Your Song
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今でもはっきりと覚えている。あれは警察学校の入校式から一ヶ月ほど経った日のことだった。様々な意味で、おそらく僕の人生を大きく変えた日。
降谷がその場に行ったのは偶然のことだった。この雨では乾燥している筈もないのにどうしてだかやたら喉が乾いて、たまたま自販機のある昇降口へ向かったのだ。それで本当に、本当にたまたま、酷い雨だなと思って、チラッと外を見ただけだった。まさか暗闇の中、一人雨に打たれる人間がいるなんて思うわけないだろ。
強い雨と暗さで視界が悪くハッキリしないが、女子、のように見えた。あれは、別の教場の班長だったか。降谷は、伊達が彼女と話しているのを何度か見かけたことがあった。確か、苗字名前とか言ったっけ。……傘もささずに、あんなところで何を。
その時の自分の心情がどういうものだったのか、実のところ降谷自身もよく分かっていなかった。興味なのかお節介なのか、その両方で、どちらでもないような気もする。どうするべきか迷ったが、何となく、見なかったことには出来なかった。風邪でも引いて倒れられたところで自分に関係はないと思う反面、それでもやはり見かけてしまった以上、何となく後味が悪そうだというのがひとつ。あとはまあ、単純に気になったという好奇心もある。降谷は備え付けの傘を二つ手に取ると外へ出て、その人物の方へそっと近付いた。
「…………」
開いた傘に、雨の振動が響く。水が跳ねる音で足音なんて聞こえない筈だろうに、その人物はゆっくりと顔を降谷の方へ向けた。
「あ……」
泣いていると、土砂降りの中でもはっきりと分かる。直接話したことはなかったが、女性ながら班長を務めるだけあって成績優秀、明朗快活な優等生と聞いていた。その印象は今目の前にいる彼女とはどうにも重ならない。近付いたもののかける言葉も見つからない降谷がどうすべきか迷っていると、彼女の方が先に口を開いた。
「昼間ちょっと落とし物しちゃって。でもこの雨じゃダメですね」
どうやら彼女は嘘を吐くのが下手らしい。何かを探している素振りもなかったし、……というか彼女自身もおそらく、無理のある主張だと分かっていながら他に言い訳が思い浮かばなかったのだろう。もう諦めます、と言う彼女の笑顔は酷く痛々しく、それはもう、見ているこちらの方が胸を締め付けられそうなほどだった。
「あ、ちょ……っ」
そして引き留めることも出来ないまま、彼女は建物の方へ走り去ってしまう。降谷が伸ばしかけた手は空を掴み、傘を叩く雨音だけが嫌に鼓膜に響いていた。
◇
「カンパーイ!」
あの日から程なくして、休日。萩原が他教場の女子と企画した合コンで、降谷たちは酒を飲んでいる。
「おいヒロ、このお通しすげー美味いぞ!」
「このくらいならオレでも作れるから、今度作り方教えてやるよ! ゼロは料理からっきしだからな」
「悪かったな」
「諸伏くん、私にも教えてー!」
「私は下手でいいから降谷くんに!」
「よせよせ、ゼロは年上の女医さんしか興味ゼロだからよ」
松田を横目に、降谷はビールを流し込んだ。まあ実際のところ松田の発言も当たらずとも遠からず、降谷がとある人物を探しているのは事実である。それはそれとしても、何が何でも恋人が欲しいだとか、逆に絶対に作りたくないだとかそのどちらでもなく、さして興味も拘りもない降谷にとって、この場は合コンというよりもただの飲み会だった。
──ただ、まあ、この前の彼女のことは気になると言えば気になる。ヒロにすら話していないので、この場で何か言うつもりもないけど。
「そういえば、苗字は来てないんだな」
「名前ちゃん?」
「名前ちゃんね、なんか体調あんまり良くないみたいで……」
「ええ、そうなのか」
「そうなの。ここ最近疲れてるみたいだったし」
絶妙なタイミングでその名を出す伊達に、降谷は思考が読まれているのではと内心少しだけ驚いた。大丈夫だろうか、と、顔をしかめる伊達を他所に、またしても松田が大して興味もなさそうに首を傾げる。
「苗字? って、誰だっけ」
「ウチらの教場の班長だよー」
「松田お前、知らないのか? 結構有名だろ」
「有名? なんで?」
「今期の女子班長はその子だけだよな、たしか」
「そうそう、名前ちゃんすっごい成績いいんだよ」
「ねー。しっかりしてるし真面目だけど、話しやすいし」
「へー」
「伊達くんとも仲良いみたいだし、話合うと思ったんだけどねえ」
そうか。来られていたら、流石にあの日のことをここで聞く気はないにしろ、何か話せたかもしれないな。……あれは結局何だったんだろうか。あれだけ雨に打たれれば、体調が良くないというのも頷ける。とはいえどちらかと言うと、あの時泣いていた理由そのものの方に因果関係がありそうだが。
それから、しばしの間降谷たちはそれなりに楽しい時間を過ごして居酒屋をあとにした。女性陣はもうすっかり萩原に夢中になっている。そして降谷はと言うと、この場に来てすらいない彼女のことが脳裏にチラついていた。そのうちきっと話せる機会もあるだろう。こんな楽しみが出来るなんて自分でも想定外のことだった。──まあでも、悪くないかな。
降谷がその場に行ったのは偶然のことだった。この雨では乾燥している筈もないのにどうしてだかやたら喉が乾いて、たまたま自販機のある昇降口へ向かったのだ。それで本当に、本当にたまたま、酷い雨だなと思って、チラッと外を見ただけだった。まさか暗闇の中、一人雨に打たれる人間がいるなんて思うわけないだろ。
強い雨と暗さで視界が悪くハッキリしないが、女子、のように見えた。あれは、別の教場の班長だったか。降谷は、伊達が彼女と話しているのを何度か見かけたことがあった。確か、苗字名前とか言ったっけ。……傘もささずに、あんなところで何を。
その時の自分の心情がどういうものだったのか、実のところ降谷自身もよく分かっていなかった。興味なのかお節介なのか、その両方で、どちらでもないような気もする。どうするべきか迷ったが、何となく、見なかったことには出来なかった。風邪でも引いて倒れられたところで自分に関係はないと思う反面、それでもやはり見かけてしまった以上、何となく後味が悪そうだというのがひとつ。あとはまあ、単純に気になったという好奇心もある。降谷は備え付けの傘を二つ手に取ると外へ出て、その人物の方へそっと近付いた。
「…………」
開いた傘に、雨の振動が響く。水が跳ねる音で足音なんて聞こえない筈だろうに、その人物はゆっくりと顔を降谷の方へ向けた。
「あ……」
泣いていると、土砂降りの中でもはっきりと分かる。直接話したことはなかったが、女性ながら班長を務めるだけあって成績優秀、明朗快活な優等生と聞いていた。その印象は今目の前にいる彼女とはどうにも重ならない。近付いたもののかける言葉も見つからない降谷がどうすべきか迷っていると、彼女の方が先に口を開いた。
「昼間ちょっと落とし物しちゃって。でもこの雨じゃダメですね」
どうやら彼女は嘘を吐くのが下手らしい。何かを探している素振りもなかったし、……というか彼女自身もおそらく、無理のある主張だと分かっていながら他に言い訳が思い浮かばなかったのだろう。もう諦めます、と言う彼女の笑顔は酷く痛々しく、それはもう、見ているこちらの方が胸を締め付けられそうなほどだった。
「あ、ちょ……っ」
そして引き留めることも出来ないまま、彼女は建物の方へ走り去ってしまう。降谷が伸ばしかけた手は空を掴み、傘を叩く雨音だけが嫌に鼓膜に響いていた。
◇
「カンパーイ!」
あの日から程なくして、休日。萩原が他教場の女子と企画した合コンで、降谷たちは酒を飲んでいる。
「おいヒロ、このお通しすげー美味いぞ!」
「このくらいならオレでも作れるから、今度作り方教えてやるよ! ゼロは料理からっきしだからな」
「悪かったな」
「諸伏くん、私にも教えてー!」
「私は下手でいいから降谷くんに!」
「よせよせ、ゼロは年上の女医さんしか興味ゼロだからよ」
松田を横目に、降谷はビールを流し込んだ。まあ実際のところ松田の発言も当たらずとも遠からず、降谷がとある人物を探しているのは事実である。それはそれとしても、何が何でも恋人が欲しいだとか、逆に絶対に作りたくないだとかそのどちらでもなく、さして興味も拘りもない降谷にとって、この場は合コンというよりもただの飲み会だった。
──ただ、まあ、この前の彼女のことは気になると言えば気になる。ヒロにすら話していないので、この場で何か言うつもりもないけど。
「そういえば、苗字は来てないんだな」
「名前ちゃん?」
「名前ちゃんね、なんか体調あんまり良くないみたいで……」
「ええ、そうなのか」
「そうなの。ここ最近疲れてるみたいだったし」
絶妙なタイミングでその名を出す伊達に、降谷は思考が読まれているのではと内心少しだけ驚いた。大丈夫だろうか、と、顔をしかめる伊達を他所に、またしても松田が大して興味もなさそうに首を傾げる。
「苗字? って、誰だっけ」
「ウチらの教場の班長だよー」
「松田お前、知らないのか? 結構有名だろ」
「有名? なんで?」
「今期の女子班長はその子だけだよな、たしか」
「そうそう、名前ちゃんすっごい成績いいんだよ」
「ねー。しっかりしてるし真面目だけど、話しやすいし」
「へー」
「伊達くんとも仲良いみたいだし、話合うと思ったんだけどねえ」
そうか。来られていたら、流石にあの日のことをここで聞く気はないにしろ、何か話せたかもしれないな。……あれは結局何だったんだろうか。あれだけ雨に打たれれば、体調が良くないというのも頷ける。とはいえどちらかと言うと、あの時泣いていた理由そのものの方に因果関係がありそうだが。
それから、しばしの間降谷たちはそれなりに楽しい時間を過ごして居酒屋をあとにした。女性陣はもうすっかり萩原に夢中になっている。そして降谷はと言うと、この場に来てすらいない彼女のことが脳裏にチラついていた。そのうちきっと話せる機会もあるだろう。こんな楽しみが出来るなんて自分でも想定外のことだった。──まあでも、悪くないかな。
