幻水その他
これまでの人生で最も「怖い」と感じたのは、いつだっただろうか。誤って家の高級な花瓶を落として割ってしまったとき? 初めて剣を握ったとき? ナナミの手料理をご馳走になったとき? どれもそれぞれに違った恐怖があり、思い起こすと苦い思い出とともに胃のあたりがきりきりと痛む。今思えば、どれもちっぽけな、かわいらしい恐怖だ。
――今、僕は本当の「恐怖」を目の当たりにしている。
火が放たれたリューベの村は王国軍に蹂躙され、村人たちは降伏する間もなく切り捨てられた。大人も子供も問わない虐殺は徹底を極め、もはや生き残りも数えるほどしかいない。僕はその数えるほどしかない命が奪われる瞬間を、物陰に身を潜めて見つめることしかできない。
燃え盛る村の中心で、小さな命を屠る虐殺の象徴。その男は、圧倒的な佇まいで眼前の命を見下して嗤った。まるで虫やゴミを見るような眼と物言いで命を否定する様は理不尽そのもので、狂気の沙汰としか思えない。何を乞うても、何に従ってもその男は躊躇なく命を踏みにじる。残虐にして非道。わずかな時間でもそう断言できるほどにその男――ハイランド王国皇子ルカ・ブライトの振る舞いは常軌を逸していた。
その姿に、血の気がすっと引き、体が鉛のように重くなるのを感じた。今すぐ飛び出して凶行を阻止したい。もしくは、今すぐにでもリオウとナナミの手を引いて安全なところへ逃げ出したい。心はそう思いながらも、体はまったく言うことを聞かなかった。冷えた全身に追いかけるように、嫌な汗がにじむ。かと思うと、棍を握る手がわなわなと震えだす。どれも体の勝手な反応によるものだ。
その反応の根源は――恐怖。そう、僕は怖いのだ。あの男はこれまでに出会ったどんなものよりも強大であり、有無を言わせぬ「強さ」を持っている。その上、その強さを傍若無人に振りかざして何もかもを叩き落としてしまう。
またひとつ、命があっけなく潰される様を呆然と見つめる。この場に、誰もあの男を止められる者はいない――。そう本能が警鐘を鳴らす。
――僕には、勝てない。
心を励まして立ち上がらせる前に折れる。それほどに、あの男の存在はあまりに圧倒的だった。
亡骸を乱暴につかんで掲げながら高笑いする男に、周囲の兵もさすがにたじろぐが、その場の覇者はどうあってもあの男だ。圧倒的な力と恐怖で、場を制している。その事実はあまりに辛く――空しい。
「……強さが、欲しい」
その恐怖の空しさの中で得たひとつの欲がぽつりとこぼれ出る。
無意識に吐き出された、心からの渇望だった。
「……強くなりたい」
もうひとつつぶやくと、それは明確な願望となって形となった。今はまだ小さな願い。しかし、確実に僕の中に芽生えた想いだ。僕は胸元が熱くなるのを感じながら、全焼間近の村の中で強者の笑声を上げる男を、その目に焼き付けた。
――今、僕は本当の「恐怖」を目の当たりにしている。
火が放たれたリューベの村は王国軍に蹂躙され、村人たちは降伏する間もなく切り捨てられた。大人も子供も問わない虐殺は徹底を極め、もはや生き残りも数えるほどしかいない。僕はその数えるほどしかない命が奪われる瞬間を、物陰に身を潜めて見つめることしかできない。
燃え盛る村の中心で、小さな命を屠る虐殺の象徴。その男は、圧倒的な佇まいで眼前の命を見下して嗤った。まるで虫やゴミを見るような眼と物言いで命を否定する様は理不尽そのもので、狂気の沙汰としか思えない。何を乞うても、何に従ってもその男は躊躇なく命を踏みにじる。残虐にして非道。わずかな時間でもそう断言できるほどにその男――ハイランド王国皇子ルカ・ブライトの振る舞いは常軌を逸していた。
その姿に、血の気がすっと引き、体が鉛のように重くなるのを感じた。今すぐ飛び出して凶行を阻止したい。もしくは、今すぐにでもリオウとナナミの手を引いて安全なところへ逃げ出したい。心はそう思いながらも、体はまったく言うことを聞かなかった。冷えた全身に追いかけるように、嫌な汗がにじむ。かと思うと、棍を握る手がわなわなと震えだす。どれも体の勝手な反応によるものだ。
その反応の根源は――恐怖。そう、僕は怖いのだ。あの男はこれまでに出会ったどんなものよりも強大であり、有無を言わせぬ「強さ」を持っている。その上、その強さを傍若無人に振りかざして何もかもを叩き落としてしまう。
またひとつ、命があっけなく潰される様を呆然と見つめる。この場に、誰もあの男を止められる者はいない――。そう本能が警鐘を鳴らす。
――僕には、勝てない。
心を励まして立ち上がらせる前に折れる。それほどに、あの男の存在はあまりに圧倒的だった。
亡骸を乱暴につかんで掲げながら高笑いする男に、周囲の兵もさすがにたじろぐが、その場の覇者はどうあってもあの男だ。圧倒的な力と恐怖で、場を制している。その事実はあまりに辛く――空しい。
「……強さが、欲しい」
その恐怖の空しさの中で得たひとつの欲がぽつりとこぼれ出る。
無意識に吐き出された、心からの渇望だった。
「……強くなりたい」
もうひとつつぶやくと、それは明確な願望となって形となった。今はまだ小さな願い。しかし、確実に僕の中に芽生えた想いだ。僕は胸元が熱くなるのを感じながら、全焼間近の村の中で強者の笑声を上げる男を、その目に焼き付けた。