虎と笹
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「脈はないやろな」
「んー...難しいかも知れないねぇ」
神室町にある居酒屋の個室で、目の前に座るパイソン柄のジャケットを羽織った眼帯の男と、嫌らしいくらい無精髭の似合う金貸しの男が、私を見て悩ましげな表情を浮かべる。
「何がですか」
聞かなくてもなんとなく想像が付くけれど、私はそれを認めたくなくて分からないフリをした。
「深雪ちゃんが意中の殿方と良い関係になれる確率、かな」
秋山さんがニヤリと笑ったので、私はムッとする。
「言われなくてもわかってます」
「なんやろな。やっぱあれや、色気が足りひんのやろな」
日本酒片手にそう言う真島さんの横で、「まず女性として意識されてないんじゃないかな」と秋山さんが止めを刺してくる。
「やめてください。傷つきます」
言われなくったって、そんなことは自分が一番わかっている。
この怪しい二人組に、どうしてそこまで言われなくてはならないのか。
私はしょんぼりと目の前のジントニックが入ったグラスを見つめた。
「遅なったな」
個室の扉がガラリと空いて、大きな体がそこを潜った。
「兄弟、待っとったで」
途端に私の心臓がドクン、と跳ねる。
ニヤニヤ笑う真島さんと秋山さんに目もくれず、冴島さんは空いている私の隣に腰を下ろした。
「お、おつかれさまです。
お仕事はもういいんですか?」
冴島さんを前にすると、私は途端にしどろもどろになる。
数ヶ月前街で絡まれていた所を助けてもらってから、私はこの人に夢中だった。
「おう、まぁな。深雪、顔真っ赤やないか。
もうそんなに飲まされたんか」
冴島さんの言葉に私は更に赤面するが、彼は目の前の二人に「飲ませすぎやぞ」と真面目な顔で説教している。
相変わらず意識されていないことに、ちょっと傷つく。
「やだなぁ、俺たちまだ一杯目ですよ」
秋山さんが不適に笑って「一体何に酔っちゃったのかな」と顔を覗き込んでくるので、思い切り睨み付けた。
けれど相手はあの秋山駿。
凄んだところで怯むわけもない。
全員が揃ったところでまた乾杯の音頭があり、私は冴島さんの隣でただひたすら皆の会話を聞く置物になった。
左側に感じる体温にひたすら胸が高鳴り、真島さんのいう最近見たマブイ女の話とか、秋山さんが話す花ちゃんの都市伝説みたいな話に、ひたすら相槌を打つ。
途中、冴島さんが頼んだ刺身の舟盛りが届いて会話が中断されたけど、それがテーブルに置かれてからはまた盛り上がり始めた。
自ら振るような話題のない私は、目の前の刺身を食べようかと思うけれどお醤油が近くにない。
醤油差しは冴島さんの奥の、もっと言えば真島さんの近くにあった。
冴島さんに取ってなんて言えないし、彼を超えて腕を伸ばすのも勇気がいる。
諦めようかな、と思っていた時だった。
冴島さんの大きな手がすっと伸びて、次の瞬間には目の前に醤油差しが現れる。
「あ...ありがとう...ございます」
消え入りそうな声でお礼を言うと、「おう」とだけ返事が返ってきて、私は耳まで赤くなった。
冴島さんのこういうところが、好き。
「なんや、深雪ちゃん。醤油欲しいんやったら言ってくれたらなんぼでも取ったるんに」
「さすがだな冴島さん。よく見てる」
派手ヤクザと金貸しめ...
二人とも私の反応を見てニヤニヤと頬を緩めると、話題はそのうち冴島さんがモテるという話になった。
「兄弟はな、こない女に興味ないっちゅーフリしとんのに、なんでか知らんけど俺よりモテる」
「フリとはなんや」
「こないだもアレや。
キャバクラ行ったらまぁー女からキャアキャア言われとったなぁ。
大して喋らん癖に、コレの何がオモロイんや」
「でもまぁ冴島さん気が利きますからね、さっきみたいに。
寡黙なところも相まって、女の子にはモテるんじゃないですか」
この意地悪な話題は二人ともわざとに違いなく、私は気にしない振りをして目の前の刺し盛りを突いた。
「そう言えばこないだのネェちゃん、アレはどないしたんや、兄弟」
「なんの話や?」
「アレや、アレ。こないだキャバクラでお前のことを気に入ったいうネェちゃんや。
連絡先交換したんやろ?
どや、なんか進展あったんか」
「あぁ、まぁ、飯食いに行くことにはなったな」
「なんやと!?二人でか!?」
真島さんの怒声と、私が箸を落とすのとほとんど同時だった。
「飯くらいは食いに行くやろ」
「せやかてお前アレか。
ほんならちょっと兄弟も気ぃあるっちゅーことか」
「そんなんはわからへん。
こういうのは順を追って行くもんと違うか。
飯を何遍か一緒に食うてみて、そっからやろ」
続けられる会話に居た堪れなくなって、私は「お手洗いに」とだけ行って立ち上がった。
冴島さんの後ろを早足ですり抜けて個室を出た後、女子トイレの前で誰かに腕を掴まれる。
驚いて振り返れば、そこに秋山さんがいた。
「大丈夫?」
「あの...ちょっと飲みすぎたみたいで」
気持ちを隠すように笑えば、自分でも顔が引きつるのを感じた。
無理やり作った笑顔はふにゃりと崩れて、次の瞬間には鼻の奥がツンとする。
「やっぱり、脈はないんですかね」
「深雪ちゃん」
「冴島さんと私、もう何回も食事してるのに。
やっぱり私に魅力がないからですかね」
口に出した後で、ポロポロと涙が溢れた。
冴島さんの前だと私はいつもうまく喋れない。
いつも真っ赤になって俯いて。
彼にとっては街中で助けた、ただの人見知りの女の子。
「そんなに辛いなら、俺にしとけば」
「え?」
聞き返した時には秋山さんのがっしりとした両腕の中に、すっぽり抱き留められていた。
タバコの匂いと、ムスクの香りが鼻腔を擽る。
「なんだか放っておけないんだよね。
俺ならたぶん冴島さんを忘らせてあげれるし、
深雪ちゃんをうんと甘やかしてやれる。
どう?魅力的な話だと思わない?」
頭の中にハテナがいっぱい浮かんで、それでも心臓は早鐘を打った。
何か言わなきゃと思って顔を上げると、秋山さんの唇が降って来る。
「あのっ!」
驚いてギュッと目を瞑ると、おでこにチュッとキスされ、思わず「わ」と声が出た。
「そんなに硬くならないで。
どう?少しは俺のこと意識したでしょ。
本気で好きならこれくらいの勢いでいかないとね」
頭を撫でられ「戻ろうか」という秋山さんの背中に、私はただついていくしかなかった。
個室に戻れば真島さんはまだギャァギャァと騒いでいて、隣にストンと腰を下ろした私のことを冴島さんが気に掛ける様子はない。
と思ったのに、視線を感じて隣を見ればパチリと目が合った。
「随分遅いなと思っとったら、なんや泣いたんか」
冴島さんの大きな親指が私の涙袋の辺りをスッと撫でる。
「秋山のやつになんかされたんか」
「いえ...あの、ただ...相談に乗ってもらって」
なんと答えたらいいか分からず濁せば「ふぅん」と興味なさげに言われ、また傷ついた。
どうしたらこの人の大きな手を自分だけの物にできるのか、私にはわからない。
暫くして飲み放題の時間が終わると、真島さんがカラオケに行きたいと言い出した。
「明日も仕事だし」と適当な言い訳をして、私はその場を切り抜ける。
「なら俺が送って行こうか。
さっきの話の続きもしたいし」
カラオケに秋山がいないとつまらんと騒ぐ真島さんを宥めながら、秋山さんがこちらに意味深な視線を寄越してくる。
どうしたら良いか分からずモジモジしていると、「俺が送る」と冴島さんが言った。
「「え?」」
秋山さんと私の声は同時だったと思う。
「俺も明日早いし、同じ方向や。
ほな行くで」
私の頭にポンと右手を乗せると、冴島さんはズンズン歩き出してしまう。
私は慌てて騒ぐ二人に頭を下げると、大きな後ろ姿を追った。
「あの...私、タクシー拾いますから。
冴島さん、二次会行ってください」
「明日も早いって言うたやろ。
あいつらに付き合うてたら何時になるかわからん。
深雪、こっち方面やったよな」
「でも私の家、冴島さん家より遠いですよ」
「酔い覚ましにちょうどえぇ」
冴島さんの歩幅は私より大きいはずなのに、私に合わせてゆっくり歩いてくれている。
さりげなく車道側を歩いてくれるところとか、そういうあなたが堪らなく好きなんです。
「秋山はやめとき。深雪の手に負えるタイプとちゃうぞ」
「はい?」
冴島さんは真っ直ぐ正面を向いていて、その横顔からは表情が読み取れない。
「やっぱり泣かされたんやろ、あいつに」
「あれは...そういんじゃなくて」
「まぁ俺より話しやすいんやろうけどな」
私かうまく喋れないこと、冴島さんは気付いていたんだ。
そういうんじゃないのに、と胸がギュッとなる。
「...次の角曲がったら、もう家です」
「ほうか。ほんならそこの角まで送るわ」
あの角を曲がったら冴島さんは帰ってしまう。
そう思ったら思わず立ち止まっていた。
「どないしたんや」
立ち止まる私の顔を冴島さんが覗き込んだ。
秋山さんみたいな方法は、やっぱり私にはできない。
「あ...コーヒーが」
「ん?」
「美味しいコーヒーが、あって、うちに。
あの、...よかったら、えっと」
「あかん」
プイと背中を向けられ、私は泣きそうになった。
言わなきゃよかったとか、惨めだなとか、そんなことばかり頭を過ぎる。
泣くな、泣くな、今泣いたらめんどくさい女になってしまう。
「そういう誘い方は誰にでもしとるんか」
「ちが...くて...」
きっと軽い女と思われた。馬鹿だなぁ。
「まぁは深雪そういうタマやないやろな。
でもいきなり家はあかんやろ。
こういうんはちゃんと順を追ってやな」
ポリポリと頭を掻く冴島さんが、クルリと振り返った。
そこには少し照れたような表情があって、私の胸がドキンと跳ねる。
「深雪は秋山のことが好きなんやと思うてた」
フルフルとただ首を横に振ると、溜めていた涙が一粒溢れた。
「明日の夜は空いてるか」
「...え」
「二人で食うたことなかったやろ、飯。
なんも予定ないんやったら、どっか行こか」
コクンコクンと首が取れそうなくらい頷く私の頭を、冴島さんの大きな右手が撫でる。
「ほな明日連絡する。
冷えて来たから早よ家入り」
頭を撫でていた右手が私の手を掴み、冴島さんはそのまま歩き出した。
たった50mの距離でも手を繋げたことが嬉しくて、私はニヤける顔をマフラーの中に埋める。
「好き...」
思わず口にしてしまってから、慌てた。
言うつもりなんかなかったのに、好きすぎてどうにかなってしまったらしい。
「あ...えっと...」
しどろもどろになる私の手を、冴島さんがぎゅっと握った。
「ちょっと順番おかしなるけど、ええか」
背の高い冴島さんが腰を曲げたと思ったら、次の瞬間には唇を塞がれた。
優しく、ただ触れるだけみたいなキスは、冴島さんの体温を少し感じさせてくれて、あったかい。
「コーヒーは明日飲ましてもらうわ、覚悟しとき」
顔を上げた冴島さんがそう言って笑った。
自分で言い出したくせに、私はまだ心の準備ができていません。
「誰からのメールでそんな渋い顔しとんのや」
「いや、深雪ちゃんからですよ」
"秋山さんからのアドバイスで勇気が出ました。
すごいスパルタだったけど、あれは私に実戦で教えてくれたんですね!
明日冴島さんとデートです!"
「そういう意味じゃなかったんだけどなぁ」
秋山はただ苦笑いする。
冴島のポーカーフェイスに完全にやられたらしい。
「んー...難しいかも知れないねぇ」
神室町にある居酒屋の個室で、目の前に座るパイソン柄のジャケットを羽織った眼帯の男と、嫌らしいくらい無精髭の似合う金貸しの男が、私を見て悩ましげな表情を浮かべる。
「何がですか」
聞かなくてもなんとなく想像が付くけれど、私はそれを認めたくなくて分からないフリをした。
「深雪ちゃんが意中の殿方と良い関係になれる確率、かな」
秋山さんがニヤリと笑ったので、私はムッとする。
「言われなくてもわかってます」
「なんやろな。やっぱあれや、色気が足りひんのやろな」
日本酒片手にそう言う真島さんの横で、「まず女性として意識されてないんじゃないかな」と秋山さんが止めを刺してくる。
「やめてください。傷つきます」
言われなくったって、そんなことは自分が一番わかっている。
この怪しい二人組に、どうしてそこまで言われなくてはならないのか。
私はしょんぼりと目の前のジントニックが入ったグラスを見つめた。
「遅なったな」
個室の扉がガラリと空いて、大きな体がそこを潜った。
「兄弟、待っとったで」
途端に私の心臓がドクン、と跳ねる。
ニヤニヤ笑う真島さんと秋山さんに目もくれず、冴島さんは空いている私の隣に腰を下ろした。
「お、おつかれさまです。
お仕事はもういいんですか?」
冴島さんを前にすると、私は途端にしどろもどろになる。
数ヶ月前街で絡まれていた所を助けてもらってから、私はこの人に夢中だった。
「おう、まぁな。深雪、顔真っ赤やないか。
もうそんなに飲まされたんか」
冴島さんの言葉に私は更に赤面するが、彼は目の前の二人に「飲ませすぎやぞ」と真面目な顔で説教している。
相変わらず意識されていないことに、ちょっと傷つく。
「やだなぁ、俺たちまだ一杯目ですよ」
秋山さんが不適に笑って「一体何に酔っちゃったのかな」と顔を覗き込んでくるので、思い切り睨み付けた。
けれど相手はあの秋山駿。
凄んだところで怯むわけもない。
全員が揃ったところでまた乾杯の音頭があり、私は冴島さんの隣でただひたすら皆の会話を聞く置物になった。
左側に感じる体温にひたすら胸が高鳴り、真島さんのいう最近見たマブイ女の話とか、秋山さんが話す花ちゃんの都市伝説みたいな話に、ひたすら相槌を打つ。
途中、冴島さんが頼んだ刺身の舟盛りが届いて会話が中断されたけど、それがテーブルに置かれてからはまた盛り上がり始めた。
自ら振るような話題のない私は、目の前の刺身を食べようかと思うけれどお醤油が近くにない。
醤油差しは冴島さんの奥の、もっと言えば真島さんの近くにあった。
冴島さんに取ってなんて言えないし、彼を超えて腕を伸ばすのも勇気がいる。
諦めようかな、と思っていた時だった。
冴島さんの大きな手がすっと伸びて、次の瞬間には目の前に醤油差しが現れる。
「あ...ありがとう...ございます」
消え入りそうな声でお礼を言うと、「おう」とだけ返事が返ってきて、私は耳まで赤くなった。
冴島さんのこういうところが、好き。
「なんや、深雪ちゃん。醤油欲しいんやったら言ってくれたらなんぼでも取ったるんに」
「さすがだな冴島さん。よく見てる」
派手ヤクザと金貸しめ...
二人とも私の反応を見てニヤニヤと頬を緩めると、話題はそのうち冴島さんがモテるという話になった。
「兄弟はな、こない女に興味ないっちゅーフリしとんのに、なんでか知らんけど俺よりモテる」
「フリとはなんや」
「こないだもアレや。
キャバクラ行ったらまぁー女からキャアキャア言われとったなぁ。
大して喋らん癖に、コレの何がオモロイんや」
「でもまぁ冴島さん気が利きますからね、さっきみたいに。
寡黙なところも相まって、女の子にはモテるんじゃないですか」
この意地悪な話題は二人ともわざとに違いなく、私は気にしない振りをして目の前の刺し盛りを突いた。
「そう言えばこないだのネェちゃん、アレはどないしたんや、兄弟」
「なんの話や?」
「アレや、アレ。こないだキャバクラでお前のことを気に入ったいうネェちゃんや。
連絡先交換したんやろ?
どや、なんか進展あったんか」
「あぁ、まぁ、飯食いに行くことにはなったな」
「なんやと!?二人でか!?」
真島さんの怒声と、私が箸を落とすのとほとんど同時だった。
「飯くらいは食いに行くやろ」
「せやかてお前アレか。
ほんならちょっと兄弟も気ぃあるっちゅーことか」
「そんなんはわからへん。
こういうのは順を追って行くもんと違うか。
飯を何遍か一緒に食うてみて、そっからやろ」
続けられる会話に居た堪れなくなって、私は「お手洗いに」とだけ行って立ち上がった。
冴島さんの後ろを早足ですり抜けて個室を出た後、女子トイレの前で誰かに腕を掴まれる。
驚いて振り返れば、そこに秋山さんがいた。
「大丈夫?」
「あの...ちょっと飲みすぎたみたいで」
気持ちを隠すように笑えば、自分でも顔が引きつるのを感じた。
無理やり作った笑顔はふにゃりと崩れて、次の瞬間には鼻の奥がツンとする。
「やっぱり、脈はないんですかね」
「深雪ちゃん」
「冴島さんと私、もう何回も食事してるのに。
やっぱり私に魅力がないからですかね」
口に出した後で、ポロポロと涙が溢れた。
冴島さんの前だと私はいつもうまく喋れない。
いつも真っ赤になって俯いて。
彼にとっては街中で助けた、ただの人見知りの女の子。
「そんなに辛いなら、俺にしとけば」
「え?」
聞き返した時には秋山さんのがっしりとした両腕の中に、すっぽり抱き留められていた。
タバコの匂いと、ムスクの香りが鼻腔を擽る。
「なんだか放っておけないんだよね。
俺ならたぶん冴島さんを忘らせてあげれるし、
深雪ちゃんをうんと甘やかしてやれる。
どう?魅力的な話だと思わない?」
頭の中にハテナがいっぱい浮かんで、それでも心臓は早鐘を打った。
何か言わなきゃと思って顔を上げると、秋山さんの唇が降って来る。
「あのっ!」
驚いてギュッと目を瞑ると、おでこにチュッとキスされ、思わず「わ」と声が出た。
「そんなに硬くならないで。
どう?少しは俺のこと意識したでしょ。
本気で好きならこれくらいの勢いでいかないとね」
頭を撫でられ「戻ろうか」という秋山さんの背中に、私はただついていくしかなかった。
個室に戻れば真島さんはまだギャァギャァと騒いでいて、隣にストンと腰を下ろした私のことを冴島さんが気に掛ける様子はない。
と思ったのに、視線を感じて隣を見ればパチリと目が合った。
「随分遅いなと思っとったら、なんや泣いたんか」
冴島さんの大きな親指が私の涙袋の辺りをスッと撫でる。
「秋山のやつになんかされたんか」
「いえ...あの、ただ...相談に乗ってもらって」
なんと答えたらいいか分からず濁せば「ふぅん」と興味なさげに言われ、また傷ついた。
どうしたらこの人の大きな手を自分だけの物にできるのか、私にはわからない。
暫くして飲み放題の時間が終わると、真島さんがカラオケに行きたいと言い出した。
「明日も仕事だし」と適当な言い訳をして、私はその場を切り抜ける。
「なら俺が送って行こうか。
さっきの話の続きもしたいし」
カラオケに秋山がいないとつまらんと騒ぐ真島さんを宥めながら、秋山さんがこちらに意味深な視線を寄越してくる。
どうしたら良いか分からずモジモジしていると、「俺が送る」と冴島さんが言った。
「「え?」」
秋山さんと私の声は同時だったと思う。
「俺も明日早いし、同じ方向や。
ほな行くで」
私の頭にポンと右手を乗せると、冴島さんはズンズン歩き出してしまう。
私は慌てて騒ぐ二人に頭を下げると、大きな後ろ姿を追った。
「あの...私、タクシー拾いますから。
冴島さん、二次会行ってください」
「明日も早いって言うたやろ。
あいつらに付き合うてたら何時になるかわからん。
深雪、こっち方面やったよな」
「でも私の家、冴島さん家より遠いですよ」
「酔い覚ましにちょうどえぇ」
冴島さんの歩幅は私より大きいはずなのに、私に合わせてゆっくり歩いてくれている。
さりげなく車道側を歩いてくれるところとか、そういうあなたが堪らなく好きなんです。
「秋山はやめとき。深雪の手に負えるタイプとちゃうぞ」
「はい?」
冴島さんは真っ直ぐ正面を向いていて、その横顔からは表情が読み取れない。
「やっぱり泣かされたんやろ、あいつに」
「あれは...そういんじゃなくて」
「まぁ俺より話しやすいんやろうけどな」
私かうまく喋れないこと、冴島さんは気付いていたんだ。
そういうんじゃないのに、と胸がギュッとなる。
「...次の角曲がったら、もう家です」
「ほうか。ほんならそこの角まで送るわ」
あの角を曲がったら冴島さんは帰ってしまう。
そう思ったら思わず立ち止まっていた。
「どないしたんや」
立ち止まる私の顔を冴島さんが覗き込んだ。
秋山さんみたいな方法は、やっぱり私にはできない。
「あ...コーヒーが」
「ん?」
「美味しいコーヒーが、あって、うちに。
あの、...よかったら、えっと」
「あかん」
プイと背中を向けられ、私は泣きそうになった。
言わなきゃよかったとか、惨めだなとか、そんなことばかり頭を過ぎる。
泣くな、泣くな、今泣いたらめんどくさい女になってしまう。
「そういう誘い方は誰にでもしとるんか」
「ちが...くて...」
きっと軽い女と思われた。馬鹿だなぁ。
「まぁは深雪そういうタマやないやろな。
でもいきなり家はあかんやろ。
こういうんはちゃんと順を追ってやな」
ポリポリと頭を掻く冴島さんが、クルリと振り返った。
そこには少し照れたような表情があって、私の胸がドキンと跳ねる。
「深雪は秋山のことが好きなんやと思うてた」
フルフルとただ首を横に振ると、溜めていた涙が一粒溢れた。
「明日の夜は空いてるか」
「...え」
「二人で食うたことなかったやろ、飯。
なんも予定ないんやったら、どっか行こか」
コクンコクンと首が取れそうなくらい頷く私の頭を、冴島さんの大きな右手が撫でる。
「ほな明日連絡する。
冷えて来たから早よ家入り」
頭を撫でていた右手が私の手を掴み、冴島さんはそのまま歩き出した。
たった50mの距離でも手を繋げたことが嬉しくて、私はニヤける顔をマフラーの中に埋める。
「好き...」
思わず口にしてしまってから、慌てた。
言うつもりなんかなかったのに、好きすぎてどうにかなってしまったらしい。
「あ...えっと...」
しどろもどろになる私の手を、冴島さんがぎゅっと握った。
「ちょっと順番おかしなるけど、ええか」
背の高い冴島さんが腰を曲げたと思ったら、次の瞬間には唇を塞がれた。
優しく、ただ触れるだけみたいなキスは、冴島さんの体温を少し感じさせてくれて、あったかい。
「コーヒーは明日飲ましてもらうわ、覚悟しとき」
顔を上げた冴島さんがそう言って笑った。
自分で言い出したくせに、私はまだ心の準備ができていません。
「誰からのメールでそんな渋い顔しとんのや」
「いや、深雪ちゃんからですよ」
"秋山さんからのアドバイスで勇気が出ました。
すごいスパルタだったけど、あれは私に実戦で教えてくれたんですね!
明日冴島さんとデートです!"
「そういう意味じゃなかったんだけどなぁ」
秋山はただ苦笑いする。
冴島のポーカーフェイスに完全にやられたらしい。