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幻水3(ゼクセン騎士団)

『既に知っている者も多いと思うが、我が騎士団は戦場において常に二人一組で戦うことを旨としている。今までは単独の訓練に重きを置いてきたが、そろそろお前たちもコンビネーションの戦術を学ぶ時期だ。手始めに、来週の全部隊合同訓練で二対二のトーナメント戦を行う。各自で組を作り、準備をしておくように。優勝者には褒賞も検討している。鍛錬を怠るなよ』

 ――教官である先輩騎士からそのような指令を出されてから早五日。
 従騎士ボルス・レッドラムは苛立っていた。
 ぎらぎらとした日差しが照りつける午後。ブラス城の訓練場はうだるような熱気で包まれている。土埃でこもった空気。乾く喉。服が汗で肌に貼りつく感触――。いつもなら訓練に集中しきって気にもならない環境が、今はひどく煩わしい。まとわりつく不快感が、剣を握る手に余計な力を加えさせた。
 不意に、ふらりとした残像がボルスの視界の端でちらつく。所在なさげに揺れる頼りない背中。それは、先ほどから腹の中に居つく苛立ちをふつふつと煮えたぎらせている元凶だった。
「……どけっ!」
 いよいよ我慢ができなくなり、ボルスは一声と共に大きく一歩を踏み込んで、ちらつく人影を退けた。その流れのまま、向かい合っていた対戦相手に正面から突進をかける。こちらの勢いに相手が怯んだ隙を、ボルスは見逃さなかった。
「うわっ!」
 握りしめていた木製の模擬刀を、下から上へ掬い上げるように振り抜く。剣先は避けようとする相手の動きを的確に追い詰め、脇腹あたりを強打した。バランスを崩した体はへなへなと沈み、あっさり膝をついてしまう。
「ってえ……!」
 崩れた体から、低い呻きが漏れる。打たれた部分を抑えながらうずくまる同期の従騎士を、ボルスは荒げた息を整えながら黙って見下ろしていた。
「大丈夫か!?」
 負傷した従騎士とコンビを組むもうひとりの従騎士が、慌てて相棒に駆け寄った。
「――おい、ボルス! ひどいじゃないか! たかが訓練で本気になるなんて!」
 相棒は苦しむ同期に代わって悲痛な面持ちで訴える。しかし、ボルスは彼らに頭を下げることはしなかった。それどころか、厳しい眼光を曇らせることなく、まっすぐに言い返してみせた。
「バカらしい! この程度の攻撃も避けられないんじゃ、話にならないな」
「なんだと!?」
「大体、こいつが避けられないのなら、コンビを組むお前がフォローするべきだったんじゃないのか? それが二人一組で戦うってことだろう?」
「なっ……!」
 痛いところを突かれて返す言葉ないのか。従騎士ふたりは揃いも揃って押し黙ってしまう。
「俺たちは騎士になるんだ。そんなザマじゃ、いつまで経っても戦場になんか出して貰えないぞ」
 きっぱりと言い切って、踵を返す。
 そのまま大股で歩き始めて、彼らから遠く距離を作っていく。
「……ふう」
 歩きながら漏れたのは、小さな溜息だった。得意ではない口ゲンカで珍しく勝てた割に、気分はまったくもって晴れない。当然だ。元々の原因はあのふたりではない。わかっている。そんなことは。
「ボルス、待ってくれよ!」
 後ろから追いかけてくる人間のか細い声に、ピタリと足を止めた。振り向いた先にいたのは、先ほど自分が退けた、ふらふらとした残像――自分とコンビを組んでいた同期の少年だった。
「やっぱりお前はすごいな! 俺、お前と組めて本当に良かったよ」
 へらへらとした笑顔と賛辞を受けて、模擬刀を握る右手にぐっと力が入る。
「お前の言うとおりだよ、あいつらみたいに遊び半分でやってる奴は、いつまで経っても正騎士になんかなれっこないよなあ」
 得意げにつらつらと語る同期から、先ほどの頼りなさは微塵も感じない。とても同一人物とは思えないほどにご立派な演説だった。
 話を聞き続けるうちに、感情を走らせる箇所が手だけでは足りなくなってくる。ボルスは奥歯を強く噛み締めて、つま先にも力を込めた。それでも収まりきらなくなると、今度は全身が小さく震え出した。爆発して砕け散りそうな何かが、みるみるうちに膨らんでいくのが自分でも鮮明に感じられていた。
「明後日の優勝は俺たちで頂きだな!」
 膨張した感情は、同期が気安く肩を叩いてきた瞬間に破裂した。
「誰がお前なんかと組むものか!」
 腹の底から、渾身の怒声を放つ。ぶつけられた同期は驚きにびくりと肩を竦め、付近にいた従騎士たちも訓練の手を止めて、何事かとこちらに目を向けている。
「え、ボルス、なんで……」
 たどたどしい口ぶりで問う同期の怯えようは、先ほどの対戦での臆病な動きに見事重なった。
「……くっ!」
 なぜ自分が怒鳴られたのかもわかっていない様子には、さすがのボルスですら何かを言う気も失せてしまう。深い溜息を吐き、できる範囲で理性を立て直す。そして、ボルスはいくらか落ち着いたトーンで、決別の言葉を突きつけた。
「俺とお前では合わない。……悪いが、他をあたってくれ」
 そう言い残して、今度こそ訓練場を後にした。
 その場を完全に立ち去るまで、従騎士たちの視線は自分に向き続けていた。

 訓練場から人気のない裏庭に辿り着くなり、たまらず城の壁を殴りつけていた。
「くそっ!!」
 破裂してもなお、怒りの残骸は体内に残り続けている。いつも口先ばかりで、いざというときにはロクな動きもできない臆病な同期。フォローし合わなければならない相手ができれば多少は変わるかと期待をしてみれば、あのザマだ。戦場に出て真っ先に斬られるのは、対戦したあの従騎士コンビなどではない。間違いなく、あの同期の方だ。
 殴りつけた拳はもちろん痛い。しかし、どこかにぶつけでもしないと頭がおかしくなってしまいそうだった。自分の剣で己を、家族を、そして、この国を守らんとして騎士団に入った人間が、努力もせず誰かの腰巾着でいることを良しとする現実。他人の力を自分の力と錯覚していい気でいられる無神経さ。理解しがたく、許しがたい。同じ空気を吸うことにも吐き気がしそうなほどの嫌悪感が全身を包みかけている。
「あまり壁に当たると、剣が握れなくなるぞ」
 冷静で的確な指摘が、悶々とし続けるボルスの意識に僅かな空白を作る。
「誰だ!?」
 声のする訓練場の方向を見やると、十メートルほど離れたところに、同じ従騎士の鎧を纏った少年が立っていた。年は自分と同じくらいだろうか。黒に近い茶の髪を後ろに立てた奇妙な髪型をした少年は、大人びた含みのある笑みを浮かべている。
「友人相手にずいぶんとシビアだな」
「……見てたのか?」
 従騎士は涼しげな面持ちでコクリと頷く。その余裕ぶった仕草がどこか気に食わないと思いながらも、ボルスはぶっきらぼうに言葉を投げた。
「仲良しこよしの付き合いで騎士になんかなれっこない」
「同感だな」
「あいつはそれがわかってない」
「ああ」
「志も持たない相手に、どうして背中が任せられる?」
「そうだな。お前の言うとおりだ」
「……」
 奇抜な髪型の従騎士は、意外なことに反論もせず、静かに同意の相槌を打ってくれた。吐き出していく内に、ボルスは自分の中にある苛立ちが少しずつ削れて消えていくのを感じていた。本当なら、あと何発かは壁にぶつけるはずだった怒り。それが、初対面の名前も知らない相手によってうやむやにされようとしている。
 ――こいつは、何者だ?
 鬱憤が薄れ、心の余裕が少し持てたことにより、ボルスの中に初めて彼への興味が宿る。
「……お前、名前は?」
「パーシヴァルだ。話すのは初めてですな。ボルス・レッドラム卿」
 ――パーシヴァル。おどけた口調で紡がれた名前には記憶があった。
 先日の中途入団試験で入ってきた中に、若干十六歳でありながら抜きんでた剣術と馬術で大人の志願兵ですら出し抜いた奴がいたとか。そいつの名前が、確か、パーシヴァル。どんな奴なのか興味はあったが、別部隊の配属に決まったということもあり、なかなかその顔を見ることができずにいた。まさか、こんな形で顔を合わせることになろうとは。
 改めてパーシヴァルと名乗った少年の瞳を見据える。彼はやはり、薄く笑うだけった。

 ――解散するタイミングも見つからず、ふたりはいつの間にか城の壁に寄りかかって座り込んでいた。照りつける日差しはなおも厳しい。しかし、先ほどのような不快感はなかった。
「――二対二の対戦訓練は明後日だが、コンビを組む宛はあるのか?」
 何気ないパーシヴァルの問いは、戻りかけていたボルスの平静を微かに奪う。ボルスはふてくされ気味に「さあな」と呟いてそっぽを向いた。
「そういうそっちは、大層いい相手が見つかったんだろうな。羨ましいことだ」
 ちらりと横目に見やる。パーシヴァルは相変わらず口の端を上げて笑んでいたが、その表情は先ほどとは少し毛色が違うように思えた。「どこがどんな風に」と表現するのは難しいが、明らかに何かが違っているように見える。
「あいにく、田舎者と手を組んでくれる変わり者が見つからなくてね」
「……田舎者?」
 言葉の意味が解らず、ボルスは素直に聞き返した。
「田舎者って、誰が?」
「……そういうタイプには見えないが、もしかして嫌味で言っているのかな」
「何がだ?」
 本当に何を言っているのか? さっぱりわからず、ボルスは頭の上にいくつものクエスチョンマークを浮かべて首を傾げる。やがて、そのリアクションが嫌味でも演技でもないことを察したパーシヴァルは、少し戸惑った後に、静かにその答えを口にした。
「……田舎者は、今、お前の目の前にいる奴だよ」
 その答えを受けて、少しの間が生まれる。ボルスの頭の中がすっきり整理されたのは、それから一分ほどの間をおいてからのことだった。
「……へえ。そうだったのか」
 思ったままを口にすると、パーシヴァルは意外そうな面持ちで見つめ返してきた。
「我ながら、団内で知らない奴がいない程度には有名だと思っていたんだがな」
「そうか? 俺は初耳だが。――で、他の奴らはそれだけでお前と組むのを嫌がってるのか?」
「それを俺に聞かれてもな。あいつらに聞いてくれ、としか言いようがない」
「……ふうん」
 ボルスは腕を組んで、視線を少しばかり地面へと向けて考えこんだ。
 ――目の前にいる従騎士は、大人の志願兵を負かして騎士団に入ってきたという。もし、それが本当ならば、対等、あるいはそれ以上の――。
 思考を巡らせるにつれ、心がうずく。それは急速に動き出して、いてもたってもいられない衝動をボルスにもたらした。
「なあ、だったら、俺と組んでみないか?」
 誘いの言葉は決心とほぼ同時に零れていた。それは思い立ったボルス自身にとってはごく自然なタイミングでの発言だったのだが、相手のパーシヴァルにとってはあまりに唐突で意外なものだった。今までの余裕めいた表情は消え去り、パーシヴァルは目を見開いて、しきりに瞬きを繰り返している。
「……本気で言ってるのか?」
「初対面の相手に冗談を言う意味なんかないだろ」
「初対面の相手にコンビを組まないかと誘ってくるのもかなり珍しいと思うんだが」
「そうか? でも、俺はお前の腕が優れてるって話は前々から聞いていた。だから誘ってみたんだが……ダメか?」
 じっと、ボルスはまっすぐな双眸でパーシヴァルを見据える。互いの視線は一直線上でしっかりと結びつき、そのまましばらくの間が流れた。
 最終的に折れたのは、パーシヴァルの方だった。
「――わかった。組むよ。俺も『相手が見つからなくて不戦敗』ってのは避けたいしな」
「そうか! よろしくな!」
「ああ、こちらこそ」
 どちらともなく差し出した手で握手を交わし、その日はそのまま解散となった。
 その夜、怒鳴りつけた同期からは涙ながらに謝られてもう一度コンビを組もうと懇願されたが、断固として了承はしなかった。

 ――二日後。
 ふたりは従騎士たちの好奇の視線に晒されていた。上流騎士貴族の子息が田舎者とタッグを組むという事実は、従騎士たちの間に大きな衝撃をもたらした。当然ながら様々な憶測も飛び交い、根も葉もない噂話がそこかしこから囁かれている。
「……おい! 文句があるならはっきり言え!」
 憤りを隠すこともせず、ボルスはすぐ近くでひそひそ話をする従騎士たちを怒鳴りつけた。彼らは「ひっ」と怯えるなり、そそくさとその場を去って行ってしまう。
「まったく、なんだっていうんだ!」
「放っておけ。腹を立てるだけ無駄だ」
 息巻くボルスに対し、隣に立つパーシヴァルは至って冷静だった。
「放っておけって……お前は気にならないのか!?」
「もう慣れた。――それに、ああいう連中にはな、実力を見せつけるのが一番なんだ。面白いくらいに黙り込むぞ」
「そういうものか?」
「ああ。俺が入団するときもそうだった」
 その答えと自信ありげな笑みには、確かな説得力があった。通常、騎士を志す子供というのは、首都にある騎士養成学校という専門の学校を経て、騎士団に入る流れをとっている。しかし、こいつは違う。パーシヴァルは騎士志願をする大人たちに混じって入団してきたのだ。入団試験では大人の戦士でも落とされる者がいると聞く。入団までの困難さは、想像するに難くない。
「大変だったんだな……」
「それほどでもないさ」
 軽い口調で言いのけているが、高いハードルを越えてきた人間の言葉というのは、やはり重みが少し違う。感心し、ボルスは何度も頷いた。
「おい、そこのふたり! 次はお前らの番だぞ」
「あ! は、はい!」
 審判役の上官に促され対戦相手の待つフィールドへと向かう。道中、ボルスはふとした不安を覚えて、パーシヴァルに耳打ちした。
「そういや、部隊が違うせいであれからほとんど訓練もできていないが、大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫だ。お前は好きに戦ってくれて構わない。俺がそっちの動きを見ながら合わせるよ。そういうのは得意なんでね」
「……わかった。俺もその方がやりやすい」
 ――果たして、実力はいかなるものなのか。まだ見ぬ新たな相棒の力に期待と不安を抱きながら、ボルスは戦いの舞台へと上がった。

 ――不安が杞憂であったことを思い知ったのは、それから数分後のことだった。パーシヴァルの実力は想像以上のものだった。素早い身のこなしに、巧みな剣技。特に相手の一手を弾いてからの突き返しは驚くほどの鋭さで、耐えられた従騎士は誰ひとりとしていなかった。
 しかし、それ以上に感銘を受けたのは、驚くほどの戦いやすさだ。パーシヴァルはこちらの動きを見計らい、絶妙なタイミングでフォローを入れてくる。こちらも余計な気遣いをすることなく思う存分暴れられ、気づけば、対戦したすべての組をものの数十秒で蹴散らしていた。
「す、すげえ……」
 訓練場の中心で無傷で立ち尽くすふたり。嵐のような勢いで優勝をかっさらったふたりに、それ以上、何か口を挟むような者はいなかった。

 陽も傾きかけた頃、誰もいなくなった訓練場の隅でふたりはぼんやりと夕焼けを眺めていた。
「あーあ、褒賞っていうから正騎士昇格を期待してたのに。なんだよこれ」
 ぶつくさとぼやくボルスの手には、ペンダントと思しきものが握られている。金のチェーンにぶら下がっている大ぶりの装飾。細かな金細工の型には、燃えるような赤い色の宝石がはめ込まれている。上官曰く『アミュレット』という装飾品のひとつで、ゼクセで出回るものの中でも、それなりに高価なものらしい。
「確かに。きっと良い物なんだろうが、ちょっと期待外れだったな」
 隣で同調するパーシヴァルの手の中にも同じデザインのアミュレットが握られている。こちらの宝石は透きとおるような青い色で、ときおりうっすらとした光を放っている。
「――ま、いいさ。焦ってもいいことはない。じっくりやるとするよ」
 言いながらパーシヴァルはアミュレットをポケットの中にしまいこみ、腰を上げた。それから、まだ座り込んでいるボルスにふと笑いかける。
「今日は楽しかったよ。まあ、部隊も違うし、今後はもう組むことはないと思うが――」
「は? 何を言ってるんだ?」
 パーシヴァルの別れの口上を遮ったのは、その言葉を受けていたボルス本人だった。ボルスは立ち上がり、まっすぐな目でパーシヴァルを見据える。
「俺はお前と組む。部隊なんて関係ない」
「……え?」
「お前になら、背中を預けられる」
「いや、ちょっと待て。今回のは――」
「お前の実力に釣り合う奴なんか他にいない。俺と組め、パーシヴァル」
 強引さをふんだんに含んだボルスの言葉に、パーシヴァルは目を見開いた。
 初めてコンビを組んだ二日前と同じく、ボルスはまっすぐな双眸でパーシヴァルを見据える。互いの視線は一直線上でしっかりと結びつき、そのまましばらくの間が流れた。
 折れたのは、やはりパーシヴァルの方だった。軽く吹きだして苦笑する少年は、今もまだ真剣なまなざしを向けるボルスに言い放つ。
「お前、そういうところはお坊ちゃまって感じだな」
「なんだと?」
「ああ、すまんすまん。悪い意味で言ったわけじゃないんだ。……わかったよ。その言葉、後悔させないように努力する」
「……? 了承してくれた、ってことでいいのか」
「そう判断してくれて構わない」
 どこか含みを感じさせる返答に、ボルスは眉根を寄せて首を傾げる。
「お前は、ときどき難しい言い回しをするな」
「そうかな」
「……まあいいや。じゃあ、改めてよろしくな、パーシヴァル」
「ああ、よろしく」
 再び、どちらともなく差し出した手で握手を交わす。

 ふたりが同期は愚か先輩の従騎士たちをも出し抜いて、一気に正騎士への階段を上り詰めていったのは、それから少し先の話。
 更に、騎士団の戦陣の両翼を守る双璧になるのは、更に少し先の話になる――。
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