あなた...小さなレストランの若きオーナー
逃避と覚悟
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壊れたものは二度と元に戻らない。
それは皿であっても心であっても同じだと思う。
もうレジの横に黒い名刺はなかった。
自分で外した訳ではないけれど、これで良かったのだと言い聞かせる。
名前を見るだけで心が高鳴った。
名前を聞くだけで落ち着かなかった。
声を聞いたら、顔を見たら、泣いてしまう。
忘れようと言い聞かせているうちは、
心の中を真島が支配していることを柚葵は知っていた。
そうして諦めようと心が悲鳴を上げた時に、男はフラッとやってくるのだ。
あの日された乱暴なキスが未だに体中を支配している気がした。
全身が熱くなって、触れられたところから燃えてしまいそうで。
体が、心が、全てが真島を欲しいと言っていたのに
少しの恐怖心がそれを拒絶した。
もう傷つきたくないという気持ちがほんの少しだけ、欲望に勝ったのだ。
今日は定休日のはずなのに黙って家にいることができなくて、柚葵は店にいた。
この間割れてしまった皿の代わりに、新しいものを数枚戸棚に入れる。
心もこうやって新しいものに取り換えられたらいいのにと思う。
店をオープンする前も後も、気付けば真島に助けられてばかりいた。
でももうそれも終わりだ。
そう思うのに、冷蔵庫の中には毎日作り置きのつまみが増えていく。
それはメニューにはない、柚葵にとって特別な料理だった。
夜中に食べても消化を邪魔しないように、味が濃くならないように、それでいて物足りなくないように。
いつ来るかもわからない人に向けて、食べてもらえるかわからない料理を作り続けるのは辛かった。
気付けば時刻は午後をとうに過ぎていて、ブラインドから差し込む西日が眩しい。
これも、新しいものに取り換えてしまおうか。
窓に近付いてその紐を引こうとした時だった。
店の近くのビルの前に、見覚えのある男が立っていた。
携帯電話をいじり、煙草をふかし険しい顔をしている。
ほんの出来心だった。
「また飯食わせてください」
男の言葉が脳裏に浮かび、思わず店を飛び出した。
捨ててしまうくらいなら、別の誰かに食べてもらおうと思ったのだ。