いちばんほしいもの
rename
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
人、ひと、ヒト。週末のショッピングモールはいつもそれなりに混み合っているが、なかでも催事場は格が違う。一緒に来たはずの友人・リエをとっくに見失ってしまった名前は軽く息を吐 きながら、人混みから一歩引いてエスカレーター脇のベンチへと腰かけた。
所狭しと並べられたチョコレートたちはどれも凝ったデザインのものが多い。箱はもちろん、チョコレート本体に至るまで──キャラクターの形をしたかわいらしいものから、お酒入りの少し大人びたもの、おもちゃの車に見立てたものなど──言い出したらキリがない。そしてそれらを手に取って品定めする人びとはみな浮き立っていて、なんだか胸が苦しくなった。
「あっ! こんなとこにおった」
「あ、終わった?」
「『終わった?』やないわ。なに自分は関係あらへん、みたいな顔してんねん」
「え?」
「今年こそ! あんたも白石に渡すんやで」
今年こそ。そうできたら、どんなにいいか。
私の好きな人は“完璧 ”だ。かっこよくて優しくて、運動もできて頭も良い。唯一の欠点といえば、よくわからないボケをかましてはしょっちゅうスベっていることくらいだろうか。でも、そんなところすらもかわいい。天は二物を与えずなんて嘘っぱちだ。二物、三物どころか、きっと百物くらい与えられているに決まってる。しかもそれでいて、与えられた才能に胡坐 をかくことのない、驚くほどの努力家で──そんな彼を、ずっと図書室から見ていた。いつも同じ窓際の、テニスコートがよく見える席に座って、本を読むフリをしながら横目で彼を見て──ほとんど人のいない放課後の図書室は、私にとってあらゆる意味で最高の空間だった。彼を好きになる前の自分がどうだったか、どんなふうに日々を過ごしていたのか、もう思い出せない。学校新聞を書くとき図書室に来て、ひとりで本ばかり読んでいる私に話しかけてくれるのが嬉しかった。彼の小説が意外とおもしろかったと伝えたときの、照れくさそうな笑顔が忘れられなくて、もう一度見たいと思った。もっと彼を知りたかったし、私のことも知ってほしかった──でも。
「……いや、もう、今年はいいかなって……」
「今年“は”ってなんやねん、去年もなんもしてへんやろ」
「キッツ。でもほら、一応用意はしたし……」
「はあ? 結局オトンに渡したやつやん。そういうんは『なんもしてへん』言うんよ」
「……まあ、そう言われたらそうかもしれないけど……」
「けど、なんやねん。一緒に頑張ろな、言うたのにさ」
「はい……」
彼女は押しが強い。押しも、言葉も強いが、言っていることは正しい。去年の今頃、ふたりで交わした“一緒に好きな人へチョコレートを渡そう”という約束を、反故 にしたのはほかでもない名前である。それでも彼女はひとり、行動を貫いた。きっと──だからこそ、リエの勇気は実を結んだのだろう。今年のバレンタインは、彼女とその想いびと・忍足謙也が付き合いはじめてからちょうど一年になる。今年は部活ももうないし、受験も終わっているので、放課後ふたりで遊びに行くとか言っていたっけ。羨ましくないと言ったらうそになるが──そう感じることすら烏滸 がましいほど、リエは努力していた。それは誰より、この三年間いつも一緒にいた自分自身が一番よく知っている。いつまでもウジウジ、モジモジしているだけの自分とは何もかもが違うのだ。
「そもそも。作るだけ作って結局渡さん、っちゅう方が信じられへん」
「……返す言葉もないですね」
去年のバレンタイン。名前は教室、廊下、食堂やグラウンド、テニスコート──校内のあらゆる場所で、チョコレートを受け取る白石を見ていた。それらが義理なのか本命だったのか知る由はないが、とにかく嫌というほど見た光景だった。チョコレートで鞄 がいっぱいになって、後半の彼はずっと少し困ったように笑っていた。あんな顔を見てしまったら──名前にはどうすることもできなかった。一日ずっと彼を目で追っていたのに、いつもはそれだけで幸せになるほどお手軽な恋心のはずだったのに。当日の朝までは緊張とか不安とか、いろいろな感情が入り交じっていたけれど──結局、ただただつらいだけの一日だった。自分のそれも、どうせ彼を困らせる一因になるだけだと思うと、とてもじゃないが渡すなんてできなかった。……なんて、すべて言い訳でしかないが。
「朝イチで渡したらええんちゃう。それか、この際机とか下駄箱に放り込んどくんでもええやろ、渡さんよりは」
「……」
「ちゅうかさ。ホンマは渡したいんやろ」
「……まあ、渡したいっていうか……どうせ今年で最後だし、もうどうなっても関係ないかなって気持ちはちょっとある」
ケリをつけたい、というのはある。彼がいたから毎日楽しかった。だから最後に、お礼のひとつでも言える勇気があったら。そう願う気持ちはうそじゃないのだ。
そう答えれば、リエは「せやんなあ」と、満足気に口角を釣り上げた。
◇
そう、意気込んだまではよかったが。
バレンタイン当日──結局声をかけることすらできないまま、あっという間に帰りのホームルームになってしまった。今日も今日とて白石を目で追って、名前の気持ちはすっかり沈みきってしまったところだ。チョコレートをひっきりなしに受け取る彼の姿が、瞼の裏に焼き付いて──目を閉じると、涙が出そうになる。案の定、今年も豊作だったらしい。それはもう、段々と彼の表情が疲れを孕 んでいくのが、傍目 に見ていてもわかるほど。
窓際の一番後ろ、クラス全体が見渡せるこの特等席は、彼の後ろ姿もよく見える。誰にも邪魔されず好きなだけ彼を眺めていられるこの時間が、今日は苦しくて仕方がなかった。その背中が、今はどことなく陰 って見えることも、私の憂鬱に拍車をかける。机の左側にかけられている紙袋は、スクールバッグに入りきらなかったそれらが詰められているのだろう、かわいらしい包みたちがその上部から顔を覗かせていた。
こうなることは、もとよりわかっていたはずだった。だけどそれでも、今年こそ渡すと決めたんじゃないか。でも──と、思考が無限ループして、より一層、絞り出そうとしたはずの勇気が萎 んでいく。頭が痛い。振り払うよう、名前は担任の小言を聞き流しながら、小さく頭 を振った。やっぱり朝早く来て、彼の机のなかに入れておけばよかっただろうか。ほかの子が何人かで配り歩いているところに紛 れて、一緒に渡してしまえばよかったかもしれない。どうせならちゃんと向き合って直接渡したい、なんて、身の丈に合わない欲を出したから。いやそもそも、チョコを渡したいとか、もとを辿れば、好きになったことすら──
「なあ、具合悪いんか?」
頭上から小さな声が降ってきて、顔をあげると、前の席の忍足が心配そうな面持ちでこちらを見ていた。
「ホームルーム終わっとるで」
「……あ、うん……」
気付けば担任はもうおらず、クラスメイトたちも皆それぞれもう帰宅し始めており──教室にはほんのりざわつきが残っているものの、生徒の数はすでに疎 らだった。ホームルームすらとっくに終わっていたらしい。起立も礼も挨拶も、何ひとつやらなくても特に触れてこない、良くも悪くも適当すぎる担任だ──なんて頭の片隅で考えながら、名前は視線でちらりと白石の席を見た。……まだ、いる。よかった、けど、よくない。
「なんや顔色悪ないか?」
「いや……大丈夫、ぼーっとしてただけ」
「……そうか?」
なら、ええけど。口ではそう言いつつも、あまり納得していないような声色だった。それでも、無理に追及してこない忍足はよくできた人間だと思う。親友の彼氏(であり、好きな人の親友でもある)の忍足は、実際私とは微妙な距離感だったが──そういったものを上手に汲み取るひとだ。そのおかげでいつの間にか、お互いに軽口をたたく程度の仲になっていた。
「ほんと、大丈夫だから。そっちはデートなんでしょ?」
「えっ!?」
「声でか。リエ待ってるだろうし、早く帰ったほうがいいよ。一周年記念日」
「……なんや、元気やんけ」
「だから、大丈夫だって」
「ほんならちゃんとチョコ渡したれよ」
「……は?」
「なあ、白石!」
「ちょ……っ」
忍足の、いたずらに笑った顔に抱いた嫌な予感は的中した。名前が静止する間もなく、当然忍足の声は彼の耳に届いてしまっており──目に映る白石の振り返るさまは、やけにスローモーションに見えた。一瞬だけかち合った視線に、心拍数が急激に上昇して、名前は慌てて目をそらす。
「なんや、でかい声出して」
「苗字、体調悪いねんて。保健室連れてったりや」
「は、いや……」
「え……ええけど、大丈夫か? そんなら保健室行くより、早よ帰ったほうが」
「ええんや! ちょお休んでから帰りたいんやって! な!」
「え、ちょっと……」
ほら、早よしいや!
無理やり立たされ、鞄を押し付けられ──されるがまま、名前は白石とともに教室を追い出された。もし私が本当に病人だったとしたら、乱雑と言わざるを得ない扱い方だ。うそがバレてしまったのではないかと、自分がついたわけでもないそれに不安を抱いたが──それでも、白石くんは心配そうに私を気遣ってくれた。「鞄、持ったるよ」と差し出された手に、うれしい気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいになって、「ありがとう、大丈夫だよ」と答える声が震えてしまわないよう、平静を装うのに必死だった。
◇
なんとかたどり着いた保健室には、誰もいなかった。白石はベッドが空いていることを確認し、名前をそちらに促す。
「先生おらんな。呼んでこよか」
「あ、いや、ほんとに大丈夫だから……勝手にちょっとだけ寝て、すぐ帰るし……」
「……そうか?」
「うん、ありがとう」
ベッドに腰かけ、極力普通に見えるよう──名前は彼と目を合わせぬままそう答えた。そのまましばし流れた沈黙は普段のそれとは違い息苦しさがひどく、本当に具合が悪くなりそうだ。どうしよう、いつ、いまなら、と名前が思考をぐるぐると巡らせているうち、先にその沈黙を破ったのは白石のほうだった。
「……俺、おったら落ち着かんよな。ごめんな、帰るわ」
「あ……」
うん、ありがとう、ばいばい。そう言えばまた明日から、いつもどおり。今までと同じ日々がやってくる。もしかしたらそれも、悪くないのかもしれない。卒業まであと一か月ほど、最後の時間を今までみたいに楽しめれば、それで十分かも。高校生になって時間が経って、大人になったらきっと、この想いも過去のものになるだろう。自らかなしい思い出になんて、しなくてもいいかもしれない。……だけど。
「し、らいしくん」
「ん?」
「め、迷惑かも……しれないんだけど」
手が、震える。差し出したそれは、一日中鞄の中に入れっぱなしにしていたからか、不器用なりにそこそこ綺麗に仕上がったはずの包装が少しだけ縒 れていて──完璧な彼にそぐわない気がして今すぐにでも引っ込めたくなったが、なんとか堪えた。だってこれが、みっともなくとも、彼に釣り合わなかったとしても──今の私のすべてなのだ。
「え……俺に?」
言葉がなにひとつ出てこなくて、とにかく必死で頷いた。まるで時が止まったようで、息ができない。お願い、はやく、なにか言って。
「……おおきに。めっちゃ嬉しい」
思わず顔をあげれば、リボンが歪んだそれを見つめる白石くんの目は優しかった。今日も、去年も、ずっと彼のことを見ていたのに──そんな表情 は、初めて見た。なんでそんな、嬉しそうなかおで。
「あ、ありがとう。じゃあ……」
「あ、ちょ……」
ずっと彼を見てきたのに、そんな──愛おしそうに微笑む彼は、知らない。訳がわからなくて、こらえきれなくなった涙が想いと一緒にあふれ出す。そんな顔を見られたくないと思ったら、考えるより先に保健室から逃げ出していた。廊下を駆け抜けて教室を通り越し、つきあたりの階段をのぼったところでようやく足を止める。あがりきった呼吸も、こぼれる涙も、自分ではどうにもできなかった。どうしようどうしようどうしよう、勢いのまま昇降口は通りすぎてしまったし、今戻ったら鉢合わせてしまうかもしれない。それにこんな顔じゃどちらにせよ、家に帰ることもできない。まともに機能しない頭で、なんとかひねり出した答え──あそこなら、きっと。今までのように、誰にも邪魔されずに過ごせるはず。落ち着くまでそこにいよう、と、私はこの学校生活のなかで、彼を想いながら──時には彼とともに──過ごしてきた、一番たいせつな場所へ向かうことにした。
◇
苗字が飛び出して行ったのとは逆の扉がガラガラと音を立て、俺は我にかえる。不在だった保険医が戻ってきたのだ。
「あれ、白石。なんや今、誰か飛び出してかんかったか?」
「あ、先生……」
「なに、体調悪いんか」
「あ、いや……今これ、現実なんかなって……」
「は?」
我ながら要領を得ない問いだ。実際俺も、よくわかっていない。もう──ダメかと、思っていたのだ。一日ずっと彼女から何かアクションがないか待ち続け、だんだん虚しくなってきて、取り繕 うことにすら疲れてきた頃。結局なにも起こらないままホームルームすらも終え、俺の淡い期待は砕け散ったと確信した。謙也のお節介すらも、正直余計なお世話だと思った。いや、もちろん、体調が良くないのは心配だし、付き添いも役得だとか一瞬でも思ってしまったことについては本当に申し訳ないのだが。だがそれでも、やっぱり今、本音を言えばこの状況は嬉しくなかったのだ。だってこれで、本当になにも起こらなかったら──つまり、そういうことだろうと。具合の悪い彼女にそんなことを思ってしまう自己嫌悪が耐え難く、去ろうとした情けない俺なのに──“それ”は、起こった。
「なんや俺、……好きな子にチョコ、もらえんかもて思っとったけど……もらえたみたいです」
「……そら、よかったね?」
そう、言葉にすると──急に実感がわいてきた。夢じゃ、ない。
「青春するんはええけど、具合悪ないんやったら早よ帰って」
「あ、ああ……すんません」
「ちゅうか、追いかけた方がええんちゃう? もう追いつかれへんかもしれんけど」
「……あっ」
“完璧 ”が形無 しやなあ。先生の呆れたような声を背に、俺もようやく保健室を飛び出した。行き先に心当たりは、正直ない。もう帰ってしまったかも。でももしまだ校内にいるとしたら、あそこなら、あるいは──。一縷 の望みに賭け、俺は彼女と過ごしてきたあの場所へと駆け出した。
所狭しと並べられたチョコレートたちはどれも凝ったデザインのものが多い。箱はもちろん、チョコレート本体に至るまで──キャラクターの形をしたかわいらしいものから、お酒入りの少し大人びたもの、おもちゃの車に見立てたものなど──言い出したらキリがない。そしてそれらを手に取って品定めする人びとはみな浮き立っていて、なんだか胸が苦しくなった。
「あっ! こんなとこにおった」
「あ、終わった?」
「『終わった?』やないわ。なに自分は関係あらへん、みたいな顔してんねん」
「え?」
「今年こそ! あんたも白石に渡すんやで」
今年こそ。そうできたら、どんなにいいか。
私の好きな人は“
「……いや、もう、今年はいいかなって……」
「今年“は”ってなんやねん、去年もなんもしてへんやろ」
「キッツ。でもほら、一応用意はしたし……」
「はあ? 結局オトンに渡したやつやん。そういうんは『なんもしてへん』言うんよ」
「……まあ、そう言われたらそうかもしれないけど……」
「けど、なんやねん。一緒に頑張ろな、言うたのにさ」
「はい……」
彼女は押しが強い。押しも、言葉も強いが、言っていることは正しい。去年の今頃、ふたりで交わした“一緒に好きな人へチョコレートを渡そう”という約束を、
「そもそも。作るだけ作って結局渡さん、っちゅう方が信じられへん」
「……返す言葉もないですね」
去年のバレンタイン。名前は教室、廊下、食堂やグラウンド、テニスコート──校内のあらゆる場所で、チョコレートを受け取る白石を見ていた。それらが義理なのか本命だったのか知る由はないが、とにかく嫌というほど見た光景だった。チョコレートで
「朝イチで渡したらええんちゃう。それか、この際机とか下駄箱に放り込んどくんでもええやろ、渡さんよりは」
「……」
「ちゅうかさ。ホンマは渡したいんやろ」
「……まあ、渡したいっていうか……どうせ今年で最後だし、もうどうなっても関係ないかなって気持ちはちょっとある」
ケリをつけたい、というのはある。彼がいたから毎日楽しかった。だから最後に、お礼のひとつでも言える勇気があったら。そう願う気持ちはうそじゃないのだ。
そう答えれば、リエは「せやんなあ」と、満足気に口角を釣り上げた。
◇
そう、意気込んだまではよかったが。
バレンタイン当日──結局声をかけることすらできないまま、あっという間に帰りのホームルームになってしまった。今日も今日とて白石を目で追って、名前の気持ちはすっかり沈みきってしまったところだ。チョコレートをひっきりなしに受け取る彼の姿が、瞼の裏に焼き付いて──目を閉じると、涙が出そうになる。案の定、今年も豊作だったらしい。それはもう、段々と彼の表情が疲れを
窓際の一番後ろ、クラス全体が見渡せるこの特等席は、彼の後ろ姿もよく見える。誰にも邪魔されず好きなだけ彼を眺めていられるこの時間が、今日は苦しくて仕方がなかった。その背中が、今はどことなく
こうなることは、もとよりわかっていたはずだった。だけどそれでも、今年こそ渡すと決めたんじゃないか。でも──と、思考が無限ループして、より一層、絞り出そうとしたはずの勇気が
「なあ、具合悪いんか?」
頭上から小さな声が降ってきて、顔をあげると、前の席の忍足が心配そうな面持ちでこちらを見ていた。
「ホームルーム終わっとるで」
「……あ、うん……」
気付けば担任はもうおらず、クラスメイトたちも皆それぞれもう帰宅し始めており──教室にはほんのりざわつきが残っているものの、生徒の数はすでに
「なんや顔色悪ないか?」
「いや……大丈夫、ぼーっとしてただけ」
「……そうか?」
なら、ええけど。口ではそう言いつつも、あまり納得していないような声色だった。それでも、無理に追及してこない忍足はよくできた人間だと思う。親友の彼氏(であり、好きな人の親友でもある)の忍足は、実際私とは微妙な距離感だったが──そういったものを上手に汲み取るひとだ。そのおかげでいつの間にか、お互いに軽口をたたく程度の仲になっていた。
「ほんと、大丈夫だから。そっちはデートなんでしょ?」
「えっ!?」
「声でか。リエ待ってるだろうし、早く帰ったほうがいいよ。一周年記念日」
「……なんや、元気やんけ」
「だから、大丈夫だって」
「ほんならちゃんとチョコ渡したれよ」
「……は?」
「なあ、白石!」
「ちょ……っ」
忍足の、いたずらに笑った顔に抱いた嫌な予感は的中した。名前が静止する間もなく、当然忍足の声は彼の耳に届いてしまっており──目に映る白石の振り返るさまは、やけにスローモーションに見えた。一瞬だけかち合った視線に、心拍数が急激に上昇して、名前は慌てて目をそらす。
「なんや、でかい声出して」
「苗字、体調悪いねんて。保健室連れてったりや」
「は、いや……」
「え……ええけど、大丈夫か? そんなら保健室行くより、早よ帰ったほうが」
「ええんや! ちょお休んでから帰りたいんやって! な!」
「え、ちょっと……」
ほら、早よしいや!
無理やり立たされ、鞄を押し付けられ──されるがまま、名前は白石とともに教室を追い出された。もし私が本当に病人だったとしたら、乱雑と言わざるを得ない扱い方だ。うそがバレてしまったのではないかと、自分がついたわけでもないそれに不安を抱いたが──それでも、白石くんは心配そうに私を気遣ってくれた。「鞄、持ったるよ」と差し出された手に、うれしい気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいになって、「ありがとう、大丈夫だよ」と答える声が震えてしまわないよう、平静を装うのに必死だった。
◇
なんとかたどり着いた保健室には、誰もいなかった。白石はベッドが空いていることを確認し、名前をそちらに促す。
「先生おらんな。呼んでこよか」
「あ、いや、ほんとに大丈夫だから……勝手にちょっとだけ寝て、すぐ帰るし……」
「……そうか?」
「うん、ありがとう」
ベッドに腰かけ、極力普通に見えるよう──名前は彼と目を合わせぬままそう答えた。そのまましばし流れた沈黙は普段のそれとは違い息苦しさがひどく、本当に具合が悪くなりそうだ。どうしよう、いつ、いまなら、と名前が思考をぐるぐると巡らせているうち、先にその沈黙を破ったのは白石のほうだった。
「……俺、おったら落ち着かんよな。ごめんな、帰るわ」
「あ……」
うん、ありがとう、ばいばい。そう言えばまた明日から、いつもどおり。今までと同じ日々がやってくる。もしかしたらそれも、悪くないのかもしれない。卒業まであと一か月ほど、最後の時間を今までみたいに楽しめれば、それで十分かも。高校生になって時間が経って、大人になったらきっと、この想いも過去のものになるだろう。自らかなしい思い出になんて、しなくてもいいかもしれない。……だけど。
「し、らいしくん」
「ん?」
「め、迷惑かも……しれないんだけど」
手が、震える。差し出したそれは、一日中鞄の中に入れっぱなしにしていたからか、不器用なりにそこそこ綺麗に仕上がったはずの包装が少しだけ
「え……俺に?」
言葉がなにひとつ出てこなくて、とにかく必死で頷いた。まるで時が止まったようで、息ができない。お願い、はやく、なにか言って。
「……おおきに。めっちゃ嬉しい」
思わず顔をあげれば、リボンが歪んだそれを見つめる白石くんの目は優しかった。今日も、去年も、ずっと彼のことを見ていたのに──そんな
「あ、ありがとう。じゃあ……」
「あ、ちょ……」
ずっと彼を見てきたのに、そんな──愛おしそうに微笑む彼は、知らない。訳がわからなくて、こらえきれなくなった涙が想いと一緒にあふれ出す。そんな顔を見られたくないと思ったら、考えるより先に保健室から逃げ出していた。廊下を駆け抜けて教室を通り越し、つきあたりの階段をのぼったところでようやく足を止める。あがりきった呼吸も、こぼれる涙も、自分ではどうにもできなかった。どうしようどうしようどうしよう、勢いのまま昇降口は通りすぎてしまったし、今戻ったら鉢合わせてしまうかもしれない。それにこんな顔じゃどちらにせよ、家に帰ることもできない。まともに機能しない頭で、なんとかひねり出した答え──あそこなら、きっと。今までのように、誰にも邪魔されずに過ごせるはず。落ち着くまでそこにいよう、と、私はこの学校生活のなかで、彼を想いながら──時には彼とともに──過ごしてきた、一番たいせつな場所へ向かうことにした。
◇
苗字が飛び出して行ったのとは逆の扉がガラガラと音を立て、俺は我にかえる。不在だった保険医が戻ってきたのだ。
「あれ、白石。なんや今、誰か飛び出してかんかったか?」
「あ、先生……」
「なに、体調悪いんか」
「あ、いや……今これ、現実なんかなって……」
「は?」
我ながら要領を得ない問いだ。実際俺も、よくわかっていない。もう──ダメかと、思っていたのだ。一日ずっと彼女から何かアクションがないか待ち続け、だんだん虚しくなってきて、取り
「なんや俺、……好きな子にチョコ、もらえんかもて思っとったけど……もらえたみたいです」
「……そら、よかったね?」
そう、言葉にすると──急に実感がわいてきた。夢じゃ、ない。
「青春するんはええけど、具合悪ないんやったら早よ帰って」
「あ、ああ……すんません」
「ちゅうか、追いかけた方がええんちゃう? もう追いつかれへんかもしれんけど」
「……あっ」
“
title by icca
wavebox
wavebox
1/1ページ
