第55話 大事の定義
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-同時刻-
雲掛かる月夜の下-…
森奥の地に魔界の雨に濡れる男の姿が二つあった。
そのひとつは片膝を地面に着け、長い黒髪も地面に付くかどうかのその状態で顔だけをもうひとつの影に向けていた。
その顔はただ歪み、血が流れる自身の腹を抑え、目の前に佇む男を忌々しそうに見上げている。
「……立て。鴉。お前の猿芝居など時間の無駄だ。」
そんな男に哀れみ一つ見せぬ金色の瞳が細くなれば冷ややかにただ静かに見下ろす…
妖狐・蔵馬
そして…彼の目の前で苦痛に顔を歪ませるのは、秀忠であり、鴉だ。
しかし、蔵馬の言葉に鴉は俯けば小刻みに肩を揺らす。
そして再び顔を上げた先にあるのは苦痛に歪む顔ではなく嘲笑うような笑みだった。
「ほう…痛みを感じないと知っていたか?」
それでも血が流れれば動きは鈍るんだが…と鴉は腹を押さえながらもゆっくりと立ち上がる。
「…しかし、まさかおまえから来てくれるとはな。」
くくくと笑みを浮かべる鴉だったが、その笑みは今までと比べ物にならない程遥かに冷たい笑みだった。
紫掛かった黒真珠の瞳に映るのは蔵馬に向けられる激しい憎悪。
「…殺しに行くのが省けたよ、蔵馬。感謝しよう。」
そう言いながら、細くなる黒真珠の瞳。
それをただ無言で見つめる蔵馬。
まさかと思い妖気と香りを辿ればすぐに見つかった。
躯の城の近くに居た鴉。
理由は明確。
昨夜にでも栄子と会う約束でもしていたのか…それで彼女が来ない事に痺れを切らして様子を見に来たのだろう。
本来ならば名を呼び奴の元へ行くはずだった栄子。
そう…
自分を切り捨てて、実行しようとしていた栄子。
そしてそれを止めた自分。
自分の妖気を隠し、周りに見つからない様にするはずの男もどうも今回は腹の中が煮えくり返っているのか…自らアピールするかのように妖気を放っていた。
「…俺の女に手を出した罪は重い。」
なぜ鴉がその事を知っているのか…。
契約者と対象者はそんなにも互いの状況が分かるのだろうか?
しかし敢えて隠すつもりもなければ知ったところで状況はなんら変わりはしない。
今の蔵馬にとってはもうどうでもいいことだった。
「俺の攻撃をかわす事もできない奴が何を言う。それに-…」
出会えば即効攻撃を仕掛けてきた鴉。
おそらく時期を計りつつも鴉も蔵馬も探していたのだろう。
それでも力の差は以前と違い歴然だ。
「おまえはもう逃げられない。」
そう言えば鴉に手を翳す狐。
その瞬間、鴉の胸元が内から盛り上がれば大きく裂ける。
そして避けた先に飛び出てくるのは木の枝の様な物。
「がっ…」
口から血を吐けば、胸元から生えてきた木を引きちぎろうと掴もうとする鴉だったが、ぐんぐんと伸びて行く木の様なそれに、鴉は自分の体を支えるのに精一杯だった。
「心配するな、そう簡単に死なん。お前の治癒力と生命力があれば問題ない。食事もちゃんと待てるようゆっくりと育てよう。」
無情な狐の言葉。
「おまえ…始めから…」
「あたりまえだ。おまえと遊んでいる時間などない。」
冷ややかな狐の金の瞳。
(そう。待っていたのは俺の方だ-…)
「種が根付くまで少々時間稼ぎはさせてもらったがこれでお前の体内に根は行き渡っているさ。」
邪念樹の使い方も様々だ。
「こんな…もの…」
「心配するな。もうすぐ幻覚が見える。」
幻覚。
架空といえど鴉の脳裏では彼女との甘い時間を過ごせるのだ。
秀忠から始まり、鴉を殺し…最後は彼らに死ねない制裁を加えている。
彼女を助けたい等と…
残酷で自分勝手ないいわけだ。
すべて自身のエゴだと、蔵馬は分かっていた。
結局は鴉と形は違えど自分勝手な行動。
それによって彼女がどれだけ傷つくかも分かっていた。
だが、それはいくら自身で分かっていようとどうにもならない事なのだ。
以前は離れる意外に選択肢などなかった。
それも今となってはそんな選択さえもない。
傷つけるだけ-…
昨夜の彼女の顔が脳裏に浮かぶ。
それを振り払うかのように瞳を強く閉じた、その時だった。
自身の妖気が遠くで反応する。
(…これは…)
心臓が大きく高鳴れば、嫌な予感がする。
その瞬間、記憶に蘇るのは前回、鴉を助けた者の存在。
「まさ…か…」
********
何でこうなったのか…
話したい…
そう言われて腕を引かれた。
雨の振る中、林の中にそのまま引かれて歩いている。
その途中に、彼女は秀忠…そう鴉と出会ってから今までの事を話してくれた。
彼女の名は桃華。
聞きたいと言ったわけではない。
話してくれる内容に衝撃を受けていないと言えば嘘になるが、それでも全然落ち着いていられたのはどうしてだろうか。
なによりも忘れていたのだ。
ほんの少しの間…秀忠の事を。
そう本当に少しの間だが、頭の中はそれどころではなかった。
どんなに自分は罪深く酷い人間なのだと、自分の置かれた状況を思い出した時に凹んだ。
秀忠と昨夜に会うはずだった。
そのために秀一とさようならをするつもりだった。
なのに-…
あんなにも考えてあんなにも悩んでいたのに、昨日の幼なじみの行動が全てを無駄にした。
否、いいわけだ。
自分はどれだけ能天気で自分勝手なのだろうか。
彼がどんな行動に出ようと何が起ころうと私は忘れてはいけなかったのに…。
「あの…!!!」
それにしてもだ。
雨が止む気配もなければ、未だ彼女が止まる気配もない。
一体どこへ向かっているのだろうか。
言いかければ、彼女は気付いたのか足を止める。
そしてゆっくりと振り返る。
掴まれていたはずの腕は開放され、代わりに伸ばされる彼女の手がそっと自分の頬に触れる。
じっと顔を覗き込む桃華。
一体何を考えているのか分からない瞳。栄子には分からないもののただ直感的に嫌な感じはした。
「あの…何か-…」
「そんなに似てるのかしら。私達。」
細くなる瞳。
妖艶なそれでいてどこか艶を含んだような妖しい眼差し。
似ている?
私とあなたが?
栄子は怪訝そうに眉を寄せる。
どう考えても似ても似つかない。
確かにどこか見慣れた感じはするものの自分はこの様な色気のある眼差しなど出来ない。否、まずパーツが違う。
「似てないと思います…けど。」
彼女の自分の頬を撫でる指が冷たい。
じっと自分を見つめる彼女の表情が次の瞬間無表情になれば頬に鋭い痛みが走った。
反射的にその手を振り払い後ろに後ずさる。
(…-なに…?)
自分の頬にそっと触ればじくりと痛み、指を見れば血が滲んでいる。
背筋に悪寒が走る。
「いつも代わりだったわ。…今ではもう代わりにすらなれないのに…。」
彼女の口から発しているとは思えないほどの低い声。
俯く彼女が視界に入るも、雨の為尚更その表情は見えない。
だからといって彼女に近寄ることが出来ない。
(…首の後ろがぴりぴりする…これって-…)
「こんなに辛いなんて思わなかった…。彼には笑って欲しいのに…幸せでいて欲しいのに。壊したいなんて思わないのに…、あなたが憎くて仕方がないの。」
(…何を…言っているの?)
ゆっくりと近づく桃華に栄子は無意識に後ずさって行く。
気分が悪い…
吐き気がする…
「矛盾してるって分かってるの…あなたは悪くない。でも…」
『あなたが死ねば鴉は自由になれるの!!』
顔を上げた彼女の瞳にはっきりとした狂気が宿る。
これは…殺気だ-…
そう思った時には遅かった。
ぐんと距離を詰められれば彼女が腕を振り上げ、同時に彼女の手に持つ刃物が目に入る。
--…
瞳を強く閉じ、痛みを覚悟したはずだった。
しかし、今だ来ない痛みと違和感に栄子は恐る恐る目を開ける。
視界に入るのは自分を庇うように間に入る黒い塊。
それは女の刃物を短剣で受け止め、黒いフードを被った人物はそのまま女を反動で突き飛ばした。
華奢な肩にどこか小柄な体型。
それだけで女性だという事は栄子にもすぐ分かった。
「え、…あ、あの…」
状況についていけず、無意識に栄子が声を発する。
黒いフードを被った女は目の前で転んだ女性が起き上がり地面にある刃物を取ろうとすればそれをすかさず取り上げ彼女に突きつけた。
突きつけられ青くなる目の前の女性。
それでも自然とその瞳をゆっくりと閉じていく桃華に栄子はただ瞳を丸くする。
まるで『死』を恐れない。
いや、これは…
死に、たいの??
「ま、待って…」
フードの人の服を掴む。
そんな栄子の心情を悟ったのか、黒いフードの人物は少し顔を栄子の方へ傾ければ小さく首を振る。
顔は見えないものの、「同情するな」とでも言いたいのだろうか。
しかし、その隙を狙ってか女は黒いフードの人物からすかさず刃物を取り、突き飛ばせば一瞬で狙いをこちらに定めそれを突き出した。