第36話 彼の秘密
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…だから、逃げる必要なんてなかった。
勝手に足が動いた
息苦しさなんて感じなかった
耳に心臓があるみたいで、音がうるさくて他の音なんて聞こえなかった
だから余計に思った。
やはりこれは夢なんだと…
こんな夜中に魔界の森の中を走る事なんてそうないだろう。
どこに向かって走っているの?
早く目を覚ましたい…
「栄子!!!!」
追いかけてくるのは幼なじみの必死な声。
目が合った瞬間、呆然と佇んでいた彼。
翡翠は動揺する如く揺れ、苦しそうな表情が今でも忘れられない。
それがやけにリアルで私はその場にいれなかったんだ…。
夜も更け、足場の悪い森の中をただ走る。
微かな月明かりを頼りに走る栄子の足は地面から出る木の根っ子につまづき激しく前のりに倒れる。
草むらの中に倒れこむと激しく膝を打ちつけ、その現実的な痛みに顔を歪める。
そして、鼻から香る土と草の香り、地面の冷たさに、改めてこれは夢ではないのだと感じる。
「栄子-…」
足音と共に、頭上から幼なじみの掠れた声が振る。
彼はうつ伏せになる栄子を起こそうと腕を掴むが-…
乾いた音と共に、秀一の手に微かな痛みが走る。
揺れる翡翠が映すのは彼女の払いのけた華奢な手と眉を寄せ未だ戸惑いを隠せない表情。
転んだ事で一気に肺に空気を入れたのが息苦しいのか、荒く呼吸する栄子に対して、同じように走ってきたにも関わらず息一つ乱すことのない秀一。
これが本来の種族の差。
秀一は彼女の前にしゃがみ込み、手を伸ばす。
その手が彼女の頬に触れると、一瞬びくりと身を引くものの、優しく触れるそれに強く閉じた瞳がゆっくりと開き不安気な色を含ませたまま目の前の人物を見上げた。
「……ごめんね、黙ってて。」
見上げた先で、優しくも哀しげに微笑む秀一。
謝る彼に先程の光景はやはり間違いではないのだと胸が締め付けられる。
「……夢、じゃないの?…秀ちゃん…。」
掠れた細い声は自分のものと思えないほど弱弱しく、栄子はただまっすぐ彼を見つめる。
どこからどう見ても幼なじみの彼。
なのに先程見た光景は頭から離れない、輝く月さえ色褪せて見える程、美しいその姿にただ息を飲んだ…
戸惑う瞳に力なく首を振る栄子の姿。
それでも否定の言葉を待つかのように、その逸らさない彼女の瞳に、狐の心は痛まないはずもなかった。
だけど、これはいつかばれる事。
秀一、蔵馬が彼女の側にいるのを望む限り避けようもない事実。
「…秀一は蔵馬で、蔵馬は俺なんだ。生まれた時から俺はずっとこうだった。」
いつも見てた幼なじみの翡翠に金の色が混じる。帯びていくそれは今までに何度か見た彼の色…。
脳裏を霞める過去の記憶。
冷たくも温かな彼-…
いつも心配をしてくれた優しい妖怪。
こんな所にいたなんて-…
理解できない感情に心が熱くなり痛みすら感じる。
それを和らげたくて思わず胸元の服を掴むが、マシになるはずもなく息が苦しい。
見上げたそこにあるのは、自身を見て翡翠の瞳を大きく見開く彼の表情、それは、苦しそうに眉を寄せる。
気付けば頬に流れる熱。
流れる涙の熱さに夢ではないのだと…
頬に触れた暖かさも、この胸の痛みも…夢ではないのだと…
ふいに抱き寄せられる。
そして、痛感させられる…
この彼の薔薇の香りと良く知る温かな体温も夢ではないのだと…
「…泣かないで。栄子…ごめん。」
抱きしめる彼の腕に力がこもる。
微かに震える彼の体は、一体何に怯えているのか。
大丈夫だよと
気にしないよと
言いたいのに…
視界がぼやけるのは言い訳だ。
彼の背中で宙を掴む震える自分の両手
私は、あなたを抱き返すことはできない…