あなた...小さなレストランの若きオーナー
狂犬の気まぐれ
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「オープン前で大したものは用意できないんですけど…」
どうしてこうなったのか。
状況を整理するも、頭の中は混乱したままだ。
ヤクザに絡まれていたところを、また違うヤクザが助けてくれた。
そしてそのヤクザに今、柚葵は料理を振舞っている。
「かまへん、かまへん。腹ペコやってん」
冷蔵庫の中のものをありったけ使ってみたが、あまり凝ったものはできなかった。
オープン前で仕入れもしていないし、今あるのは柚葵のまかない用に買ってあった食材ばかりだ。
「スパゲッティに煮つけ、あとサラダとパンか」
「これまたけったいな組み合わせやな」と眼帯の男が笑う。
「すいません。私のまかない用の食材くらいしかなくて」
この男がどのくらい偉いのかわからないが、身に着けているものは高そうだし
きっと普段から良いものを口にしているだろう。
こんな料理で満足してもらえるとは思えなかった。
「このスパゲッティ、変わった味やな~」
「すいません!お口に合いませんでしか?」
男の言葉に柚葵は慌てて水を差しだす。
「ちゃうちゃう。食ったことない味やからびっくりしてん。味はうまいで」
「…よかった」
心の底から安堵する。
そこまで悪い人間には見えないが、相手はヤクザだ。
何かをきっかけに怒らせてしまうかも知れないと内心ビクビクしていた。
「サバとバジルのパスタなんです。大分のお店で修業してた時に教わりました」
「大分っちゅったら関サバかいな。若いのにそんなとこまで修業しに行ってたんかいな。
この煮つけもうまいなぁ。なんや、ホッとする味や」
「それは京都で」
柚葵の言葉に「そらまたえらいな」と男は笑う。
なんだか不思議な人だなと思った。
見た目は完全にアレなヤクザだし、オーラもすごい。
けれど柚葵には男が悪人にはどうしても思えなかった。
「普段もっと美味しいものを食べていらっしゃるでしょうから、
お出しするのが恥ずかしかったんですけど」
「喜んでもらえて良かったです」と笑う柚葵の顔を、男はまじまじと見つめた。
「やっぱりええ顔しよるわ」
「え?」
「…なんでもないわ。それよりそない若いのに、えらいいろんなとこで修業したんやなぁ」
男の言葉に柚葵は自然と自分の生い立ちを口にしていた。
埼玉の施設で親の顔を知らず育った柚葵は、中学を卒業すると住み込みで全国の料理店で修業をした。
有名なお店もあったし、小さな旅館もあった。
いつか自分の店を持つことを目標にコツコツ資金を貯めながら。
「昔から人の喜ぶ顔を見るのが好きだったんです。誰かの為に料理を作って、食べた人が笑顔になる。
そんなお店を自分で持つことが夢でした」
「…苦労したんやな。この料理もわしの為に作ってくれたっちゅう味がちゃーんとすんで」
眼帯の男の言葉に嬉しくなって柚葵は思わず笑みも漏らした。
こんな風に言ってもらえる料理人になりたくて、今まで努力してきたのだ。
「せやかてなんで神室町やったん?自分、生まれは埼玉なんやろ」
「こんなとこに出さんでも」と訝しがる男に柚葵は笑う。
「母が…私は会ったことも見たこともない母ですけど…神室町で働いていたと聞いて。
育った施設は埼玉ですけど、私生まれたのは神室町の産婦人科らしいんです。
だから、なんだか第二の故郷、みたいな。名前も知らないし、ホステスだったのか
風俗嬢だったのかも、本当に何も知らないんですけどね」
「…母ちゃんに会いたいんか」
男の言葉にただふるふると首を横に振った。
「会いたいとか会えるんじゃないかとか、思ったことありません。
でもここにいたらどこかですれ違うかも知れないじゃないですか。
それくらいの気持ちです」
どこかで母が幸せに暮らしていればいい。
自分もここで幸せに暮らしているから。
ただほんのそれだけの気持ちが、柚葵を神室町に向かわせたのだ。
「ほうか」
それだけ答えると男は柚葵が作った料理をもくもくと平らげていく。
「うまいなぁ」と時折漏らされる言葉に、柚葵は嬉しくなって隣でそれを黙って見ていた。
「えらいごちそうになったなぁ」
見事に全て平らげた男が「ごっつぉさん」と数枚の万札を机に置いた。
「もらえません!これは助けて頂いたお礼ですから!」
柚葵が慌てて札を掴んで男に差し出すと、「あかん」と腕を押し戻される。
「姉ちゃんは立派な料理人やろ。プロは客からきちんと金取らなあかん。
それに一度出した金をまたしまうなんぞ、かっこわるーてできんわ。
ちょっと早い開店祝いやと思ってしまっとき」
「でも…」
煮え切らない態度をとる柚葵に、「ええから」と男が笑う。
「じゃあせめてお名前教えてください。お店にがオープンしたら招待しますから」
「それもあかん」
困ったように男が言う。
「わしみたいな極道丸出しなんがこない店にいたら、客がよう寄りつかんくなるやろ。
自分、商売下手やなぁ」
「…じゃあ、せめてお名前だけでも」
尚も食い下がる柚葵に、男は黙って一枚の名刺を差し出した。
黒い厚手の紙に、金色の模様が輝いている。
「真島…さん」
そこに書かれているのは、東城会直系真島組組長「真島吾朗」の文字だった。
「その名刺、お守り代わりにレジんとこにでも張っとき。
今日みたいなことんなったら、アホの顔の前に突き出したらええ」
立ち去ろうとする真島に向かって、柚葵は慌てて自分の名刺を掴み走っていく。
「あの、これ私のです!」
名刺を差し出され、真島は面食らったような顔をする。
「柚葵か、ええ名前や」
思わず名刺を手に取り、それを胸ポケットにしまった。
「がんばりや」
そう言った真島が店を後にする。
後に残された柚葵は力が抜けたように椅子に腰を下ろした。
「…本物だった」
今日一日を振り返り、どっと疲れがこみあげてくる。
そして極めつけは“組長”という肩書だ。
「私何してんだろ」
ヤクザに料理振舞って、名刺まで交換して…
考えれば考えるほどおかしくなって、一人笑った。
怖かったけど、嬉しかった。
あの人、美味しそうに食べてくれたな。
「ふふふ」と笑って、皿を一枚一枚片付ける。
オープンまでもう少し。
今日出したパスタはレギュラーメニューに加えよう。