん、ああ、ほらよ」
「ありがと」
個包装のチョコレートの包みを開けて、一口。
濃厚な甘味が溶けて広がって、癒される。
「ミチルこねーなー」
「誰か連絡きた?」
「いんや」
その返答に、私は一応辺りを見回してみる。
…やっぱり姿は見えないか。
卒業式も終わって、こうしてみんなで集まれる機会はこれからそうそうないっていうのに、肝心の部長がいないなんて。
私もバッグから携帯を取り出してチェックするも、待ち受け画面にはなんのアイコンも表示されてない。
集合時間は10時30分、現時刻は11時20分、を回ろうとしてる。
なにかあったんだろうか、と心配にもなる。
仮にも部長だったヤツだから、今まで連絡もなしに遅刻することなんてなかったのだ。
私はそのままアドレス帳から「福士ミチル」の名前を探して、発信ボタンを押した。
1コール、2コール、3コール…
……でない。
諦めて切ろうとしたところで、コール音が途切れ反応があった。
「!もしもし、福士?」
「‥あ、わり、今そっち向かってっから‥」
何だかいつにも増して気だるげなトーンが聞こえて、とりあえず私は胸を撫で下ろす。
こっちにも向かってるようだし、無事に合流できそうだ。
でも気になるのは…
「いや、どしたの?なんかあった?」
「いんや別に?寝坊だよ寝坊」
「寝坊!?なんだ‥卒業して気緩みまくってんじゃないの?」
「いいじゃねーかたまには!」
いつものやり取りができて、やっとホッとする。
ともあれ何もなくて良かった。
「はいはい、んじゃ待ってるから。あ、公園着いたらまた連絡して。場所教えるから」
「ああ」
電話を切ると堂本たちが「寝坊かよ~」なんて呆れて笑っている。
一緒に笑って、私は食べかけだったチョコレートを口に放った。
・・・・・・・・・・・
「よーす」
「悪いね、遅れて」
「いいって」
「ま、座れって。アイーン」
それぞれに言葉を交わして、堂本たちは福士の座るスペースを作る。
なぜか私の隣。
途端にドギマギする心を隠して、隣にどかっと腰を下ろした福士に声を掛けようとすると、
「ほらよ、差し入れ」
「あ、見ていい?ってウワ、これ私が買ったのと被ってる!」
「マジかよ?」
「でも美味しかったからラッキーなんだけど。開けていい?」
「いいよ」
バリッと箱を開けて、福士に一個渡そうとしたところでふと気付く。
今日初めてちゃんと顔を見て、気付く異変。
なんか顔色が冴えない。そして呼吸が少し乱れてる気がする。
まさかとおでこに掌を当ててみる。
「!?っな、何だよ!?」
すぐに手は振り払われたけど、しかと確かめることができた。
「……熱、ある」
「お、おいマジか!?」
「大丈夫かよ?」
「高熱か?」
そう呟いた途端、いきなり後ろにいた堂本たちが割り込んでくる。
そういえばみんな微妙に私たちから距離をとっていた気がするけど、これは一体。
「だー別に大したことないっつーの!」
「いや熱い、確かに熱いぞミチル!アイーン!」
「ばっかやろ、無理押して来やがって!」
「だっからさわんな気色わりい!」
ギャーギャーやりだす元部員たちを尻目に、私は近くの自販機まで走った。
スポーツドリンクを買って戻ると、福士はやつらと格闘してさらに疲労したのか、膝に蹲ってる。
「福士、」
蹲って無防備な首筋に、冷たい缶を押し付けてやる。
予想してた声にならない声…は今日はなく、ただ驚いて私を見上げるだけだった。
よっぽどだるいんだろう。
「っんだよ‥」
「これ買ってきた。少しはマシになるかと思って」
「ああ‥、ありがとね…」
キャップを開ける気力もなさそうだから、キャップを開けてから渡してやる。
一口飲んで、それからまたゴクゴクと喉仏が上下するのを眺める。
「っあーつめてー…」
「でしょ、ちょっと待ってて」
ハンカチを濡らしてこようと、私は再びその場を離れる。
少し離れた場所の水道で、私の小さ目のタオルハンカチをじゃぶじゃぶと濡らす。
こうしてると、他の部員が部活中に熱中症になりかけた時のことを思い出す。
きつく絞って目的を果たしてから戻ると、堂本たちが隅に固まってコソコソ内緒話していた。
福士は相変わらず突っ伏したまま。
堂本たちのことよりもまず福士が気がかりな私は、また福士の首元に冷たいタオルを置いてやる。
「っ!おま、不意打ちはやめろって」
「はは、ゴメンゴメン。でも気持ちいいっしょ?」
タオルをおでこに当てるように押さえてやると、「…ああ」って目を閉じる。
それでもだるそうなのには変わりなくて、私はどうしようかと堂本たちを振り向く。
するとちょうど堂本のニヤけ面と目が合う。
田代も鈴木も…なんかニヤニヤ笑ってるのがキモいというか、ちょっと不快。
怪訝な顔する私に構わず、田代が口を開いた。
「な、一旦お開きにしてまた日を改めないかって話してたんだけどよ」
「あー、そうだね。そのほうがいいと思う」
うん、それが一番いい。
このままだと応急処置しかできないから、放っておけば悪化するのは目に見えてるし。
すると急に福士が顔を上げて、言葉を投げてきた。
「大丈夫だっつってんだろ」
「そんな力なく言われても説得力ないって」
「ノープロブレム!だつってんだろが!」
「だから無理しなくていいって」
「もう花見は無理にしてもよ、ミチルが治ったらまた集まればいいじゃねーか。アイーン」
「……」
おでこにタオル当てたまま黙ってしまう福士に、堂本たちはさっさと撤退の準備を始める。
買い込んだお菓子とジュースはビニール袋に入れて、またの機会に備えて堂本たちが保管しておくことになった。
あっという間にシートも片付けて、解散となった時だった。
「悪いな」
ぽつり、福士が謝罪の言葉を洩らした。
だけど気にすんな、早く治せとそれぞれが声を掛ける。
すると福士がお前ら‥!なんて嘘泣きっぽくメソメソしだすから、私はキモイっつーのって笑った。
「さて!じゃ磯野、あとはよろしくな!アイーン」
「ちゃんと家まで付いて面倒見てやれよ」
「そういうことで頼んだぜ、元マネージャー」
え?なんて疑問符を投げかける間もなく、ピューンと消えてしまう三人。
呆然として、あの内緒話を繰り広げている姿を我に返ったように思い出して、なんとも言えない気持ちになる。
呆れるというか気恥ずかしいというか、これはお節介と呼んでいいものか。
だけどこれは紛れもないチャンス。癪な気もするけど、あの三人には感謝したい。
「…えーっと、じゃあ行く?」
福士を見ると、また熱が上がったのか顔が赤い。
「い、いや、別に一人でも‥」
「いいから。心配だし」
そう言って背中を押して促す。
在学中みたいに、もうせっかくのチャンスを逃す真似はしないのだ。
・・・・・・・・・・・・・・
家までの道のり、福士は言葉少なだった。
私も喋る元気のない病人にべらべら話題を振ることはなく、ただ黙々と道を行く。
今日は天気が良くて暖かいから、柔らかい日差しも福士にとっては辛いものだろう。
福士の状態を気にかけながら道を曲がって、やがて大きなマンションが現れる。
入り口へと向かう足に、あそこに福士の家があるんだとまじまじ外観を眺めてしまう。
近付くにつれ眺めるそれは、それなりに年期の入った建物な気がした。
「福士の家って何階?」
「5階」
入り口のボタンを押すとすぐにエレベーターの扉が開いて、私たちを受け入れてくれる。
上昇するエレベーターの中で、私はぼんやりと移り変わっていく階の番号を見てる。
福士はだるそうに壁に寄りかかって、なにかポケットを漁っていた。
チャリチャリ音がするから、鍵だろうか。
ポーン、とエレベーターが開いて、また福士について歩き出す。
少し歩いたところで福士の足が止まる。
弾かれるように表札を見ると、「福士」とある。
「じゃあ、…ここで、か?サンキュな」
なんだか遠慮がちに言われて、あ、と思い出す。
そういえば何事もなく見届けて目的は果たしたけど、せっかくのチャンスを生かせないまま終わっちゃったじゃんか。
でも今は風邪を治してもらうのが第一だし、またの機会に頑張ろう。
そう思うのに
「ああ、ううん、べ、別に」
なんて口は歯切れの悪い返事をしてしまう。
まだ辛そうだし心配だし、…正直名残惜しくも、ある。
と、ふと鍵を回す福士に疑問が浮かぶ。
「あれ、今日おうちの人は?」
「出かけてる」
「え、ってダメじゃん!じゃあ私もうちょい付き合うよ」
「…っておま‥」
勢いのまま言ってしまってからハッとする。
誰もいないってことは。
「ゴ、ゴメン!嫌だったらいいんだけど」
そう言いながら顔が熱くなっていく。
しまった、福士もなんかさっきより目の辺りが赤いような気が、する。
だけど病人を一人にしておけないし、それが好きな人なら尚更だし、第一病人に何か出来るとも思えないし。
万一の時は私の必殺、四の字固めマコスペシャルがあるし。
…なんて内心言い訳を並べるも、マネージャーなんて仕事をしてたせいか、世話焼きが行き過ぎてないか不安にもなる。
「いや…、」
まだ困惑気味な声と同時、ガチャッと開かれた扉。
そして、
「入れば?」
「…あ、いいの?」
つい目を見開いて確認してしまう。
福士は目を落ち着かなさそうに泳がせて、そんな反応されるとますます気まずいというか、入りづらい。
だけどこれはあくまで看病のための入室であって。
なんて必死に己に言い聞かせながら、じゃあ、とお邪魔することにした。
入った瞬間、空間いっぱいに福士の匂いがして、新鮮な気分になる。
ああ福士の家なんだ、なんて認識してドキドキしてしまう。
家の中はわりと広く、そしてお母さまがキレイ好きなのか玄関や、とりあえずと通されたリビングも我が家に比べて片付いていた。
ふう、と一息ついたようにジャケットを脱ぐ福士に声を掛ける。
「とりあえず横になったほうがいいよ」
「ああ、」
「自分の部屋ってあるの?」
「玄関入ってすぐにドアがあっただろ?あそこ」
「え、二つあったけど奥の部屋?もしや3LDK…とか?」
「ボロいマンションだけどな」
でも室内に入ればあまり古さは感じられない。
見回していると、福士が隅のラックに置いてあるプラスチックの箱から何かを取り出す。
…風邪薬だ。常備してあってよかった。
「って、もしかして朝から何も食べてないんじゃないの?」
「ああ、でも別に、」
「ダメだよ、何かお腹に入れなきゃ。レトルトのおかゆとかないの?」
「あー……確かそこの戸棚に…」
「そっか、分かった。いいから部屋で寝てて。私が作って持ってくから」
「お、おい」
「少しキッチン借りるね」
戸惑う福士を半ば強引に部屋へ追いやって、戸棚を開けるとレトルトの卵のおかゆがあった。
福士家の準備の良さに感謝した。
コンロに置いてあった鍋に水を張り、火をつける。
その間に、勝手に脱衣所に入りタオルを借りるのは躊躇われたから、さっきのハンカチを水で濡らして絞る。
氷枕なんかもあれば本当はいいんだけど、仕方ない。
やがて温まったおかゆを食器棚にあった深皿に移して、水を入れたコップと、さっきの風邪薬を拝借したお盆にセッティングして、福士の部屋へと向かう。
開けられたドアから中に入ると、福士はダルそうに腕で目を隠してベッドに寝転がっていた。
私が入って来たのに気づくと、腕を外して。
「大丈夫?おかゆ出来たよ」
「ああ…悪いな」
私は足元のテーブルにお盆を置いてから、湯気の立つ深皿を持って。
しんどそうにむくりと半身を起こした福士の前に、皿を差し出す。
福士は両手で皿を受け取り、スプーンでとろりとしたおかゆをつつく。
「あ、熱いから気を付けてよ」
「わかってる」
ふーと念入りに冷まして、ひとさじ掬っては喉に流れていくおかゆ。
とりあえず食べられるだけの食欲はあるみたいだ。
その様子を横目で眺めながら、私はバッグから携帯を取り出してメールをチェックする。
と、一通、堂本からメールが届いていた。
どこか嫌な予感を覚えながら見てみれば『がんばれよ!!』の一言。
……顔が熱くなってきたので見なかったことにする。
それから3分ほど経ったあと、「ごちそうさん」の声。
お盆の上に置かれた空の皿を見て、私は携帯をバッグにしまう。
「はい、じゃこれ飲んでさっさと寝な」
錠剤の薬と水を差し出すと「そうだな」と掠れ気味の低いトーン。
あれだけ歩いたら、さっきよりも熱が上がってるはず。
薬を飲んだのを確認して、横になるように促す。
お盆に水を置いて、福士のおでこにさっき絞ったタオルを乗せる。
…と、切れ長の目がじっと私を見る。
かと思えば、片腕で目を隠してしまう。
…なんなんだろう。
ちょっと動揺するけど、平静を装ってそのまま見つめてみる。
「あの、さあ」
「う、うん?」
急に投げ掛けられた言葉に、少し緊張して。
「その…、もう帰っていいぜ」
「エッ?」
思わぬ言葉に今度は驚いてしまう。驚いたのと同時に、ショックだ。
だけど、やっぱお節介が過ぎたのかな、なんて反省して。
「あ、あーそっか、ごめん。なんか押しかけちゃって」
「あ、いや、その、面倒掛けて悪かったなって反省してるんだよ」
「え?」
福士は腕を外して、私を見てゴニョゴニョと言う。
依然、頬から目尻のあたりは火照ったまま。
「いやだから、後は一人でもどうにかなるから‥だな」
「もしかして気遣ってる?病人のくせに」
「…そ、そりゃ気遣うだろ。迷惑かけてんだし」
視線を逸らして拗ねたように言われる。
私はその言葉を聞いたらすごいホッとして、軽く笑いが込み上げてきた。
ウザがられてたんじゃなくて良かった、って。
「私は面倒だとも迷惑だとも思ってないって。自分から望んでやってることだし」
おでこのタオルを裏返して、ペチッと叩き付けるように乗せてやる。
ッテ、なんて顔を歪める福士に笑ってみせて。
「だから余計なこと気にしないでいいよ、それよりも早く治すことに専念して」
「専念たってなあ…こればっかは努力のしようがねえだろ」
「グダグダ言ってないでさっさと寝る!」
「わ、わかったよ…」
観念したように大人しく目を閉じた顔に、私はまた一つ、笑みをこぼす。
寝顔を見るのは初めてだっけ。
こうして見ると、けっこうキレイな顔してることが分かる。
意外にまつげも長いんだなあ。
なんてしばらく観察してると、また福士の目が薄く開かれる。
「あれ、どしたの?」
「…すっげえ視線を感じるんだよなあ」
「!あ、ご、ごめん。他のことしてる」
「……ああ、そのへんの漫画とか読んでいいから」
「あ、うん、分かった」
見ていたのがバレて、かなり動揺してしまう。
福士はおでこのタオルのあたりに片手を乗せて、改めて睡眠体勢に入る。
私はさっき示された漫画本が並んだ棚を見てから、部屋中を見回してみた。
これが福士の部屋。
シンプルで、あんまり物は置いてないように思う。
そういえば乱雑な部室の中で、福士のロッカーだけはいつもそれなりに片付いていた。
隅に立て掛けてあるテニスバッグ。
毎日見ていたものなのに、もう懐かしい。
本が並んだ棚をチェックしてみれば、テニス関連の本もちらほら。
…「食育のまめ知識」なんて謎な本もあるけど。
つい軽く噴出して、思う。
やっぱり自分なりにテニスが好きな福士を、私は好きだ。
まあ、都大会での諦めの早さには閉口したけど。
それも今では懐かしい思い出として慈しめるなんてなあ、と私は笑みをそのままに棚から一冊のテニスのルール本を引き抜いた。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
あれからどれくらいの時間が経っただろうか。
部屋には穏やかな寝息と、私の本を捲る音と、時間を刻む音だけがある。
一段落したところで私は借りた漫画本を開いたまま床に置き、掛けられた時計を見る。
16時45分。けっこう没頭しちゃったなあと、軽く伸びをする。
そして立ち上がり、福士の様子を窺う。
このタオルはタオルハンカチというだけあって薄っぺらい。
ゆえにすぐ熱を吸って意味をなさなくなってしまう。
だからコマメに濡れ直さなきゃいけない。
温くなったタオルを取るけど、また少し観察してしまう。
量は少ないけどけっこう長いまつげに、部活やってたくせに私より白い肌。
女としてはちょっと悔しくなってしまう。
そんなことを思いつつ、失礼して手の甲で頬を触ってみる。
呼吸もずいぶん落ち着いて、熱も確実に下がってきてることにホッとする。
部屋をあとにして洗面所でタオルを絞る。
そういえば、おうちの人たちはもうしばらくしたら帰ってくる時間だろうか。
そもそも福士って兄弟とかいるんだっけ?
…まだ福士について知らないことってけっこうあるかも。
ぼんやりそんなことを思いながら部屋に戻って、おでこに張り付いた前髪を上げてタオルを乗せてやる。
「……、」
冷たい感触のせいか、ゆっくりと、うっすらと切れ長の目が開く。
「あ、…起きちゃった」
「…いま何時?」
寝起きの、気だるげな声のトーン。
私はえーっと、と掛け時計を見上げながら「5時前」と一言。
「もうんな時間か…」
「ね、福士のおうちの人ってそろそろ帰ってくる頃?」
「んー‥いや、今日は夜遅いんだよな…親父も母ちゃんも、姉貴も」
「え、そうなの?」
そうか、お姉さんがいるんだ。なんて知らなかった情報が聞けたことにちょっと嬉しくなる。
でもそれどころじゃなくて、どうしよう。
おうちの人が戻るならそろそろお暇しようかと思ってたから、困ったことになった。
だけど福士はそんな心を見透かしたように、
「でももう充分だぜ。色々助かったよ…ありがとな」
「…大丈夫?」
「ああ、大分身体も楽になったし、スッキリした」
そう言う声のトーンは元気な時に戻りつつあって、私はようやく安心する。
「うん、私の看病のおかげだね」
「自分で言うな」
軽く笑うと、少し乱れた髪の毛を押さえながら福士も薄く笑みを浮かべた。
と、ブーブーとどこからか耳慣れた音。
携帯の着信だ、それも音を辿れば聞こえてくるのは私のバッグの中から。
急いで携帯を開くと、発信源は「お母さん」。
一言断ってからもしもし?と会話を交わす。
内容は「今どこにいるのか」、そして「何時ごろ帰ってくるのか」、というものだった。
私はつい言葉に詰まってしまって、それでも何とか誤魔化した。
「今、みんなでファミレスにいる」なんて咄嗟に思い付いた嘘を伝えるしかなかった。
同い年の男の子の家に、二人っきりでいるなんてとても報せられない。
お母さんとの会話を通して、改めて今自分がどれだけ大胆な行動を取っているのかを思い知らされて、じわじわと恥ずかしくなってくる。
本当に、今さらな話なんだけど。
もう少ししたら帰る、と告げて携帯を切れば、流れる静寂。
「……」
「……」
…福士も私と同じ気持ちになってるんだろうか、沈黙が気まずい。
会話を聞いてた福士に何を言えるでもなく、私は間を埋めるように携帯をいじる。
嘘ついてごめん、お母さん。
心の中で謝ったところで、福士は沈黙を破った。
「え~、そのー…わる、かった」
その謝罪は、私をこの状況に置いてしまったことを申し訳なく思ってるんだろう。
私のお母さんに嘘をつかせてしまったことを、後ろめたく思ってるんだろう。
でもその必要はない、だって堂本たちに謀られたとはいえ、その先は私が望んで取った行動だから。
「だから謝ることないってば」
「………帰んの?」
ちょっとビックリして福士を見る。
顔色も良くなった顔を真面目につくって、じっと私を見ている。
でもその声のトーンが、視線が、どことなく淋しそうに感じるのは自惚れだろうか。
だってさっきまでもう平気だから帰っていい、って言いそうな雰囲気だったのに。
帰るのか?なんて私に聞いてくるってことは、それは私次第ってことだろうか。
私が望めばもう少しだけ、ここにいられるんだろうか。
「え、…えーと、」
でも恥ずかしさが邪魔して、返事に臆してしまう。
つい目線を落としても、福士の視線は注がれたまま。
「…う、うん」
やっとの思いで頷いてみせる。
福士は大分回復したし、お母さんへの罪悪感もある。
そっか、と福士は呟いて、私は後ろ髪惹かれる思いで帰り支度を始める。
帰り支度といっても借りた漫画をしまって、バッグを手にするだけだからすることはないに等しい。
だから喉が渇いた時のための水を一杯、傍らのテーブルに置いておく。
「じゃあね、お大事に」
「…、ああ、本当サンキュ」
そうして帰るために立ち上がる。
理性を通せたけど、でも本心は
「……磯野、」
正直な気持ち、もう少しだけ、
「ん?」
「…悪い、やっぱ、その、もうちょい、居て…ほしい」
そう言われたら、私のなけなしの理性で下した決断はあっけなく崩れ去ってしまう。
いっぱいいっぱいになりながら、また頷いてみせる。
私はまた元の位置におずおずと座りながら、
「えっと、…じゃあ、もう少しだけ」
「…マ、マジでいいのか?」
「自分で言っといてなにそれ」
照れ臭くて、私はいつもの調子を取り戻そうと立ち上がる。
そしてそうと決まれば、とばかりに福士の頭を枕に沈めるように倒してやる。
「はい、寝て寝て」
「(そんな大胆な!?)」
何やら絶句してる福士の布団をずり上げてやって、また睡眠体勢を整える。
「?え、え~と‥」
「もう眠くないかもしんないけど、まだまだ完治してないんだから頑張って寝なよ」
「あ、ああ、…そうだよなあ~、ハハハハ」
なにやら渇いた笑いを洩らす福士を怪訝に思うと、「何でもないです、ハイ」なんて交わされる。
一体何を想像したんだろう、と思うとぎこちなくなるのは目に見えてるから、考えないようにする。
そして布団に落ちたタオルを持って、洗面所に向かう。
戻って来て、またおでこに乗せようとしたところで同時に伸びてくる手。
「いいって、俺がやる」
「いいから」
結局同時に乗せる形になって、その際に触れた指先に心臓がちょっと早くなる。
手を離そうとしたところで、掴まれて、包まれる。
福士の掌に。
そして私が固まってるうちに、こう言う。
「…帰る時、勝手に解いちゃっていいから」
耳のあたりが燃えそうに熱い。
私が何か言う前に、福士はゲフン!なんてわざとらしく咳払いしながら、片腕で目元を隠してしまう。
えーと、これは、あの。
なんて心のうちであたふたする心を落ち着けながら、ゆっくりその場に座り込む。
また静かになる部屋で、バクンバクンうるさい心臓の音が自分でよく分かる。
ふう、とどうにか落ち着けるための軽い深呼吸を、ひとつ。
熱くて大きい掌に少し力を込めながら、聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
「…離せるわけないじゃん、バーカ」
福士はズルイ。勝手に解いて帰るなんて、できるわけない。
きっと福士が目覚めた時も、この手は結ばれたままだろう。
私は火照りの引かない顔でそっと携帯を取り出して、お母さん宛にメールを打つことにした。
嬉しさと照れ臭さ、そして罪悪感に挟まれながら「もう少し遅くなる」、と。
2007.5.3
back
1/1ページ