第26.5話(妖狐編Ⅲ)
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息が出来ない。
胸が苦しい。
涙で前がよく見えない…
ひどい…ひどいよ、蔵馬…
森の中をただひたすら走る。
が、途中に出ていた木の根っこに足を引っ掛けその場に激しくこける。
「いたい…」
声が微かに出るものの、そのままの体制でぼろぼろと涙を流し袖で顔を抑える。
(足より…心が痛い。)
最近泣いてばっかりだ…と心の中で呆れてみる。
こんなんじゃ蔵馬に愛想疲れてもおかしくないかもしれない。
自分はまだ大人というには程遠く、子供というには成長している。だから分かることもあるのだ。
今でも脳裏から離れない…
彼が自分以外の誰かを見つめるその姿…
「胸が…痛いよ…」
「なら、俺が楽にしてやろうか?お嬢ちゃん。」
聞いたこともない声が頭上から振る。
下卑た笑いを含ませるそれに背筋が凍る。
見上げたそこにいるのは見たこともない妖怪。
「こんな所であの狐の女と出会うとは俺は運がいい。」
妖怪はしゃがみ込み栄子の前髪を掴み上げる。
「いた…」
「まだガキじゃねぇか。あの狐はロリコン趣味か?」
「なっ…」
「まぁ、顔や体はまだガキでも、具合はいいのかもしれねぇなぁ…」
ひひひと笑うその男は髪を掴んだまま強引に栄子を仰向けに返すとその厭らしい瞳で栄子の体を舐めるように見る。
「なるほど…なるほど…」
伸ばされる手に悪寒が走る。
「嫌!!」
その手を振り払い急いで立ち上げるものの、すぐに腕を掴まれその場に投げられる。
背中を激しく打ちつけ眩暈がする。
馬乗りになる男に手を上げ抵抗するものの、むなしくそれは掴まれ、着物の間から入る無骨な手と、近づく臭い息に青ざめていく。
「く…蔵…」
叫びそうな口を思わず硬く閉じる。
言えない…
前も同じような事があった。
人間界で宿屋の亭主に襲われたあの時。
自分のせいで死んでしまった彼。
もう自分のせいで誰かを死なせたくない…
違う…
彼に自分の為に誰かを殺してほしくないのだ…
「大人しくなったな…」
息の上がる男。
前の襟を両手で掴みそれを左右に勢い良く開ける。
留め飾りが飛ぶ-…
これから起こることに恐怖を感じ栄子は唇を噛締め瞳を強く閉じた。
その時だった-…
シュッ-…
風を切る音と共に馬乗りになっていた男の気配が消える。
遠くから聞こえる男の悲鳴。
「…え…?」
恐る恐る目を開くとそこにはもう男の姿はなく、あるのは霧掛かった闇夜の中、自分に近づいてくる銀髪の妖怪。
「蔵馬…」
「おまえはなぜそんなによく襲われるんだ?」
呆れながらも少し怒りの含んだ声。
「今の…」
「魔界の植物達に食わせた。安心しろ、目の届かないところでだ。」
「……。」
彼の金色の瞳を見つめる。
「…どうした?」
「…ごめんなさい。」
「…なにが、だ?」
意味が分からないといったかのように眉を顰める。
「ごめんなさい…私の為に…」
来てくれた-…
頬に涙が伝う。
「ごめんなさい…」
あなたはいつも私の為に手を汚してきた…
きっと…あの時も…
薄れる記憶の中で真実が見え隠れする…
それを辿ると頭が割れそうに痛む。
引き寄せられた時には懐かしい薔薇の香りに包まれる。
力強く抱きしめる狐の腕…
ずっと恋しかったそれ。
「……ごめんなさい…」
胸に顔をうずくめる。
「なぜ、謝る…」
切なげな彼の声。
まるでそれは自分だとでも言いたげに苦しそうに眉を寄せる。
この腕にこの体温に安心するのはなぜだろう。
その答えを少なからず自分は分かっている。
分かっていても…どうにもできない。
しばらくの静寂。
お互いの鼓動が聞こえる中-…沈黙を破ったのは栄子だった。
「…いいよ、戻って。彼女待ってるでしょ?」
狐を見上げ微笑む彼女に、狐は目を見開く。
「来てくれてありがとう。」
来てくれたのだ…それだけでもういい。
胸を押し返す。
押し返されたその手に自身の手を絡める狐。
「…蔵馬?」
それを口元にあて、揺らぐ金色の瞳が栄子の瞳を捕らえる。
「おまえが欲しい。」
切なげな狐の声と真っ直ぐに見る金色のそれ。
「…え?」
「おまえが欲しくてたまらない。」
熱の籠るその金の色。
自然と近づくその距離。
「俺を受け入れろ。」
息のかかる距離で囁く…
栄子以外の女との行為など、ただの排泄行為に等しかった。
口から出る言葉は彼女の名と彼女へ向けた愛しい言葉。
日に日に止められなくなって行く想いに彼女を壊してしまいそうな自分を抑えるのに精一杯だった。
彼女の唇に向かうそれは光るそれに止められる。
「…!!?」
金色に光りだす栄子の体。
狐の瞳が大きく見開く。
「蔵馬…これ-…」
自分の光る手を見て彼を見る。
予感はしていた。
少なくとも動物の勘とでも言うべきか。
今までも強引にでも関係を変える事はできたのだ。それだけの自信もある。
人間と妖怪…
栄子の気持ちと生命力の差だけが大きな問題ではなかった。
彼女を自分のものにしてしまったら…
いなくなった時自分はどうなるのか。
いつか訪れる自然の摂理とは違い予期せぬ理りの時期が来たとき、耐えれるのかと…
いつか…来るものと、確信していた。
「…蔵馬、私…」
再び彼女を抱きしめる。
「おまえ…俺の事をどう思っている。」
擦れた震える声。
「……私は…」
嫌だった。
彼が女性と夜を共にしているのを見たとき心が凍ったかと思うくらい震えて寒くなって、死にそうなくらいショックだった。
「言え。」
「……私は-…」
体が眩しいくらいの光に包まれる。
彼の頬に手を添える-…見つめる双方。
開いた口に言葉を乗せるものの、彼にそれは届かない…
始めはあんなにも彼を憎んでいたというのに…
憎しみはずっと続かない。
いつしかそれは愛しさに代わり、自身の中でそれは迷いとなった。
惹かれていた。
惹かれていたのだ…
少なくとも彼と共に過ごす日々は驚くほど暖かくて楽しかった。
許してはいけないのに許していた。
愛し始めていた-…きっと。
魔界の森は静かだった。
銀髪の妖狐は木にもたれ夜空を見上げる。
この木にもたれ目が覚めればまたあの時のように彼女に会えるのかもしれない。
初めて出会ったあの時…
まだ花をつけていない桜の木の下で優しく抱き上げられた柔らかな感触。
あの頃が愛しくて俺の思考を麻痺させる…
最後にくれた自分の瞳に落ちる彼女の優しいキス…
『大好き』
今も耳に残る…
ひらひらと桜の花びらが舞う-…
あの頃…
狐と彼女が共に過ごした季節は酷く暖かで酷く心地よかった…