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幻水3(パーシヴァル×クリス)

「……それでは、本日の会議は以上とする。この日、この場所を与えたもうた女神に感謝を」
 広々とした会議室の中央にあつらえられた円卓席のひとつに座る青年は、澄んだ声を響かせながら左胸に手を添える。円卓に向き合う議員たちとクリスは、議長を務める青年の動作に倣い、同じく女神に感謝を捧げた。
 室内に沈黙が落ちて数秒。無音のひとときは議長が吐いた軽い溜息によって途切れ、解放感に満たされる。
「ふぅ、それにしても今年は暑いですな。年寄りの体には堪えてたまらん」
 ハンカチで汗の滲む額を拭いながらぼやくのは、この中でもっとも年嵩の議員だ。とはいえ、まだ年齢は四十代半ばであり、年寄りと呼ぶのは少しオーバーな感もある。
 そんな彼にうっすらと苦笑を浮かべつつ、クリスは同意の言葉を返した。
「ええ、本当に。騎士団の兵たちも音を上げています」
「確かに。この暑い中であの鎧はさぞ堪えるでしょう。本当に頭の下がる思いです。いやあ、どこか涼める所はないものか」
「それならいい所がありますよ」
 クリスと議員の会話に入ってきたのは、議長を務める青年だった。少し赤みがかった茶髪をワックスでゆるく固めた議長は、含みのある笑みを浮かべている。
「いい所とは、どこですかな?」
「そりゃあダック村ですよ。水に囲まれたあの村は最高の避暑地といってもいい。ダックが釣って調理した魚料理も絶品です」
 得意げに笑む議長に、その場にいる議員たちは軽く目を見開き、一斉に視線を向ける。
「議長殿はダック村に行ったことがあるのですか」
「当然です。大事な隣国の村であり、貴重な取引先ですからね。足は運んでおきませんと」
「まあ、単に私が旅行好きだというのもありますが」と付け加えつつ、議長は驚き半分、興味半分といった様子の議員たちに笑いかける。
「グラスランドのシックスクランは議員になる前にひととおり巡りましたが、どこも特色があって面白かったです。それぞれの氏族たちの志も素晴らしかった。過去の因縁に囚われて長年争っていたことが本当に愚かしいと思いましたよ。ねえ、クリス様?」
「えっ」
 議長は軽く頬杖をつきながら、クリスに目線を向ける。不意を打たれたクリスは、突然に話を振られた驚きで少し言葉を詰まらせる。
 視線を交わらせる議長の瞳は聡明な鋭さこそあれど、毒気はない。円卓を囲む議員たちも同じく、淀んだ空気を感じさせない。その空間に居心地の良さを感じつつ、クリスは顔を綻ばせ、静かに頷いた。
「ええ、素晴らしい人々であり、大地だと思います。皆さんも是非、足を運んでみてください」



 ギルドホールを出ると、即座にまばゆい陽光がクリスの全身を包みこんだ。
 今年は本当に暑い。ここ十年でもっとも暑い季節のように思える。しっかりと鎧を着込んだ体には、なかなかに堪える気候だ。
「お疲れ様です」
 すでにジワリと額に滲み始めた汗を軽く手の甲で拭っていると、扉の脇から聞き慣れた声に呼びかけられた。
 振り向くと、クリスと同じように鎧を着込んだ騎士――パーシヴァルが軽く腕を組み、ギルドホールの壁に背中を預けて立っていた。焦茶色の髪を後方に流した髪型もあいまって、その表情は涼しげに見える。
「待たせてすまなかった。暑かっただろう」
「いいえ、終わりどきを狙って外に出たばかりですよ。ギルドホールは涼しいんでね」
「相変わらず要領のいいことだ」
 苦笑するクリスに、パーシヴァルは笑みを少し深めて背中を壁から剥がし、当然のようにクリスの隣に並んだ。
 それから、ふたりはゆっくりと歩き出す。
「今日は随分とご機嫌ですね」
 ギルドホールの広場を抜けて民家の並ぶエリアに入ったところで、パーシヴァルは軽くクリスを横目に見ながら声をかけた。
「ああ、最近は評議会の会議に出るのも苦ではなくなったよ」
「世代が変わって頭の柔らかい人間が増えましたからね」
「どこかの誰かがそういう人間とこっそり繋がって手を回しているというのもあるだろうがな」
「おや、なかなか鋭い」
「鈍い私でも、長年騎士団長をやっていればこのくらいはな」
 言いながら自嘲混じりに笑うクリスに、パーシヴァルは穏やかな視線を向けつつ、うっすらとその目を細めた。
「もう、十五年ですか」
 懐かしむような、しかし少しばかり感傷めいた声でつぶやかれたパーシヴァルの言葉には、さまざまな感情がこもっている。内面の情をあまり表には出さない男の中にあるものを、クリスは長い付き合いを経てようやく理解した。だからこそ、相槌は敢えて打たなかった。
 その気遣いの間合いが心地良かったのか、パーシヴァルは更に言葉を続ける。
「あなたが騎士団長になり、ゼクセンとグラスランドがひとつになった『あの戦い』を終えて十五年。長かったのか、短かったのか」
「どう思います?」と視線と共に問いを向けられる。それを受け、クリスは俯けていた顔を上げ、燦々と照る太陽を仰ぎながら答えた。
「今になればあっという間だったような気もするよ。……でも、この十五年でゼクセンは確実に変わった。ゼクセンだけじゃない。グラスランドもひっくるめて、私たちは少しずつ変わっている。それは、間違いないと思うんだ」
「……そうですね。まだ変わっている最中といったところでしょうが、十五年前に比べれば確実に変わったと思います」
 十五年前。ゼクセンは隣り合うグラスランドと長きに渡る争いを繰り広げていた。もはやその原因がなんだったのかすらわからなくなりながらも、互いを憎み、罵り、剣を交わらせ続けてきた。しかし、ひとつの戦いを機に、その現状はゆるやかに変化している。「蛮族」とグラスランドの氏族のひとつを罵っていた評議会の議員たちが、その土地に足を運び、友好を築き始めている。このゼクセンの首都であるビネ・デル・ゼクセにも随分とグラスランドの民が訪れてくれるようになった。
 長い歴史の中ではほんの僅かな年月に過ぎないのだろうが、それでも、この大地にとっては大きな十五年だと胸を張って言えるだろう。
 思いながら、クリスは隣に立つ人物に目を向ける。
「お前も変わったな」
「そうですか?」
 見下ろす瞳とかち合い、クリスは笑う。
「ああ。老けた」
 直球すぎるひとことに、パーシヴァルは僅かに眉間に皺を寄せて顔を顰めた。その苦々しい表情に、クリスは悪戯っぽく笑って肩を竦める。
「そりゃあ、十五年も経てば老けますよ」
「私は老けていないが?」
「その返しは反則だって言ってるでしょう。――それに、確かに見た目は老けていませんけど、他はそうでもないですよ」
「……どういう意味?」
 言葉の意味を汲み取れず、しかし快い意味合いではないことを察したクリスは、鋭い視線を送る。
「最近、立ち上がったり馬に乗ったりするときに『よいしょ』って言うようになったの、気付いてないでしょう?」
「なっ……! い、言ってないぞ、そんなこと!」
 クリスは思わず立ち止まり、一歩先を行くパーシヴァルに怒鳴りつける。周囲を歩いていた貴婦人たちが驚いて視線を向けてくるが、そんなものになど構っていられない。
「言ってますよ。しかもここ数日、数が増えてます」
「いいや、言ってない!」
「では、帰ったら執事さんやメイドさんたちに訊いてみますか」
「みんな同じ答えだと思いますよ」と付け足して歩くパーシヴァルの足取りは軽やかだ。四十を超え、体力も衰えてくる年齢だろうというのに、甲冑を着込んで酷暑の中を悠々と歩く姿には年齢を感じさせないものがある。一団を率いる立場を若手に奪われることなく保っているだけの説得力が、その背中にはあった。
 そして、十五年経ってもなお、クリスを支え続けている背でもある。
「……で、あなたが『それ』を持ってからも十五年経ったわけですけど」
 パーシヴァルはふと立ち止まり、振り向く。
 変わらず照り続ける陽光の中で、クリスを見る瞳は少しばかり暗く、神妙だ。
「『それ』をどうするかは決めたんですか?」
 そっと指差してきたパーシヴァルの指先は、小手に包まれたクリスの右手に向けられている。――いや、右手に宿る『もの』に向けられている。
 それは、節目ごとに彼から問いかけられている質問だった。
 そして、クリスは問われる度に質問を全身で受け止めて、静かに心の中で自問自答する。
 目を閉じ、頭の中を無にして、たったひとつの問いを浮かべて己に問いかける。
 答えはすぐにやってくる。それを手にしたクリスは、再びまぶたを開き、光で白んだ世界の中に佇む男に答えた。
「まだ、保留だな」
 素直に、はっきりとした口調で発した声と言葉に、パーシヴァルは薄く笑み、噛み締めるように頷いた。それがなんとも言えず嬉しそうな表情で、クリスもつられるように同じような笑みを浮かべる。
「さて、帰ろうか」
 再び歩き出し、パーシヴァルの隣に並んだクリスの声は明るい。それを受けて返すパーシヴァルも、先ほどより声色は軽妙だ。
「ええ。今日の夕食はなんでしょうね」
「冷たいものがいいな。さすがにこの暑さで熱いものはちょっとな……」
「おや、夏バテですか? やっぱりクリス様も中身は年――」
「うるさいっ」
 慣れ親しんだリズムで言葉を交わし、ふたりは歩く。
 この十五年、何度となく並んで歩んできた道。
 その道を辿り、ふたりは街の中に佇む屋敷の中に消えていった。
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