幻水3(ゼクセン騎士団)
剣も鎧もボロボロだった。
身体には血の匂いが染み付いていた。
――それでも、息は安らいでいた。
陽が西へと沈み往く。
朱に染まった平野を渡る行進は、戦を終えて家路を辿る。
一歩ずつを踏み締め、己の命の味を噛み締めるように。
ゆっくり、ゆっくりと進んで行く。
行進の先頭では、旗が揺れている。
夕陽を浴びて、きらきらと銀色に輝く旗。
後に続く者たちが迷ってしまわないように、凛と背筋を伸ばして旗を棚引かせている。
疲れ切った行進に、言葉はなかった。
響くのは馬の蹄の音だけ。
その馬たちですら、疲れ、汚れ、足取りは重い。
銀の旗は己を運ぶ白馬を撫でる。
手の甲には掠れた赤が鈍く滲んでいた。
己が斬り捨てた誰かの血。
或いは己が守れなかった仲間の血。
どちらにしても潰えた命。
数えきれないくらいの魂の灯が消え失せた。
それが戦。
わかっている。
もう何度も経験してきたことだ。
――それでも。慣れることはできない。
不意に、銀の旗は揺れることをやめた。
変わらず朱い夕陽を浴びているにも関わらず、銀色の輝きも徐々に失われていく。
その変化に真っ先に気付いたのは、一馬身下がって見守っていた有能な軍師だった。
「……帰ったら、しっかりとした食事をとりたいですね。長丁場でしたから、暖かい料理が恋しいですよ」
微笑を浮かべ、軍師は穏やかに語る。
それをきっかけに、誉れ高きと称えられている騎士たちが一斉に頭を上げた。
銀の旗を道しるべに進んでいた彼らは、その何とない呟きだけで軍師の意図を察した。
深く、濃い時間を共に過ごしてきた彼らには、それだけで充分だった。
「となると、私とサロメ殿の出番ですね」
軍師の言葉をゆるりと繋いだのは、疾風と呼ばれる騎士。
胸元に大きく広げた誰かの赤も気にせず、頬を緩ませて悠々と笑む。
「良いですね。また腕を振るいましょう」
言葉と言葉が繋がり、会話になる。
ふたりは顔を見合わせ、頷き合った。
「それなら、いい酒がある。とっておきのやつを出してこよう」
誘われたように横入りしたのは、烈火と呼ばれる剣士。
乱れた髪をそのままに、擦り傷だらけの顔を綻ばせた。
「ボルス殿のとっておきなら、食卓も豪華になりますね」
「これは肴が必要になってきましたね」
会話が紡がれていく。
ひとり、またひとりとその手を取るように。
「甘い物でも良いなら、何か調達してくるが」
次に手を取ったのは、屈強な鋼鉄の騎士。
携えた斧は血糊をべったりとつけて、刃毀れを帯び、鈍い光沢を放っている。
「丁度いい。あの酒は辛味が強いから、甘い物がよく合うはずだ」
「そうか。じゃあ、持って行こう」
「楽しみですね」
笑いと共に、太陽は徐々にその身を地平の向こうへと隠して往く。
「今日ならば、良い月見酒になりますね」
上空を眺めながら、エルフの射手が続ける。
太陽の代わりに姿を現した三日月は、彼の金の瞳と同様に、神秘的な輝きを放っていた。
一同は最もだ、と頷き、天を仰いだ。
詩人は神秘の象徴とし、物の怪は活動の導とする光。
そんな月を眺めながら傾ける酒は、さぞや澄んだ味がするだろう。
会話のリレーを繋いだ彼らは、満足げな表情を湛える。
そして、彼女を再度見つめた。
――先頭を行く、銀の旗を。
「宴会、か。いいな」
銀の旗が、ぱたりと揺れた
「酒が入るなら、ルイスは仲間はずれかな」
背後を守る騎士たちを横目にして微笑んで見せた、銀の乙女と呼ばれる騎士。
行進の先頭に立つ、銀の旗。
彼らが生み出した言葉の流れにそっと加わり、彼女は再びはためく。
失いかけた輝きは、暮れなずむ陽光を反射して静かに煌めきを取り戻し始めた。
それだけで、すべての騎士に安堵が灯る。
相変わらず汚れ、血まみれのままでも。
彼女の輝きの下に、光は宿る――。
「ルイスには砂糖を少し混ぜてあげれば、いくらかは大丈夫でしょう」
「そのまま飲ませても良いのでは? あいつもそろそろ一人前。酒の一杯や二杯どうってことありませんよ」
「パーシヴァル! お前はまたそうやって」
「そうか? あの年齢だったら、俺はもう酒の味を知っていたがなあ」
「ははははは! 随分な悪ガキだったようだな」
「ですが、それならばボルス殿も同じでは」
「な、何を言い出すんだ、ロラン殿!」
「以前お聞きしました。確か、七歳の頃、家のワイン蔵で……」
「わー!! 勘弁してくれ!」
「ロラン殿、是非お聞かせ願います。可愛いボルスお坊ちゃまは一体どのような失態を?」
「パーシヴァル!!」
「私も興味があるな。ロラン、聞かせてくれ」
「クリス様まで……!」
「ははははは!」
暖かく、穏やかな笑み。
その風を受けて、旗はその布をいっぱいに泳がせる。
旗は想う。
もう、ひとりで旗を揺らさなくてもいい。
支え、揺らしてくれる者たちがいるのだから。
もう、ひとりで笑い、輝こうとしなくてもいい。
共に笑ってくれる者たちがいるのだから。
――私は、ひとりじゃない。
「さあ、ブラス城が見えてきましたよ」
「ボルス、お得意の台詞は言わんのか?」
「……知らんっ!」
「ふふふ、さて、もうひと頑張りだ。みんな、最後まで気を抜くなよ」
「勿論ですとも」
「戦争は、家に帰るまでが戦争ですからな」
「その通り」
剣も鎧もボロボロだった。
身体には血の匂いが染み付いていた。
それでも、息は安らいでいた。
朱に染まった平野を渡る行進は、輝く旗を道しるべに、強い足取りで我が家へと辿り着く。
月も太陽もすべてを受け入れて輝く旗を先頭に、己の命の味を噛み締めて――。
「ただいま、ブラス城」
身体には血の匂いが染み付いていた。
――それでも、息は安らいでいた。
陽が西へと沈み往く。
朱に染まった平野を渡る行進は、戦を終えて家路を辿る。
一歩ずつを踏み締め、己の命の味を噛み締めるように。
ゆっくり、ゆっくりと進んで行く。
行進の先頭では、旗が揺れている。
夕陽を浴びて、きらきらと銀色に輝く旗。
後に続く者たちが迷ってしまわないように、凛と背筋を伸ばして旗を棚引かせている。
疲れ切った行進に、言葉はなかった。
響くのは馬の蹄の音だけ。
その馬たちですら、疲れ、汚れ、足取りは重い。
銀の旗は己を運ぶ白馬を撫でる。
手の甲には掠れた赤が鈍く滲んでいた。
己が斬り捨てた誰かの血。
或いは己が守れなかった仲間の血。
どちらにしても潰えた命。
数えきれないくらいの魂の灯が消え失せた。
それが戦。
わかっている。
もう何度も経験してきたことだ。
――それでも。慣れることはできない。
不意に、銀の旗は揺れることをやめた。
変わらず朱い夕陽を浴びているにも関わらず、銀色の輝きも徐々に失われていく。
その変化に真っ先に気付いたのは、一馬身下がって見守っていた有能な軍師だった。
「……帰ったら、しっかりとした食事をとりたいですね。長丁場でしたから、暖かい料理が恋しいですよ」
微笑を浮かべ、軍師は穏やかに語る。
それをきっかけに、誉れ高きと称えられている騎士たちが一斉に頭を上げた。
銀の旗を道しるべに進んでいた彼らは、その何とない呟きだけで軍師の意図を察した。
深く、濃い時間を共に過ごしてきた彼らには、それだけで充分だった。
「となると、私とサロメ殿の出番ですね」
軍師の言葉をゆるりと繋いだのは、疾風と呼ばれる騎士。
胸元に大きく広げた誰かの赤も気にせず、頬を緩ませて悠々と笑む。
「良いですね。また腕を振るいましょう」
言葉と言葉が繋がり、会話になる。
ふたりは顔を見合わせ、頷き合った。
「それなら、いい酒がある。とっておきのやつを出してこよう」
誘われたように横入りしたのは、烈火と呼ばれる剣士。
乱れた髪をそのままに、擦り傷だらけの顔を綻ばせた。
「ボルス殿のとっておきなら、食卓も豪華になりますね」
「これは肴が必要になってきましたね」
会話が紡がれていく。
ひとり、またひとりとその手を取るように。
「甘い物でも良いなら、何か調達してくるが」
次に手を取ったのは、屈強な鋼鉄の騎士。
携えた斧は血糊をべったりとつけて、刃毀れを帯び、鈍い光沢を放っている。
「丁度いい。あの酒は辛味が強いから、甘い物がよく合うはずだ」
「そうか。じゃあ、持って行こう」
「楽しみですね」
笑いと共に、太陽は徐々にその身を地平の向こうへと隠して往く。
「今日ならば、良い月見酒になりますね」
上空を眺めながら、エルフの射手が続ける。
太陽の代わりに姿を現した三日月は、彼の金の瞳と同様に、神秘的な輝きを放っていた。
一同は最もだ、と頷き、天を仰いだ。
詩人は神秘の象徴とし、物の怪は活動の導とする光。
そんな月を眺めながら傾ける酒は、さぞや澄んだ味がするだろう。
会話のリレーを繋いだ彼らは、満足げな表情を湛える。
そして、彼女を再度見つめた。
――先頭を行く、銀の旗を。
「宴会、か。いいな」
銀の旗が、ぱたりと揺れた
「酒が入るなら、ルイスは仲間はずれかな」
背後を守る騎士たちを横目にして微笑んで見せた、銀の乙女と呼ばれる騎士。
行進の先頭に立つ、銀の旗。
彼らが生み出した言葉の流れにそっと加わり、彼女は再びはためく。
失いかけた輝きは、暮れなずむ陽光を反射して静かに煌めきを取り戻し始めた。
それだけで、すべての騎士に安堵が灯る。
相変わらず汚れ、血まみれのままでも。
彼女の輝きの下に、光は宿る――。
「ルイスには砂糖を少し混ぜてあげれば、いくらかは大丈夫でしょう」
「そのまま飲ませても良いのでは? あいつもそろそろ一人前。酒の一杯や二杯どうってことありませんよ」
「パーシヴァル! お前はまたそうやって」
「そうか? あの年齢だったら、俺はもう酒の味を知っていたがなあ」
「ははははは! 随分な悪ガキだったようだな」
「ですが、それならばボルス殿も同じでは」
「な、何を言い出すんだ、ロラン殿!」
「以前お聞きしました。確か、七歳の頃、家のワイン蔵で……」
「わー!! 勘弁してくれ!」
「ロラン殿、是非お聞かせ願います。可愛いボルスお坊ちゃまは一体どのような失態を?」
「パーシヴァル!!」
「私も興味があるな。ロラン、聞かせてくれ」
「クリス様まで……!」
「ははははは!」
暖かく、穏やかな笑み。
その風を受けて、旗はその布をいっぱいに泳がせる。
旗は想う。
もう、ひとりで旗を揺らさなくてもいい。
支え、揺らしてくれる者たちがいるのだから。
もう、ひとりで笑い、輝こうとしなくてもいい。
共に笑ってくれる者たちがいるのだから。
――私は、ひとりじゃない。
「さあ、ブラス城が見えてきましたよ」
「ボルス、お得意の台詞は言わんのか?」
「……知らんっ!」
「ふふふ、さて、もうひと頑張りだ。みんな、最後まで気を抜くなよ」
「勿論ですとも」
「戦争は、家に帰るまでが戦争ですからな」
「その通り」
剣も鎧もボロボロだった。
身体には血の匂いが染み付いていた。
それでも、息は安らいでいた。
朱に染まった平野を渡る行進は、輝く旗を道しるべに、強い足取りで我が家へと辿り着く。
月も太陽もすべてを受け入れて輝く旗を先頭に、己の命の味を噛み締めて――。
「ただいま、ブラス城」
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