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幻水3(ゼクセン騎士団)

 昼下がりの午後。ビュッデヒュッケ城の屋外レストランで遅い昼食を摂っていたナッシュは、食べかけのサンドイッチを片手に苦笑を浮かべていた。
 同じテーブルについているのはゼクセン騎士団の長であるクリスとカラヤ族の少女アイラ。アイラはクリスに鋭い眼差しを向け、クリスはその視線に気づきつつも敢えて見ずに紅茶を啜っている。
 空気はピリピリという音が聞こえてきそうなほどに張りつめている。まるでこの席にだけ暗雲が立ち込めているかのようだった。
 朝から晩まで繁盛しているレストランでの相席はごく当たり前のことで、こうして敵対していた陣営同士の人間が同じ席につくこともままあることだ。同席になったことをきっかけに会話を交わすこともあれば、はっきりと衝突して誰かが仲裁に入ることも何度となくあった。
 ゼクセン、グラスランド、そのどちらにも属さない第三者の視点から見れば、その動きは非常に前向きなものとして映っていた。今まで互いを知ろうともせずにいがみあってきた者同士の距離が一気に縮まり、見えなかったものが見えてくる。そうすることで何かを感じ、何かしらの動きに出ることは今の彼らにとって何より大事なことに思えた。
(……さて、彼女たちはどう出るかね)
 ナッシュは内心で「性格が悪いかな」と思いつながらも無言を貫き、自分が注文したブラックコーヒーを啜りながら、さりげなくふたりを見守ることにした。
 アイラはグラスにささったストローをくわえ、じっと逸らすことなくクリスを睨み続けている。その視線は、敵対心をありありと表したものだった。彼らが『鉄頭』と罵る連中のトップ立つ人間が目の前にいるのだ。無理もない。更に、まだ年若い彼女なら、その怒りを抑えることが難しいことも十二分に頷ける。
「……?」
 しかし、ふとしたタイミングでアイラの表情は突然切り替わる。きょとんとし、首を傾げたかと思いきや、アイラは腰を上げてぐっと身を乗り出す。その視線の先にあるのは、クリスの手元にあるティーカップだった。
「ねえ」
 視線をわざと逸らしていたクリスは、突然声を掛けられたのに驚き、弾かれたような表情でアイラの方へと向き直った。
「な、なんだ?」
「……それ、なんて飲み物? 果物みたいな匂いがする……」
「え……これはオレンジティーだが……」
「オレンジ? オレンジのお茶なの?」
「オレンジを絞っているから、少しは。でも、どっちかというと香りを楽しむものかな……」
「ふーん……」
 アイラは更に身を乗り出し、クリスのティーカップに顔を近づけて匂いを探っている。対するクリスは、予期せぬアイラの行動に混乱しているのかピタリと硬直して動かない。
「本当だ、いい匂い。ゼクセンではそういうのが流行ってるんだ」
「カラヤには、ないのか?」
「ないね。飲んだことないよ」
「……飲んでみるか?」
 遠慮がちにカップを差し出すクリス。その対応にアイラはハッと我に返り、近づけていた体を勢いよく引きはがしてクリスとの距離を置いた。
「べ、別に鉄頭の飲み物なんていらないよっ! いい匂いがするからちょっと気になっただけ!」
「……そうか」
 アイラの反応を目の当たりにしたクリスは、少しばかり寂しげな微笑を浮かべてカップを自分の方へと引き戻した。
 ――が、今度はクリスの方の表情がふと切り替わる。彼女の視線は、アイラのグラスに向いていた。
「そっちのその飲み物はなんだ? なんだか泡が出てるみたいだけど……」
「……ソーダだよ。知らないの?」
「ソーダ? 初めて聞いた。カラヤの飲み物なのか?」
 アイラはぶんぶんと首を横に振る。
「カレリアで飲ませてもらったんだ。だからハルモニアの飲み物になんじゃない?」
「……おいしいの?」
「めっちゃくちゃおいしいよ! シュワーッとして、甘くって!」
「へえ……」
 クリスの視線はアイラのグラスに釘付けになっている。アイラほどではないが、その身はやや前傾状態になっており、再びふたりの距離が縮む。
 まじまじとグラスを見つめるクリスに、アイラは少しばかり悩んだ後、ぼそりと言葉を切り出した。
「……飲む?」
 その言葉に、クリスははっとして顔を上げる。アイラは視線を逸らしているが、その頬はうっすらと紅潮しており、照れ隠しであることが見て取れた。それに気づいたのかは定かではないが、クリスはふと優しげな笑みを浮かべ、答える。
「少し、いいかな?」
「……いいよ」
「じゃあ、良ければ私の紅茶と交換しないか」
「……どうしてもって言うなら、いいよ」
 そうしてふたりはグラスとカップをテーブル上で交差させ、それぞれの体の前に運ぶ。
 先ほどまでは相手の手元にあったもの。ささやかに交換されたそれを、ふたりはひそりと口にした。
 コクリと液体をひと飲みしたその後の反応は。
「……おいしい」
「本当だ。こっちもおいしい」
 見合わせて、うっすらと笑い合う。 少しぎこちなく、それでもふたりなりに精いっぱいに見せた誠意。ぴりぴりとした空気は、いつの間にか消えていた。
 ナッシュはそんなふたりの笑顔を眺めながら、残ったブラックコーヒーを軽く飲み乾した。
 そして、心の中だけで「ごちそうさま」と告げ、無言のまま席を立った。
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