第58話 同じもの
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欲しいものは全て手に入れてきたんだ-…
誰もが翻弄され魅了される幻の宝石も
世界に一冊しかない貴重な書物も
豊満な体に艶やかで美しい女も
望めば全て手に入れる事ができた-…
否、望まなくともあちらから来る類ももちろんあった
満たされていたはずの心と体
彼女と出会い始めて「飢え」を感じた
薄くらい部屋
コポコポと鳴る水槽
その水の中で揺れる髪と血の気のない白い肌の女性-…
そして、それをただ生気の抜けた瞳で見つめる一人の男の姿がそこにあった-…
『秀ちゃん』
今でも聞こえるのだ
彼女の声が-…
見つめる先の彼女の瞳が今にも開きそうで
笑ってくれそうで-…
『秀ちゃんは私の自慢の幼なじみなんだよ』
『秀ちゃんの彼女になる人は幸せ者だね。』
初めて本気で欲しいと思った少女
誰かに近づきたいと思ったのは彼女が初めてだった-…
君と同じ存在になりたかった-…
君と同じ目線で世界を見たかった-…
君と生きて同じように老いて君と死ねたらどれだけ幸せかと何度夢見たか-…
近づけば近づくほど飢えは酷くなり
遂には自分までか彼女も追い詰めていた
それほどまでに誰かに執着したことなどない
愛してしまったことなどない
だから-…
「俺は…」
虚ろに見上げた翡翠の瞳が暗く翳り揺れる。
人間になって
人の愛に触れて
少しは愛し方を覚えたつもりでいたんだ
なのに結局は所詮人の皮を被った人外でしかない
本質は何も変わらない
南野秀一であって俺は妖狐・蔵馬なのだ
奪う事しか知らない
水槽にそっと手を当てれば酷くそれは冷たかった-…
*********
-躯said-
蔵馬はその日に、全てにかたをつけると…
そう言っていた。
蔵馬とは事前に話し合い(嫌々だったが…)今日は魔界にとっても特別な日だったんだ。
これから魔界を統べる為に必要なトーナメント…
それを霊界の最下層でしたのにはしっかりとした理由があった。
最下層に捕らわれた精神を崩壊させることで人間の娘を捕らえる呪いは薄くなる。
前世から紡がれたその業を断ち切る為にもそれは必要で、尚且つあの精神は娘を苦しめていた…禁術という形でもそうだ。
その男の精神は秀忠に加担したのではない。
栄子を苦しめる為のもの…。だが、目的はその母親の苦しみだった。
栄子は業というものに縛られ、自身に流れる父親の血に縛られた。
躯が見た栄子の記憶は、本来ならあるはずの無い前世の記憶だったのだ。
すべてに合点が行く。
明確に確信したのはそう昔ではない。
蔵馬もいつから気が付いていたのかは分からないが、どこかで確信めいていたのだろう。
だからこそ自分に魔界トーナメント会場の場所を指定してきたのだ。
自分も気になってはいた場所。
気に入った娘を苦しめるであろうその場所。
あの狐は利口だ。
『霊界が規約を守っているとでも?あなたなら調べる事など簡単でしょう?』
遠まわしに「潰せ」と言われた気がした。
そして-…
予感はしていたんだ…
それは長く生きてきた故に培ってきたものなのかどうなのかは分からない…
ただ酷く焦って帰ったのは覚えている。
どういったわけか早く魔界に戻らなければと思った。
自分専用の治療所は妖怪専用だ。
致命傷でも妖怪ならば生命力が高いゆえ治せる可能性は高かった。
廊下に着いた血に跡-…
こぽこぽとなる治療所の水の音-…
真っ暗な水槽に入れられた見慣れた娘。
そして、水槽越しにそれを見つめる生気の抜けた赤い髪の男の姿-…
…何が、あった?
冷静に考えれば自ずと答えは想像が付くもののこの時の俺はそんなに冷静じゃなかった。
人間ならばこれは意味をなさない。
緊急といえど"妖怪"の生命力だからこそ細胞は再生される。
狐はそれを分かっているはずだ…
だからこそ人間はすぐに摘める命なのだ。
気付けば男の襟首を掴み人形の様に逆らわない力の抜けた男を殺す気で殴ったのを覚えている。
城の壁を突き抜けたその男を追えば地面に叩きつけた。
その時に何か叫んだ気もするが頭に血が上りすぎて何を言ったかは覚えていない。
生気のない死んだような翡翠。
視点のあっていない瞳。
本来ならば内臓を潰され息が苦しいはずのその男はまるで生きていないかのように微動だにしない。
普通ならば自然と咳き込み血を口から吹き出し顔を歪める程の痛み。
狐は心が死んでいたのだ…
目の前のそいつが自分の知っている誇り高き自信に満ちたあの蔵馬とはほど遠く感じて…
今ならきっと誰でもこの男を殺せるのだと、そんな事を意外と冷静に思ったのを覚えている。
どれ位時間がたったのか…
ふいに、狐の瞳が自分を捕らえる。
「…最、下層…」
男は小さくそう呟けば、今まで存在をかき消していた翡翠の瞳が光を宿らせ、俺を払い起こし、栄子を頼む!と一言告げればその場を飛び出す。
(最下層…だと?)
狐の後姿を見ながら、狐の言った言葉を思い返す。
最下層がどうしたというのだ。
今現在、最下層に行く事は不可能だ。
-…それもそう、その存在自体を自分達が崩壊させたのだから。
そして気付く-…
躯の視線が上がるその先にあるのは、城の中の"死ねば最下層に送られる娘"だ。
"行き先"がなければどうなる?
時の狭間に捕らわれる-…
「蔵馬!!」
躯は胸元から何かを取り出し振り返る男にそれを投げる。
受け取った狐は何の反応も返すことはない。すぐさま踵を返し去って行く。
不安を隠し切れない揺れる彼女の瞳がただその狐の後姿を見送れば、ゆっくりと立ち上がる。
「俺に子守をさせるとは良い度胸だぜ。」
悲しくも切なげに呟けば微かに笑みを浮かべる躯。
彼女はやれやれと呟けば、栄子のいる城へ踵を帰すのだった。
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