here comes my love
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「……あー」
四月ももう終わるというのに、今日はなんだか酷く肌寒かった。白石がいつものよう、誰もいないコートへとボールをひたすら打ち込んでいるうちにとうとう降り出して、しかもこの大雨である。慌ててボールをかき集めて部室へと逃げ込んだが手遅れだった。張り付いたユニフォームを何とか身体から引き剥がして絞ると、濡らしたての雑巾のように水がばしゃばしゃと音をたてて落ちた。
適当に髪と身体を拭いたタオルでびしょ濡れのそれを包み、鞄へと突っ込む。ビニール袋も持って来るべきだったと、白石は少しだけ後悔した。水の滴 る髪が鬱陶しい。白石はかぶりを振って、気休め程度にハンカチを頭へ乗せた。天気予報に従って自転車は家に置いてきたし折り畳み傘も持ってきているが、こんなに降るとは予想外だった。
部室の整理もそこそこに、正門へと続く体育館前のピロティを進む。消灯済みの薄暗いそこから、雨音の中うっすら聞こえるバウンド音に、「まだ誰か残っとるんか」とぼんやり思いながら足を速めた。ちょうど体育館の出入り口に差し掛かった頃、開いた扉からボールがひとつ転がり出て、そのまま白石の足元で跳ねる。
白石が何の気なしにそれをそのまま拾い上げると、ここ最近で見慣れたようなそうでないような人物と目が合った。漸く教科書も届いたらしい、当初より授業も──変わらずうたた寝していることは多いが──出席しているし、他のクラスメイトと適当に話しているのも見かけはするが、やはり彼女は誰に対しても一線は引いているように見える。そしてそれは勿論、白石に対してもそうだった。はっきりと言葉で拒絶されたのはあれが最初で最後だったし、他でそんなことを言ったような話は聞かないので、言われたのも自分だけなのだろうが。そう思うとやはり、普通の友人としてですら、何となく近付くのが憚 られるというのが正直なところである。
「……自主練?」
「……そんなとこ」
「そ、か」
陽がのびてきたとはいえ今日のこの天気だ。仄暗 い体育館で電気も点けずに? そもそも自主練とかするタイプなのか、あまり何かに情熱を持って打ち込むという柄でもなさそうだが……などと、先入観と偏見に満ちた疑問が頭を過 ぎる。結局彼女のことは、今もよく分からない。
「……それ」
「あ、あぁ、ほい」
「……ありがとう。じゃ」
「え、あ、ちょお!」
「……何?」
あかん、思わず呼び止めてしもた。何か、何かないか。
「や、……えっと……自分傘持っとるん? 今晩はもう待っとっても止まん、酷なる一方やで」
何も見つからず、絞り出したのはあまりにも陳腐な科白 だった。これではまた『関係ない』で片付けられるのがオチではないか。白石は自分のアドリブ力に少々落ち込みつつ、名前が返すであろう拒絶を覚悟し身構えたが、返ってきたのは想像とは裏腹、至って普通の態度だった。
「……そうなの?」
「え」
「……あ、や。ありがとう、知らなかった」
「お、おん」
白石が差し出したボールを受け取り、名前はその場から器用に籠へと投げ入れる。そのまま体育館の端に追いやられた荷物を掴むと、先程の籠をガラガラと押しながら、共に奥の倉庫の方へと消えていった。
──今。普通に、ありがとう、言うた? 完全に、余計な世話を焼いたと思ったのに。
あるいは、自分が思うよりも普通の子なのかもしれない。謙也があれだけ構っているし、何やら訳アリと匂わせてもいたので、根っからの悪い奴ではないのだろうと思ってはいた。思ってはいたが、やはり何となく受け入れ難い自分がいたのも事実。おそらく彼女だけでなく、一線を引いていたのは自分も同じなのだろうと、俺はこの時漸く気が付いた。
◇
長袖Tシャツの上に着ていたジャージだけを一旦脱いで制服に頭を突っ込む。この制服は似合わないが、ワンピース型なのは楽で良い。その上にもう一度ジャージを羽織い、名前はいつもの不格好な姿で鞄を背負った。
傘はない。一週間前に謙也に貸したままだ。十中八九忘れているのだろう。返してもらうのを忘れていたのは自分も同じなのだが。
「……あれ」
「うおっ」
風邪をひいたら謙也にうつしてやろうと意気込みながら勢いよくドアを開けると、こちらに背を向けたまま段差に腰掛けた白石が大きく肩を揺らした。名前が驚いて目を見開くと、白石は慌てた様子で「いや、待っとったわけちゃうで?」と、よく分からない言い訳をし始める。その様が少しだけおかしくて、名前は思わず小さく吹き出してしまったのを咳払いで誤魔化した。そのまま鞄を下ろし、中から未使用のタオルを取り出して、目をぱちくりとさせる白石に差し出す。
「……え」
「これ、使ってないから」
「いや、でも」
受け取る手が差し出されないのならばと、その整った顔を覆うようにタオルを放り投げた。そして名前はそのまま、じゃ、とだけ呟いてその場をあとにする。
「あ、ちょお!」
はずだった。
◇
弾みで掴んでしまった腕が、大袈裟に反応した気がした。ものすごい勢いで振り返った彼女の瞳は、薄暗い中でもしっかり分かるほどにまで、酷く揺れている。
「……え」
「あ、す、すまん、つい……」
驚かすつもりではなかった。ただ、先程の反応を見るに傘を持っていないようだったし、それならば放っては帰れない。名前は窺うように恐る恐る白石を見上げる。
「え、な、なに?」
「や、苗字さん傘持っとらんのやろ? これ貸したる」
「え、いいよ、白石くんは」
「俺置き傘あんねん、せやから使うて。あとこれおおきに、洗って返すさかい」
誰もいない、薄暗い体育館前で二人きり。謙也の従姉でなかったら、隣の席でなかったら。きっとそのどちらが欠けてもほとんど交流を持っていなかったであろう、無愛想な転入生。謙也の従姉で、隣の席の、無愛想な──だけど、普通の女の子。そして彼女の腕を掴んで、暗がりの中でもその瞳が揺れるのがはっきりと分かる程の距離。
状況を理解して、白石は慌てて「す、すまん!」と名前の腕を解放した。そもそも異性と話すのだってそんなに得意ではなかったのに、何だ、この状況は。自分で招いたはずのそれに酷く動揺して、急速に体温が上がるのが自分でも分かる。
込み上げてくる羞恥心に耐えられなくなった白石は、半ば強引に名前へ折り畳み傘を押し付けた。そのまま名前が何か言うよりも先に、その場を駆け出して昇降口へと向かう。──本当は、置き傘なんてないのに。でも、火照ったこの顔を冷やすには、雨に打たれるのもちょうどいいかもしれない。
四月ももう終わるというのに、今日はなんだか酷く肌寒かった。白石がいつものよう、誰もいないコートへとボールをひたすら打ち込んでいるうちにとうとう降り出して、しかもこの大雨である。慌ててボールをかき集めて部室へと逃げ込んだが手遅れだった。張り付いたユニフォームを何とか身体から引き剥がして絞ると、濡らしたての雑巾のように水がばしゃばしゃと音をたてて落ちた。
適当に髪と身体を拭いたタオルでびしょ濡れのそれを包み、鞄へと突っ込む。ビニール袋も持って来るべきだったと、白石は少しだけ後悔した。水の
部室の整理もそこそこに、正門へと続く体育館前のピロティを進む。消灯済みの薄暗いそこから、雨音の中うっすら聞こえるバウンド音に、「まだ誰か残っとるんか」とぼんやり思いながら足を速めた。ちょうど体育館の出入り口に差し掛かった頃、開いた扉からボールがひとつ転がり出て、そのまま白石の足元で跳ねる。
白石が何の気なしにそれをそのまま拾い上げると、ここ最近で見慣れたようなそうでないような人物と目が合った。漸く教科書も届いたらしい、当初より授業も──変わらずうたた寝していることは多いが──出席しているし、他のクラスメイトと適当に話しているのも見かけはするが、やはり彼女は誰に対しても一線は引いているように見える。そしてそれは勿論、白石に対してもそうだった。はっきりと言葉で拒絶されたのはあれが最初で最後だったし、他でそんなことを言ったような話は聞かないので、言われたのも自分だけなのだろうが。そう思うとやはり、普通の友人としてですら、何となく近付くのが
「……自主練?」
「……そんなとこ」
「そ、か」
陽がのびてきたとはいえ今日のこの天気だ。
「……それ」
「あ、あぁ、ほい」
「……ありがとう。じゃ」
「え、あ、ちょお!」
「……何?」
あかん、思わず呼び止めてしもた。何か、何かないか。
「や、……えっと……自分傘持っとるん? 今晩はもう待っとっても止まん、酷なる一方やで」
何も見つからず、絞り出したのはあまりにも陳腐な
「……そうなの?」
「え」
「……あ、や。ありがとう、知らなかった」
「お、おん」
白石が差し出したボールを受け取り、名前はその場から器用に籠へと投げ入れる。そのまま体育館の端に追いやられた荷物を掴むと、先程の籠をガラガラと押しながら、共に奥の倉庫の方へと消えていった。
──今。普通に、ありがとう、言うた? 完全に、余計な世話を焼いたと思ったのに。
あるいは、自分が思うよりも普通の子なのかもしれない。謙也があれだけ構っているし、何やら訳アリと匂わせてもいたので、根っからの悪い奴ではないのだろうと思ってはいた。思ってはいたが、やはり何となく受け入れ難い自分がいたのも事実。おそらく彼女だけでなく、一線を引いていたのは自分も同じなのだろうと、俺はこの時漸く気が付いた。
◇
長袖Tシャツの上に着ていたジャージだけを一旦脱いで制服に頭を突っ込む。この制服は似合わないが、ワンピース型なのは楽で良い。その上にもう一度ジャージを羽織い、名前はいつもの不格好な姿で鞄を背負った。
傘はない。一週間前に謙也に貸したままだ。十中八九忘れているのだろう。返してもらうのを忘れていたのは自分も同じなのだが。
「……あれ」
「うおっ」
風邪をひいたら謙也にうつしてやろうと意気込みながら勢いよくドアを開けると、こちらに背を向けたまま段差に腰掛けた白石が大きく肩を揺らした。名前が驚いて目を見開くと、白石は慌てた様子で「いや、待っとったわけちゃうで?」と、よく分からない言い訳をし始める。その様が少しだけおかしくて、名前は思わず小さく吹き出してしまったのを咳払いで誤魔化した。そのまま鞄を下ろし、中から未使用のタオルを取り出して、目をぱちくりとさせる白石に差し出す。
「……え」
「これ、使ってないから」
「いや、でも」
受け取る手が差し出されないのならばと、その整った顔を覆うようにタオルを放り投げた。そして名前はそのまま、じゃ、とだけ呟いてその場をあとにする。
「あ、ちょお!」
はずだった。
◇
弾みで掴んでしまった腕が、大袈裟に反応した気がした。ものすごい勢いで振り返った彼女の瞳は、薄暗い中でもしっかり分かるほどにまで、酷く揺れている。
「……え」
「あ、す、すまん、つい……」
驚かすつもりではなかった。ただ、先程の反応を見るに傘を持っていないようだったし、それならば放っては帰れない。名前は窺うように恐る恐る白石を見上げる。
「え、な、なに?」
「や、苗字さん傘持っとらんのやろ? これ貸したる」
「え、いいよ、白石くんは」
「俺置き傘あんねん、せやから使うて。あとこれおおきに、洗って返すさかい」
誰もいない、薄暗い体育館前で二人きり。謙也の従姉でなかったら、隣の席でなかったら。きっとそのどちらが欠けてもほとんど交流を持っていなかったであろう、無愛想な転入生。謙也の従姉で、隣の席の、無愛想な──だけど、普通の女の子。そして彼女の腕を掴んで、暗がりの中でもその瞳が揺れるのがはっきりと分かる程の距離。
状況を理解して、白石は慌てて「す、すまん!」と名前の腕を解放した。そもそも異性と話すのだってそんなに得意ではなかったのに、何だ、この状況は。自分で招いたはずのそれに酷く動揺して、急速に体温が上がるのが自分でも分かる。
込み上げてくる羞恥心に耐えられなくなった白石は、半ば強引に名前へ折り畳み傘を押し付けた。そのまま名前が何か言うよりも先に、その場を駆け出して昇降口へと向かう。──本当は、置き傘なんてないのに。でも、火照ったこの顔を冷やすには、雨に打たれるのもちょうどいいかもしれない。
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