幻水その他
世界は色鮮やかで騒々しい。
初めてそう感じたのは、三年前の解放戦争のときだ。静穏な塔から降り立った地上は命に溢れ、その数だけの色と音に満ちていた。赤月帝国を相手取って立ち向かう解放軍の砦は圧倒的不利な状況でも心の灯を絶やすことなく、活気に満ち満ちていた。ひとつ、またひとつと勝利を重ねるにつれて集う人々は増え、ひとりひとりの戦意も凄まじい勢いで高まっていった。その色は極彩色と呼ぶにふさわしく、あまりの鮮やかさに目がくらんでしまいそうなほどだった。行き交う声の数も増し、豪胆な戦士たちや子供たちの笑い声はやかましくも、不思議と耳を塞ごうとは思わなかった。この色も音も、例えるならば「星の輝き」といったところか。戦いが終わるまでの期限付きのものならば、その輝きを愉しむのも存外、悪いものでもない。石板の傍に佇みながら、そう感じていた。
そして、三年を経た今。再び静かな塔を離れてやって来た砦もまた、色とりどりの命が集い始めている。解放軍の星の輝きが最も極まった瞬間――あのリーダーの家族と呼べる存在が帰還した瞬間に比べるとまだほんの小さな光だが、いつかあのときに近い――もしかするとそれを超える光を放つ日が来るかもしれない。同盟軍のリーダーを任された少年の横顔に、ふと、そんな期待を見たのは、彼があのときのリーダーと同じ天魁の星を宿す者だからだろう。
予想通りに、同盟軍の砦は瞬く間に人が集い、活気に沸いて騒がしくなっていった。集う命はよくもまあこんなのばかりを集めてきたものだと思うほどに色鮮やかで、石板に刻まれる名に苦笑めいた笑いすら浮かぶ。
「ルック! 石板見て行ってもいいかな?」
「好きにすれば? ああでも、今朝掃除したばかりだから汚い手で触らないでよ」
「大丈夫だよルックくん! おやつ食べた後、ちゃんと手拭いたもんね?」
足取り軽くやってきた同盟軍のリーダーとその姉はいつもの調子で笑い合いながら、石板を見上げる。まだ三分の一そこらしか名の入っていない石板。それを見やりながら、彼らは揃って息を吐いた。
「ジョウイの名前、ないね……」
「……うん」
ジョウイ。彼らの幼馴染にして、敵対するハイランド側についた少年だったはず。
横目に見るふたりは先ほどまでの明るさとは正反対に、顔色を曇らせて俯いている。
――その瞬間。
不意に、世界から色と音が消えた。あるのは、灰色と無音の空間。目がちかちかするほどの命の色も、生命の鼓動もない。眼前の姉弟すら灰色で、下手な子供がつくった泥人形のよう。
「……なんだ?」
つぶやくと、すっと色と音が戻った。反動のせいか、立ち戻った世界は余計に鮮やかかつ賑やかで、目と耳を塞ぎたくなる。
「ルックくん、どうしたの?」
姉の方に問われるが、どうにかいつもの調子を装って「なんでもないよ」とそっぽを向く。そうする自身の手の甲が、じりじりと熱くなるのを感じた。
それで、ひとつの可能性を得る。普段はこちらに従順な「こいつ」が何をきっかけにそれを見せたかは定かではないが、もしその可能性が間違いではないのだとしたら。
「……面白くないね」
思わず本音がこぼれ出る。こんなバラバラな色と音が混ざり合ったやかましい世界がどうなったところで自分に関係なんてない。けれど、それが理不尽に奪われるのは、はっきり言って面白くない。
「ねえ」
どちらへともなく呼びかけると、姉弟はほとんど同じタイミングでこちらに顔を向けて真っ直ぐに見つめてくる。それはそれは強い色と鼓動を宿す、鮮やかな星の輝きだった。
「さっさとこの石板の名前がぜんぶ刻まれるように頑張んなよ。……期待しないで待ってるからさ」
そう告げて、砦の天井を仰ぐ。窓から差し込む陽の光はまぶしく、あたたかい。色と音と温度のある世界が、ここにある。
その事実になぜか妙に安堵して、ルックはそっとまぶたを閉じた。
それが、彼の見た「灰色の世界」の、始まりだった。
初めてそう感じたのは、三年前の解放戦争のときだ。静穏な塔から降り立った地上は命に溢れ、その数だけの色と音に満ちていた。赤月帝国を相手取って立ち向かう解放軍の砦は圧倒的不利な状況でも心の灯を絶やすことなく、活気に満ち満ちていた。ひとつ、またひとつと勝利を重ねるにつれて集う人々は増え、ひとりひとりの戦意も凄まじい勢いで高まっていった。その色は極彩色と呼ぶにふさわしく、あまりの鮮やかさに目がくらんでしまいそうなほどだった。行き交う声の数も増し、豪胆な戦士たちや子供たちの笑い声はやかましくも、不思議と耳を塞ごうとは思わなかった。この色も音も、例えるならば「星の輝き」といったところか。戦いが終わるまでの期限付きのものならば、その輝きを愉しむのも存外、悪いものでもない。石板の傍に佇みながら、そう感じていた。
そして、三年を経た今。再び静かな塔を離れてやって来た砦もまた、色とりどりの命が集い始めている。解放軍の星の輝きが最も極まった瞬間――あのリーダーの家族と呼べる存在が帰還した瞬間に比べるとまだほんの小さな光だが、いつかあのときに近い――もしかするとそれを超える光を放つ日が来るかもしれない。同盟軍のリーダーを任された少年の横顔に、ふと、そんな期待を見たのは、彼があのときのリーダーと同じ天魁の星を宿す者だからだろう。
予想通りに、同盟軍の砦は瞬く間に人が集い、活気に沸いて騒がしくなっていった。集う命はよくもまあこんなのばかりを集めてきたものだと思うほどに色鮮やかで、石板に刻まれる名に苦笑めいた笑いすら浮かぶ。
「ルック! 石板見て行ってもいいかな?」
「好きにすれば? ああでも、今朝掃除したばかりだから汚い手で触らないでよ」
「大丈夫だよルックくん! おやつ食べた後、ちゃんと手拭いたもんね?」
足取り軽くやってきた同盟軍のリーダーとその姉はいつもの調子で笑い合いながら、石板を見上げる。まだ三分の一そこらしか名の入っていない石板。それを見やりながら、彼らは揃って息を吐いた。
「ジョウイの名前、ないね……」
「……うん」
ジョウイ。彼らの幼馴染にして、敵対するハイランド側についた少年だったはず。
横目に見るふたりは先ほどまでの明るさとは正反対に、顔色を曇らせて俯いている。
――その瞬間。
不意に、世界から色と音が消えた。あるのは、灰色と無音の空間。目がちかちかするほどの命の色も、生命の鼓動もない。眼前の姉弟すら灰色で、下手な子供がつくった泥人形のよう。
「……なんだ?」
つぶやくと、すっと色と音が戻った。反動のせいか、立ち戻った世界は余計に鮮やかかつ賑やかで、目と耳を塞ぎたくなる。
「ルックくん、どうしたの?」
姉の方に問われるが、どうにかいつもの調子を装って「なんでもないよ」とそっぽを向く。そうする自身の手の甲が、じりじりと熱くなるのを感じた。
それで、ひとつの可能性を得る。普段はこちらに従順な「こいつ」が何をきっかけにそれを見せたかは定かではないが、もしその可能性が間違いではないのだとしたら。
「……面白くないね」
思わず本音がこぼれ出る。こんなバラバラな色と音が混ざり合ったやかましい世界がどうなったところで自分に関係なんてない。けれど、それが理不尽に奪われるのは、はっきり言って面白くない。
「ねえ」
どちらへともなく呼びかけると、姉弟はほとんど同じタイミングでこちらに顔を向けて真っ直ぐに見つめてくる。それはそれは強い色と鼓動を宿す、鮮やかな星の輝きだった。
「さっさとこの石板の名前がぜんぶ刻まれるように頑張んなよ。……期待しないで待ってるからさ」
そう告げて、砦の天井を仰ぐ。窓から差し込む陽の光はまぶしく、あたたかい。色と音と温度のある世界が、ここにある。
その事実になぜか妙に安堵して、ルックはそっとまぶたを閉じた。
それが、彼の見た「灰色の世界」の、始まりだった。