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幻水3(ゼクセン騎士団)

 ――ひと雨来そうだな。

 西の空を覆う色の濃い雨雲を眺め、馬上のパーシヴァルはやや気の重い息を吐いた。グラスランドの広大な草原を撫でる風は穏やかながら確実に西から東に流れ、雨雲を運んでいる。ヤザ平原とビュッデヒュッケ城が雨に降られるまで、ざっと三十分程度といったところだろうか。
「混成部隊のまとまりも良くなってきたな」
 曇天にはおよそ不釣り合いな明るい声が、真横から響く。見やると、愛馬に跨って並ぶボルスが満足げな顔で頷いている。
「――確かに。不要なケンカをする者もいなくなったようだな」
 軽く上体を捻り、背後を目線を向ける。自分とボルスを先頭にして整然と並ぶのは、信頼できる騎士団の部下たちと、馬の扱いに長けたグラスランド氏族たちだ。
 自分たちが生まれ育った地に侵攻せんとするハルモニア神聖国に立ち向かうべく集った「炎の運び手」。本日はその「炎の運び手」たちによる三回目の演習訓練日である。
「炎の運び手」の戦力の大半はグラスランド氏族とゼクセン騎士団の騎士たちで、初回の訓練は足並みが揃わずなんとも酷い有様だった。それも致し方ない。直前まで互いの国境線を巡って戦いを続けていた者たち同士が、急に意気投合して共闘できるはずもない。自分とて、騒乱の中でリザードクランに故郷を焼かれた身だ。抵抗もわだかまりもないと言えば、噓になる。
 しかし、。ひとつの砦で寝食を共にし、日を重ねるにつれ、民たちは少しずつ歩み寄りを見せるようになった。砦はそこかしこ穴だらけという欠点はあるものの、立ち並ぶ施設は充実しており、その質の高さも、遺恨を和らげる手伝いをしてくれているように思う。
 今や背後から聞こえるのは互いの武具やその扱いの会話や、今日の飯や劇場の演目の話題が民族の垣根を越えて交わされている。
「ケンカがなくなったのは何よりだ。いささか呑気すぎる話をしている連中もいるようだが」
「まあ、それだけ心の余裕が出てきたということだろうさ」
 締まりのない雑談に興じる兵たちを少し厳しく一瞥するボルスに、軽く差し込みを入れる。
 連合軍が結成された当初は互いの警戒心とハルモニア神聖国による侵攻の危機により、心身の疲弊は著しかった。手を組むことが最善と分かりながらも感情が追い付かず、かといって相手の進軍は止まらない。そのような状況を一度は跳ね返し、腰を据えて迎え撃てる土台ができた。兵たちひとりひとりが、「やれる」という実感を持っているのだろう。最初の頃とは、顔つきもまったく違っている。
「そろそろ、か」
 つぶやき、平原を見回すと、少し離れた位置で組まれた複数の陣が定位置に付き、そのときを待ち構えている。
 本日の訓練は「遮るもののない平原で敵軍を複数個所から待ち構え、指定の場所に入ってきたところで一気に攻める」というものだ。言葉にすれば単純だが、タイミングを違えると逆に敵軍勢に切り崩される可能性もある。全体のコンビネーションと、意識の統一が求められる策だ。あの飄々とした少年軍師が演習前に意図を口にすることはなかったが、まさに、「炎の運び手」の結束力を試す訓練でもあるのだろう。
 敵がいない中で行う突撃の合図は、ホルテス7世作の火の紋章札による小爆発の音。間もなく、本陣から上がるはずだ。
 平原全体の空気の変化を察し、兵たちも自然とおしゃべりをやめる。各々の得物を持ち直し、緊迫した空気が流れた。
「――そういえば」
 さて――と姿勢を正しながらあることを思い出し、横に並ぶボルスに軽く目を配る。
「ボルス、部屋の窓は閉めてきたんだろうな」
「窓?」
 同じく目線だけをこちらに向けたボルスは「突撃前に何を」と言わんばかりの面持ちで眉を上げる。
「ああ、窓だ。この後、間違いなく雨が降るぞ」
 ここで指す「窓」は、ひとつしかない。ビュッデヒュッケ城にあてがわれた、自分たちの部屋の窓だ。ビュッデヒュッケ城では部屋の数も限られており、自分はボルスとひとつの部屋を共用で使うこととなった。ひとつしかないベッドを日がな早駆けや手合わせやチェスやらで奪い合う日々だが、出陣前、まだ身なりの準備の最中だったボルスにその部屋の窓の戸締りを任せていたのだ。
「――窓、窓……」
 ぼそぼそとつぶやきながら、ボルスは天を仰ぎ、記憶を辿る。時間にしてほんの数十分前のことなのだが、表情は十年ほどまでのことでも思い出そうとしているような様子だ。
 線これは、嫌な予感がする。
「あー!!」
 突然上がった叫び声に、背後の兵たちがぎょっとする。当然だ。という思いと、その反応の先にあるであろう回答にめまいを覚えた。
「しまった。忘れた……」
「忘れたって、あれほど出際に閉めておけと言っただろう」
 天候がよろしくないことは早朝の馬の手入れの時点で気づいていた。だからこそ、少しきつめに言ったのだ。昔からこの手の部分にはずぼらなところがある奴だが、本日の窓全開は大問題だ。
「し、仕方ないだろう! 準備中にクリス様が来て、話し込んでいたら、つい」
「クリス様のせいにするな」
「ぐっ……しかし、参ったな。片付けが面倒だ……」
「片付けだけならまだいい。机の上にやり終えた書類が積んであるだろう」
「あっ……」
 窓のそばには、古めかしいデスクがあり、その上には自分たちが預かる部隊に関する書類が鎮座している。訓練後、サロメをはじめとする「炎の運び手」の首脳に渡さなければいけないものだ。全開にした窓から雨が差し込めば、インクは滲み、紙は歪み――末路は、考えたくもない。
「雨が降るまでは、」
「この風の流れなら三十分ってところだろう」
「じゃあ、一度で成功させたら間に合うな」
 つぶやくボルスの声には、太くとおった芯があり、覚悟を感じさせた。眼前を見据える瞳も、決意を固めた意志に満ち溢れている。そのいざというときの力強い存在感は騎士団の誰もが焦がれ、自分も認めるところだが、こんなところで発揮するものでもないとは思う。
「よし、お前ら! 一発で成功させて雨が降る前に帰るぞ!」
 振り向き、部隊を鼓舞する声を上げる。兵たちは当然その意図などわかりようもないが、気迫のこもったボルスの声に呼応し、太く強い歓声を上げた。
「窓さえ閉めておけば良かっただけの話なんだがな……」
 異様な盛り上がりに、思わずぼやきのひとことが漏れる。しかし、当のボルスはそれを聞き拾うこともなく「パーシヴァル! 行くぞ!」と奮起するばかりだ。
 ――直後、本陣から弾けるような炸裂音が響く。間違いない、突撃の合図だ。
「突撃ぃー!!」
 殺気立ったボルスの号令に、混合の騎馬隊が呼応して吠え、一斉突撃を開始する。タイミングは完璧。部隊の戦意は最高潮だが、その根底にあるのは窓を早く閉めに帰りたい、という気持ちひとつ。
 やれやれ、と息を吐き、少し出遅れて愛馬を走らせる。
「間に合わなかったら、書類の直しは全部やらせるからな」
 先行するボルスにすぐに追いつき、肩を並べて釘を刺す。
「絶対に間に合わせる!!」
 視線は突き進む先から動かさぬまま、ボルスはそう強く答えた。

 約三十分後、ヤザ平原とビュッデヒュッケ城はこの季節には珍しい大雨に見舞われた。
 ぽつ、ぽつ、と降り出し、やがて雨は土砂降りに変貌する。
 ビュッデヒュッケ城のある一室の窓が凄まじい音と共に閉じられたのは、本降りが始まるとほぼ同時であった。 
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