あなた...小さなレストランの若きオーナー
歯車
空欄の場合は"柚葵"になります
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「最近、あいつに会ってないの?」
いつもと同じ店終いの時間、勇人が柚葵に問いかける。
「ん」
真島と言い争いをした日から3週間。
未だに顔を合わせていなかった。
「俺のせいだろ。…本当悪いと思ってる」
申し訳なさそうな勇人の表情に「違うよ」と柚葵は笑いかけた。
最初こそ気まずさはあったものの、勇人は十分すぎるほど反省した様子で、気付けば二人の間には何もなかったかのような日常が戻っていた。
唯一真島と仲違いしたことだけを除いて。
「俺があいつに話をしようか」
「そんなこと…」
罪悪感を感じているのか、最近の勇人は優しい。
今もこうして自分と真島の仲を心配してくれているのだから、彼を毛嫌いしていた頃に比べればずっと雰囲気も良かった。
「勇人はそんなこと気にしなくていいの。
それに真島さんのとこの人たちとは会ってるから、単に忙しいだけだと思う」
言葉の通り柚葵の帰宅時間になると、誰か真島の組員がやって来て自宅まで送り届けてくれる。
大体は無口な倉木が多いのだが、いくら断ってもそれが途切れることはなかった。
「なら、良いんだけど」
下を向いて黙々と箒を掛ける勇人に「ありがとう」と声を掛ける。
自分だってきっと辛いはずなのに、真島とのことをこうやって受け入れてくれる勇人を大切に思った。
「俺が悪い奴だったら、今のうちに付け込もうとするんだろうな」
「…え?」
自嘲するような口調に、言葉が詰まる。
「俺が悪い奴だったら、きっとそうするんだと思うけど…やっぱ柚葵のことが好きだから。
俺はお前に幸せでいて欲しいって、そっちの方が今は強いよ」
その真剣な眼差しに思わずドキリとする。
勇人はあの日からもう強引なことはしてはこなかったが、事あるごとにこうして想いをぶつけられて、その度に柚葵の良心が痛んだ。
「ごめん。忘れて」
テキパキと仕事を片付け帰り支度をする勇人の背中を、柚葵はただぼうっと見つめた。
どこから歯車が狂ってしまったんだろうと思う。
幼い頃から一途に自分を思ってくれる勇人を選べば、誰も傷つくことはなかったかも知れない。
真島は傷ついたかも知れないが、それでも…
きっとあの日のようにお互いを傷つけてしまう夜は来なかっただろう。
そんなことばかり考えてしまうのに、今も頭の中の大半を真島が占めている。
日々大きくなる男への想いに、ただ胸が締め付けられた。
「じゃ、また明日」
「うん、また明日ね」
店を出る勇人の背中を見送って、時計を眺めた。
もうあと15分もすれば迎えの車がやってきて、倉木が柚葵に帰宅を促すのだ。
一目でも会えれば…と思う。
ほんの僅かな時間でも顔を見せてくれれば、抱きしめてくれれば、こんな不安なんて微塵も無くなるのにと。
「おつかれさまっす!」
店の扉が開くと同時に、元気な声が飛び込んでくる。
「西田さん!」
西田は嬉しそうに「お久しぶりっす」と笑顔を見せた。
「今日は倉木の兄貴が幹部会に行くってことで、俺が代わりに送ります」
彼に会うのは久しぶりで、柚葵も思わず笑顔になった。
無口で事務的な倉木は少し苦手で、帰り道の短い時間でも空気が重たく感じる。
西田のように気心知れた人といられるのは、ほんの少しであるが良い気晴らしになると思った。
「幹部会って何ですか?」
いつもと違う皮張りではない車のシートに座って、柚葵が質問する。
西田は車の運転があまり得意ではないらしく、これは彼曰く3軍の中の4軍みたいな車なのだという。
「東城会の偉い人たちが集まって酒飲むんすよ。
なんか集まって真面目な話をする時もあるみたいっすけど、今日は単に飲み会ですね。
どっかの組の、なんとかってカシラのなんかの祝いっす!」
「どっかの組のなんとかってカシラ…」
西田の言葉を懸命に反芻するが、ニュアンスでしか話してもらえず途方に暮れた。
西田は惚けている訳でもなさそうで、それにも困る。
「一回聞いたんすけどね、忘れちゃって」
西田はそう言って、へへへと笑った。
「じゃあ倉木さんって結構偉い方なんですか?」
「倉木の兄貴はすごいっすよ。今回若頭補佐ってのに上がったんすよ!あれはエリートってやつですね」
極道の世界のエリートが何を指すのか分からなかったが、ヤクザというより官僚といった雰囲気の倉木にはその言葉はピッタリな気がした。
「倉木さんって物静かなイメージですけど、怒ったりするんですかね」
「あれはもうバケモンですね」
ちょっとした世間話のつもりだったのに、西田の発する「バケモン」という言葉にギョッとする。
「静かな人が怒ったら怖ぇってのはあのことを言うんすよ」
思い出したかのように身震いする西田の姿に、想像できないと柚葵は思った。
「着きましたよ、姐さん!」
気付けば自宅の前に着いていて、柚葵は礼を言って車を降りた。
その時だった。
猛スピードで駆けてくる黒いバンが、背後で急ブレーキをかける。
大きな音に状況が飲み込めない。
「ぅッ!」
振り返った時には飛び出してきた男に口を塞がれ、羽交い絞めにされていた。
「姐さん!」
西田が自分を呼ぶ声が遠くに聞こえ、気付けば車に押し込められる。
「姐さん!」
必死に抵抗し西田の方を見やるが、そこに映ったのは3人の男に襲われる彼の姿だった。
「にし…!」
叫ぼうとするが口を塞がれる。
あっという間にドアが閉められ、西田を残して車が走り出した。
「んん!」
手足を必死に動かし抵抗するが、男に羽交い絞めされ敵わない。
「ちょっとの間静かにしてもらおか」
関西弁でそう囁かれた後、柚葵は意識を手放した。