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幻水3(ゼクセン騎士団)

 ゼクセン騎士団が誇る誉れ高き六騎士たちで密やかに催された酒宴は、最高潮を越えて静かなひとときを迎えていた。
 宴会場となったブラス城のサロン。テーブルを挟んで向い合せに酒を飲み交わすのは、長身のエルフと同じく長身で大柄な騎士。
 六騎士たちで酒を飲み交わすとき、最後に残るのはきまって彼ら――レオとロランだった。
 残る騎士たちと言えば、クリスとサロメは「酒にあまり強くない」といった口実で早めに切り上げてしまうことが多いし、ボルスとパーシヴァルは互いに酔わせようと煽り合っては相打ちとなる。
 今日も今日とて麗しき騎士団長と切れ者の副団長はいわゆる「一次会」の段階で自室に引き上げ、度数の高いウォッカを飲み比べて意地の張り合いをしていた男ふたりは、ものの見事に酔い潰れてサロンの床に転がっている。
 こうなっては騎士団の両翼たる烈火と疾風も台無しだ。
 彼らに心酔する若い町娘たちがこの惨状を目にしたなら、さぞショックを受けることだろう。

「ようやく静かになったな」
 寝言のような、言葉のかたちをなしていない呻きをときおり上げるふたりを見下ろしながら、レオはロランのグラスに新しいワインを注ぎ入れた。
「まったくこいつらときたら、毎回毎回これでは話にならん」
 呆れ気味に半分ほどになっているグラスの中身をぐいと飲みきったレオの言葉に、ロランはふと含みのある笑みを浮かべた。
「なんだロラン。なにがおかしい」
「……いえ、ガラハド様とペリーズ様が存命だった頃は、レオ殿も似たような飲み方をしていたと思いまして」
「甘いな。俺がこいつらくらいの頃は、酒樽をひっくり返されて頭からワインをかぶるのが恒例だった。こいつらの潰し合いなど可愛いもんだ」
 ふん、と鼻を鳴らすレオは得意げながらもどこか元気がない。表情にかげりがある、と言った方が正しいだろうか。通常ならばここで「酔ったのだろうか」と思うところだが、ロランがその発想を浮かべることはなかった。
 レオは敵陣の中心に飛び込んでも倒れない鉄壁の肉体と守りを誇ることから、世間では『鋼鉄の騎士』と呼び讃えられている。しかし、強靭なのはそれだけではない。彼はどんなに酒を飲もうとも酔わず、飲まれることのない強靭な肝臓の持ち主でもあるのだ。今日の摂取した酒量などで、彼が酔うことはまずありえない。それこそ、今の思い出話のように樽いっぱいの酒をかぶるくらいでないと難しいだろう。
 では、浮かない理由は何か。ロランは先ほど彼がしたように、空になったレオのグラスにワインを注ぎながら、無表情で思考を巡らせる。
「……まあ、確かに俺の飲み方は変わったな」
 なみなみと赤いワインが注がれたグラスをくゆらせながら、レオがぽそりと呟いた。
 彼はロランの肩越しに見える窓の外を見据える。日付変更線も越え、すっかり深い夜の闇に包まれたゼクセンの空には煌々と輝く満月。それを見つめる目を細め、レオは静かに言葉を紡ぐ。
「今は飲み比べやバカ騒ぎをするよりも、こうしてお前と静かに飲んでいる方が心地良い」
「光栄です」
「単に年のせいなのか、飲む相手が変わったせいなのか、理由はわからんがな」
「ものごとに変化が生じるのは、世の常です」
「ああ。特に命のやり取りをする立場にいると、どうしてもな。――ただ、」
「ただ?」
 思わせぶりな言葉の区切りをするレオに、ロランは首を傾げる。
 彼の双眸は、まだ月を見つめていた。そして、遠く遥か彼方にある何かに思いを馳せるようにして、彼は口を開く。
「酒飲み仲間がある日突然にいなくなるのは、やはり寂しいものだ」
 その言葉を聞いた瞬間、ロランは僅かに息を詰まらせ、今宵の月のような金の瞳を見開く。
 彼が満月の先に見据えるもの。それは、一年前の戦いで失った前団長と副団長。……いや、それ以外にも、失ってきた多くの同胞たちのことをも指しているのだろう。
 その思いは痛いほどに理解できる。自分もまた、多くの仲間を失ってきているのだから。
「なあ、ロラン」
 視線を月からロランに移したレオの瞳は、既にいつもの生気に満ちたものに戻っていた。幾分かの安堵を感じながら、ロランは目線を交わらせる。
「なんでしょうか」
「お前は、先にいなくなってくれるなよ」
 再び、ロランは目を見開いた。今度はグラスを口元に運びかけていた手まで止めてしまう。
 次に漏れるのは溜息と、微かな苦笑。
「レオ殿も、なかなかに酷なことを仰る」
「なぜだ?」
「私が不慮の死を遂げないとなると、私があなたを――いえ、あなただけではなく彼らや皆の子孫のことも見送らなくてはならなくなります。寂しいことですよ。それは」
 エルフである自分の寿命は、人間の彼らよりもずっとずっと長い。戦場で命を落とさずに生命を刻むとなれば、数多の命の終わりを見届けることになる。理解はしつつも、それは今から考えるだけで目眩がしそうなほどに、やるせない。
「そうか? お前は寂しいかもしれんが俺は安心だ。なんせ、お前が長く騎士団に居続けるとなれば、安心して後を任せて逝けるからな」 
「それもまたプレッシャーですよ。私ひとりでどうにかできるものでもありませんし」
「ははは、お前のそういう現実をよく見ているところは好きだよ。うちは夢見がちな連中が多いからな」
 朗らかに笑いながら、レオは四分の三ほど残っていたワインを一気に飲み干した。ロランはまるでジュースを飲むようだな、と苦笑する。しかし、彼ららしさが戻って来たことにこの上ない喜びを感じていた。こうしてふたり静かに飲むのを好ましいと思っているのは彼だけではない。
 いつか、彼とは違う誰かと酒を飲み交わしたときに、今この時を懐かしむこともあるだろう。そのとき、自分もまた、先ほどの彼と同じように遠くを見据える日がくるのかもしれない。
 ――しかし。

「まあ、お前の寿命ほどに生きるのは無理だが、できるだけ長く生き延びてはみせるさ」
「そうしていただけると助かります」
 強く同意して頷く。
 彼を思い出の人にするのは、まだまだ遠い先の話でなくてはならない。彼だけではない。今そこの床に転がっているふたりも、自室で眠りに就いているであろうふたりも。そして、多くの同胞たちも。少しでも長く同じ時間を過ごすために――自分は弓を握る。
 グラスを傾けながら、ロランは固く心に誓った。
「よし、ふたりとも飲み乾したところで、もう一本空けるか」
 言いながら、レオはテーブルの上に載る未開封のワインボトルを握る。いかにも高級そうなラベルが貼られたそれを見やったロランは、微かな焦りを見せた。
「それはボルス殿が自慢するために持ってきた年代物のワインでは?」
「まあいいだろう。ワインだってただコレクションされてその辺に飾っておかれるよりも、飲んでもらった方が幸せだろう」
「……そうですね」
 いかにもレオらしい理由に、ロランはらしくもなく破顔する。どうやら彼のペースにつられ、少し酔ったらしい。思い、開封されたワインの極上の香りに心躍らせながらロランは瞑目し、今このひとときの空間を噛み締めた。

 ――翌朝、目覚めるなり空になったコレクションのワインボトルを目の当たりにしたボルスは、それは悲痛な叫び声を上げたという。
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