「話があるから会いたい」と言った私の急なお願いを、
大橋さんは嫌味一つ言わず了承してくれた。
定時で退社した後、いつものように現れた彼の車の後部座席に乗り込んだ。


「あの…」


「話があるんだろう。車じゃなくて、場所を変えよう」


勇気を出して切り出した私の言葉を、大橋さんが遮った。
「せめて一度くらいゆっくり話したい」と言われ、
押し切られるようにそれを了承した。
けれど車はどんどん神室町の深い場所へと進んで行くので、
私は少し不安になる。


「どこへ…？」


「あぁ、こんな場所、女性は中々来ないだろうね。
知り合いがやっているバーがあるんだ。
外に看板も出していない、隠れ家的なお店でね。
そこなら落ち着いて話ができるだろうと思って」


いつもと同じ優しい表情で言われて、納得するしかなかった。
私はこれで最後にしようと決めていたし、
最後くらい彼の望みを聞くべきだとも思った。


「ここだよ」


古びたビルの前に車が停められて、大橋さんにエスコートされるまま付いていく。
彼の言った通り看板らしきものはどこにも無く、むしろ人の気配すらしない建物だった。
大橋さんは1階の角に当たる店舗の前に立つと、「どうぞ」と扉を開けてくれる。
先に入るよう促され、それに大人しく従った。


一歩足を踏み入れた瞬間、自分の判断の甘さを痛感した。
ここはお店なんかじゃない、そう気付いた時には
力尽くで床に押し倒され、私の視界に蜘蛛の巣が張った天井が映る。