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幻水その他

「誰だっ!」
 可愛らしくも力のこもった声に驚き、反射的に振り向いた。
 視線の先に居たのは、銀色の鎧と兜を身に着けた女の子。女の子は鋭く光る槍と、きれいな紋様の入った盾を装備していて、その姿は少女でありながら騎士のようないでたちだった。
「ここに何の用だ!」
 どうやら不審者と思われてしまったらしく、少女は大きな瞳をぐっと顰めてこちらを睨みつけている。
「えーと、あっちのお城の人かな?」
「そうよ! 私はビュッデヒュッケ城の守備隊長のセシル! 怪しい人は成敗します!」
「わ、待って待って! 私はナナミ。ただの旅人で、怪しい者じゃないのよ!」
 誤解を払しょくすべく、眼前で両手を振り、敵意がないことを示す。
「旅の人……?」
「そう。ちょっと人を探しに来ていたの。少し前、ここでちょっと大きな戦いがあったでしょ? その戦いで、その人がいたと聞いたものだから」
 興奮している少女を落ち着かせるように話すと、信用してくれたのか、セシルと名乗った少女は慌てて深々と頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 私、またはやとちりして武器を向けてしまって……」
「また……?」
「あ、いえ、なんでもないんです! ところで、どうしてこんなところにいたんですか? 人探しならお城に来た方がきっと情報もありますよ?」
 セシルは首を傾げて問うてくる。
 確かに、彼女の言うとおりだ。湖のほとりにたたずむお城から少し離れた小高い丘。見晴らしは良いが、特に情報源になりそうなものはない。
「……そうだね」
 あるのは、野ざらしになっている無骨な形の石板だけ。たくさんの星と人の名前が刻まれた、無骨な石板。ナナミはそれを眺めながら目を細め、静かに口を開いた。
「ちょっとだけ、懐かしくて」
「懐かしい?」
「そう。十五年くらい前なんだけどね、私がいたところにも、こんな石板があったんだ」
「えっ?」
 驚くセシルに薄く笑みを浮かべ、ナナミは目を閉じ、懐かしむような口調で言葉を紡いだ。
「その石板の前には、男の子がずっと立っていたの。用事があって連れ出される時以外は、ずっと」
「石板の前で、何をしていたんですか?」
「立ってるだけ。朝はお掃除もしてたけど、男の子の役目は石板を見守り続けることだったの」
「この石板って、そんなすごいものなんですか? 私たちは何なのかさっぱりわからなくて、ほとんど放っておきっぱなしだったけど……」
「私もよくはわからない。その子に『どうして見守らなきゃいけないの?』って聞いたこともあったけど『君は知らなくてもいいんだよ』って、教えてもらえなかった」
 愛想のない少年の声を思い起こしながら、ナナミはくすくすと笑む。
「ツンとすました子で、話しかけても『何か用?』って冷たくて。でも、困ったときには面倒くさそうな顔をしても手を貸してくれた」
「……もしかして、その人が?」
 はっと気づいた様子のセシルに、ナナミは小さく頷いた。
「そう。今回の戦いにその子が関わっているって聞いて、会いに行かなきゃと思って、みんなで来たんだけど……」
 自然と、口元から笑みが消える。
 巡りに巡った噂で戦いの始まりと、それに関わる者の中に彼がいると聞いて、身が締め付けられるような思いになったのを思い出す。それは、今も変わらない。
 十五年の間で、彼の身に何があったのだろう。ときおり本拠地に現れていた彼の師はどうなったのだろう。どうして、こんなことを始めてしまったのだろう。あのとき――どんな思いで石板の前に立っていたのだろう。
 思いは募り続けて溜まらなくなり、同じ思いだった弟と共に旅立っていた。話しても伝わらない相手がいることは十五年前に学んだけれど、彼は違うと思った。どうしても、話したいと思った。
 ――けれど、時は遅かった。
「ちょっと、入れ違いだったみたい。残念」
 心配そうにこちらを見つめる少女を安心させたくて、無理やりに笑んでみた。それでも、きっと淋しい笑顔になってしまったように思う。間に合わなかったことは、残念でならない。
「あの、何という方ですか? 私、みんなに聞いてみます! お城の人の中に行き先を知ってる人がいるかもしれませんし!」
「お城には情報通がいっぱいいるんですよ!」と続けて、セシルは胸を張る。
 しかし、今はその優しさが痛かった。彼の名前を、この子に教えることはできない。戦いの結末を知ってしまったからには――とても。
「ううん、いいの。もう、いいんだ」
「でも……!」
「ナナミー!!」
 身を乗り出して更に手伝いを申し出ようとするセシルの肩越しに見慣れた人影を見た。
「ナナミー! お城の宿屋、空いてたよ!」
「はーい! 今行くよー!」
 手を振る弟に返事をして、ナナミは一歩を踏み出した。そして、並んだセシルの両肩に軽く手を乗せる。
「セシルちゃん、だったよね」
「は、はいっ!」
「セシルちゃんは、あのお城を守ってるんだよね」
「はい! 守備隊長ですから!」
「あのお城が、大好きなんだよね」
「はい! お城も、お城に住む人たちも大好きです!」
「そっか」
 はつらつとした少女の声に、少しの救いを感じながら、ナナミは瞑目する。そして、柔らかな眼差しをセシルに向けた。
「セシルちゃん、頑張ってね。大切なひとたちの手を、決して離してしまわないように」
「――え?」
 きょとんとするセシルに「ふふ」と笑みながら、更に一歩を進める。
「さあ、行こっか。ね、お城の中、案内してもらってもいいかな? 2、3日はお世話になろうと思ってるの」
「あ……はい! 喜んで! お城の隅から隅まで案内しちゃいますよ!」
「ふふ、楽しみにしてるね」
「じゃあ、さっそくご案内します! ついて来てください!」
 言いながら、セシルは元気に走り出す。あんなに重そうな武具を身に着けているというのに、その動きはとても軽やかだ。いつかの自分を、少しばかり思い出す。
「……」
 ナナミはふと立ち止まり、もう一度だけ振り向いて石板を見つめた。
 誰にも手入れをされていない、野ざらしの石板。そこに刻まれたひとつの名前を、唇だけで象る。十五年前、何度も呼んだ名前。当たり前のようにそこにいた、少年の名前を呼んだ。
「――またどこかで、会えるよね」
 そうひとこと口にして、ナナミは少し先で待っているセシルと弟の元へと向かった。
 その後は、もう、振り返ることはしなかった。
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