Your Song
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今日はとてもよく晴れていて、けれどひどく風が強い。鼻を掠 める木々の香りに、名前は最後に『彼』と会った日を思い出していた。それが最後になるとは露知らず、いつもと同じように皆で遊んで、いつもと同じように別れたあの日。ずっとあんな日々が続くと思っていたのに、皆いなくなってしまった。今でも昨日のように思えて、切なくなる。
「はい、着いたよ」
「ありがとうございました」
「名前姉ちゃんまたね~」
車を路肩に寄せ、蘭とコナンの降車を待つ。名前が刑事部へ異動して来てから、事件が起こるところにはいつも彼らがいた。現場へ向かうたびに顔を合わせるものだから、元々休日に予定を調整して会うような友人も少なかった名前は、気が付けばこうして非番の日に買い物へ行ったりするほどに蘭やコナン、そしてその友人らと親しくなっていた。蘭や園子ですら歳がひとまわり近く離れているが、彼らは良い意味で遠慮がない。それが名前にとっては心地よかった。
「あ! そうだ、ポアロ寄って行きません?」
「え?」
順に送っていく予定だった園子が後部座席から顔を出す。その声に、すでに降車した蘭とコナンも足を止め、開いた窓から彼女を覗き込んだ。
「そうですね! ちょっと小腹も空いたし……コナンくんも来るでしょ?」
「うん、行く~」
「それにほら、名前さん知ってます? ここ、最近超イケメンが働き始めたの!」
「ええ~?」
「しかも名前さんと同い年の!」と一人盛り上がる園子は、乗り気でない名前に気付かないまま大変楽しそうに降車する。喫茶ポアロは毛利探偵事務所の階下に店を構えているものの、名前は未だ入店したことはなかった。特に避けていたわけではなくただタイミングがなかっただけなのだが、わざわざそう言われると、尚更入る気がしなくなってくる──とはいえ、その気になった女子高生を止める術もない。イケメンはさておき確かに小腹は空いた、そう自分に言い聞かせ、名前は溜息を吐 いた。
こういう時に年齢の差と、重ねてしまった年月をひしひしと感じる。もうあれから随分経ったような、あっという間だったような、不思議な感覚だった。私もいい加減、前に進みたいと思っている。思ってはいる、のだが。
◇
この店と提携しているらしい近隣のコインパーキングへと車を止めて店の扉を開ければ、カランカラン、と、来客を告げるベルが鳴る。彼女たちは入り口すぐそばの席に座っており、こちらへ手を振って見せた。若い女性店員に案内されながら、名前は軽く店内を見回す。そのイケメン効果だろうか、店構えから想像されるよりも女性客が多いようだ。
「あ、安室さん!」
「やあ、コナンくん。蘭さんに園子さんも……そちらは?」
園子の隣に腰掛けようとしたその瞬間。
過ぎた年月を感じさせない、あの頃のままの風貌で──それなのに、名前の知らない『彼』がそこにいた。
「苗字名前さん。前に言ってた、鑑識の刑事さんです」
「……あ、」
「ああ、そうなんですね。初めまして。安室透です」
まるで世界が止まったかのよう、名前は言葉を失い呼吸を忘れただただ立ち尽くしていたが──『安室透』と名乗る彼に笑って手を差し出され我に返った。慌てて笑顔を取り繕 い、その手を握り返す。
「苗字……、名前です」
「名前さんですね。よろしくお願いします」
その声で名を呼ばれるだけで、名前は頭の中が真っ白だった。上手く笑えないのを誤魔化すよう彼にアイスコーヒーを注文し、漸 く席に着く。何とか彼を追い払ったが、思考回路は正常に機能しないままだ。一瞬で跳ね上がってしまった体温を下げるよう、名前は女性店員が配膳してくれた水を一気に飲み干した。
「……名前姉ちゃん、安室さんのこと知ってるの?」
「……え?」
コナンが訝 しげに問う。彼が小学一年生とは思えない程の洞察力を備えていることは、名前もよく分かっていた。
──だからこそ、ここで適当な嘘を吐いてはいけない。気付かれない、怪しまれない程度に真実を織り交ぜなくては。名前は働かない頭を必死に回転させる。
「い、いや、ちょっと……知り合いに似てたから、ビックリしちゃっただけ」
「ふーん……」
「えーっ、誰だれ、なんの人? 初恋の人、とか!?」
嬉々として会話に割って入る園子に、これほど助けられたことはないと名前は思った。不本意だが、こうなってはこの助け船に乗っかるしかない。
「……初恋じゃないけど、元カレ」
「えーっ!」
この小さな探偵の目をどこまで上手く誤魔化せるかは分からないが、元カレと言ってしまえば、多少怪しんだとしてもさして掘り下げられはしないだろう。……それに実際、嘘だけど、嘘ではない。彼が大人びているなら尚更だ、名前はこれが最適解だと信じる他なかったし、幸い、これ以上コナンに触れられはしなさそうであった。──あくまでも、コナンには。
「名前さんあんなイケメンと付き合ってたの!?」
「いや、だからもうこの話は……」
「そりゃ~あんなんの後だったら誰とも付き合えないわよね」
「何を盛り上がってるんですか?」
アイスコーヒーをトレイに乗せ、『安室透』は何の気配もなく再び現れる。つい先ほど自分を救いあげてくれたはずの船から、名前は改めて突き落とされた気分だった。出来ることなら彼じゃなく、もう一人の女性の店員に持って来てほしかったのに──私がそう思っているのも分かっていて、おちょくっているんじゃないかろうかと疑ってしまうほど、相変わらず何を考えているのかわからない男だ。
「お待たせしました」
「……どうも」
「安室さん、名前さんの元カレにそっくりなんだって!」
「ちょっと園子ちゃん!」
「! ……へえ」
ここで、彼は初めてその目を丸くした。珍しく少し驚いたらしい。こちとら会っただけで心臓が止まりそうだったのだからいい気味だと、名前は少しだけ胸を撫で下ろした。だが『安室透』が何を口走るか分からない以上、何も安心できはしない。頼むから何も喋ってくれるなと、名前は必死で平静を装いながらガムシロップを一つ手に取った。
「奇遇ですね。名前さんも、僕の知り合いにそっくりなんです」
「え」
「え~、まさか元カノ?」
「もー、園子!」
「だぁってぇ、そうだったら面白いじゃん! で、どうなの?」
何を言い出すか分からないのだから、もう彼に発言権を与えないで欲しいという名前の祈りは儚く散る。気が気でない名前を気にも留めず、『安室透』は目をキラキラさせた園子の問いに、フ、と笑った。少しだけ細められたその目は、彼女のそれに負けず劣らず、心底楽しそうだ。
「違いますよ。僕の片思いです」
「!」
「かないませんでしたけどね。ということで、今晩食事でもいかがですか?」
「は、ごほ……っ」
小気味良いと思っていたのも束の間、彼のあまりに好き勝手な物言いに、名前はむせかえった。揶揄 われている。反応を見て楽しんでいるだけだ。そう分かっているのに、どうしても、顔に熱が集まってしまう。タイミングが良いのか悪いのか、マスターと呼ばれる男性に声をかけられた『安室透』は、「ではまたあとで」なんて笑いながらカウンターの向こう側へと戻っていった。
「ヒュ~、やっぱり色男はやることも違うわね」
「名前さん、どうするの?」
園子だけでなく、先程までは彼女を制そうとしていた蘭までもが色めき立ってしまっている。自分も傍観者であったなら、このさながら恋愛ドラマのような出来すぎた展開に盛り上がることも出来たかもしれないが──名前にとってはそれどころではなかった。一方、コナンはというと些 か呆れたように笑っている。一先ず疑念はとりあえず晴れたようだ。それは良かった、が、犠牲にしたものが大き過ぎる気もする。
「どうするのって言われても……」
「えっ、迷う必要ある!?」
「今付き合ってる人って……」
「……それは、いないけど」
「じゃあオッケーですよね! 私から安室さんに言っとくんで!」
「えっ、ちょ……っ」
園子は勢いよく立ち上がり、名前の制止も聞かず本当に言いに行ってしまった。若さ故の行動力なのか、それとも性格か。きっとどちらもだろう。──私には無理だったことだ。少しだけ羨ましいような気もして、私はまた、あの日を反芻する。彼と最後に言葉を交わした、あの日。
「はい、着いたよ」
「ありがとうございました」
「名前姉ちゃんまたね~」
車を路肩に寄せ、蘭とコナンの降車を待つ。名前が刑事部へ異動して来てから、事件が起こるところにはいつも彼らがいた。現場へ向かうたびに顔を合わせるものだから、元々休日に予定を調整して会うような友人も少なかった名前は、気が付けばこうして非番の日に買い物へ行ったりするほどに蘭やコナン、そしてその友人らと親しくなっていた。蘭や園子ですら歳がひとまわり近く離れているが、彼らは良い意味で遠慮がない。それが名前にとっては心地よかった。
「あ! そうだ、ポアロ寄って行きません?」
「え?」
順に送っていく予定だった園子が後部座席から顔を出す。その声に、すでに降車した蘭とコナンも足を止め、開いた窓から彼女を覗き込んだ。
「そうですね! ちょっと小腹も空いたし……コナンくんも来るでしょ?」
「うん、行く~」
「それにほら、名前さん知ってます? ここ、最近超イケメンが働き始めたの!」
「ええ~?」
「しかも名前さんと同い年の!」と一人盛り上がる園子は、乗り気でない名前に気付かないまま大変楽しそうに降車する。喫茶ポアロは毛利探偵事務所の階下に店を構えているものの、名前は未だ入店したことはなかった。特に避けていたわけではなくただタイミングがなかっただけなのだが、わざわざそう言われると、尚更入る気がしなくなってくる──とはいえ、その気になった女子高生を止める術もない。イケメンはさておき確かに小腹は空いた、そう自分に言い聞かせ、名前は溜息を
こういう時に年齢の差と、重ねてしまった年月をひしひしと感じる。もうあれから随分経ったような、あっという間だったような、不思議な感覚だった。私もいい加減、前に進みたいと思っている。思ってはいる、のだが。
◇
この店と提携しているらしい近隣のコインパーキングへと車を止めて店の扉を開ければ、カランカラン、と、来客を告げるベルが鳴る。彼女たちは入り口すぐそばの席に座っており、こちらへ手を振って見せた。若い女性店員に案内されながら、名前は軽く店内を見回す。そのイケメン効果だろうか、店構えから想像されるよりも女性客が多いようだ。
「あ、安室さん!」
「やあ、コナンくん。蘭さんに園子さんも……そちらは?」
園子の隣に腰掛けようとしたその瞬間。
過ぎた年月を感じさせない、あの頃のままの風貌で──それなのに、名前の知らない『彼』がそこにいた。
「苗字名前さん。前に言ってた、鑑識の刑事さんです」
「……あ、」
「ああ、そうなんですね。初めまして。安室透です」
まるで世界が止まったかのよう、名前は言葉を失い呼吸を忘れただただ立ち尽くしていたが──『安室透』と名乗る彼に笑って手を差し出され我に返った。慌てて笑顔を取り
「苗字……、名前です」
「名前さんですね。よろしくお願いします」
その声で名を呼ばれるだけで、名前は頭の中が真っ白だった。上手く笑えないのを誤魔化すよう彼にアイスコーヒーを注文し、
「……名前姉ちゃん、安室さんのこと知ってるの?」
「……え?」
コナンが
──だからこそ、ここで適当な嘘を吐いてはいけない。気付かれない、怪しまれない程度に真実を織り交ぜなくては。名前は働かない頭を必死に回転させる。
「い、いや、ちょっと……知り合いに似てたから、ビックリしちゃっただけ」
「ふーん……」
「えーっ、誰だれ、なんの人? 初恋の人、とか!?」
嬉々として会話に割って入る園子に、これほど助けられたことはないと名前は思った。不本意だが、こうなってはこの助け船に乗っかるしかない。
「……初恋じゃないけど、元カレ」
「えーっ!」
この小さな探偵の目をどこまで上手く誤魔化せるかは分からないが、元カレと言ってしまえば、多少怪しんだとしてもさして掘り下げられはしないだろう。……それに実際、嘘だけど、嘘ではない。彼が大人びているなら尚更だ、名前はこれが最適解だと信じる他なかったし、幸い、これ以上コナンに触れられはしなさそうであった。──あくまでも、コナンには。
「名前さんあんなイケメンと付き合ってたの!?」
「いや、だからもうこの話は……」
「そりゃ~あんなんの後だったら誰とも付き合えないわよね」
「何を盛り上がってるんですか?」
アイスコーヒーをトレイに乗せ、『安室透』は何の気配もなく再び現れる。つい先ほど自分を救いあげてくれたはずの船から、名前は改めて突き落とされた気分だった。出来ることなら彼じゃなく、もう一人の女性の店員に持って来てほしかったのに──私がそう思っているのも分かっていて、おちょくっているんじゃないかろうかと疑ってしまうほど、相変わらず何を考えているのかわからない男だ。
「お待たせしました」
「……どうも」
「安室さん、名前さんの元カレにそっくりなんだって!」
「ちょっと園子ちゃん!」
「! ……へえ」
ここで、彼は初めてその目を丸くした。珍しく少し驚いたらしい。こちとら会っただけで心臓が止まりそうだったのだからいい気味だと、名前は少しだけ胸を撫で下ろした。だが『安室透』が何を口走るか分からない以上、何も安心できはしない。頼むから何も喋ってくれるなと、名前は必死で平静を装いながらガムシロップを一つ手に取った。
「奇遇ですね。名前さんも、僕の知り合いにそっくりなんです」
「え」
「え~、まさか元カノ?」
「もー、園子!」
「だぁってぇ、そうだったら面白いじゃん! で、どうなの?」
何を言い出すか分からないのだから、もう彼に発言権を与えないで欲しいという名前の祈りは儚く散る。気が気でない名前を気にも留めず、『安室透』は目をキラキラさせた園子の問いに、フ、と笑った。少しだけ細められたその目は、彼女のそれに負けず劣らず、心底楽しそうだ。
「違いますよ。僕の片思いです」
「!」
「かないませんでしたけどね。ということで、今晩食事でもいかがですか?」
「は、ごほ……っ」
小気味良いと思っていたのも束の間、彼のあまりに好き勝手な物言いに、名前はむせかえった。
「ヒュ~、やっぱり色男はやることも違うわね」
「名前さん、どうするの?」
園子だけでなく、先程までは彼女を制そうとしていた蘭までもが色めき立ってしまっている。自分も傍観者であったなら、このさながら恋愛ドラマのような出来すぎた展開に盛り上がることも出来たかもしれないが──名前にとってはそれどころではなかった。一方、コナンはというと
「どうするのって言われても……」
「えっ、迷う必要ある!?」
「今付き合ってる人って……」
「……それは、いないけど」
「じゃあオッケーですよね! 私から安室さんに言っとくんで!」
「えっ、ちょ……っ」
園子は勢いよく立ち上がり、名前の制止も聞かず本当に言いに行ってしまった。若さ故の行動力なのか、それとも性格か。きっとどちらもだろう。──私には無理だったことだ。少しだけ羨ましいような気もして、私はまた、あの日を反芻する。彼と最後に言葉を交わした、あの日。
