幻水その他
「よう、城主さん! 今日もいい天気だな!」
散歩中のトーマスに明朗な声で呼びかけたのは、ビュッデヒュッケ城の畑の世話を担当する農夫のバーツだった。
「あれっ、バーツさん、怪我はもう大丈夫なんですか!?」
ぎょっとして問うトーマスに、バーツはぱっと笑みを咲かせて「ああ、もうすっかり!」と答えるが、その額にはいつも巻いている黒のバンダナではなく白い包帯がぐるぐると巻き付けられている。ビュッデヒュッケ城内でも五指に入るであろう整った顔には絆創膏があちこちに貼りつけられていて、彼のファンの女子たちが目にすれば、悲鳴を上げて卒倒してしまうかもしれない。
「先日のジェファーソンさんとのケンカ、すごかったみたいですね……」
「……ああ、壁新聞の記事になってすっかり騒ぎになっちまったみたいだな。ったく、あのオッサンには本当に腹が立つぜ」
――「役職係と農夫、深夜の決闘!!決着つかず、口ゲンカへ」そんな見出しが壁新聞を飾ったのはつい先日。ことの発端は勝手に城内の人間に謎の役職を名付けては指導をしている役職係のジェファーソンがバーツに『青空男爵』なる役職名を与えたことで、その名に激怒したバーツが深夜に決闘を申し立てて取っ組み合いのケンカになり、双方負傷して医務室に運ばれるも、そこでも口論を続けていた……といった具合だ。
ジェファーソンの勝手っぷりには城の住民から多少のクレームは届いているものの、ここまで大々的に立ち向かったのはバーツが初めてだ。記事を読んだトーマスは彼の意外な側面に驚きつつ、人間の怒りのポイントってどこにあるかわからないな――と、しみじみ感じた。
「色々、大変でしたね……」
「ん? ああ、医務室に入れられてたせいで畑をおろそかにして大変だったけど、みんな元気で安心したよ」
「あ、いえ、僕は畑ではなくバーツさんが大変だったなって……」
「お、この辺のトマトなんかちょうどいい頃合いだ。城主さんも一個どうだい?」
言いながら、よく育ったトマトのひとつに手を伸ばしかけたところで、バーツははっと何かに気付き、その眼光を鋭くさせた。
「ひぃっ!?」
瞬間、ピシィン、と何かが弾けるような音が響き、トーマスはその場で身を竦ませ、バーツは畑に突き立てていた愛用のクワを手に取って身構えた。
畑から馬房に続く道の先には、まぶしい朝日を背に立つどっしりとした人影――役職係のジェファーソンが、手持ちのムチをしならせて立ち尽くしていた。そのジェファーソンの額にもバーツと同じく白い包帯が巻き付けられており、負傷していることは目に見えて明らかだがものともせず、ピンピンしている様子だ。
「出やがったな!」
敵意剥き出しのバーツに、ジェファーソンはすべてのパーツが濃い顔に不敵な笑みを浮かべ、満足げに腕を組んだ。その姿は城のいち住人と呼ぶにはあまりに物々しく、さながら絵本に出てくる魔王か何かのように見えてくる。
「うむ、朝から威勢がいいな、青空男爵! しかし口の悪さはまったく直ってないようだな。私が指導してやろう!」
「だから俺は青空男爵じゃねえっつうの! 何百回言わせるんだ!」
「いいや、何百回でも言ってやろう! お前は青空男爵だ!」
「ああもう! しつこいし話の通じねえ奴だな! だったらもう一度ぶんなぐってわからせてやる!!」
「望むところだ! かかってこい!」
その挑発を合図に、バーツはクワを手放し、腕を捲ってジェファーソンに飛びかかった。その背中は勇猛かつ勇敢で、さながら絵本に出てくる勇者か何かのように見えてくる。
「おりゃああああ!!」
「ぬわああああ!!」
竜のブライトが上げる咆哮のように響くふたりの叫びと、繰り出される拳と拳は鋭く重い。いち農夫と役職係のケンカとは到底思えないバトルに、わらわらとギャラリーが集まるのも時間の問題だった。気づけば場は殴れ蹴れ投げ飛ばせの歓声に包まれ、どっちが勝つかに朝食を賭けだす住人まで現れる始末。いつも穏やかなビュッデヒュッケ城の朝は、寝た子も起きるような賑々しい朝に早変わりしてしまった。
――そんな空気にすっかり置き去りにされてしまったトーマスはと言うと。
「ふたりとも、あんなに強いのにどうしてサポート要員なんだろう……」
心の底で深くそう思いながら、永遠に終わりそうにないふたりの戦いをぼうっと眺め続けていた。
散歩中のトーマスに明朗な声で呼びかけたのは、ビュッデヒュッケ城の畑の世話を担当する農夫のバーツだった。
「あれっ、バーツさん、怪我はもう大丈夫なんですか!?」
ぎょっとして問うトーマスに、バーツはぱっと笑みを咲かせて「ああ、もうすっかり!」と答えるが、その額にはいつも巻いている黒のバンダナではなく白い包帯がぐるぐると巻き付けられている。ビュッデヒュッケ城内でも五指に入るであろう整った顔には絆創膏があちこちに貼りつけられていて、彼のファンの女子たちが目にすれば、悲鳴を上げて卒倒してしまうかもしれない。
「先日のジェファーソンさんとのケンカ、すごかったみたいですね……」
「……ああ、壁新聞の記事になってすっかり騒ぎになっちまったみたいだな。ったく、あのオッサンには本当に腹が立つぜ」
――「役職係と農夫、深夜の決闘!!決着つかず、口ゲンカへ」そんな見出しが壁新聞を飾ったのはつい先日。ことの発端は勝手に城内の人間に謎の役職を名付けては指導をしている役職係のジェファーソンがバーツに『青空男爵』なる役職名を与えたことで、その名に激怒したバーツが深夜に決闘を申し立てて取っ組み合いのケンカになり、双方負傷して医務室に運ばれるも、そこでも口論を続けていた……といった具合だ。
ジェファーソンの勝手っぷりには城の住民から多少のクレームは届いているものの、ここまで大々的に立ち向かったのはバーツが初めてだ。記事を読んだトーマスは彼の意外な側面に驚きつつ、人間の怒りのポイントってどこにあるかわからないな――と、しみじみ感じた。
「色々、大変でしたね……」
「ん? ああ、医務室に入れられてたせいで畑をおろそかにして大変だったけど、みんな元気で安心したよ」
「あ、いえ、僕は畑ではなくバーツさんが大変だったなって……」
「お、この辺のトマトなんかちょうどいい頃合いだ。城主さんも一個どうだい?」
言いながら、よく育ったトマトのひとつに手を伸ばしかけたところで、バーツははっと何かに気付き、その眼光を鋭くさせた。
「ひぃっ!?」
瞬間、ピシィン、と何かが弾けるような音が響き、トーマスはその場で身を竦ませ、バーツは畑に突き立てていた愛用のクワを手に取って身構えた。
畑から馬房に続く道の先には、まぶしい朝日を背に立つどっしりとした人影――役職係のジェファーソンが、手持ちのムチをしならせて立ち尽くしていた。そのジェファーソンの額にもバーツと同じく白い包帯が巻き付けられており、負傷していることは目に見えて明らかだがものともせず、ピンピンしている様子だ。
「出やがったな!」
敵意剥き出しのバーツに、ジェファーソンはすべてのパーツが濃い顔に不敵な笑みを浮かべ、満足げに腕を組んだ。その姿は城のいち住人と呼ぶにはあまりに物々しく、さながら絵本に出てくる魔王か何かのように見えてくる。
「うむ、朝から威勢がいいな、青空男爵! しかし口の悪さはまったく直ってないようだな。私が指導してやろう!」
「だから俺は青空男爵じゃねえっつうの! 何百回言わせるんだ!」
「いいや、何百回でも言ってやろう! お前は青空男爵だ!」
「ああもう! しつこいし話の通じねえ奴だな! だったらもう一度ぶんなぐってわからせてやる!!」
「望むところだ! かかってこい!」
その挑発を合図に、バーツはクワを手放し、腕を捲ってジェファーソンに飛びかかった。その背中は勇猛かつ勇敢で、さながら絵本に出てくる勇者か何かのように見えてくる。
「おりゃああああ!!」
「ぬわああああ!!」
竜のブライトが上げる咆哮のように響くふたりの叫びと、繰り出される拳と拳は鋭く重い。いち農夫と役職係のケンカとは到底思えないバトルに、わらわらとギャラリーが集まるのも時間の問題だった。気づけば場は殴れ蹴れ投げ飛ばせの歓声に包まれ、どっちが勝つかに朝食を賭けだす住人まで現れる始末。いつも穏やかなビュッデヒュッケ城の朝は、寝た子も起きるような賑々しい朝に早変わりしてしまった。
――そんな空気にすっかり置き去りにされてしまったトーマスはと言うと。
「ふたりとも、あんなに強いのにどうしてサポート要員なんだろう……」
心の底で深くそう思いながら、永遠に終わりそうにないふたりの戦いをぼうっと眺め続けていた。