美琴が辞めたいと言い出した時、あの張り紙が原因だろうと察しがついた。
まるで小さな子供のように泣きじゃくる女を放っておけず、思わず抱き寄せてしまった。
躊躇いがちに美琴の腕が背中に回された時、どうしようもなく愛しい生き物に感じて、胸が押し潰されそうになった。
数ヶ月前に18年ものの凝りが取れて、気持ちが軽くなったせいかも知れない。
あんな気持ちで女を抱きしめたのは、本当に久しぶりだった。
だから今は、美琴が話す彼女の過去を、ただひたすらに聞いている。


「父が殺したのは、私の同級生一家でした」


美琴が小学生の頃、父親が一家を惨殺したとして逮捕されたのだと言う。
冤罪を訴えていたが、証拠が揃っておりそれは認められなかった。
父親は冤罪を訴えたまま、獄中で亡くなったそうだ。
彼女は多くを語らなかったが、殺人犯の家族がその後どうなったかは想像がつく。
仕事が続かなかったのも、不自然に職歴が多いことも、全て合点がいった。
今までもこうして、何度も執拗な嫌がらせを受けて、退職を余儀なくされたのだろう。


「私、耐えられないんです」と美琴は言った。


「西田さんや他の優しくしてくれる皆さんに、またあんな白い目で見られるの」


そこまで言って、美琴はほろりと涙を流した。


「真島建設が好きなんです。
だから、皆さんに嫌われる前に辞めたいんです」


あの日と同じように、両手に顔を埋めて泣き出す美琴を、抱きしめたい衝動に駆られる。
けれど今それをしてしまうには、リスクがありすぎる。
俺はため息を吐くと、両手を叩いて二度音を鳴らした。


「お前らのことが好きなんやと！」


そう声を張り上げると、僅かに開いていたプレハブ小屋のドアが開いた。
案の定そこに、西田を初めとする従業員が数人立っている。
盗み聞きしてたことがバレていないとでも思っていたのか、気まずそうな顔をしていた。


「バレバレじゃ！どアホ！」


俺の罵声に西田は肩を震わせる。
美琴の顔をチラリと見れば、絶望的な表情を浮かべ、青ざめていた。
そんな顔をしなくても大丈夫だというのに。
美琴はここがどこだか忘れている。
天下の真島建設やぞ、と俺は思った。