第37話 決められない選択
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
冷たい湿布の感触に思わず身が震える。
包帯を巻く優しい指の感触。
湿った赤い髪の毛が目に入る。
部屋の隅にある橙のランプが微かな明かりとなり、彼の俯いた顔を照らす。
窓ががたがたと音を立て屋根を叩きつける雨の音がする。
雨が酷くなる前に彼は私を抱えたまますぐ側にあったコテージに駆け込んだ。
選手達の修行用に躯の命令で建てた物らしく、内装は彼女の城の中似ている…基本、物にさほど執着を示さない彼女の好みはシンプル、だが質が良い。
このコテージにもそれが出ている。
ソファやはり彼女のこだわりからか大きく、幼なじみはそこに降ろしてくれた。
そして、とりあえず清潔にするのが先だと、汚れた服の変わりに室内にあったバスローブを貸してもらいそれに着替えた。
「はい、できたよ。」
捻挫だね、と私を見上げる彼にありがとうとお礼を言う。
「ごめんね、いつもいつも。」
「いいよ、慣れてる。」
そう優しく微笑む。
「……。」
沈黙が流れる。
それを破ったのは幼馴染だ。
「聞かないの?」
ランプの橙がかかる翡翠はゆらゆらと揺れ私を見据える。
「……。」
「…聞きたくない?」
それにゆっくりと首を振る。
彼はそんな私の様子に苦笑すると少しずつ話してくれた。
蔵馬が秀一となった経緯。
霊界のハンターに追われた彼は、人間の胎児の中に入り南野秀一としてこの世に生を受けたこと。
秀一と蔵馬はもう同化しているようなものらしく、ただ表に出る方によって気質が多少変わるらしい事。
淡々と、それでいて気遣いながらも優しく話してくれた幼なじみ。
真実を知ってから合点の行く事は多々ある。
私を人食い花から助けてくれた時に見た彼の手に持つ蔵馬独特の植物の蔦に、微かに感じた彼の体から出ていた妖気…。
考えないようにしていただけなのだと、今になって分かる。
本当に私って馬鹿なんだな…
「俺は妖怪だから、人の様には生きられない。」
知ってるわ。
「もうすぐしたら成長も止まってしまう。」
そうでしょうね、蔵馬だもん。
「母さんの悲しむ顔は見たくない。時期がくれば記憶を消して俺は魔界でしか生きていけなくなる。」
「……。」
「だけど-…」
ゆらゆら-…
橙の明かりは花びらのように翡翠にかかり切なげに細くなる瞳は金を帯び、私の瞳を捕える。
「栄子が欲しい。」
彼らしくない低い声。
その真剣な瞳と声に目を見開く。
「一緒に生きられなくても、君が生きている限り俺の側にいてほしい。」
蔵馬だと知った…
大事な幼なじみが彼だと分かった。
彼の想いに胸が痛い。
そんな彼を直視できなくて瞳を伏せる。
頭に響くのだ。
『許さないと…』
彼の悲痛な声が、裏切られたと嘆く声がいつも私の心を蝕むのだ。
「秀ちゃん…それは-…」
「…無理だよ、栄子。」
言いかけた言葉を遮る彼の言葉。
そして頬に触れる指。
秀一の指が優しく頬を撫で、それにゆっくりと顔を上げる栄子。
「…できないだろ?」
低く冷たい声色-…それに瞳を向ければ強く意志の籠る翡翠に捕らえられる。
逸らさない翡翠に、それから逃れようとも体が動かない。
見透かされた気持ち。
「できる…よ。」
だってそうしなければいけない。
なのに、声はかすれ自身の意志を伝えるには酷く弱い。
「できないよ、栄子には。」
頬に触れた指が熱い。
切なげに揺れ細くなる翡翠はゆっくりと伏せる。
そして-…
「君が苦しいと言えば言うほど、蔵馬は拒絶されながらも喜んだ。」
「……え…」
「何も思わぬ相手なら何も感じない、逆に恨むべきだ。…俺をつけあがらせたのは栄子だ。」
頬に滑る彼の指にぞくりと身が震える。
再び開かれた瞳が帯びるのは翡翠とは異なる金の色。
「秀一に対しての想いが恋じゃなくてもかまわない。蔵馬に対しての想いが冷めてきていても構わない。」
「…な、なに言ってるの?」
「君には決められない。」
俺は蔵馬でもあって秀一でもあるんだよ?と切なげに微笑む。
金色の瞳に見つめられ金縛りに合うかのように体が固まる。
長い癖のある髪は銀に緩やかに変わっていく。
至近距離で変わる秀一から蔵馬の姿に目を見開く栄子。
真っ白な陶器の様な肌に、桜色の唇。
流れるような切れ長の妖艶な瞳に心が騒ぐ。
「秀一を手放すことは出来まい。」
撫でる頬の指は唇を掠める。
俺が決めてやろう。…と、今にも唇が触れそうな距離で彼は視線を落としながらもそう囁く。
「秀一の理性は固くてかなわん、それでも俺はよく耐えた。」
妖しく光る瞳。
もう迷いなどない…と、狐は薄く笑いそう呟いた。
動悸がする。
眩暈がする…
見つめる金の瞳は冗談めいた色を含んではいなかった。
微かなランプの明かりが彼の影に覆われる。
全て俺のせいにすればいい…
そう甘く囁き狐はそれに自身を重ねた。