幻水3(パーシヴァル×クリス)
「良い天気ですね」
ふと隣を歩く男が呟いた。同意を求めているのか、それとも単なるひとりごとなのか。わかりかねて少しだけ迷ったが、なんとなく言葉は返さなかった。それでも奴はまったく気にしない様子で歩く。あまり感情の変化を顔には出さない男だが、今はどことなしか嬉しそうにしているのが読み取れた。
歩き慣れたブラス城の城下。
銀の鎧と橙のスカートを纏い、長い刃物をぶら下げて歩く私。そんな私とほとんど同じような身なりで、やはり長い刃物をぶら下げて歩く彼。そんなふたりが並んで歩くことが、ここ最近で急増している。
「気付いたんですが、これって、いわゆるペアルックってやつですよね」
「寝言は寝てから言うことね」
あまりに唐突でしょうもない発言に、思わず口調が女のそれになる。
「それならうちの団員はみんなペアルックだ」と語調を正してそっけなくあしらうが、男はそれでもどこか楽しげだった。
嬉々とする男の様子に呆れつつ、軽く息を吐いて足を進める。
ブラス城とその城下という小さな箱庭は、自分が断りを入れずに出歩ける最高範囲だ。息抜きが下手な自覚は十二分にあるが、そんな性格であっても、城下をぶらついて気を晴らすという手段には辿りつけた。
昔から何となしにひとり城を出て、ぶらりと城下を散策することが好きだった。今日も今日とて、デスクワークをひと段落させて、城下に出た。
柔らかな午後の日差しを浴びながら、軽く伸びをする。朝からこもりきりだったためか、心なしか体も喜んでいるような気がする。
――今日は茶葉の売っている店にでも顔を出そうか。そう行き先を思案しながら一歩を踏み出したところで、城門近くにいたこいつに出くわしたという次第だ。――いや、この男のこと。恐らく自分が出てくるタイミングを見計らって現れたのだろう。そのあたりは本当に抜け目のない男だ。
目的地に向かい、ふたりで歩く。
行き交う市民や行商人はちらちらとこちらを見るも、決して声を掛けてこようとはしない。ひとりで歩くときはすぐさま囲まれてしまうのに、ふたりで歩くとまず寄ってこない。じっと、そっとこちらを眺めてくるだけ。
「クリス様と一緒だと、のんびり歩けてありがたいですよ」
「厄除けのために私をつかまえたのか?」
「まさか。もちろんデートにお誘いするためですよ。なんなら手でも繋ぎます?」
「阿呆」
この姿でいるときは、清廉潔白でいることが絶対条件。まして、ペアルックの人間と手を繋ぐなんてもってのほか。お話にもならない話だ。
「どうせ、もう気付かれてますよ。だからあんな目で見てくるんでしょう」
「誰のせいだ。誰の」
「さて? 私はしっかり分別をつけてるつもりですが」
「どこが。ついさっきまで手を繋ごうだとか言ってたくせに」
「そうですね……例えば、一人称ですとか」
「細かい話だな」
「目ざとい人間は見ているものですよ。――まあ、本当の違いはあなたが一番よくわかっていらっしゃるでしょう?」
「……ふん」
返す言葉がなくなり、短い返事で会話を切った。
確かに、こうして街を歩くときと、ふたりきりでいるときの奴の態度は、まるで違う。
そう思えば、今は今でギリギリのラインを保っているように思う。しかし、やはりどこか思わせぶりな空気を振り撒いて歩いているのも事実だ。
銀の鎧と橙のスカート。それはこの街の人々の憧れの象徴。私も彼も敬われる華の人。誰かの物ではなく、みんなの物。そういう存在なのだ。それなのに、この男ときたら。
「ね、やっぱり繋ぎましょう。もう着いてしまいます」
「駄目」
「では、腕を組みませんか」
「エスカレートしてどうする。ほら着いたぞ」
辿り着いた本日のデートスポットは、熱のけぶる、街でも有数の鍛冶屋。そこには甘いスイーツも綻ぶ花も見当たらない。あるのは鉄の匂いと、物騒な刃物の数々。それでも、自分たちにとってはお決まりの場所だった。
「いらっしゃいませ! お待ちしておりましたよ。パーシヴァル様の剣、確かに鍛えさせて頂きました」
「いつもすみませんね。……うん、良い出来だ」
「もったいないお言葉です」
「代理の剣も使いやすかったですよ」
「それはどうも。――おや、今日はクリス様もご一緒で」
「うむ。今日も精が出るな、ご主人」
「ええ、いつも騎士様の剣を叩かせて頂いてますからなあ。ありがたいことです。クリス様の剣の具合はいかがです?」
「ああ、そういえば、先日ちょっと刃零れができてしまって。少し見てもらえるか?」
「喜んで。……うん、この程度なら十分と掛かりませんな」
「そうか、ならば頼めるか」
「もちろんです。すぐに仕上げましょう! それまで、狭い店ですがおくつろぎください」
「ああ。よろしく頼むよ」
主人が作業場に下がって行ったのを見計らい、長椅子にふたり並んで腰を下ろす。密着することはなく、かといってひどく離れているわけでもない、微妙な距離感だった。
やがて、奥の部屋からトッテンカンと剣を叩く音がし始める。それ以外は、何も遮るものがない。今日、初めての、ふたりきりの時間。
――けれど、彼は鍛え上げられた刃物に釘付けだ。
「綺麗になったな」
「お前のは美人さんだからな」
「ええ。……って、もしかして妬いてます?」
「まさか」
「俺の大事な恋人は三人いるんです。剣と、馬と、人」
「気が多いと、いつか愛想を尽かされるぞ。特に人の方」
可愛げのない口ばかりを叩くが、奴は特に反論を述べなかった。
代わりに、黙ったまま愛でていた刃物を鞘に収め、壁に立てかける。
そして、そっと手を伸ばしてきた。
かちゃり。
「――」
完全に無防備だった自分の銀色の左手に、そっと手が重なった。それもまた、同じ銀色の手。
「……」
言葉はない。あるのは、奥の部屋からトッテンカンと剣を叩く音だけ。それ以外には何もない、鉄の匂いのする空間にふたりきり。
――もうあと数分で、終わってしまうひととき。
「やっとデートらしくなりましたね」
「こんな色気のない所で、さっきまで別の恋人といちゃついてた奴がよく言う」
「やっぱり妬いてたんじゃないですか」
「違う」の一言は呑み込んだ。
鉄の匂いと、ゆらゆら揺れる熱。
それに浮かされながら瞼を閉じて、鼻先が触れるほどの距離でお互いの息を呑み合って。
瞬きしていたら見逃してしまいそうな、刹那のキスを交わす。
ほやほやの剣を抱えた鍛冶屋の主人だけが、そっとふたりを覗き見ていた。
ふと隣を歩く男が呟いた。同意を求めているのか、それとも単なるひとりごとなのか。わかりかねて少しだけ迷ったが、なんとなく言葉は返さなかった。それでも奴はまったく気にしない様子で歩く。あまり感情の変化を顔には出さない男だが、今はどことなしか嬉しそうにしているのが読み取れた。
歩き慣れたブラス城の城下。
銀の鎧と橙のスカートを纏い、長い刃物をぶら下げて歩く私。そんな私とほとんど同じような身なりで、やはり長い刃物をぶら下げて歩く彼。そんなふたりが並んで歩くことが、ここ最近で急増している。
「気付いたんですが、これって、いわゆるペアルックってやつですよね」
「寝言は寝てから言うことね」
あまりに唐突でしょうもない発言に、思わず口調が女のそれになる。
「それならうちの団員はみんなペアルックだ」と語調を正してそっけなくあしらうが、男はそれでもどこか楽しげだった。
嬉々とする男の様子に呆れつつ、軽く息を吐いて足を進める。
ブラス城とその城下という小さな箱庭は、自分が断りを入れずに出歩ける最高範囲だ。息抜きが下手な自覚は十二分にあるが、そんな性格であっても、城下をぶらついて気を晴らすという手段には辿りつけた。
昔から何となしにひとり城を出て、ぶらりと城下を散策することが好きだった。今日も今日とて、デスクワークをひと段落させて、城下に出た。
柔らかな午後の日差しを浴びながら、軽く伸びをする。朝からこもりきりだったためか、心なしか体も喜んでいるような気がする。
――今日は茶葉の売っている店にでも顔を出そうか。そう行き先を思案しながら一歩を踏み出したところで、城門近くにいたこいつに出くわしたという次第だ。――いや、この男のこと。恐らく自分が出てくるタイミングを見計らって現れたのだろう。そのあたりは本当に抜け目のない男だ。
目的地に向かい、ふたりで歩く。
行き交う市民や行商人はちらちらとこちらを見るも、決して声を掛けてこようとはしない。ひとりで歩くときはすぐさま囲まれてしまうのに、ふたりで歩くとまず寄ってこない。じっと、そっとこちらを眺めてくるだけ。
「クリス様と一緒だと、のんびり歩けてありがたいですよ」
「厄除けのために私をつかまえたのか?」
「まさか。もちろんデートにお誘いするためですよ。なんなら手でも繋ぎます?」
「阿呆」
この姿でいるときは、清廉潔白でいることが絶対条件。まして、ペアルックの人間と手を繋ぐなんてもってのほか。お話にもならない話だ。
「どうせ、もう気付かれてますよ。だからあんな目で見てくるんでしょう」
「誰のせいだ。誰の」
「さて? 私はしっかり分別をつけてるつもりですが」
「どこが。ついさっきまで手を繋ごうだとか言ってたくせに」
「そうですね……例えば、一人称ですとか」
「細かい話だな」
「目ざとい人間は見ているものですよ。――まあ、本当の違いはあなたが一番よくわかっていらっしゃるでしょう?」
「……ふん」
返す言葉がなくなり、短い返事で会話を切った。
確かに、こうして街を歩くときと、ふたりきりでいるときの奴の態度は、まるで違う。
そう思えば、今は今でギリギリのラインを保っているように思う。しかし、やはりどこか思わせぶりな空気を振り撒いて歩いているのも事実だ。
銀の鎧と橙のスカート。それはこの街の人々の憧れの象徴。私も彼も敬われる華の人。誰かの物ではなく、みんなの物。そういう存在なのだ。それなのに、この男ときたら。
「ね、やっぱり繋ぎましょう。もう着いてしまいます」
「駄目」
「では、腕を組みませんか」
「エスカレートしてどうする。ほら着いたぞ」
辿り着いた本日のデートスポットは、熱のけぶる、街でも有数の鍛冶屋。そこには甘いスイーツも綻ぶ花も見当たらない。あるのは鉄の匂いと、物騒な刃物の数々。それでも、自分たちにとってはお決まりの場所だった。
「いらっしゃいませ! お待ちしておりましたよ。パーシヴァル様の剣、確かに鍛えさせて頂きました」
「いつもすみませんね。……うん、良い出来だ」
「もったいないお言葉です」
「代理の剣も使いやすかったですよ」
「それはどうも。――おや、今日はクリス様もご一緒で」
「うむ。今日も精が出るな、ご主人」
「ええ、いつも騎士様の剣を叩かせて頂いてますからなあ。ありがたいことです。クリス様の剣の具合はいかがです?」
「ああ、そういえば、先日ちょっと刃零れができてしまって。少し見てもらえるか?」
「喜んで。……うん、この程度なら十分と掛かりませんな」
「そうか、ならば頼めるか」
「もちろんです。すぐに仕上げましょう! それまで、狭い店ですがおくつろぎください」
「ああ。よろしく頼むよ」
主人が作業場に下がって行ったのを見計らい、長椅子にふたり並んで腰を下ろす。密着することはなく、かといってひどく離れているわけでもない、微妙な距離感だった。
やがて、奥の部屋からトッテンカンと剣を叩く音がし始める。それ以外は、何も遮るものがない。今日、初めての、ふたりきりの時間。
――けれど、彼は鍛え上げられた刃物に釘付けだ。
「綺麗になったな」
「お前のは美人さんだからな」
「ええ。……って、もしかして妬いてます?」
「まさか」
「俺の大事な恋人は三人いるんです。剣と、馬と、人」
「気が多いと、いつか愛想を尽かされるぞ。特に人の方」
可愛げのない口ばかりを叩くが、奴は特に反論を述べなかった。
代わりに、黙ったまま愛でていた刃物を鞘に収め、壁に立てかける。
そして、そっと手を伸ばしてきた。
かちゃり。
「――」
完全に無防備だった自分の銀色の左手に、そっと手が重なった。それもまた、同じ銀色の手。
「……」
言葉はない。あるのは、奥の部屋からトッテンカンと剣を叩く音だけ。それ以外には何もない、鉄の匂いのする空間にふたりきり。
――もうあと数分で、終わってしまうひととき。
「やっとデートらしくなりましたね」
「こんな色気のない所で、さっきまで別の恋人といちゃついてた奴がよく言う」
「やっぱり妬いてたんじゃないですか」
「違う」の一言は呑み込んだ。
鉄の匂いと、ゆらゆら揺れる熱。
それに浮かされながら瞼を閉じて、鼻先が触れるほどの距離でお互いの息を呑み合って。
瞬きしていたら見逃してしまいそうな、刹那のキスを交わす。
ほやほやの剣を抱えた鍛冶屋の主人だけが、そっとふたりを覗き見ていた。
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