幻水3(パーシヴァル×クリス)
「ファーストキスの相手はお前じゃない」
いつものように体を重ねた後、気だるさにまどろみながら、不意に言い放ってやった。
普段はさして気にならないのに、その日はなぜか、相手の余裕めいたしぐさが鼻についた。
そこから感じる歴然とした恋愛経験の差を認めるのが悔しくて、ついつまらない意地を張ってしまったのだ。
「……へえ」
そうしたら、先ほどまで穏やかだった奴の顔がガラリと変わった。
どんよりと闇の落ちたような表情。ここまでかと、びっくりするほどの変わりようだった。
「その記念すべき幸せ者の第一号は、どこのどいつですか」
「お、教えるわけないだろう」
まさか聞いてくるとは思わなかった。こんなこと、普通は聞かないだろう。昔の男の話なんて聞きたいものか? じゃあ、私も聞き返してみようか。今までどんな女にどれだけのキスをどんな風にして、愛を囁いてきたのか。……聞けるものか。跳ね返ってくるダメージの大きさを考えたら、聞けるはずもない。
「嘘でしょう、それ」
「嘘じゃないっ」
「じゃあ、誰?」
「教えない」
「やっぱり嘘なんですね」
「嘘じゃないったら」
そう、嘘なんかじゃない。これは真実。……なのに、なぜか胸を張って言い切れない。
手首を軽くつかまれて、そこから長い指先がじわじわと掌を這い、指と指を絡ませられる。逃がさないように、ゆるりと甘く、しかし確実に。
「――誰?」
目と鼻の先で、重く、低い声で問われる。すぐ目の前にあるのは、いつもは見ないような深い茶の瞳。怒っているようで、焦っているような。ちょっと余裕がなさそうで、なんだからしくない。
不安に思ってる? 得体の知れない昔の男の影が怖い? それなら、こっちとしては少し安心。あなたも自分と同じだとわかるから。今、心通わせるのはお互いに目の前に居るひとりしかいないのに、もう終わった昔の影に揺れている。
――こちらは、終わった相手というか、なんというか、ちょっと違うけれど。とりあえず、こちらが時折味わわされている複雑な気持ちを身をもって理解してくれたようだから、観念して教えてあげることにした。
「……父親」
「え」
ぼそりと告げると、奴の顔からすっと闇が消えた。
「今、なんて?」
「だから、父親が、初めてキスをした相手だ」
「……」
少し黙って、それから、奴のご機嫌はぐるりと切り替わる。けらけらと声に出して笑って、大層楽しそうだ。こんな顔も、いつもは見ない。どうやら軽くツボにはまったらしい。
「それはいくつのとき?」
「……五歳くらい」
「はははははっ!」
人が言い終わるか終わらないかのタイミングで大笑いする始末。なんでこんなに楽しそうなんだ。腹が立つ。しかもそんな奴のしぐさにすら胸を震わせる自分にもこれまた腹が立つ。
ああ、こんな風に弾けて笑う顔も、悪くない。
「何がおかしいっ」
「父親って、それはどう考えてもノーカウントですよ。人数に入りませんって」
「うるさい。私がそうだと思ってるんだからそうなんだ!」
「わかりましたわかりました」
それから、ご機嫌取りに軽くキスされる。抵抗してやろうと思うのに、体はすんなりと奴を受け入れた。何度か啄ばまれて、やんわりと笑みを向けられる。そのときは、もういつものパーシヴァル。私を安堵させ、どきどきさせ、包んでくれる優しい瞳。
きっとその昔、それは別の誰かに向けられていた。それはすごく腹が立つ。だけど、今、この笑みを向けられるのは私だけ。その事実があるからこそ、私は私でいられるのだと思う。
「俺は二番目の男で構いません。が、同時にあなたにとっての最後の男にもなりたいんですが、いかがですかね」
『それはこっちの台詞だ。私で最後にしろ』と本当は言ってやりたかったけれど、それを言ってはもっと調子に乗りそうで、少ししゃくだったので、ぐっと堪えた。
返事代わりに今度はこちらから唇を押し付けて、ぼんやりと言い放ってやった。
「……考えておくわ」
それを聞いたパーシヴァルは、やたらと幸せそうに、笑った。
いつものように体を重ねた後、気だるさにまどろみながら、不意に言い放ってやった。
普段はさして気にならないのに、その日はなぜか、相手の余裕めいたしぐさが鼻についた。
そこから感じる歴然とした恋愛経験の差を認めるのが悔しくて、ついつまらない意地を張ってしまったのだ。
「……へえ」
そうしたら、先ほどまで穏やかだった奴の顔がガラリと変わった。
どんよりと闇の落ちたような表情。ここまでかと、びっくりするほどの変わりようだった。
「その記念すべき幸せ者の第一号は、どこのどいつですか」
「お、教えるわけないだろう」
まさか聞いてくるとは思わなかった。こんなこと、普通は聞かないだろう。昔の男の話なんて聞きたいものか? じゃあ、私も聞き返してみようか。今までどんな女にどれだけのキスをどんな風にして、愛を囁いてきたのか。……聞けるものか。跳ね返ってくるダメージの大きさを考えたら、聞けるはずもない。
「嘘でしょう、それ」
「嘘じゃないっ」
「じゃあ、誰?」
「教えない」
「やっぱり嘘なんですね」
「嘘じゃないったら」
そう、嘘なんかじゃない。これは真実。……なのに、なぜか胸を張って言い切れない。
手首を軽くつかまれて、そこから長い指先がじわじわと掌を這い、指と指を絡ませられる。逃がさないように、ゆるりと甘く、しかし確実に。
「――誰?」
目と鼻の先で、重く、低い声で問われる。すぐ目の前にあるのは、いつもは見ないような深い茶の瞳。怒っているようで、焦っているような。ちょっと余裕がなさそうで、なんだからしくない。
不安に思ってる? 得体の知れない昔の男の影が怖い? それなら、こっちとしては少し安心。あなたも自分と同じだとわかるから。今、心通わせるのはお互いに目の前に居るひとりしかいないのに、もう終わった昔の影に揺れている。
――こちらは、終わった相手というか、なんというか、ちょっと違うけれど。とりあえず、こちらが時折味わわされている複雑な気持ちを身をもって理解してくれたようだから、観念して教えてあげることにした。
「……父親」
「え」
ぼそりと告げると、奴の顔からすっと闇が消えた。
「今、なんて?」
「だから、父親が、初めてキスをした相手だ」
「……」
少し黙って、それから、奴のご機嫌はぐるりと切り替わる。けらけらと声に出して笑って、大層楽しそうだ。こんな顔も、いつもは見ない。どうやら軽くツボにはまったらしい。
「それはいくつのとき?」
「……五歳くらい」
「はははははっ!」
人が言い終わるか終わらないかのタイミングで大笑いする始末。なんでこんなに楽しそうなんだ。腹が立つ。しかもそんな奴のしぐさにすら胸を震わせる自分にもこれまた腹が立つ。
ああ、こんな風に弾けて笑う顔も、悪くない。
「何がおかしいっ」
「父親って、それはどう考えてもノーカウントですよ。人数に入りませんって」
「うるさい。私がそうだと思ってるんだからそうなんだ!」
「わかりましたわかりました」
それから、ご機嫌取りに軽くキスされる。抵抗してやろうと思うのに、体はすんなりと奴を受け入れた。何度か啄ばまれて、やんわりと笑みを向けられる。そのときは、もういつものパーシヴァル。私を安堵させ、どきどきさせ、包んでくれる優しい瞳。
きっとその昔、それは別の誰かに向けられていた。それはすごく腹が立つ。だけど、今、この笑みを向けられるのは私だけ。その事実があるからこそ、私は私でいられるのだと思う。
「俺は二番目の男で構いません。が、同時にあなたにとっての最後の男にもなりたいんですが、いかがですかね」
『それはこっちの台詞だ。私で最後にしろ』と本当は言ってやりたかったけれど、それを言ってはもっと調子に乗りそうで、少ししゃくだったので、ぐっと堪えた。
返事代わりに今度はこちらから唇を押し付けて、ぼんやりと言い放ってやった。
「……考えておくわ」
それを聞いたパーシヴァルは、やたらと幸せそうに、笑った。