ピンポーン

柚葵は来客を知らせるチャイムの音に、ピクリと肩を震わせた。
休日の昼間だと言うのに、部屋のカーテンは締め切られ室内は薄暗かった。

ピンポーン

再び鳴るチャイムの音に、恐る恐る玄関へと近付いた。
古いアパートの床が軋み、柚葵が在宅であることを相手に知らせてしまう。

ピンポーン


三度目のチャイムの後、そっと覗き穴に片目を合わせる。
そこにいた人物に、体が固まった。


「柚葵？なぁ、いるんだろ」

勇人だった。
項垂れるように扉に手を掛け、懇願するような眼差しを向けてくる。

「頼むから返事してくれよ」

心臓が早鐘を打ち、恐怖に身が竦んだ。
昨夜の出来事が嘘でないことを示すように、喉仏の辺りがズキズキ痛む。
勇人につけられた指の跡と無数の印が、現実を突き付けてくる。

「柚葵、そこにいるんだろ」

今にも泣き出しそうな、そんな顔だった。
幼い頃から知っている勇人の表情に、少しだけ安堵する。

「このままでいいから聞いて欲しい」

安い木造アパートの玄関戸は、外にいる勇人の息遣いまで教えてくれる。

「昨日は、ごめん。俺、どうかしてた」


傷ついた子犬のような表情のこの男を、柚葵が突き放せる訳がなかった。
子供の頃から自分の後ろをついて歩き、姉弟のように育ってきたのだ。
柚葵にとって、勇人は家族に違いなかった。


「あいつに柚葵を取られたと思って、焦った」


「ごめん」と呟くその様子に、罪悪感すら感じてしまう。


「俺、柚葵のことが好きなんだよ。
　ずっと柚葵のことしか見てなかった。
　弁護士になろうとしてたのも、将来柚葵を守りたいって思ってたからなんだ」


勇人の真っ直ぐな告白に、昨日のことなんて忘れたみたいに聞き入った。


「ずっと好きだったから...だから俺、悔しくて...
でももうあんな事しない。傷付けたりしない。
すぐに諦めるのは無理かも知れないけど、努力する。応援できないかも知れないけど、頑張る。
...だから柚葵、頼むよ」


勇人の目に涙が浮かび、それが頬を伝った。
柚葵は今すぐ飛び出して、抱きしめてあげたいとさえ思った。


「頼むから、俺を見捨てないで...
俺にとって柚葵は、たった一人の家族なんだ。だから頼むよ...頼むよ、姉ちゃん」


「見捨てないで」と嗚咽を漏らす勇人の姿に、気付けば「わかった」と口に出していた。


「わかったから...お願い。
今日はもう、帰って。明日また、お店で...ね？」


柚葵の言葉にコクリと頷いて、勇人は背を向け歩き出していく。
その姿を見送ると、扉に背中を付けるようにして蹲った。


勇人の気持ちを知らなかった
知らないまま踏み躙ってしまった


昨夜のことを無かったことにはできないけれど、自分には許すことしかできないのだと思う。
「姉ちゃん」と呼ばれ、懐かしい記憶が次々と蘇る。


自分に家族が勇人しかいないように、勇人にもまた自分しかいないことを柚葵はわかっていた。