幻水3(ゼクセン騎士団)
徐々に崩れ落ちる遺跡。後方からは迫りくる無数の魔物。状況はこれ以上にないくらい、絶望的だった。
息を切らしながら、出口に向かって長い通路を全力で駆け抜ける。しかし、あの真の風の紋章の持ち主が生み出した化身と激戦を繰り広げた直後では、足は鉛のように重い。長年の付き合いでもはや体の一部のようになっているはずの甲冑の重みも全身にずしりとまとわりつき、煩わしさに舌を打つ。
魔物の唸りは容赦なく押し迫ってくる。その群れに飲み込まれたなら最後、形容もできない凄惨な死を迎えることになるだろう。想像もしたくない最期を思い浮かべると、恐怖に身が竦むのも通り越し、笑いすら浮かんできてしまう。
――このままでは、間に合わないな。
思うとほぼ同時に、足を止めた。
「どうした、パーシヴァル!」
「足止めします。ここは私にお任せください」
「何を言う! どれだけの魔物がいると思ってるんだ!」
「ふむ、どのくらいでしょうねえ。なんなら、数えてみますか」
「バカが! そんなこと言ってる場合か!」
レオに怒鳴られ、形ばかりに肩を竦めて笑ってみせた。
見得を切ったものの、実のところ特別どうにかできる自信があったわけではない。ましてや、不必要に格好をつけたかったわけでもない。それが、今、この状況下にいる自分の役割であると判断しただけだ。
――そして、それは奴も同じだったらしい。
「俺も残ります」
「ボルス、お前まで!」
「少しでも時間稼ぎができれば、皆の脱出もたやすい。このままでは全員あの化け物の群れに飲まれて終わりです」
「だが!」
我らが団長は眉を顰め、なんとも言えない表情を浮かべる。自分を含め、この場にいる連中はそろいもそろって彼女のその顔に弱い。特に、隣に立つ男にとっては心を揺さぶる大きな要素になるだろう。
――さて、どうなることやら。横目に見やり、様子を窺う。
「大丈夫です。俺たちもすぐに向かいます」
――おや。
予想に反して強固な意志を示した男に、内心で軽く詫びた。そして、その意志を同じ意志で包むように、言葉を重ねた。
「心配なさらず。きっと戻ります」
「……わかりました」
冷静な副団長は、隣で惑う団長が判断を下す前に頷き、他の者に前進を促した。しかし、そんな彼もまた、心配そうな面持ちでこちらを見据える。
「おふたりとも、あまり無理はなされぬよう」
「無茶はしても、無理はしないつもりです」
ボルスの言葉にその通りと言わんばかりに頷いた。今日の彼はどうにも冴えている。遺跡に入ったときに立てた誓いで、恐らく色々なものが吹っ切れたのだろう。
「ふたりとも……死ぬなよ」
クリスの声は震えていた。
自分たちを部下として扱う立場であり、多くを生かすためにこの役割を買って出た自分たちを理解しつつも、それ以上に親しい者の生を願う声。一団のトップにしては未熟なのかもしれないが、彼女のそういった人間らしさは、いずれ大きな武器にもなり得るだろう。
仲間たちは自分たちを気にかけつつも再び出口へ向かい駆け抜けていく。その姿はすぐに見えなくなった。
残されるは、ふたり。まだ肉眼では確認できないが、魔物の地鳴りのような唸りはすぐ傍まで近づいている。
「さて、やるか」
魔物が向かってくる通路の奥、地獄に続く闇のような先を見据え、ボルスはつぶやく。
こちらも奴の顔を見ることなく、同じ闇を並んで眺めた。
「その前に、ひとつ残念なお知らせがある」
「なんだ」
「実は、さっきの戦いで水魔法を使い切ってしまった」
「なに?」
「回復はもうできない」
「……そうか。それなら俺もだ」
「ん?」
「とっておきの特効薬を、さっきの戦いのときにヒューゴにくれてやった。俺も薬の持ち合わせがない」
「それはそれは」
僅かばかりの、無言の間。
どちらともなく、軽く息を吐いた。
「……ま、後がないのもいいか」
「ああ、いっそ覚悟がつく」
“覚悟”の言葉を合図に、それぞれの愛剣を鞘から引き抜いた。
造形はほぼ同じでありながら、微細な色や重さは異なる刃。
そこには決戦の前に立てた誓いと、ある意味ではそれ以上に強大な“生への覚悟”が宿っている。
「パーシヴァル」
「なんだ」
「背中は任せたぞ」
「……そんな言葉をボルス卿の口から聞けるとは」
「文句でもあるのか?」
「いいや。嬉しすぎて、このまま昇天してしまいそうだ」
「茶化すな。どうせ死ぬなら、あの化け物どもを少しは道連れにしていけ」
魔物の群れ、その先頭が見えた。
人ならざる姿をした、おぞましい魔物たち。その姿にふさわしい唸り声を上げ、狭い通路にひしめき合うように迫ってくる。
「――行くぞ」
「ああ」
本来は片手用の剣を両手に握り締める。
合図は不要だった。声を発することもなく、ふたり同時に地面を蹴った。
奴らに負けず劣らずの咆哮を腹の底から絞り出す。
背中は預け、目の前にだけ集中し――。
おびただしい数の魔物の群れに、ふたりして真っ正面から突っ込んだ――。
息を切らしながら、出口に向かって長い通路を全力で駆け抜ける。しかし、あの真の風の紋章の持ち主が生み出した化身と激戦を繰り広げた直後では、足は鉛のように重い。長年の付き合いでもはや体の一部のようになっているはずの甲冑の重みも全身にずしりとまとわりつき、煩わしさに舌を打つ。
魔物の唸りは容赦なく押し迫ってくる。その群れに飲み込まれたなら最後、形容もできない凄惨な死を迎えることになるだろう。想像もしたくない最期を思い浮かべると、恐怖に身が竦むのも通り越し、笑いすら浮かんできてしまう。
――このままでは、間に合わないな。
思うとほぼ同時に、足を止めた。
「どうした、パーシヴァル!」
「足止めします。ここは私にお任せください」
「何を言う! どれだけの魔物がいると思ってるんだ!」
「ふむ、どのくらいでしょうねえ。なんなら、数えてみますか」
「バカが! そんなこと言ってる場合か!」
レオに怒鳴られ、形ばかりに肩を竦めて笑ってみせた。
見得を切ったものの、実のところ特別どうにかできる自信があったわけではない。ましてや、不必要に格好をつけたかったわけでもない。それが、今、この状況下にいる自分の役割であると判断しただけだ。
――そして、それは奴も同じだったらしい。
「俺も残ります」
「ボルス、お前まで!」
「少しでも時間稼ぎができれば、皆の脱出もたやすい。このままでは全員あの化け物の群れに飲まれて終わりです」
「だが!」
我らが団長は眉を顰め、なんとも言えない表情を浮かべる。自分を含め、この場にいる連中はそろいもそろって彼女のその顔に弱い。特に、隣に立つ男にとっては心を揺さぶる大きな要素になるだろう。
――さて、どうなることやら。横目に見やり、様子を窺う。
「大丈夫です。俺たちもすぐに向かいます」
――おや。
予想に反して強固な意志を示した男に、内心で軽く詫びた。そして、その意志を同じ意志で包むように、言葉を重ねた。
「心配なさらず。きっと戻ります」
「……わかりました」
冷静な副団長は、隣で惑う団長が判断を下す前に頷き、他の者に前進を促した。しかし、そんな彼もまた、心配そうな面持ちでこちらを見据える。
「おふたりとも、あまり無理はなされぬよう」
「無茶はしても、無理はしないつもりです」
ボルスの言葉にその通りと言わんばかりに頷いた。今日の彼はどうにも冴えている。遺跡に入ったときに立てた誓いで、恐らく色々なものが吹っ切れたのだろう。
「ふたりとも……死ぬなよ」
クリスの声は震えていた。
自分たちを部下として扱う立場であり、多くを生かすためにこの役割を買って出た自分たちを理解しつつも、それ以上に親しい者の生を願う声。一団のトップにしては未熟なのかもしれないが、彼女のそういった人間らしさは、いずれ大きな武器にもなり得るだろう。
仲間たちは自分たちを気にかけつつも再び出口へ向かい駆け抜けていく。その姿はすぐに見えなくなった。
残されるは、ふたり。まだ肉眼では確認できないが、魔物の地鳴りのような唸りはすぐ傍まで近づいている。
「さて、やるか」
魔物が向かってくる通路の奥、地獄に続く闇のような先を見据え、ボルスはつぶやく。
こちらも奴の顔を見ることなく、同じ闇を並んで眺めた。
「その前に、ひとつ残念なお知らせがある」
「なんだ」
「実は、さっきの戦いで水魔法を使い切ってしまった」
「なに?」
「回復はもうできない」
「……そうか。それなら俺もだ」
「ん?」
「とっておきの特効薬を、さっきの戦いのときにヒューゴにくれてやった。俺も薬の持ち合わせがない」
「それはそれは」
僅かばかりの、無言の間。
どちらともなく、軽く息を吐いた。
「……ま、後がないのもいいか」
「ああ、いっそ覚悟がつく」
“覚悟”の言葉を合図に、それぞれの愛剣を鞘から引き抜いた。
造形はほぼ同じでありながら、微細な色や重さは異なる刃。
そこには決戦の前に立てた誓いと、ある意味ではそれ以上に強大な“生への覚悟”が宿っている。
「パーシヴァル」
「なんだ」
「背中は任せたぞ」
「……そんな言葉をボルス卿の口から聞けるとは」
「文句でもあるのか?」
「いいや。嬉しすぎて、このまま昇天してしまいそうだ」
「茶化すな。どうせ死ぬなら、あの化け物どもを少しは道連れにしていけ」
魔物の群れ、その先頭が見えた。
人ならざる姿をした、おぞましい魔物たち。その姿にふさわしい唸り声を上げ、狭い通路にひしめき合うように迫ってくる。
「――行くぞ」
「ああ」
本来は片手用の剣を両手に握り締める。
合図は不要だった。声を発することもなく、ふたり同時に地面を蹴った。
奴らに負けず劣らずの咆哮を腹の底から絞り出す。
背中は預け、目の前にだけ集中し――。
おびただしい数の魔物の群れに、ふたりして真っ正面から突っ込んだ――。