ch.,2:盛夏 - 青と夏 -
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ch.,1 : 麗日 - うらうらら -
“恋とはどんなものかしら”。
頭から離れない、聞き馴染みのあるこのフレーズの原典は何であったか。文学作品か、何かのセリフかタイトルか──だが今は何でも良い。それよりも、この問いの解そのものを教えてほしい。
ch.,2 : 盛夏 - 青と夏 -
「さっきアユちゃん、小林に呼び出されとったで!」
「エリ、ニッシーに告ってオッケーもろたんやって!」
「モエが前川くんと手ぇ繋いで歩いとるの見てしもた!」
就寝前、寝室でのいわゆる“恋バナ”は、修学旅行の一大イベントと言っても過言ではない。宿泊先の一室では隙間なく敷かれた布団の上に女子生徒が輪をつくり、ゴシップ的な話題に花を咲かせる。同室の生徒だけでなく皆が好き勝手に出入りを繰り返しながら、誰が誰に告白しただのするだのフラれただの付き合うだの、追いきれないほどの情報が飛び交っていた。
名前はどことなく居づらさを感じ、隣に座る友人に「飲み物買ってくるね」と一声かけてから部屋を出る。中学から大阪に来た名前は最初こそ、言葉やその場のノリについていけず戸惑うこともあったが、三年にもなればだいぶ馴染んでいた。だから不仲だとかではないし、“恋バナ”が嫌いなわけでもないが──名前にはこういった話題のとき、話を振られても自分から提供できるネタが何ひとつないのだ。
「おっ、ぐーぜん。どこ行くん?」
「おー、ジュース買いに行くとこ。スズは?」
「おお、私も私も~」
部屋を出たところで、名前は友人・スズと出会 した。三年になってクラスは離れてしまったが、今も部活で毎日顔を合わせている彼女は名前がこちらへ来てからはじめて会話した人物で、今では一番の親友でもあった。
「いや~、みんなすごいわ。元気」
「何や、急に」
「恋バナ。すごすぎてついていけんよ」
「あ~まあ、たしかにな。こっちの部屋もすごかったわ」
旅行の二週間ほど前くらいからだろうか。何となく「あ、両思いだな」と周囲が察していたようなふたりから、正直「え、そこ!?」となるような組み合わせまで、名前が見聞きしただけでも結構な数のカップルが成立していた。預かり知らぬところも合わせれば相当数になるのではないか。それなのに、いざ旅行に来てみてもその勢いはとどまることを知らない。そんなにも皆が恋愛感情を持って生活していることに名前は驚いていた。中にはイベントに向けて盛り上がっただけ、という場合もあるかもしれないが、それにしたって……である。「修学旅行を楽しむために恋人をつくる」。そういった思考はわからないでもないが、不確定のそれに労力を割くことも、失敗を恐れぬ胆力も──理解は出来ても共感することは出来なかった。
「……まあでも、スズも“そっち側”だしね」
「えっ!? な、何やそれ」
「何やそれって、何やそれが何やそれですが」
「う、うっさいな」
かく言う彼女も、とある男子に“想い”を寄せるひとりである。第三者としてはいわゆる──「あ、両思いだな」の方のふたりに見えるが、本人たちがアクションを起こさないのでなかなか進展はしていない。ただそれでも、幸せそうに口元を綻ばせながら彼の話をするスズの笑顔は愛くるしく、恋愛も悪くないものなのだと、よくわからないなりに思えてくる。
消灯まではいくらか時間があるためか、まだロビーにはある程度人がいる状態だった。さすがにこの場で堂々と愛を語らおうとする恋人たちは目につかなかったが──それっぽい、ただならぬ雰囲気の生徒もちらほら。まさにこれから告白するとか、されたとか、そういう感じである。
「そういう名前は、なんかあらへんの」
「うーん……」
「いっつもそれやな」
「だって、あんまよーわからんし……好きとか」
「カッコええ~とかはあるんちゃうん。せやな、……白石とかどない? イケメンやろ。おもんないけど」
「最後のいる? まあ……キレーな顔してるとは思うけど」
「なんやその感想」
「でも実際、カッコいい、イコール好き、じゃないでしょ。スズだっておし……」
「わわわ私の話はええの!」
その名前を出す前に勢いよく遮られ、彼女のその慌てぶりに、名前は思わず笑みがこぼれた。
スズの想いびと──忍足謙也は良い人だ。優しいしノリも良くて、彼がいると周囲が明るくなる。“良い人止まり”と言う人もいるが──どう考えてもそんな屁理屈より、スズの見る目の方がよほど正しい。
自販機がいくつか並ぶロビーの一角にたどり着くと、スズは誤魔化 すようにわざとらしく「どれにしようかな!」と口にしてから、ラインナップを目で追い始めた。相手の名前を少し出しただけにも拘 らず、未だこんなにも頬を染めて──その様 は、同性の友人から見ても可愛らしい。
「あー、私も好きな人ほしいな」
「……言うて余裕こいとるけど、好きになる時は意外と、たいしたキッカケもなしにコロッといっちゃうもんやで」
「そんなもんかあ」
「そんなもんやね」
実際、そうなのかもしれない。名前は彼女から、忍足謙也の話をよく聞くようになった頃のことを思い出していた。その恋の始まりは何であったか──たしかに、席が隣でよく話しているうちに……とか、そういう感じだった気がする。そんな些細なスタートから早二年ほどになるだろうか、今も変わらずこうして彼を想っているのだから凄い。
「……なんかさ」
「ん?」
「好きな人がいるってどんな感じ?」
「……改めてそう言われると、恥ずいんやけど」
「いや、私もなんか、何聞いてんのって感じだけど。忍足 の話するときのスズ、楽しそうだし、やっぱいいなーって」
もちろんそれだけではないのはわかっている。誰かを好きになることで、楽しいこと、嬉しいこと、それと同じくらい──嫉妬したり落ち込んだり涙したり、負の感情に振り回されていることも少なくない。スズや他の友人、ドラマや映画を見ていてもみんなそうだった。だが、それでも──誰かを好きになるということは、自分ではどうにも止められないらしい。
「……まあ、楽しいな。しんどいときもあるっちゃあるけど……」
「けど?」
「……笑わん?」
「うん」
「……せやなあ、────……」
◇
翌日。炎天下の隙間を縫って、名前たちは漸 く辿り着いた日陰でひと息ついた。“恋バナ”と並ぶ、この修学旅行のメインイベント──テーマパークである。あらかじめ決められた班行動とはいえ、大阪で生まれ育った多くの生徒にとってはなかなかない機会であり、皆が浮き立っていた。だからこそ──“あらかじめ決められた班行動”をきちんとしている生徒が果たしてどれほどいるだろうか。ほぼほぼ形骸化、きっと教師たちですらも、それが正しく守られるなんて思っていないだろう。かくいう名前の班も、すでに名前を含めて三人しか残っていない。
「あー、ホンマこの帽子暑すぎやろ!」
「自分で買うたんやろ」
「見てるこっちも暑いよ」
謙也は先程購入したばかりの大ぶりな帽子を剥ぎ取ってかぶりを振った。キャラクターの頭部に扮したふわふわのそれは、どう見ても本来日除けとして使用するものではない。名前と白石に愚痴を受け流されながら、謙也は不服そうに続ける。
「いや、でもな。こっちの普通のキャップみたいのやったらおもんないやん」
「うーん、でも結局そっちも、最初おもしろかったけど見慣れたらそんなにかも」
「んはは! 言うなあ、苗字」
「白石のどデカいリボンの方がおもしろく見えてきた。かわいいし」
「え、これより? ホンマに?関東 の笑いおかしいんちゃう?」
「ふ、悪いな謙也。負け惜しみはみっともないで」
「いやいやいや、ホンマに言うてる?」
「ホンマに言うてる」
「いやキッツ。おべっか使われへんのか」
井戸端会議をしながらショップの片隅で商品を物色しつつ、名前はちらりと時計を見遣 った。そろそろだろうか。
「あっ、スズ」
「お、おお、名前。白石に……忍足も」
「おっ、鈴浦やん」
「あれ、一人か?」
「せやねん。皆どっか行ってしもた」
スズの班も例に漏れず、恋人や仲の良い友人など他のグループで行動したいと何人かが抜けることが事前にわかっており──ならば良いかと、名前は彼女とここで合流する算段を立てていた。名前の班には運良く謙也がいたし、さらに白石も一緒となれば謙也が抜けていってしまう可能性も低く、四人で行動出来るかもしれない、と。ここまでは計画どおり、スズにも話を通してあったことだ。だがもうひと押し、名前には彼女に隠した目論見がある。さりげなく白石のとなりに立ち、スズと謙也の会話に聞き耳をたてた。
「っふ、何やその帽子」
「ええやろ」
「絶対暑いやん」
「いやホンマ、ビビるくらい暑いで」
「アホなん?」
いい感じだ。いたって普通の内容だが、こそばゆいような甘酸っぱいような、なんとも形容しがたい空気が二人の間には流れている。あとは──
「え」
「しーっ」
名前は白石の腕を取り、心の中で親友の健闘を祈りながら、気付かれないようにその場をあとにした。
◇
みやげ屋が建ち並ぶ通りから少し抜けたおよそ園の端の方、人気 が少なくなってきたあたりで、名前は彼の腕を解放する。
「……ふう」
「な、なに?」
「あ、ご、ごめん」
走る一歩手前の早足で逃げてきたからか、それとも急に我にかえったからか──冷房で引きかけていた汗が、再び一気に噴き出てきた。しまった。こちらへの言い訳までは考えていなかった。
「や、ビビりはしたけど……よう考えたらあのふたりやもんな」
「あ、そうそうそう、そうなの」
──と焦りはしたものの、やはりあのふたりの心情は、第三者には明らかのようだ。筒抜けとはいえ自分の口から説明するのは憚 られる。名前は白石の方から察してくれたことに安堵したが、彼はというと何故か対照的に、少しだけ口惜しそうに笑った──気がした。見間違いか、あるいは気のせいだろうか。
「なんや、そか、そういう……」
「え?」
「い、いや! なんも」
「……そう?」
強く否定されてはそれ以上触れられず、名前はいまひとつ腑に落ちないながらも言葉を飲み込む。名前はこれまで白石とふたりきりで話したことはあまりなかった。文武両道、眉目秀麗で欠点のない人物であるとか、そのうえ優しいとか、この学年であれば誰でも知っているようなことは知っているが──それだけだった。
「まあ、だからっていうか、白石も友達のとことか行っていいよ」
「……苗字は?」
「私はほら、別に、その辺歩いてたら誰かと会えるでしょ。たぶん」
「いや、ちゃうくて……他で約束とか、しとるんかなって」
「え、いや特に」
「……ほな、ちょお付き合うてくれん? 妹とかのみやげ、一緒に見てくれたら助かるんやけど」
「おー、いいよ」
任せて、と拳で自身の胸を叩けば、彼は「頼りになるなあ」と笑った。──白石って、こんなふうに笑うんだ。
◇
「あ」
何軒かショップを渡り歩いている最中 、とあるウインドウの前で白石が立ち止まる。
「なんかめぼしいのあった?」
覗き込めば、最近アトラクションが出来たことでおそらく今一番グッズ展開されているであろう作品のモチーフが飾られていた。少し前に実写映画化もされ、名前の所属する演劇部でも昨年の文化祭の演目として取り扱ったものだ。
「ああ、今すごい人気だよね。妹さんも好きなの?」
「あ……いや、そうやなくて……去年文化祭でやっとったやろ。演劇部」
「あ、そうそう! 観てくれたの?」
「観た観た」
「工藤先輩めっちゃ綺麗だったよねえ」
「あー……主役の?」
「え。他におらんでしょ」
今年の春に卒業してしまった工藤先輩──演劇部のマドンナが演じた知的で気高いプリンセスは、見るものすべてを虜 にしたと言っても過言ではないだろう。あのとき、他の役者も演出も小道具も、なにもかもが彼女のためにあった。
「いや……あんま覚えとらんくて」
「うそ、そんなことある? ほんとに観た?」
「おん。やって、苗字も出とったやろ」
「……え?」
「なんやいろんな衣装でちょいちょい出てきとったな」
出ては、いた。出てはいたが端役も端役、まともなセリフはほんの僅か──それも、主人公を貶すような野次ばかりで──あとは要所要所のその他大勢 。きちんと名前のある役はほとんどが当時の三年生であったし、下級生は大多数が名前と同じく賑やかし要員か裏方のどちらかだった。知らない上級生よりも同級生の方が印象に残りやすいのは理解できるが──正直、私よりも出番の多い同級生はもっといたはず。少ないながらもネームドキャラに抜擢された子だっていたのだ。
「よ……よく覚えてるね」
「そりゃあな、やって……」
「……やって?」
「い……いや、なんも」
白石の顔がみるみる紅潮していき、彼ははぐらかすようにそっぽを向いた。え、な、なに、か……わいい、かも。
「な……なんもってことある?」
「いや……ちゃうねん、ホンマに。間違えた」
「間違えた……?」
「いや間違えたっちゅうか……、……ああもう、あかんわ」
「な、なにが」
「……苗字とおると、なんも思うようにいかん……こないところ、見せたないのに」
あまり知らないなりに、完璧 だと思っていたし、周りからもそう言われていた彼の──耳まで真っ赤に染めながら、困ったように眉を下げた、顔。
「ちょ……あんま見んといて」
────好きな人がいるってどんな感じ?
────……せやなあ、その人のこと考えると胸がどきどきして、何でもないことも楽しく思えて……
世界が色づく、みたいな────
じりじりと焼けつくような暑さも、喧騒も。いま目の前にいるこのひと以外のすべてが、意識の向こうへ遠ざかっていく。脳裏に浮かんだ昨晩のスズの言葉も、速まる鼓動で掻き消された。上がる体温は、火照る頬は、きっとこの、照りつける太陽の所為 じゃ──ない。
れん あい【恋愛】
特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。
──「新明解国語辞典」第八版 より引用
“恋とはどんなものかしら”。
頭から離れない、聞き馴染みのあるこのフレーズの原典は何であったか。文学作品か、何かのセリフかタイトルか──だが今は何でも良い。それよりも、この問いの解そのものを教えてほしい。
「さっきアユちゃん、小林に呼び出されとったで!」
「エリ、ニッシーに告ってオッケーもろたんやって!」
「モエが前川くんと手ぇ繋いで歩いとるの見てしもた!」
就寝前、寝室でのいわゆる“恋バナ”は、修学旅行の一大イベントと言っても過言ではない。宿泊先の一室では隙間なく敷かれた布団の上に女子生徒が輪をつくり、ゴシップ的な話題に花を咲かせる。同室の生徒だけでなく皆が好き勝手に出入りを繰り返しながら、誰が誰に告白しただのするだのフラれただの付き合うだの、追いきれないほどの情報が飛び交っていた。
名前はどことなく居づらさを感じ、隣に座る友人に「飲み物買ってくるね」と一声かけてから部屋を出る。中学から大阪に来た名前は最初こそ、言葉やその場のノリについていけず戸惑うこともあったが、三年にもなればだいぶ馴染んでいた。だから不仲だとかではないし、“恋バナ”が嫌いなわけでもないが──名前にはこういった話題のとき、話を振られても自分から提供できるネタが何ひとつないのだ。
「おっ、ぐーぜん。どこ行くん?」
「おー、ジュース買いに行くとこ。スズは?」
「おお、私も私も~」
部屋を出たところで、名前は友人・スズと
「いや~、みんなすごいわ。元気」
「何や、急に」
「恋バナ。すごすぎてついていけんよ」
「あ~まあ、たしかにな。こっちの部屋もすごかったわ」
旅行の二週間ほど前くらいからだろうか。何となく「あ、両思いだな」と周囲が察していたようなふたりから、正直「え、そこ!?」となるような組み合わせまで、名前が見聞きしただけでも結構な数のカップルが成立していた。預かり知らぬところも合わせれば相当数になるのではないか。それなのに、いざ旅行に来てみてもその勢いはとどまることを知らない。そんなにも皆が恋愛感情を持って生活していることに名前は驚いていた。中にはイベントに向けて盛り上がっただけ、という場合もあるかもしれないが、それにしたって……である。「修学旅行を楽しむために恋人をつくる」。そういった思考はわからないでもないが、不確定のそれに労力を割くことも、失敗を恐れぬ胆力も──理解は出来ても共感することは出来なかった。
「……まあでも、スズも“そっち側”だしね」
「えっ!? な、何やそれ」
「何やそれって、何やそれが何やそれですが」
「う、うっさいな」
かく言う彼女も、とある男子に“想い”を寄せるひとりである。第三者としてはいわゆる──「あ、両思いだな」の方のふたりに見えるが、本人たちがアクションを起こさないのでなかなか進展はしていない。ただそれでも、幸せそうに口元を綻ばせながら彼の話をするスズの笑顔は愛くるしく、恋愛も悪くないものなのだと、よくわからないなりに思えてくる。
消灯まではいくらか時間があるためか、まだロビーにはある程度人がいる状態だった。さすがにこの場で堂々と愛を語らおうとする恋人たちは目につかなかったが──それっぽい、ただならぬ雰囲気の生徒もちらほら。まさにこれから告白するとか、されたとか、そういう感じである。
「そういう名前は、なんかあらへんの」
「うーん……」
「いっつもそれやな」
「だって、あんまよーわからんし……好きとか」
「カッコええ~とかはあるんちゃうん。せやな、……白石とかどない? イケメンやろ。おもんないけど」
「最後のいる? まあ……キレーな顔してるとは思うけど」
「なんやその感想」
「でも実際、カッコいい、イコール好き、じゃないでしょ。スズだっておし……」
「わわわ私の話はええの!」
その名前を出す前に勢いよく遮られ、彼女のその慌てぶりに、名前は思わず笑みがこぼれた。
スズの想いびと──忍足謙也は良い人だ。優しいしノリも良くて、彼がいると周囲が明るくなる。“良い人止まり”と言う人もいるが──どう考えてもそんな屁理屈より、スズの見る目の方がよほど正しい。
自販機がいくつか並ぶロビーの一角にたどり着くと、スズは
「あー、私も好きな人ほしいな」
「……言うて余裕こいとるけど、好きになる時は意外と、たいしたキッカケもなしにコロッといっちゃうもんやで」
「そんなもんかあ」
「そんなもんやね」
実際、そうなのかもしれない。名前は彼女から、忍足謙也の話をよく聞くようになった頃のことを思い出していた。その恋の始まりは何であったか──たしかに、席が隣でよく話しているうちに……とか、そういう感じだった気がする。そんな些細なスタートから早二年ほどになるだろうか、今も変わらずこうして彼を想っているのだから凄い。
「……なんかさ」
「ん?」
「好きな人がいるってどんな感じ?」
「……改めてそう言われると、恥ずいんやけど」
「いや、私もなんか、何聞いてんのって感じだけど。
もちろんそれだけではないのはわかっている。誰かを好きになることで、楽しいこと、嬉しいこと、それと同じくらい──嫉妬したり落ち込んだり涙したり、負の感情に振り回されていることも少なくない。スズや他の友人、ドラマや映画を見ていてもみんなそうだった。だが、それでも──誰かを好きになるということは、自分ではどうにも止められないらしい。
「……まあ、楽しいな。しんどいときもあるっちゃあるけど……」
「けど?」
「……笑わん?」
「うん」
「……せやなあ、────……」
◇
翌日。炎天下の隙間を縫って、名前たちは
「あー、ホンマこの帽子暑すぎやろ!」
「自分で買うたんやろ」
「見てるこっちも暑いよ」
謙也は先程購入したばかりの大ぶりな帽子を剥ぎ取ってかぶりを振った。キャラクターの頭部に扮したふわふわのそれは、どう見ても本来日除けとして使用するものではない。名前と白石に愚痴を受け流されながら、謙也は不服そうに続ける。
「いや、でもな。こっちの普通のキャップみたいのやったらおもんないやん」
「うーん、でも結局そっちも、最初おもしろかったけど見慣れたらそんなにかも」
「んはは! 言うなあ、苗字」
「白石のどデカいリボンの方がおもしろく見えてきた。かわいいし」
「え、これより? ホンマに?
「ふ、悪いな謙也。負け惜しみはみっともないで」
「いやいやいや、ホンマに言うてる?」
「ホンマに言うてる」
「いやキッツ。おべっか使われへんのか」
井戸端会議をしながらショップの片隅で商品を物色しつつ、名前はちらりと時計を
「あっ、スズ」
「お、おお、名前。白石に……忍足も」
「おっ、鈴浦やん」
「あれ、一人か?」
「せやねん。皆どっか行ってしもた」
スズの班も例に漏れず、恋人や仲の良い友人など他のグループで行動したいと何人かが抜けることが事前にわかっており──ならば良いかと、名前は彼女とここで合流する算段を立てていた。名前の班には運良く謙也がいたし、さらに白石も一緒となれば謙也が抜けていってしまう可能性も低く、四人で行動出来るかもしれない、と。ここまでは計画どおり、スズにも話を通してあったことだ。だがもうひと押し、名前には彼女に隠した目論見がある。さりげなく白石のとなりに立ち、スズと謙也の会話に聞き耳をたてた。
「っふ、何やその帽子」
「ええやろ」
「絶対暑いやん」
「いやホンマ、ビビるくらい暑いで」
「アホなん?」
いい感じだ。いたって普通の内容だが、こそばゆいような甘酸っぱいような、なんとも形容しがたい空気が二人の間には流れている。あとは──
「え」
「しーっ」
名前は白石の腕を取り、心の中で親友の健闘を祈りながら、気付かれないようにその場をあとにした。
◇
みやげ屋が建ち並ぶ通りから少し抜けたおよそ園の端の方、
「……ふう」
「な、なに?」
「あ、ご、ごめん」
走る一歩手前の早足で逃げてきたからか、それとも急に我にかえったからか──冷房で引きかけていた汗が、再び一気に噴き出てきた。しまった。こちらへの言い訳までは考えていなかった。
「や、ビビりはしたけど……よう考えたらあのふたりやもんな」
「あ、そうそうそう、そうなの」
──と焦りはしたものの、やはりあのふたりの心情は、第三者には明らかのようだ。筒抜けとはいえ自分の口から説明するのは
「なんや、そか、そういう……」
「え?」
「い、いや! なんも」
「……そう?」
強く否定されてはそれ以上触れられず、名前はいまひとつ腑に落ちないながらも言葉を飲み込む。名前はこれまで白石とふたりきりで話したことはあまりなかった。文武両道、眉目秀麗で欠点のない人物であるとか、そのうえ優しいとか、この学年であれば誰でも知っているようなことは知っているが──それだけだった。
「まあ、だからっていうか、白石も友達のとことか行っていいよ」
「……苗字は?」
「私はほら、別に、その辺歩いてたら誰かと会えるでしょ。たぶん」
「いや、ちゃうくて……他で約束とか、しとるんかなって」
「え、いや特に」
「……ほな、ちょお付き合うてくれん? 妹とかのみやげ、一緒に見てくれたら助かるんやけど」
「おー、いいよ」
任せて、と拳で自身の胸を叩けば、彼は「頼りになるなあ」と笑った。──白石って、こんなふうに笑うんだ。
◇
「あ」
何軒かショップを渡り歩いている
「なんかめぼしいのあった?」
覗き込めば、最近アトラクションが出来たことでおそらく今一番グッズ展開されているであろう作品のモチーフが飾られていた。少し前に実写映画化もされ、名前の所属する演劇部でも昨年の文化祭の演目として取り扱ったものだ。
「ああ、今すごい人気だよね。妹さんも好きなの?」
「あ……いや、そうやなくて……去年文化祭でやっとったやろ。演劇部」
「あ、そうそう! 観てくれたの?」
「観た観た」
「工藤先輩めっちゃ綺麗だったよねえ」
「あー……主役の?」
「え。他におらんでしょ」
今年の春に卒業してしまった工藤先輩──演劇部のマドンナが演じた知的で気高いプリンセスは、見るものすべてを
「いや……あんま覚えとらんくて」
「うそ、そんなことある? ほんとに観た?」
「おん。やって、苗字も出とったやろ」
「……え?」
「なんやいろんな衣装でちょいちょい出てきとったな」
出ては、いた。出てはいたが端役も端役、まともなセリフはほんの僅か──それも、主人公を貶すような野次ばかりで──あとは要所要所の
「よ……よく覚えてるね」
「そりゃあな、やって……」
「……やって?」
「い……いや、なんも」
白石の顔がみるみる紅潮していき、彼ははぐらかすようにそっぽを向いた。え、な、なに、か……わいい、かも。
「な……なんもってことある?」
「いや……ちゃうねん、ホンマに。間違えた」
「間違えた……?」
「いや間違えたっちゅうか……、……ああもう、あかんわ」
「な、なにが」
「……苗字とおると、なんも思うようにいかん……こないところ、見せたないのに」
あまり知らないなりに、
「ちょ……あんま見んといて」
────好きな人がいるってどんな感じ?
────……せやなあ、その人のこと考えると胸がどきどきして、何でもないことも楽しく思えて……
世界が色づく、みたいな────
じりじりと焼けつくような暑さも、喧騒も。いま目の前にいるこのひと以外のすべてが、意識の向こうへ遠ざかっていく。脳裏に浮かんだ昨晩のスズの言葉も、速まる鼓動で掻き消された。上がる体温は、火照る頬は、きっとこの、照りつける太陽の
れん あい【恋愛】
特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。
──「新明解国語辞典」第八版 より引用
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