Your Song
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「嘘つき」
カラン、とグラスの中で氷が鳴る。飲んでも飲んでも酔わないこの男にとって、やはりその仕事は天職なのだろう。それに比べて名前はといえば、既に思考回路が半分くらい麻痺しているのが自分でもよくわかっていた。まだ彼の半分も飲んでいないというのに。元々弱いわけではなかったはずだが、やはり何もかも敵わないのだと思うと、名前は何だか無性に腹が立った。
──まあ、今頭が回らないのは酒というよりか、主に目の前のこの男の所為 なのだが。
「……名前に言われたくはないな」
「なに、喧嘩売ってる?」
「はは。いや、最近あの子にも同じようなことを言われたばかりだから、つい」
あの子とは、あの小さな探偵のことを指しているのだろう。名前がそう思っているのだから、彼はきっと更に強く理解しているに違いない。けれど脳味噌が思考を放棄している名前にとっては、もはやコナンのことを考える余裕はなかった。
「でも本当に、嘘とは思えない口ぶりでしたよ。まあ、全部嘘って訳でもないですけど」
「……でしょ。片思い、とか言う百パー嘘よりはマシかなって」
「そうですか? あながちそれも嘘じゃないんだけどな」
「また適当なこと言って、相変わらず口が上手いね」
名前と降谷は過去、付き合っている『フリ』をしていたことがある。お互いの利害の一致と、ほんの少しの好奇心から始まったことだったが、それは名前にとって想像以上に心地良い関係だった。いつの頃からか、降谷のことを本当に好きになってしまうまでは。
もう何杯目になるかも分からない、グラスに入ったワインをあけ、降谷が体ごと名前の方を向く気配を感じた。身体の左半分へ突き刺さる視線が痛いほどだ。
「……ていうか、その『安室さん』の喋り方やめてほしいんだけど」
「どうして? 一応『安室さん』なんですけど」
「どうしてって……、一応ってなに? 意味わかんないよ」
「つれないな。これから夜を共に明かすっていうのに」
「は?」
「は? って……その顔」
口元に手をあてて、彼は笑う。その姿はあの頃と重なって、まるで流れた月日が嘘のように感じられた。あの頃に戻りたいなんてそんな無意味なこと思わないけれど、もう戻れないのだと思うと、そんな当たり前のことが無性に虚しく思えた。
「……あいにく、初対面の男と寝たりしないから」
「またまた。そんな子どもでもないでしょう」
笑って軽口ばかり叩く彼に、口を開けばつい嫌味で返してしまう。名前は自分で自分に嫌気がさした。あの頃から全然変わっていない。あの頃もっと素直になれていたら、あるいは今、違う形で再会出来ただろうか。
──『安室透』は、私の知らない人間だった。それが仕事の為とはいえ、もはやあの頃の彼ではないのだ。こうやって再会する前から、そんなことは分かりきっていたはずなのに。
「じゃあ、初対面じゃなきゃいいのか?」
「……どういう意味?」
「そもそも僕は、君と別れたつもりはないんだけど」
「……はあ?」
名前は降谷の言葉が一つも理解出来なかった。
確かに『フリ』はしていた。そして確かにその『フリ』を、言葉で明確に終わらせたわけではない。終わらせるよりも先に、降谷がいなくなったのだ。それはつまり、終わっているということではないのか──そもそも始まってすらいない関係だったが。終わらせる為にこそ、何も言わずに消えたと考えるのは自然だろう。
「ごめん、何言ってるのかほんとに全然わかんない」
空になった降谷のグラスにワインを注ぎながら、努めて明るくそう言えば、彼は「ははっ」と声を上げた。
「……変わらないな、名前は」
意地でも向き合わない名前の顎を、降谷の手がクイ、と押し上げる。目が合ったのは、名前がよく知っている男だった。……知っている、とはいえ、今となってはそれすらも本当の彼なのか分からない。
「何、本当にわかんないんだけど、褒めてる?」
「もちろん」
「……降谷くんも相変わらず、何考えてるかわかんないね」
「それはどうも」
名前の髪に指を絡ませながら、降谷は眉を下げて笑う。まるで慈 しむようなその仕草に、名前は眩暈がした。錯覚してしまいそうだ。やめてよ、「片思い」なんてタチの悪過ぎる嘘。片思いをしていたのは──私の方なのに。
あなたのことが好きだった。何でもかんでも煙に撒いてその思考を悟らせないように徹しているところも、それがあなたの信念だと知っていたから。知っていたから、言わなかった。言えなかった。だってあなたには守るべきものがある。重荷にも、枷 にだってなりたくなかったから。それに何より──言葉にして、突き放されるのが怖かったから。
「……今、何考えてる?」
わかってる、くせに。
名前は気付いていた。自分の想いに降谷が気が付いていること。気が付いていて、核心に触れないこと。自分の考えはほぼ全て、この男の前では見透かされるのだとわかっていた。
でも、そんな狡いところも、わかっていて突き放さない優しいところも好きだった。好きだったから──本当に、忘れてしまいたかった。
「……明日のお昼、ラーメン食べに行こうかなって」
「はは! 明日の昼の心配より、今から起こることを心配した方がいいんじゃないか」
「いや、だって、よくわかんないけど揶揄ってるだけでしょ」
「ほう、その心は?」
「だって別に、……所詮フリだし、そういうのしたことないじゃん」
その投げかけに答えないまま、降谷はフ、と笑うと、名前を抱きしめその肩に顔を埋めた。
「な、何、実は結構寂しかったの? しょうがないなあ降谷くんは、」
「……ああ」
「え」
「……会いたかった」
誤魔化すようにふざけてみれば、名前の耳に届いたのは消え入りそうな声だった。「ずっと好きだった」「恋しかった」「会いたくて仕方なかったし、好きだ、と、伝えたかった」。
「何、それ……」
そんなの全部ぜんぶ、私のセリフだ。私が、私の方がずっとずっと、ずっと好きだったのに。知らない間に離れて行って、いなくなってしまったのはそっちじゃない。なのにどうして、そんなこと言うの。本当に狡い。私は、私が、あなたを好きだと言ったら、あなたは困るくせに。
彼のそんなたった一言で泣きそうになってしまう私は、なんて単純な女なんだろう。涙が溢れそうなのを堪えながらゆるりと零の背に手を回せば、抱きしめられる腕に力がこもった。
◇
自分のせいで、遭う必要のない危険に巻き込まれてしまうかもしれない。そうなってしまっても、守ってやれないかもしれない。だけど、それでも、離したくない、と。そばにいて、僕より先に死なないでくれ、と。懺悔にも聞こえる告白を彼は独り言のように呟きながら、骨が折れてしまいそうなほどに、私を強く強く抱き締めていた。
カラン、とグラスの中で氷が鳴る。飲んでも飲んでも酔わないこの男にとって、やはりその仕事は天職なのだろう。それに比べて名前はといえば、既に思考回路が半分くらい麻痺しているのが自分でもよくわかっていた。まだ彼の半分も飲んでいないというのに。元々弱いわけではなかったはずだが、やはり何もかも敵わないのだと思うと、名前は何だか無性に腹が立った。
──まあ、今頭が回らないのは酒というよりか、主に目の前のこの男の
「……名前に言われたくはないな」
「なに、喧嘩売ってる?」
「はは。いや、最近あの子にも同じようなことを言われたばかりだから、つい」
あの子とは、あの小さな探偵のことを指しているのだろう。名前がそう思っているのだから、彼はきっと更に強く理解しているに違いない。けれど脳味噌が思考を放棄している名前にとっては、もはやコナンのことを考える余裕はなかった。
「でも本当に、嘘とは思えない口ぶりでしたよ。まあ、全部嘘って訳でもないですけど」
「……でしょ。片思い、とか言う百パー嘘よりはマシかなって」
「そうですか? あながちそれも嘘じゃないんだけどな」
「また適当なこと言って、相変わらず口が上手いね」
名前と降谷は過去、付き合っている『フリ』をしていたことがある。お互いの利害の一致と、ほんの少しの好奇心から始まったことだったが、それは名前にとって想像以上に心地良い関係だった。いつの頃からか、降谷のことを本当に好きになってしまうまでは。
もう何杯目になるかも分からない、グラスに入ったワインをあけ、降谷が体ごと名前の方を向く気配を感じた。身体の左半分へ突き刺さる視線が痛いほどだ。
「……ていうか、その『安室さん』の喋り方やめてほしいんだけど」
「どうして? 一応『安室さん』なんですけど」
「どうしてって……、一応ってなに? 意味わかんないよ」
「つれないな。これから夜を共に明かすっていうのに」
「は?」
「は? って……その顔」
口元に手をあてて、彼は笑う。その姿はあの頃と重なって、まるで流れた月日が嘘のように感じられた。あの頃に戻りたいなんてそんな無意味なこと思わないけれど、もう戻れないのだと思うと、そんな当たり前のことが無性に虚しく思えた。
「……あいにく、初対面の男と寝たりしないから」
「またまた。そんな子どもでもないでしょう」
笑って軽口ばかり叩く彼に、口を開けばつい嫌味で返してしまう。名前は自分で自分に嫌気がさした。あの頃から全然変わっていない。あの頃もっと素直になれていたら、あるいは今、違う形で再会出来ただろうか。
──『安室透』は、私の知らない人間だった。それが仕事の為とはいえ、もはやあの頃の彼ではないのだ。こうやって再会する前から、そんなことは分かりきっていたはずなのに。
「じゃあ、初対面じゃなきゃいいのか?」
「……どういう意味?」
「そもそも僕は、君と別れたつもりはないんだけど」
「……はあ?」
名前は降谷の言葉が一つも理解出来なかった。
確かに『フリ』はしていた。そして確かにその『フリ』を、言葉で明確に終わらせたわけではない。終わらせるよりも先に、降谷がいなくなったのだ。それはつまり、終わっているということではないのか──そもそも始まってすらいない関係だったが。終わらせる為にこそ、何も言わずに消えたと考えるのは自然だろう。
「ごめん、何言ってるのかほんとに全然わかんない」
空になった降谷のグラスにワインを注ぎながら、努めて明るくそう言えば、彼は「ははっ」と声を上げた。
「……変わらないな、名前は」
意地でも向き合わない名前の顎を、降谷の手がクイ、と押し上げる。目が合ったのは、名前がよく知っている男だった。……知っている、とはいえ、今となってはそれすらも本当の彼なのか分からない。
「何、本当にわかんないんだけど、褒めてる?」
「もちろん」
「……降谷くんも相変わらず、何考えてるかわかんないね」
「それはどうも」
名前の髪に指を絡ませながら、降谷は眉を下げて笑う。まるで
あなたのことが好きだった。何でもかんでも煙に撒いてその思考を悟らせないように徹しているところも、それがあなたの信念だと知っていたから。知っていたから、言わなかった。言えなかった。だってあなたには守るべきものがある。重荷にも、
「……今、何考えてる?」
わかってる、くせに。
名前は気付いていた。自分の想いに降谷が気が付いていること。気が付いていて、核心に触れないこと。自分の考えはほぼ全て、この男の前では見透かされるのだとわかっていた。
でも、そんな狡いところも、わかっていて突き放さない優しいところも好きだった。好きだったから──本当に、忘れてしまいたかった。
「……明日のお昼、ラーメン食べに行こうかなって」
「はは! 明日の昼の心配より、今から起こることを心配した方がいいんじゃないか」
「いや、だって、よくわかんないけど揶揄ってるだけでしょ」
「ほう、その心は?」
「だって別に、……所詮フリだし、そういうのしたことないじゃん」
その投げかけに答えないまま、降谷はフ、と笑うと、名前を抱きしめその肩に顔を埋めた。
「な、何、実は結構寂しかったの? しょうがないなあ降谷くんは、」
「……ああ」
「え」
「……会いたかった」
誤魔化すようにふざけてみれば、名前の耳に届いたのは消え入りそうな声だった。「ずっと好きだった」「恋しかった」「会いたくて仕方なかったし、好きだ、と、伝えたかった」。
「何、それ……」
そんなの全部ぜんぶ、私のセリフだ。私が、私の方がずっとずっと、ずっと好きだったのに。知らない間に離れて行って、いなくなってしまったのはそっちじゃない。なのにどうして、そんなこと言うの。本当に狡い。私は、私が、あなたを好きだと言ったら、あなたは困るくせに。
彼のそんなたった一言で泣きそうになってしまう私は、なんて単純な女なんだろう。涙が溢れそうなのを堪えながらゆるりと零の背に手を回せば、抱きしめられる腕に力がこもった。
◇
自分のせいで、遭う必要のない危険に巻き込まれてしまうかもしれない。そうなってしまっても、守ってやれないかもしれない。だけど、それでも、離したくない、と。そばにいて、僕より先に死なないでくれ、と。懺悔にも聞こえる告白を彼は独り言のように呟きながら、骨が折れてしまいそうなほどに、私を強く強く抱き締めていた。
