幻水その他
「なぁ~サナぁ、もう一杯」
その日の奴はえらく上機嫌で、酔いのまわりも早かった。普段は人よりも酒には強く、どちらかといえば周囲を煽って潰してしまう方なのだが、その日はワイン二杯でこの有様だ。
「なあなあ、サナ、あと一杯。あと一杯だけ!」
「だめよ。そんなベロベロになって……これ以上飲んだら明日大変なことになるでしょ」
「だぁいじょうぶだって。俺が二日酔いなんかしたことあったか?」
「ないけど……でもダメよ。ねえ、ワイアットもこの飲んだくれになんとか言ってよ」
「ん? あぁ……」
若い男女の微笑ましい掛け合いをぼんやり眺めていたところで突然言葉を向けられ、ワイアットは曖昧な相槌と共に苦笑いを浮かべた。
「おいスルト、その辺にしておいたらどうだ。これ以上サナに怒られたくもないだろう」
「そう言うなよワイアット。勝ち戦から帰還した夜なんだぜ? 飲まないわけにはいかないじゃないか」
ニッと歯を見せて笑う男は青年と呼ぶにはいささか幼く、少年と呼ぶにはあまりに精悍だ。この男が「炎の運び手」なる一団を立ち上げてハルモニア神聖国に立ち向かい始めて数か月。小さな戦いではあったが、ハルモニアの小隊のひとつを叩いたことは、一団にとって大きな一歩だ。祝杯に酔いしれるのも頷ける。
「こっちの罠に引っかかって慌てて逃げていくハルモニアの連中の顔を思い出すだけで酒が進む! 本当に愉快だったよ。サナにも見せてやりたかったな」
「もう、悪趣味なんだから」
そっけなく返すも、肩に腕を回され、スルトにゆるりと引き寄せられるサナの表情はまんざらでもない。初心な時期はとうに越えつつも、まだどこか甘酸っぱい雰囲気を漂わせるふたりには、内心で「ごちそうさま」と言いたくなってしまう。
「それはそうと、次の戦いには私も出るわよ。もう置いて行かれるのはうんざりだわ」
「まーたその話かよ。それは却下だ。サナにはさぁ、ここでうまい飯を作って待ってて欲しいんだよ」
「それはあなたの勝手な願いでしょ? ご飯だったら戦場の陣地でだって作れるわ」
「……陣地でサナの飯かぁ……それも、悪くない、か……」
つぶやくスルトはもう半分ほど眠りかけており、まともな判断力を失っていることが窺えた。当然ながら、サナはその隙を見逃さない。
「じゃあ、約束しましょう。次は私も一緒よ。いい?」
「……ぁー、うん」
「うんって言ったわね? 約束だからね?」
「わぁーった、うん、やくそく」
ろれつの回らない声と共に頷くと、スルトはそのままテーブルに突っ伏して眠りこけてしまった。隣には、いそいそと毛布を用意するサナが、勝ち誇った笑みで佇んでいた。
「ワイアット、聞いてたわよね?」
「……ああ、確かにこの耳で」
「ふふ、明日、この人が忘れていたら証人になってもらうわよ」
満面の笑みに返せるのはもはや感服の苦笑しかない。こうなってしまえば、もう誰もサナに勝てる者などいない。そう、例えばこの間、ひとことも口を開くことなく部屋の隅で淡々と酒を飲むもうひとりの友でさえもだ。そもそも自分の証言などなくとも、スルトは彼女に白旗しか上げられないのだろうが。これは単純な話、「惚れた女の弱み」というやつだ。とはいえ、ここは自分のためにもサナに乗っかるのが吉だ。
「――スルト、悪く思うなよ」
明日の自分の後悔など知る由もなく熟睡する友に小さな声で告げつつ、ワイアットはワインの入った自分のエールをぐいと煽った。
その日の奴はえらく上機嫌で、酔いのまわりも早かった。普段は人よりも酒には強く、どちらかといえば周囲を煽って潰してしまう方なのだが、その日はワイン二杯でこの有様だ。
「なあなあ、サナ、あと一杯。あと一杯だけ!」
「だめよ。そんなベロベロになって……これ以上飲んだら明日大変なことになるでしょ」
「だぁいじょうぶだって。俺が二日酔いなんかしたことあったか?」
「ないけど……でもダメよ。ねえ、ワイアットもこの飲んだくれになんとか言ってよ」
「ん? あぁ……」
若い男女の微笑ましい掛け合いをぼんやり眺めていたところで突然言葉を向けられ、ワイアットは曖昧な相槌と共に苦笑いを浮かべた。
「おいスルト、その辺にしておいたらどうだ。これ以上サナに怒られたくもないだろう」
「そう言うなよワイアット。勝ち戦から帰還した夜なんだぜ? 飲まないわけにはいかないじゃないか」
ニッと歯を見せて笑う男は青年と呼ぶにはいささか幼く、少年と呼ぶにはあまりに精悍だ。この男が「炎の運び手」なる一団を立ち上げてハルモニア神聖国に立ち向かい始めて数か月。小さな戦いではあったが、ハルモニアの小隊のひとつを叩いたことは、一団にとって大きな一歩だ。祝杯に酔いしれるのも頷ける。
「こっちの罠に引っかかって慌てて逃げていくハルモニアの連中の顔を思い出すだけで酒が進む! 本当に愉快だったよ。サナにも見せてやりたかったな」
「もう、悪趣味なんだから」
そっけなく返すも、肩に腕を回され、スルトにゆるりと引き寄せられるサナの表情はまんざらでもない。初心な時期はとうに越えつつも、まだどこか甘酸っぱい雰囲気を漂わせるふたりには、内心で「ごちそうさま」と言いたくなってしまう。
「それはそうと、次の戦いには私も出るわよ。もう置いて行かれるのはうんざりだわ」
「まーたその話かよ。それは却下だ。サナにはさぁ、ここでうまい飯を作って待ってて欲しいんだよ」
「それはあなたの勝手な願いでしょ? ご飯だったら戦場の陣地でだって作れるわ」
「……陣地でサナの飯かぁ……それも、悪くない、か……」
つぶやくスルトはもう半分ほど眠りかけており、まともな判断力を失っていることが窺えた。当然ながら、サナはその隙を見逃さない。
「じゃあ、約束しましょう。次は私も一緒よ。いい?」
「……ぁー、うん」
「うんって言ったわね? 約束だからね?」
「わぁーった、うん、やくそく」
ろれつの回らない声と共に頷くと、スルトはそのままテーブルに突っ伏して眠りこけてしまった。隣には、いそいそと毛布を用意するサナが、勝ち誇った笑みで佇んでいた。
「ワイアット、聞いてたわよね?」
「……ああ、確かにこの耳で」
「ふふ、明日、この人が忘れていたら証人になってもらうわよ」
満面の笑みに返せるのはもはや感服の苦笑しかない。こうなってしまえば、もう誰もサナに勝てる者などいない。そう、例えばこの間、ひとことも口を開くことなく部屋の隅で淡々と酒を飲むもうひとりの友でさえもだ。そもそも自分の証言などなくとも、スルトは彼女に白旗しか上げられないのだろうが。これは単純な話、「惚れた女の弱み」というやつだ。とはいえ、ここは自分のためにもサナに乗っかるのが吉だ。
「――スルト、悪く思うなよ」
明日の自分の後悔など知る由もなく熟睡する友に小さな声で告げつつ、ワイアットはワインの入った自分のエールをぐいと煽った。