幻水3(パーシヴァル×クリス)
陰険な評議会議員との口論に疲れ果てた美貌の騎士団長は、嫌味なまでに晴れ上がった空の下をゆっくりと歩いていた。
隣には、揃いの銀とオレンジを纏う黒髪の部下。
騎士団長の心身の疲労を気遣ってなのか、彼は表情を変えることなく、上司の歩調に併せて歩いている。
並ぶふたりの距離は、狭くも広くもない。
少しだけ腕を伸ばせば、指先が触れるほど。
丁度、間に子供がひとり入るくらいの。
そんな、距離だった。
ギルドホールを出て以来、ふたりは一言も言葉を交わしていない。
かといって、決して気まずい空気が流れているという訳でもなく、ふたりは淡々と街の正門へと向かって歩いていた。
その道中。不意に、どちらともなく足を止めた。
視線の先には、壮麗に佇む聖ロア教会。出入り口の周囲には、礼服を纏った人々が集っている。
やがて、教会の中から純白の男女が現れた。
男女は慎ましく、手に手を取り合い微笑んでいる。
そんなふたりに向けて、祝福の声と白い紙吹雪が一斉に降り注いだ。
それを受け、溢れんばかりの幸福を抱いた男女は熱い瞳で見つめ合う。
世界で最も、近い距離で。
「結婚の季節、か」
静寂を破った騎士団長の言葉に、部下は若干考えるような仕草で、返す言葉を探った。
「憧れますか?」
それとなしの問いかけで、指先一本分の距離を縮める。
微妙に寄った間隔に、騎士団長はこともなげな素振りで前髪をかき上げた。
「どうだろうな」
騎士団長の返事は素っ気ない。
部下のリアクションもごく薄い。
少し安心したような、気の抜けたような。
部下の指先はそっと元の位置に戻り、またいつもの距離が保たれる。
「……それにしても、長いな」
「何がです?」
「裾だ。ドレスの」
「ウエディングドレスですからね。あんなものでしょう」
「私なら、すぐに裾を踏んで倒れる」
「否定はできませんね」
「言ってくれる」
くす、と騎士団長は微かに笑い、部下もゆるく唇をカーブさせた。
自然過ぎるほどに、淡々としたやりとり。
いつも通りで、いつもと同じ。
狙い済ましたかのように自然な距離が、そこにある。
「ですが、いずれは着ることになりますよ」
「……いいや。私の花嫁衣裳はきっとこれさ」
「甲冑が?」
「騎士団長だもの。それに、結婚するかどうかもまだわからないし」
「願望は、ないのですか」
「どうかな。まあ、ただ――」
言いかけて、やや長めの沈黙が生まれる。
それは、ふたりの安定した間が欠けた瞬間だった。
指先ひとつ分、詰め寄るだけの刹那。
それでもふたりにとっては、大きな揺らぎだった。
「こんな花嫁衣裳の女でもいいなんて言ってくれる奇天烈な奴がいるならば、考えなくもないかな」
今度は騎士団長の方から、指先ひとつ分の距離を狭める。
部下の方もそれに気付き、本当に、ほんの少しだけ、指先が互いに向き合った。
――そんな気がした。
「お前は、どうだ?」
「何がです?」
「こんなウエディングドレスの女と、教会で愛を誓い合いたい?」
スカートの裾を摘んで見上げる、女である騎士団長。
男である部下は、そんな仕草にいつもより親しげな笑みを向けた。
指先ひとつ分から足先半歩分ほどに、距離が狭まった。
「それが、彼女に最も似合うドレスであるのなら」
ふふ。
短く笑い合って。
それきり、言葉は途切れた。
教会から出てきた新婚夫婦が馬車に乗り込み、どこぞへ揺られて行くのを無言で見送った。
それも時期に遠のいて、ふたりはやはりどちらともなく一歩を踏み出し、歩むことを再開した。
「行くか」
「ええ」
「戻るのは少し遅れてしまうな。サロメにどやされないといいが」
「私と一緒ならば、多少の遅刻は計算に入れておられるでしょう」
「違いない」
何事もなかったかのように、並んで歩き出す。
その距離は、やはり狭くも広くもない。
少しだけ腕を伸ばせば、指先が触れるほど。
丁度、間に子供がひとり入るくらいの。
そんな、距離だった。
気持ちを傾ければ、いつでも迫ることも遠ざかることもできる。
いつまでも不動のようで、いつ動き出すかもわからない。
いつかは動き出す?
いつかはいつだ?
明日かもしれないし、十年後かもしれない。
もしかすると、永遠に動くことはないかもしれない。
けれど。
距離が狭まり、隣り合う互いの指先がふと触れ合う瞬間が、いつか、来るといい。
――来ると、いい。
「さあ、行こうか、パーシヴァル」
「はい、クリス様」
そうしてふたりは、いつもと変わらない距離を置いて。
ゆっくり、ゆっくりと歩いてゆく。
隣には、揃いの銀とオレンジを纏う黒髪の部下。
騎士団長の心身の疲労を気遣ってなのか、彼は表情を変えることなく、上司の歩調に併せて歩いている。
並ぶふたりの距離は、狭くも広くもない。
少しだけ腕を伸ばせば、指先が触れるほど。
丁度、間に子供がひとり入るくらいの。
そんな、距離だった。
ギルドホールを出て以来、ふたりは一言も言葉を交わしていない。
かといって、決して気まずい空気が流れているという訳でもなく、ふたりは淡々と街の正門へと向かって歩いていた。
その道中。不意に、どちらともなく足を止めた。
視線の先には、壮麗に佇む聖ロア教会。出入り口の周囲には、礼服を纏った人々が集っている。
やがて、教会の中から純白の男女が現れた。
男女は慎ましく、手に手を取り合い微笑んでいる。
そんなふたりに向けて、祝福の声と白い紙吹雪が一斉に降り注いだ。
それを受け、溢れんばかりの幸福を抱いた男女は熱い瞳で見つめ合う。
世界で最も、近い距離で。
「結婚の季節、か」
静寂を破った騎士団長の言葉に、部下は若干考えるような仕草で、返す言葉を探った。
「憧れますか?」
それとなしの問いかけで、指先一本分の距離を縮める。
微妙に寄った間隔に、騎士団長はこともなげな素振りで前髪をかき上げた。
「どうだろうな」
騎士団長の返事は素っ気ない。
部下のリアクションもごく薄い。
少し安心したような、気の抜けたような。
部下の指先はそっと元の位置に戻り、またいつもの距離が保たれる。
「……それにしても、長いな」
「何がです?」
「裾だ。ドレスの」
「ウエディングドレスですからね。あんなものでしょう」
「私なら、すぐに裾を踏んで倒れる」
「否定はできませんね」
「言ってくれる」
くす、と騎士団長は微かに笑い、部下もゆるく唇をカーブさせた。
自然過ぎるほどに、淡々としたやりとり。
いつも通りで、いつもと同じ。
狙い済ましたかのように自然な距離が、そこにある。
「ですが、いずれは着ることになりますよ」
「……いいや。私の花嫁衣裳はきっとこれさ」
「甲冑が?」
「騎士団長だもの。それに、結婚するかどうかもまだわからないし」
「願望は、ないのですか」
「どうかな。まあ、ただ――」
言いかけて、やや長めの沈黙が生まれる。
それは、ふたりの安定した間が欠けた瞬間だった。
指先ひとつ分、詰め寄るだけの刹那。
それでもふたりにとっては、大きな揺らぎだった。
「こんな花嫁衣裳の女でもいいなんて言ってくれる奇天烈な奴がいるならば、考えなくもないかな」
今度は騎士団長の方から、指先ひとつ分の距離を狭める。
部下の方もそれに気付き、本当に、ほんの少しだけ、指先が互いに向き合った。
――そんな気がした。
「お前は、どうだ?」
「何がです?」
「こんなウエディングドレスの女と、教会で愛を誓い合いたい?」
スカートの裾を摘んで見上げる、女である騎士団長。
男である部下は、そんな仕草にいつもより親しげな笑みを向けた。
指先ひとつ分から足先半歩分ほどに、距離が狭まった。
「それが、彼女に最も似合うドレスであるのなら」
ふふ。
短く笑い合って。
それきり、言葉は途切れた。
教会から出てきた新婚夫婦が馬車に乗り込み、どこぞへ揺られて行くのを無言で見送った。
それも時期に遠のいて、ふたりはやはりどちらともなく一歩を踏み出し、歩むことを再開した。
「行くか」
「ええ」
「戻るのは少し遅れてしまうな。サロメにどやされないといいが」
「私と一緒ならば、多少の遅刻は計算に入れておられるでしょう」
「違いない」
何事もなかったかのように、並んで歩き出す。
その距離は、やはり狭くも広くもない。
少しだけ腕を伸ばせば、指先が触れるほど。
丁度、間に子供がひとり入るくらいの。
そんな、距離だった。
気持ちを傾ければ、いつでも迫ることも遠ざかることもできる。
いつまでも不動のようで、いつ動き出すかもわからない。
いつかは動き出す?
いつかはいつだ?
明日かもしれないし、十年後かもしれない。
もしかすると、永遠に動くことはないかもしれない。
けれど。
距離が狭まり、隣り合う互いの指先がふと触れ合う瞬間が、いつか、来るといい。
――来ると、いい。
「さあ、行こうか、パーシヴァル」
「はい、クリス様」
そうしてふたりは、いつもと変わらない距離を置いて。
ゆっくり、ゆっくりと歩いてゆく。