Undertale +AU
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オレはそっとボスの部屋のドアを閉じた。
中にはニンゲンとボスの二人きり。
これ以上苦しむ弟の姿を見たくなかったからだ。
これ以上苦しむ弟の声を聞きたくなかったからだ。
これ以上軋む自分のタマシイを感じたくなかったからだ。
ニンゲンが物言いたげにこちらを見ていたからだ。
彼女がこれから苦しむのを見たくなかったからだ。
何度も殺したはずだった。
ニンゲンはすでに滅んでいて、それでも地下世界のバリアは張られたままで俺たちモンスターは外の世界には出られない。
もしもニンゲンを見つけたら殺して、タマシイを手に入れて、王に献上する。
最愛の弟がそれを望んでいるのを俺が止める理由は無かったし、モンスターだろうがニンゲンだろうがお構いなしに殺して来た。
だというのに。
あのニンゲンを前にするとオレはおかしくなる。
初めて出会った時からおかしかった。
こちらの顔を見たと思ったら泣き出したニンゲンは恐怖に震えているように見えた。
憐れな様に愉悦を感じつつも一思いに殺してやろうと攻撃を仕掛けた。
手応えがあったはずだ、何度かその体から血が噴き出すのを目にしたはずだ。
ヒュッと息が漏れるのを聞いたはずだ。
鉄錆の様な匂いを、俺は嗅いだはずだった。
どうしたことだろう。
目の前を金色の花が横切る。
見たことがない花だ。覚えがない花だ。
懐かしさなど感じる事がない花だ。
……オレのタマシイが一瞬、軋んだ。
次の瞬間、ニンゲンは俺に抱きついていた。
「サンズ、ごめんなさい。逃げ出して、ごめんなさい。」
柔らかい肉の感触、甘い、どこか懐かしい匂い。
ポロポロと流す涙は雪原で冷え切ったオレの骨身に流れ、沁み入りながらも温かいままだ。
サンズ、サンズと初めて会うのに俺の名前を何度も呼ぶ。
まるで熱に浮かされた様に繰り返すその声が頭蓋骨に響くうち、人間の熱が自分に移る様に体が火照る。
なんだこれは。
俺は恐ろしくなって、くっつくな離れろ、と叫ぶがニンゲンは離れない。
思いつく限りの罵詈雑言を浴びせても抱きついたまま額を俺に擦り付けてイヤイヤを繰り返す。
このままでは埒が明かないので少しずつ宥めすかして落ち着かせて、話を聞いてやる。
ああ、こいつは、別の世界を繰り返した、
“知っている”ニンゲンなんだと分かった。
世界が違ってもこいつにとっては俺は俺、なんだろう。
俺が今感じているこの感情は、ソイツが感じていたソレ、なんだろう?
なあ、別の世界のサンズさんよお。
こいつをなんで手放した?
飼ってやる、という俺の言葉にニンゲンは首を傾げていたが、
ニンゲンと呼ぶのが憚られるので名前を尋ねる。
するとニンゲンはそれまでほとんど閉じているような目を見開いて驚いていた。
ガラス玉のような、澄んだ大きい瞳がこちらを捉える。
健康的な赤い血が透けて見える唇が名を紡ぐのを、俺はぼんやりと見つめていた。
「プレイヤー。私、プレイヤーっていうの。」
「プレイヤー。」
口の中で転がすように繰り返すとその名はひどくその人間に馴染んでいるようの思えた。
ニンゲンを見ると何が嬉しいのかニンゲンは、笑った。
「ありがとう、サンズ。やっぱりあなたは私の名前を呼んでくれるのね。」
俺だけがこいつの名を呼んだのか。
誇らしく暖かな気持ちが広がるのが煩わしくて、鼻で笑って誤魔化した。
さて飼うとは言ってもボスに見つからずに、というのは難しい。
とりあえず王に献上すると見せかけて連れて行くのが得策か。
そう考えていたのにボスにはあっさり見つかった。
誰かが見かけてチクりやがったんだろう。
出会い頭に問答無用で攻撃を受け、俺は傷を負い、ニンゲンは息絶えた。
ザザザと視界にノイズが走る。
音が聞こえなくなり、そのまま俺は意識を手放した。
金色の花は見えなかった。
少しずつ視界が明るくなり、俺はゆっくりと目を開ける。
?
生きている。
確かに俺は瀕死の傷を負い、冷たくなって行くニンゲンの体を抱えて、慟哭した感覚が残っている。
当たり前のようにニンゲンの体を俺の腕の中からあっさりと奪い去り、単なるボロ雑巾のように引き摺りながら遠くなって行くボスとニンゲンを見た記憶がある。
視界が白くなって気絶して、何度か繰り返した覚えがあるのに。
今?……今は傷だらけだが生きているニンゲンを横抱きにしたボスが目の前にいる。
しかもその表情は今までに見たことがない種類のものだった。
困惑している。あのボスが?
自身がニンゲンを殺さなかったことに。
まるで宝物のように、大事そうにニンゲンを抱き抱えていることに。
愚かにもニンゲンを匿い、自身に逆らった俺に仕置きをしていないことに。
ごぼりという水音がして、人間の口から血が噴き出た。
慌てて駆け寄ろうとしたがボスの長い足がそれを阻んだ。
腹に一撃を喰らい、転がる俺をみてボスは満足げに頷いた。
そして人間の口から溢れる血をなんてことのないように自身の指とマフラーを使って拭った。
ボスが、人間の血を?拭ってやっただって?
俺が驚いて見つめているのを一撃を喰らってぼんやりしていると思ったのだろう。
「愚兄!行くぞ。」
その時俺は確かに目にした。
いまは血で赤く濡れた口からニンゲンが何か譫言を繰り返しているのを。
違う ……じゃない 良かった
傷の痛みで混乱しているのだろう。
だが次の瞬間、耳を、いや目を疑った。
ぱ ぴ る す
背骨を羽根で優しく撫でられたように感じた。
ただ人間の唇がその音を形作っただけ。
完全に音にはなっていないのに、なんと甘く響くのだろう。
ボスの顔色を窺うが気づいた様子はない。
それは俺にとってはボスの名前だがおそらくニンゲンにとっては、違う。
別の世界の弟。
ニンゲンにとっては大事な、狂おしいほど愛おしい相手の名だ。
ボスはニンゲンをすぐに王に献上しようとはしなかった。
ニンゲンは大人しく俺たちに従い、ボスに何をされても抵抗しなかった。
いやそれは語弊があるか。
無気力で何もしないという意味という意味ではない。
動じなかった。
首輪を付けられ、時には逃げ出さないよう俺と繋がれても
ふふ、お揃いだね、と言ってニンゲンは笑った。
しかし痛いものは痛いといい、理不尽な扱いには抗議した。
その一つが食事だ。
ニンゲンにはペットとして犬の餌が与えられた。
彼女はどんどんと弱っていく。
与えられた食事を取らないせいだ。
俺は最初、地下の世界の食物が食べられないのだと思っていた。
だから食べられないのであれば仕方が無いと諦めていたんだ。
そう思っていた俺に普段彼女の影に隠れて全く出てこないクソ花が彼女が眠っている隙にオレを呼び出し、珍しく声を荒げた。
「お前たちは人間がこういうものを口にすると本当に思っているのか!」
言われて初めて床に置かれた皿を見た。
ドッグフードである。ペットに与えられるものとしては問題ない。
しかも食事を取らないことを気に病んだらしいボスが少しずつグレードアップしたせいで最高級のドッグフードであった。
一つつまんで口にする。結構美味い。
しかも食べやすいように細かく刻んである。上等な扱いではないか。
そう言うとクソ花は呆れた顔でこちらを見ていた。
しかしニンゲンはこれを食べない、ということだろう。
俺はふと思いつきで刻んだホットドッグをそれに混ぜて与えてみた。
食べた。
ドッグフードを避けてホットドッグだけを綺麗に。
ここ数日ですっかり白くなっていたニンゲンにほんの少し赤みが戻った。
俺は黙って元気になりつつある人間の様子とホットドッグだけを完食したドッグフードの残りをボスに見せた。
ボスはショックを隠せなかったようでフラフラと外に出ていった。
仕方が無い。
得意では無いのだが俺が食事を用意するしか無いだろう。
しぶしぶ俺はニンゲンに何を食べたいか尋ねた。
ニンゲンはほんの少しだけ考える素振りを見せてから、
「……キッシュと、パスタ、かな。」
そう、答えた。
少し困ったように眉を下げて、しかし嬉しそうな甘い声音で。
俺は自分の勘の良さを呪った。
それらはきっと彼らの、いやおそらくは“彼”の得意料理なのだろう。
とはいえ聞いたからには用意せねばなるまい。
彼女は実によく食べた。
好き嫌いは無かった。
そして一人で食べるよりも俺と一緒に食べることを好んだ。
ホットドッグ、ハンバーガー、ポテト、キッシュ、パスタ。
美味しい美味しいと言いながらニコニコと食べる様は気分が良かった。
たちまち肌艶が整い、動きが機敏になり、笑顔も増えた。
マスタードをかけた時だけは少し眉を顰めてこちらに差し出したけれど。
マスタードの良さが分からないなんてニンゲンは手間がかかる生き物だと実感した。
食事の支度を大変だ面倒だと言う俺を見かねたのか、彼女は自分も作ると言い出した。
が試しに包丁を持たせたらどうにも気分が落ち着かず、何故か肋骨辺りが騒ついて軋むので何やかんやと理由をつけて断った。
ニンゲンが元気を取り戻すとボスは散歩と称して人前に連れ出すようになった。
他のモンスターに見せつける為だ。
匿っているのではない、殺さないでおいてやっているだけだというアピールのためだろう。
ただしニンゲンを知っているモンスターは少ないのでどこまで効果があったのか分からない。
現にスノーディンの連中はボスが何か珍しいモンスターを見つけて調教している、と言う認識のようだった。
ボスは何を考えていたのか分からないが毎回色々な店に寄った。
雑貨店、食料品店、洋品店、宝飾品店
何か買うわけでもなく、用がある風でも無かった。
店員が怯えながらこちらの様子を窺っているのも気にした様子は無かった。
今から思えばボスが気にしていたのはただ1つ。
ニンゲンの反応だけだった。
ある日俺はボスから野暮用を言いつけられて彼女を置いて外に出た。
家には珍しくボスと彼女の2人きり。
どちらも部屋から出て来ないし、彼女が逃げ出そうとすればボスには分かるので問題ないと半ば追い出されるように外に出された。
俺はなんとなく不安になって用事をとっとと済ませて帰宅を急いでいた。
家に近づくとなんとも言えない、いい匂いが漂ってくる。
滅多に有り付けない、ボスの料理の匂いだ。
俺がその時ばかりはふざけてコックと呼ぶ、ボスの絶品ラザニアの匂い。
ミートソースとホワイトソースをそれぞれ作るのに手間がかかるので俺は作らないし作れない。
飛び込むように家に入るとそこにはさらに驚きの光景が待っていた。
プレイヤーがソファの上ですやすやと寝息を立てていたのだ。
しかも上にはボスの毛布が掛かっている。
あまりのことに口をあんぐりと開けて台所に目をやると、俺に気づいたボスが咎めるような目でこちらを見ながら尖ったその歯の前で指を1本立てている。
静かに?静かにってことか?彼女を起こさないために?
しかもテーブルの上には家にある様々な食器が並んでいた。
真ん中の1つを除いて全て端に避けられている。
この家では初めて見る皿だ。
しかし見覚えがある皿だった。
その皿は以前ニンゲンを散歩に連れ出した時に入った店で、それまで何を見てもさほど興味を示さなかった彼女が目を輝かせて見つめていたものだ。
オーバル型の白いボーンチャイナにブドウのレリーフがあしらわれた繊細な作りが美しい。
あまりに熱心に見ているものだからボスはニンゲンに
「これが欲しいのか。」
と鼻でせせら笑いながら聞いたのを覚えている。
ニンゲンは首をフルフルと振って、
「ううん、綺麗だなと思っただけ。」
と少しだけ微笑んだ。
欲しい、とは言わなかったのだ。
当然ボスはそうか、とだけ言って当然買ったりはしなかったし、その後ニンゲンに目を向けることはなかった。
その皿がここにある。
やがてボスがその皿を取りに来るまで俺はそれを見つめていた。
それがここにある理由がわからない俺では無かった。
ボスは俺を一度も見なかった。
プレイヤーはまだ眠っている。
出かける前と違って髪はよく手入れされ、艶々と輝いている。
食事を取るようになってから、大分マシになったがこんなに輝いていただろうか。
なんだか肌も瑞々しさが増した気がする。
ニンゲンは水で出来ていると聞いたことがあるのでこれが正常なのかもしれない。
思わず手を伸ばすと毛布の中からじっとりと湿り気を帯びた目でクソ花がこちらを見ていた。
「なんだ。」
出した手を宙に浮かせたままそう問えばクソ花は深く深くため息をついた。
「お前らいったいなんなんだよ、もう。」
ら?らってなあ、なんだ。
そう尋ねようとしたがボスが食事の出来上がりを無言のまま告げに来て、中断を余儀なくされた。
食事を運ぶ前に皿を片付けていないことに耳元で詰られた。
ボスの声は頭蓋骨に良く響いて、なんだかゾクゾクする。
ボスは最初、あの白い皿のラザニアを一つテーブルの上に置いたが懊悩した挙句地べたに置いた。
すっかり食卓の用意が整ったところで匂いにつられたのかプレイヤーがゆっくりと起き上がった。
ボスがピシリと直立する。
「……寝汚いやつだな。いいか、食事だ。食え。」
ボスはプレイヤーから目を逸らしている。
プレイヤーは皿とボスの顔を交互に見た。
その目には喜びと戸惑いがないまぜになっていた。
やがてプレイヤーは俺の顔を見た。
助けて
そう言っているようだった。
ラザニアは熱々である。
食べなくても分かる。
当然ボスのラザニアは絶品すぎるが、今日のは格別の出来栄えだ。
しかしプレイヤーは戸惑っている。
そりゃそうだろう。
置かれているのは床で、ナイフとフォークも、当然スプーンも無い。
どうやって食べたものか思案するニンゲンに手を差し伸べるのは簡単だ。
なんなら俺が食べさせてやろう。
何か面白いことが起きそうだ。そう思った時だった。
「あーーーーーーーーー。」
ボスが奇声を上げた。
俺たちがびっくりしている間にガンと音がしそうなほど乱暴に床にあった皿をテーブルに戻す。
そしてソファにガッと腰を下ろした。
その反動で飛び上がったニンゲンをボスは手に取り?抱き上げ?自分の膝に乗せた。
まるでスローモーションのようにゆっくりと進んでいく様子に目が離せない。
その体勢でラザニアを素早く格子状に切り、スプーンで掬い、プレイヤーの口に押し込もうとしているのを目にしてもまだ俺は動けなかった。
なんだ?俺は何を見ている?
「ボス、熱い。」
俺と同じく驚いていた様子のプレイヤーはようやくそれだけ呟いた。
ボスはまたもピシリと固まり、動かなくなった。
その隙にプレイヤーはスプーンの上のそれを自身の口で吹く。
どうやらニンゲンは熱いものをそのまま口に入れることは出来ないようだった。
一向に動かないボスに痺れを切らし、プレイヤーはスプーンをパクリと口に咥えた。
「美味しい!」
「そうか。」
その言葉を切欠にようやく金縛りから解けたボスは手ずから次々に口に押し込んでやっていた。
それからはずっと、ボスが家にいる時はプレイヤーはこの体勢で食事を取っている。
恥ずかしがったり、嫌がったりしても、有無を言わさず。
それからしばらく経った時のことだ。
ニンゲンの服がだんだん汚れてきたのを気にしたのかボスはニンゲンを急に地面を這いつくばらせて服を更に汚した。
最近はきちんとニンゲンを気にかけるようになったはずなのにと思ったら、その服を引きちぎった。
さすがに俺も驚き、止めようとした。
プレイヤーがニンゲンだからよく分からないのかもしれないが、もう子供ではないし、肌を晒して良い年齢ではない、はずだ。
上着を着せ掛けようとしたところでボスにそれを阻まれた。
「そんな汚らしいザマではアンダインにもましてや王になど献上出来ないな!」
そう言ってボスが取り出した服は上品な虹色のワンピースだった。
いつ買ったのかは分からない。
しかもちょっと得意げだ。
無理矢理着替えさせようとして勝手が分からず、
「自分で着れるから!」
とプレイヤーが叫んで逃げ回るのを追い掛けてボスが四苦八苦しているのはちょっと笑えた。
献上できるまでは汚すなと言った割にはボスは一日に一度はニンゲンに薄く細かい傷を作っては見えるところに仰々しく包帯を巻いた。
「まだ献上出来ない、出来損ないだ。」と罵る。
自分でつけた傷を自分で手当てしておいて、だ。
ある日俺たちは散歩に出掛けた。
首輪が擦れて赤くなっていた。
その様が痛々しくて、逃げるなよ、と言って外す。
嬉しそうに微笑むニンゲンに堪らなくなり、その首筋を舐めた。
甘い。
くすぐったいと身を捩るニンゲンになんとも言えない気持ちが込み上げる。
ボスに着せられた虹色のワンピースは汚れ一つない。
hehそうかよ。
思いっきりくすぐって、大声で笑って、雪の上を転げ回った。
ニンゲンはあちこち柔らかい。
舐めてくすぐって全部触って、それらを堪能した。
ニンゲンは嫌がりはしなかったが息も絶え絶えだった。
吐息が熱い。
雪の中を転がり回って家に戻る頃にはすっかりニンゲンは随分とおとなしくなっていた。
最近はガレージではなく、リビングで寝かせていたが今夜は冷える。
俺の部屋で寝かせたほうがいいかもしれない。
そう考えていたときだった。
「サンズ。」
ボスが家の前で待ち構えていた。
久々に地を這うような低く、怒りを帯びた声だった。
ああ、これだよこれ、ボスはこうでなくちゃな。
そう呑気に構えていた時だった。
「ニンゲン、お前、愚兄の匂いがこびりついているな。」
寒い中でバケツの水を浴びせられてプレイヤーはすぐに動かなくなった。
そのままガレージの檻に放り込まれた。
駄目だ、それは駄目だ。ニンゲンは、
さて、愚兄。
覚悟はいいか。
ボスの逆鱗がなんだったのか分からない。
いや、嘘だ。俺には解っていた。
その長い足がが脊柱を折らんばかりに食い込む。
俺の体は大きく吹っ飛んだ。
と思ったら真上から更にボスのブーツが体に食い込み、音にならない声が雪に沈み込んだ。
「我輩は汚すな、と言ったはずだ。
なんだアレは。お前のタマシイから漏れたケツイで、汚れているではないか。」
ああ、悪かったよ、パピルス
「俺と遊びたかったんだよな、ボス。」
足の下で息も絶え絶えにそう呟いてやるとボスは怒りで更に顔を真っ赤に燃え上がらせた。
「そんなことを言っているのではぬああああい!」
あのニンゲンはアンダインのひいては王への献上物である。
然るべき時に備えて清潔で健常な状態にしておく必要がある。
それをなんだお前は。役立たず。
また報告が延びてしまうではないか。
ああでも弟よ、ニンゲンは強いが脆い。
こんな寒いところで、水なんか浴びせられたら、
また記憶が掠れる。
ノイズが走り、音が聞こえなくなる。
水をかぶったニンゲンは、どうなった。
プレイヤーは、無事、か。
ゆっくりと目を開けるとボスがこちらを見下ろしていた。
脊柱に食い込んだはずのヒールは骨盤の上を避けて隙間に刺さっている。当たっていない?が、痛みは覚えている。
ボス、ニンゲン、は
息も絶え絶えにそう尋ねると、ボスは満足そうに答えた。
「ふん、小汚かったから泡風呂に突っ込んでやった。
奴は喜んで耳障りな笑い声を上げていたぞ。
だが献上物としての自覚がないようだからな、ガレージに閉じ込めてやっている。」
傷の手当ては、それに、ガレージは隙間だらけで雪が、
「傷?なんのことだ。」
首を傾げながらボスが自身の部屋に戻るのを見計らってガレージに急ぐ。
ニンゲンはガレージの隅でうずくまっていた。
細かくふるえている。
「おい、プレイヤー!」
息が熱い。頬が赤い。熱がある。
俺は近道を使って自分の部屋に連れ込んだ。
意識が朦朧としながらもベッドから部屋の隅に行こうとするニンゲンをベッドに放り込む。
「だめだぜ。」
そう囁くとプレイヤーは急に大人しくなった。
ゆっくりと目を開けてこちらを見る。
琥珀色の瞳はまるで飴玉のようだ。
舐めたい。
「サンズ、熱い、苦しい。」
その言葉にはっとして彼女の体を抱き込んだ。
熱い。火傷しそうだ。
「サンズ、冷たくて気持ちいい。」
そうやって彼女はすうっと眠りに落ちた。
ニンゲンが逃げないようにしているだけだ。
そう言い訳をして一緒にベッドに潜り込んだ。
案の定ガレージにニンゲンがいないことに気づいたボスが雪まみれになって部屋に怒鳴り込んでくるまで、俺とニンゲンはしっかり抱き合って眠っていた。
夢を見た。
今よりももっと幼いプレイヤーがいる。
彼女の目の前にはスケルトン。
青いフーディ、白いラインのジャージ、白い靴下、なぜかピンクのスリッパを履いている。
そして何より俺によく似ていた。
彼女は叫ぶ。
だから私は逃げ出した。
だって私は逃げ出した。
だったらどうしたら良かったの。
目の前の男は静かに彼女を見つめている。
俺とお前のサンズが同じなら、俺が考えていることとお前のサンズが考えていることも同じだろう。
そう考えた刹那、俺のすぐ目の前に彼女がいた。
俺ではないサンズがいた場所に俺がいた。
だってサンズは結局私を諦めてしまうのでしょう。
私を彼に譲ってしまうのでしょう。
もっと私を欲しがってよ!サンズ!
オレはお前が欲しい。
俺だってお前は欲しい。
だけど。
だ め だ ぜ
俺ではない俺の声がして、視界が引き剥がされる。
浮遊感に吐き気を覚えながら目を覚ました。
「ペットの面倒も満足に見れないのか愚兄!」
「ボス。」
布団を、そしてプレイヤーを俺から引き剥がそうとするボスがいた。
「駄目だパピルス。プレイヤーは風邪を引いている。」
俺の声が思ったより低く響いた。
「暖かいミルクがいる。それから雪でいい、バケツに入れて持って来てくれ。」
Nyaッと声を上げた後、ボスは静かにその場を去り、言われた通りのものを持ってきた。
バケツに手を突っ込み、十分に冷えた所でプレイヤーの額に当てる。
荒く辛そうな吐息が少しずつ穏やかなものに変わっていく。
目を覚ましたらミルクを飲ませてやろう。
もう少し元気が出たら、ココアを入れてやろう。
そう考えて一緒に眠りにつく。
手が温くなったら雪に突っ込み、また彼女の額に当てた。
それをさらに一晩中繰り返した。
フードを被った男がこちらを見ているような気がした。
プレイヤーがまた少しずつ元気になって、日常が戻ってくるはずだった。
2人で遊んでボスに叱られて、でも前のような怒り方ではなくなった。
食事を食べさせてやるとか風呂に入れてやるとかを俺にも自分でもしようとはしなくなって、本人にやらせるようになった。
相変わらず一人で外出はさせないけれど。
「愚兄、話がある。」
ボスがそう言って深刻な顔で話しかけてきたのは必然だった。
いつかはくると思っていた。
「いいぜ。」
その場で話し始めるかと思ったがいつまでも黙っているのでグリルビーズへ行くことを提案した。
流石にそこで肝心な話が出来るとは思っていなかった。
グリルビーズで軽く引っ掛けて、それからまた家に戻ってゆっくり話をしようぐらいに思っていた。
彼女を一人家に残し、外から鍵を慎重に閉めるボスの手は震えていた。
窓からは出られないと思っているのだろうか。
まあ逃げることはないだろうが。
意外と詰めが甘い弟だとまだこの時は呑気に構えていたのだ。
「我輩の名前を呼んでほしい。」
いやそんなストレートに言うとは思っていなかった。
まだほんの少しだけ、サワーのようなジュースのような1杯を引っ掛けただけだ。
酔うには早い、本音を曝け出すには早い、何よりここではまずい。
ロイヤルガード様が弱味を見せるには相応しくない。
何せ先日ここで転んだプレイヤーに俺よりも早く手を差し伸べたグリルビーに微笑んだだけで盛大な悋気を咬ませたばかりなのだ。
誰かが揶揄うように口笛を吹き、あのグリルビーが彼女を掴んだ手を引き剥がし、グリルビーが珍しく嫌味ではない笑顔を浮かべたと言う異常事態が発生したのだ。
確かに最近スノーディンは空気が優しいと言うか和むというかだいぶ雰囲気が変わってきているが、殺すか殺されるかと言う方針が変わったわけではない。
弱みは見せるものではない。
「貴様は何度も名前を呼ばれている。いつもそばにいる。笑っている。」
ああ、そうだ。プレイヤーは俺によく懐いている。
「ボス、エッジ様。我輩はそう呼ばれることに今まで何も思ったことはなかった。むしろ当然だと思っていた。」
それはプレイヤーにとってお前の名前だからな。
「我輩の名前を知っているのに、呼ばない。」
そうだろう。本当の名前を知っているが、呼ばない。」
「笑ってほしい。喜ばせたい。ずっとそばにいて欲しい。」
誰が、と言わないのがなけなしの理性か。
「アンダインも王もまだ気づいてはいないが、疑っている。」
時間の問題だろう。
「我輩はアレを、あ」
「STOP!」
俺はボスの口を慌てておさえた。
それ以上はいけない。
「なぜだ!お前もあれを!」
「はーいはい、ボス酔っちゃったのかなーいや俺何言ってるか分からないなーここで話したこと誰かが聞いたら誤解するよなーもし明日になって話している奴がいたら俺何するかわかんねーなーほら帰ろう、ボス。」
ボスのポケットから財布を取り出し金をばら撒くと俺はたまらずボスを引き摺ってグリルビーズから飛び出した。
ああは言ったがバレるのは本当に時間の問題だ。
猶予はおそらく今晩だけ。
弟の初めてのそれは、今晩終わる。
ボスの酔った姿を初めて見たであろうプレイヤーに彼を押しつけた。
彼女の優しい声が骨に沁みる。
目は合わせられなかった。
俺は布団をかぶって丸まった。
もしかして、あいつも、こうだったんじゃないのか。
そう思いながらも、俺は同じことしか出来なかったってことじゃないのか。
明日になってもし、俺の思う通りになっていたら。
きっと俺はお前の手を引いて逃げるから。
せめて一緒に逃げてお前を元の場所に帰すから。
頼むどうか、どうか俺の弟を傷つけないでくれ。
弟の名を呼ばないでくれ。
*金色の花が、オレを包んだ
中にはニンゲンとボスの二人きり。
これ以上苦しむ弟の姿を見たくなかったからだ。
これ以上苦しむ弟の声を聞きたくなかったからだ。
これ以上軋む自分のタマシイを感じたくなかったからだ。
ニンゲンが物言いたげにこちらを見ていたからだ。
彼女がこれから苦しむのを見たくなかったからだ。
何度も殺したはずだった。
ニンゲンはすでに滅んでいて、それでも地下世界のバリアは張られたままで俺たちモンスターは外の世界には出られない。
もしもニンゲンを見つけたら殺して、タマシイを手に入れて、王に献上する。
最愛の弟がそれを望んでいるのを俺が止める理由は無かったし、モンスターだろうがニンゲンだろうがお構いなしに殺して来た。
だというのに。
あのニンゲンを前にするとオレはおかしくなる。
初めて出会った時からおかしかった。
こちらの顔を見たと思ったら泣き出したニンゲンは恐怖に震えているように見えた。
憐れな様に愉悦を感じつつも一思いに殺してやろうと攻撃を仕掛けた。
手応えがあったはずだ、何度かその体から血が噴き出すのを目にしたはずだ。
ヒュッと息が漏れるのを聞いたはずだ。
鉄錆の様な匂いを、俺は嗅いだはずだった。
どうしたことだろう。
目の前を金色の花が横切る。
見たことがない花だ。覚えがない花だ。
懐かしさなど感じる事がない花だ。
……オレのタマシイが一瞬、軋んだ。
次の瞬間、ニンゲンは俺に抱きついていた。
「サンズ、ごめんなさい。逃げ出して、ごめんなさい。」
柔らかい肉の感触、甘い、どこか懐かしい匂い。
ポロポロと流す涙は雪原で冷え切ったオレの骨身に流れ、沁み入りながらも温かいままだ。
サンズ、サンズと初めて会うのに俺の名前を何度も呼ぶ。
まるで熱に浮かされた様に繰り返すその声が頭蓋骨に響くうち、人間の熱が自分に移る様に体が火照る。
なんだこれは。
俺は恐ろしくなって、くっつくな離れろ、と叫ぶがニンゲンは離れない。
思いつく限りの罵詈雑言を浴びせても抱きついたまま額を俺に擦り付けてイヤイヤを繰り返す。
このままでは埒が明かないので少しずつ宥めすかして落ち着かせて、話を聞いてやる。
ああ、こいつは、別の世界を繰り返した、
“知っている”ニンゲンなんだと分かった。
世界が違ってもこいつにとっては俺は俺、なんだろう。
俺が今感じているこの感情は、ソイツが感じていたソレ、なんだろう?
なあ、別の世界のサンズさんよお。
こいつをなんで手放した?
飼ってやる、という俺の言葉にニンゲンは首を傾げていたが、
ニンゲンと呼ぶのが憚られるので名前を尋ねる。
するとニンゲンはそれまでほとんど閉じているような目を見開いて驚いていた。
ガラス玉のような、澄んだ大きい瞳がこちらを捉える。
健康的な赤い血が透けて見える唇が名を紡ぐのを、俺はぼんやりと見つめていた。
「プレイヤー。私、プレイヤーっていうの。」
「プレイヤー。」
口の中で転がすように繰り返すとその名はひどくその人間に馴染んでいるようの思えた。
ニンゲンを見ると何が嬉しいのかニンゲンは、笑った。
「ありがとう、サンズ。やっぱりあなたは私の名前を呼んでくれるのね。」
俺だけがこいつの名を呼んだのか。
誇らしく暖かな気持ちが広がるのが煩わしくて、鼻で笑って誤魔化した。
さて飼うとは言ってもボスに見つからずに、というのは難しい。
とりあえず王に献上すると見せかけて連れて行くのが得策か。
そう考えていたのにボスにはあっさり見つかった。
誰かが見かけてチクりやがったんだろう。
出会い頭に問答無用で攻撃を受け、俺は傷を負い、ニンゲンは息絶えた。
ザザザと視界にノイズが走る。
音が聞こえなくなり、そのまま俺は意識を手放した。
金色の花は見えなかった。
少しずつ視界が明るくなり、俺はゆっくりと目を開ける。
?
生きている。
確かに俺は瀕死の傷を負い、冷たくなって行くニンゲンの体を抱えて、慟哭した感覚が残っている。
当たり前のようにニンゲンの体を俺の腕の中からあっさりと奪い去り、単なるボロ雑巾のように引き摺りながら遠くなって行くボスとニンゲンを見た記憶がある。
視界が白くなって気絶して、何度か繰り返した覚えがあるのに。
今?……今は傷だらけだが生きているニンゲンを横抱きにしたボスが目の前にいる。
しかもその表情は今までに見たことがない種類のものだった。
困惑している。あのボスが?
自身がニンゲンを殺さなかったことに。
まるで宝物のように、大事そうにニンゲンを抱き抱えていることに。
愚かにもニンゲンを匿い、自身に逆らった俺に仕置きをしていないことに。
ごぼりという水音がして、人間の口から血が噴き出た。
慌てて駆け寄ろうとしたがボスの長い足がそれを阻んだ。
腹に一撃を喰らい、転がる俺をみてボスは満足げに頷いた。
そして人間の口から溢れる血をなんてことのないように自身の指とマフラーを使って拭った。
ボスが、人間の血を?拭ってやっただって?
俺が驚いて見つめているのを一撃を喰らってぼんやりしていると思ったのだろう。
「愚兄!行くぞ。」
その時俺は確かに目にした。
いまは血で赤く濡れた口からニンゲンが何か譫言を繰り返しているのを。
違う ……じゃない 良かった
傷の痛みで混乱しているのだろう。
だが次の瞬間、耳を、いや目を疑った。
ぱ ぴ る す
背骨を羽根で優しく撫でられたように感じた。
ただ人間の唇がその音を形作っただけ。
完全に音にはなっていないのに、なんと甘く響くのだろう。
ボスの顔色を窺うが気づいた様子はない。
それは俺にとってはボスの名前だがおそらくニンゲンにとっては、違う。
別の世界の弟。
ニンゲンにとっては大事な、狂おしいほど愛おしい相手の名だ。
ボスはニンゲンをすぐに王に献上しようとはしなかった。
ニンゲンは大人しく俺たちに従い、ボスに何をされても抵抗しなかった。
いやそれは語弊があるか。
無気力で何もしないという意味という意味ではない。
動じなかった。
首輪を付けられ、時には逃げ出さないよう俺と繋がれても
ふふ、お揃いだね、と言ってニンゲンは笑った。
しかし痛いものは痛いといい、理不尽な扱いには抗議した。
その一つが食事だ。
ニンゲンにはペットとして犬の餌が与えられた。
彼女はどんどんと弱っていく。
与えられた食事を取らないせいだ。
俺は最初、地下の世界の食物が食べられないのだと思っていた。
だから食べられないのであれば仕方が無いと諦めていたんだ。
そう思っていた俺に普段彼女の影に隠れて全く出てこないクソ花が彼女が眠っている隙にオレを呼び出し、珍しく声を荒げた。
「お前たちは人間がこういうものを口にすると本当に思っているのか!」
言われて初めて床に置かれた皿を見た。
ドッグフードである。ペットに与えられるものとしては問題ない。
しかも食事を取らないことを気に病んだらしいボスが少しずつグレードアップしたせいで最高級のドッグフードであった。
一つつまんで口にする。結構美味い。
しかも食べやすいように細かく刻んである。上等な扱いではないか。
そう言うとクソ花は呆れた顔でこちらを見ていた。
しかしニンゲンはこれを食べない、ということだろう。
俺はふと思いつきで刻んだホットドッグをそれに混ぜて与えてみた。
食べた。
ドッグフードを避けてホットドッグだけを綺麗に。
ここ数日ですっかり白くなっていたニンゲンにほんの少し赤みが戻った。
俺は黙って元気になりつつある人間の様子とホットドッグだけを完食したドッグフードの残りをボスに見せた。
ボスはショックを隠せなかったようでフラフラと外に出ていった。
仕方が無い。
得意では無いのだが俺が食事を用意するしか無いだろう。
しぶしぶ俺はニンゲンに何を食べたいか尋ねた。
ニンゲンはほんの少しだけ考える素振りを見せてから、
「……キッシュと、パスタ、かな。」
そう、答えた。
少し困ったように眉を下げて、しかし嬉しそうな甘い声音で。
俺は自分の勘の良さを呪った。
それらはきっと彼らの、いやおそらくは“彼”の得意料理なのだろう。
とはいえ聞いたからには用意せねばなるまい。
彼女は実によく食べた。
好き嫌いは無かった。
そして一人で食べるよりも俺と一緒に食べることを好んだ。
ホットドッグ、ハンバーガー、ポテト、キッシュ、パスタ。
美味しい美味しいと言いながらニコニコと食べる様は気分が良かった。
たちまち肌艶が整い、動きが機敏になり、笑顔も増えた。
マスタードをかけた時だけは少し眉を顰めてこちらに差し出したけれど。
マスタードの良さが分からないなんてニンゲンは手間がかかる生き物だと実感した。
食事の支度を大変だ面倒だと言う俺を見かねたのか、彼女は自分も作ると言い出した。
が試しに包丁を持たせたらどうにも気分が落ち着かず、何故か肋骨辺りが騒ついて軋むので何やかんやと理由をつけて断った。
ニンゲンが元気を取り戻すとボスは散歩と称して人前に連れ出すようになった。
他のモンスターに見せつける為だ。
匿っているのではない、殺さないでおいてやっているだけだというアピールのためだろう。
ただしニンゲンを知っているモンスターは少ないのでどこまで効果があったのか分からない。
現にスノーディンの連中はボスが何か珍しいモンスターを見つけて調教している、と言う認識のようだった。
ボスは何を考えていたのか分からないが毎回色々な店に寄った。
雑貨店、食料品店、洋品店、宝飾品店
何か買うわけでもなく、用がある風でも無かった。
店員が怯えながらこちらの様子を窺っているのも気にした様子は無かった。
今から思えばボスが気にしていたのはただ1つ。
ニンゲンの反応だけだった。
ある日俺はボスから野暮用を言いつけられて彼女を置いて外に出た。
家には珍しくボスと彼女の2人きり。
どちらも部屋から出て来ないし、彼女が逃げ出そうとすればボスには分かるので問題ないと半ば追い出されるように外に出された。
俺はなんとなく不安になって用事をとっとと済ませて帰宅を急いでいた。
家に近づくとなんとも言えない、いい匂いが漂ってくる。
滅多に有り付けない、ボスの料理の匂いだ。
俺がその時ばかりはふざけてコックと呼ぶ、ボスの絶品ラザニアの匂い。
ミートソースとホワイトソースをそれぞれ作るのに手間がかかるので俺は作らないし作れない。
飛び込むように家に入るとそこにはさらに驚きの光景が待っていた。
プレイヤーがソファの上ですやすやと寝息を立てていたのだ。
しかも上にはボスの毛布が掛かっている。
あまりのことに口をあんぐりと開けて台所に目をやると、俺に気づいたボスが咎めるような目でこちらを見ながら尖ったその歯の前で指を1本立てている。
静かに?静かにってことか?彼女を起こさないために?
しかもテーブルの上には家にある様々な食器が並んでいた。
真ん中の1つを除いて全て端に避けられている。
この家では初めて見る皿だ。
しかし見覚えがある皿だった。
その皿は以前ニンゲンを散歩に連れ出した時に入った店で、それまで何を見てもさほど興味を示さなかった彼女が目を輝かせて見つめていたものだ。
オーバル型の白いボーンチャイナにブドウのレリーフがあしらわれた繊細な作りが美しい。
あまりに熱心に見ているものだからボスはニンゲンに
「これが欲しいのか。」
と鼻でせせら笑いながら聞いたのを覚えている。
ニンゲンは首をフルフルと振って、
「ううん、綺麗だなと思っただけ。」
と少しだけ微笑んだ。
欲しい、とは言わなかったのだ。
当然ボスはそうか、とだけ言って当然買ったりはしなかったし、その後ニンゲンに目を向けることはなかった。
その皿がここにある。
やがてボスがその皿を取りに来るまで俺はそれを見つめていた。
それがここにある理由がわからない俺では無かった。
ボスは俺を一度も見なかった。
プレイヤーはまだ眠っている。
出かける前と違って髪はよく手入れされ、艶々と輝いている。
食事を取るようになってから、大分マシになったがこんなに輝いていただろうか。
なんだか肌も瑞々しさが増した気がする。
ニンゲンは水で出来ていると聞いたことがあるのでこれが正常なのかもしれない。
思わず手を伸ばすと毛布の中からじっとりと湿り気を帯びた目でクソ花がこちらを見ていた。
「なんだ。」
出した手を宙に浮かせたままそう問えばクソ花は深く深くため息をついた。
「お前らいったいなんなんだよ、もう。」
ら?らってなあ、なんだ。
そう尋ねようとしたがボスが食事の出来上がりを無言のまま告げに来て、中断を余儀なくされた。
食事を運ぶ前に皿を片付けていないことに耳元で詰られた。
ボスの声は頭蓋骨に良く響いて、なんだかゾクゾクする。
ボスは最初、あの白い皿のラザニアを一つテーブルの上に置いたが懊悩した挙句地べたに置いた。
すっかり食卓の用意が整ったところで匂いにつられたのかプレイヤーがゆっくりと起き上がった。
ボスがピシリと直立する。
「……寝汚いやつだな。いいか、食事だ。食え。」
ボスはプレイヤーから目を逸らしている。
プレイヤーは皿とボスの顔を交互に見た。
その目には喜びと戸惑いがないまぜになっていた。
やがてプレイヤーは俺の顔を見た。
助けて
そう言っているようだった。
ラザニアは熱々である。
食べなくても分かる。
当然ボスのラザニアは絶品すぎるが、今日のは格別の出来栄えだ。
しかしプレイヤーは戸惑っている。
そりゃそうだろう。
置かれているのは床で、ナイフとフォークも、当然スプーンも無い。
どうやって食べたものか思案するニンゲンに手を差し伸べるのは簡単だ。
なんなら俺が食べさせてやろう。
何か面白いことが起きそうだ。そう思った時だった。
「あーーーーーーーーー。」
ボスが奇声を上げた。
俺たちがびっくりしている間にガンと音がしそうなほど乱暴に床にあった皿をテーブルに戻す。
そしてソファにガッと腰を下ろした。
その反動で飛び上がったニンゲンをボスは手に取り?抱き上げ?自分の膝に乗せた。
まるでスローモーションのようにゆっくりと進んでいく様子に目が離せない。
その体勢でラザニアを素早く格子状に切り、スプーンで掬い、プレイヤーの口に押し込もうとしているのを目にしてもまだ俺は動けなかった。
なんだ?俺は何を見ている?
「ボス、熱い。」
俺と同じく驚いていた様子のプレイヤーはようやくそれだけ呟いた。
ボスはまたもピシリと固まり、動かなくなった。
その隙にプレイヤーはスプーンの上のそれを自身の口で吹く。
どうやらニンゲンは熱いものをそのまま口に入れることは出来ないようだった。
一向に動かないボスに痺れを切らし、プレイヤーはスプーンをパクリと口に咥えた。
「美味しい!」
「そうか。」
その言葉を切欠にようやく金縛りから解けたボスは手ずから次々に口に押し込んでやっていた。
それからはずっと、ボスが家にいる時はプレイヤーはこの体勢で食事を取っている。
恥ずかしがったり、嫌がったりしても、有無を言わさず。
それからしばらく経った時のことだ。
ニンゲンの服がだんだん汚れてきたのを気にしたのかボスはニンゲンを急に地面を這いつくばらせて服を更に汚した。
最近はきちんとニンゲンを気にかけるようになったはずなのにと思ったら、その服を引きちぎった。
さすがに俺も驚き、止めようとした。
プレイヤーがニンゲンだからよく分からないのかもしれないが、もう子供ではないし、肌を晒して良い年齢ではない、はずだ。
上着を着せ掛けようとしたところでボスにそれを阻まれた。
「そんな汚らしいザマではアンダインにもましてや王になど献上出来ないな!」
そう言ってボスが取り出した服は上品な虹色のワンピースだった。
いつ買ったのかは分からない。
しかもちょっと得意げだ。
無理矢理着替えさせようとして勝手が分からず、
「自分で着れるから!」
とプレイヤーが叫んで逃げ回るのを追い掛けてボスが四苦八苦しているのはちょっと笑えた。
献上できるまでは汚すなと言った割にはボスは一日に一度はニンゲンに薄く細かい傷を作っては見えるところに仰々しく包帯を巻いた。
「まだ献上出来ない、出来損ないだ。」と罵る。
自分でつけた傷を自分で手当てしておいて、だ。
ある日俺たちは散歩に出掛けた。
首輪が擦れて赤くなっていた。
その様が痛々しくて、逃げるなよ、と言って外す。
嬉しそうに微笑むニンゲンに堪らなくなり、その首筋を舐めた。
甘い。
くすぐったいと身を捩るニンゲンになんとも言えない気持ちが込み上げる。
ボスに着せられた虹色のワンピースは汚れ一つない。
hehそうかよ。
思いっきりくすぐって、大声で笑って、雪の上を転げ回った。
ニンゲンはあちこち柔らかい。
舐めてくすぐって全部触って、それらを堪能した。
ニンゲンは嫌がりはしなかったが息も絶え絶えだった。
吐息が熱い。
雪の中を転がり回って家に戻る頃にはすっかりニンゲンは随分とおとなしくなっていた。
最近はガレージではなく、リビングで寝かせていたが今夜は冷える。
俺の部屋で寝かせたほうがいいかもしれない。
そう考えていたときだった。
「サンズ。」
ボスが家の前で待ち構えていた。
久々に地を這うような低く、怒りを帯びた声だった。
ああ、これだよこれ、ボスはこうでなくちゃな。
そう呑気に構えていた時だった。
「ニンゲン、お前、愚兄の匂いがこびりついているな。」
寒い中でバケツの水を浴びせられてプレイヤーはすぐに動かなくなった。
そのままガレージの檻に放り込まれた。
駄目だ、それは駄目だ。ニンゲンは、
さて、愚兄。
覚悟はいいか。
ボスの逆鱗がなんだったのか分からない。
いや、嘘だ。俺には解っていた。
その長い足がが脊柱を折らんばかりに食い込む。
俺の体は大きく吹っ飛んだ。
と思ったら真上から更にボスのブーツが体に食い込み、音にならない声が雪に沈み込んだ。
「我輩は汚すな、と言ったはずだ。
なんだアレは。お前のタマシイから漏れたケツイで、汚れているではないか。」
ああ、悪かったよ、パピルス
「俺と遊びたかったんだよな、ボス。」
足の下で息も絶え絶えにそう呟いてやるとボスは怒りで更に顔を真っ赤に燃え上がらせた。
「そんなことを言っているのではぬああああい!」
あのニンゲンはアンダインのひいては王への献上物である。
然るべき時に備えて清潔で健常な状態にしておく必要がある。
それをなんだお前は。役立たず。
また報告が延びてしまうではないか。
ああでも弟よ、ニンゲンは強いが脆い。
こんな寒いところで、水なんか浴びせられたら、
また記憶が掠れる。
ノイズが走り、音が聞こえなくなる。
水をかぶったニンゲンは、どうなった。
プレイヤーは、無事、か。
ゆっくりと目を開けるとボスがこちらを見下ろしていた。
脊柱に食い込んだはずのヒールは骨盤の上を避けて隙間に刺さっている。当たっていない?が、痛みは覚えている。
ボス、ニンゲン、は
息も絶え絶えにそう尋ねると、ボスは満足そうに答えた。
「ふん、小汚かったから泡風呂に突っ込んでやった。
奴は喜んで耳障りな笑い声を上げていたぞ。
だが献上物としての自覚がないようだからな、ガレージに閉じ込めてやっている。」
傷の手当ては、それに、ガレージは隙間だらけで雪が、
「傷?なんのことだ。」
首を傾げながらボスが自身の部屋に戻るのを見計らってガレージに急ぐ。
ニンゲンはガレージの隅でうずくまっていた。
細かくふるえている。
「おい、プレイヤー!」
息が熱い。頬が赤い。熱がある。
俺は近道を使って自分の部屋に連れ込んだ。
意識が朦朧としながらもベッドから部屋の隅に行こうとするニンゲンをベッドに放り込む。
「だめだぜ。」
そう囁くとプレイヤーは急に大人しくなった。
ゆっくりと目を開けてこちらを見る。
琥珀色の瞳はまるで飴玉のようだ。
舐めたい。
「サンズ、熱い、苦しい。」
その言葉にはっとして彼女の体を抱き込んだ。
熱い。火傷しそうだ。
「サンズ、冷たくて気持ちいい。」
そうやって彼女はすうっと眠りに落ちた。
ニンゲンが逃げないようにしているだけだ。
そう言い訳をして一緒にベッドに潜り込んだ。
案の定ガレージにニンゲンがいないことに気づいたボスが雪まみれになって部屋に怒鳴り込んでくるまで、俺とニンゲンはしっかり抱き合って眠っていた。
夢を見た。
今よりももっと幼いプレイヤーがいる。
彼女の目の前にはスケルトン。
青いフーディ、白いラインのジャージ、白い靴下、なぜかピンクのスリッパを履いている。
そして何より俺によく似ていた。
彼女は叫ぶ。
だから私は逃げ出した。
だって私は逃げ出した。
だったらどうしたら良かったの。
目の前の男は静かに彼女を見つめている。
俺とお前のサンズが同じなら、俺が考えていることとお前のサンズが考えていることも同じだろう。
そう考えた刹那、俺のすぐ目の前に彼女がいた。
俺ではないサンズがいた場所に俺がいた。
だってサンズは結局私を諦めてしまうのでしょう。
私を彼に譲ってしまうのでしょう。
もっと私を欲しがってよ!サンズ!
オレはお前が欲しい。
俺だってお前は欲しい。
だけど。
だ め だ ぜ
俺ではない俺の声がして、視界が引き剥がされる。
浮遊感に吐き気を覚えながら目を覚ました。
「ペットの面倒も満足に見れないのか愚兄!」
「ボス。」
布団を、そしてプレイヤーを俺から引き剥がそうとするボスがいた。
「駄目だパピルス。プレイヤーは風邪を引いている。」
俺の声が思ったより低く響いた。
「暖かいミルクがいる。それから雪でいい、バケツに入れて持って来てくれ。」
Nyaッと声を上げた後、ボスは静かにその場を去り、言われた通りのものを持ってきた。
バケツに手を突っ込み、十分に冷えた所でプレイヤーの額に当てる。
荒く辛そうな吐息が少しずつ穏やかなものに変わっていく。
目を覚ましたらミルクを飲ませてやろう。
もう少し元気が出たら、ココアを入れてやろう。
そう考えて一緒に眠りにつく。
手が温くなったら雪に突っ込み、また彼女の額に当てた。
それをさらに一晩中繰り返した。
フードを被った男がこちらを見ているような気がした。
プレイヤーがまた少しずつ元気になって、日常が戻ってくるはずだった。
2人で遊んでボスに叱られて、でも前のような怒り方ではなくなった。
食事を食べさせてやるとか風呂に入れてやるとかを俺にも自分でもしようとはしなくなって、本人にやらせるようになった。
相変わらず一人で外出はさせないけれど。
「愚兄、話がある。」
ボスがそう言って深刻な顔で話しかけてきたのは必然だった。
いつかはくると思っていた。
「いいぜ。」
その場で話し始めるかと思ったがいつまでも黙っているのでグリルビーズへ行くことを提案した。
流石にそこで肝心な話が出来るとは思っていなかった。
グリルビーズで軽く引っ掛けて、それからまた家に戻ってゆっくり話をしようぐらいに思っていた。
彼女を一人家に残し、外から鍵を慎重に閉めるボスの手は震えていた。
窓からは出られないと思っているのだろうか。
まあ逃げることはないだろうが。
意外と詰めが甘い弟だとまだこの時は呑気に構えていたのだ。
「我輩の名前を呼んでほしい。」
いやそんなストレートに言うとは思っていなかった。
まだほんの少しだけ、サワーのようなジュースのような1杯を引っ掛けただけだ。
酔うには早い、本音を曝け出すには早い、何よりここではまずい。
ロイヤルガード様が弱味を見せるには相応しくない。
何せ先日ここで転んだプレイヤーに俺よりも早く手を差し伸べたグリルビーに微笑んだだけで盛大な悋気を咬ませたばかりなのだ。
誰かが揶揄うように口笛を吹き、あのグリルビーが彼女を掴んだ手を引き剥がし、グリルビーが珍しく嫌味ではない笑顔を浮かべたと言う異常事態が発生したのだ。
確かに最近スノーディンは空気が優しいと言うか和むというかだいぶ雰囲気が変わってきているが、殺すか殺されるかと言う方針が変わったわけではない。
弱みは見せるものではない。
「貴様は何度も名前を呼ばれている。いつもそばにいる。笑っている。」
ああ、そうだ。プレイヤーは俺によく懐いている。
「ボス、エッジ様。我輩はそう呼ばれることに今まで何も思ったことはなかった。むしろ当然だと思っていた。」
それはプレイヤーにとってお前の名前だからな。
「我輩の名前を知っているのに、呼ばない。」
そうだろう。本当の名前を知っているが、呼ばない。」
「笑ってほしい。喜ばせたい。ずっとそばにいて欲しい。」
誰が、と言わないのがなけなしの理性か。
「アンダインも王もまだ気づいてはいないが、疑っている。」
時間の問題だろう。
「我輩はアレを、あ」
「STOP!」
俺はボスの口を慌てておさえた。
それ以上はいけない。
「なぜだ!お前もあれを!」
「はーいはい、ボス酔っちゃったのかなーいや俺何言ってるか分からないなーここで話したこと誰かが聞いたら誤解するよなーもし明日になって話している奴がいたら俺何するかわかんねーなーほら帰ろう、ボス。」
ボスのポケットから財布を取り出し金をばら撒くと俺はたまらずボスを引き摺ってグリルビーズから飛び出した。
ああは言ったがバレるのは本当に時間の問題だ。
猶予はおそらく今晩だけ。
弟の初めてのそれは、今晩終わる。
ボスの酔った姿を初めて見たであろうプレイヤーに彼を押しつけた。
彼女の優しい声が骨に沁みる。
目は合わせられなかった。
俺は布団をかぶって丸まった。
もしかして、あいつも、こうだったんじゃないのか。
そう思いながらも、俺は同じことしか出来なかったってことじゃないのか。
明日になってもし、俺の思う通りになっていたら。
きっと俺はお前の手を引いて逃げるから。
せめて一緒に逃げてお前を元の場所に帰すから。
頼むどうか、どうか俺の弟を傷つけないでくれ。
弟の名を呼ばないでくれ。
*金色の花が、オレを包んだ