出会い〜脱走未遂編
フユが瞼を開けると、やはり白い天井が彼女の視界いっぱいに広がった。
どこまでも無機質で、冷たい色。
けれど――どこか、少しだけ、柔らかくも見えた気がした。
寝起きでぼんやりとした頭の奥が、ずきずきと痛む。
それよりもずっと鮮明なのは――頬の痛みだった。
昨日、シュウに叩かれたあの瞬間の感覚が、肌の奥に焼き付いている。
(……昨日の、あれは……)
ゆっくりと体を起こし、辺りを見渡す。
白い壁。白い床。ドアノブがない重たい鉄の扉。窓のないこの部屋。
――シュウの姿は、どこにもない。
静寂。
不気味なほどの静けさだった。
(……夢……?)
かすかな希望が胸をよぎる。
あんな異常な出来事が現実なわけがない、と――思いたかった。
けれど――
自身の手首を見てフユは固まる。
くっきりと赤く、擦れた拘束の傷跡。
そして、首元には黒いチョーカーがぴったりと食い込んでいる。
今身に着けているのはシュウのシャツ。裾は長く、袖は指を覆い、下着は身に着けていない。
そして――頬の痛み。
(……夢、なんかじゃない)
喉がひゅ、と音を鳴らす。
頭の中で、昨日の記憶が勝手に再生されていく。
――怒鳴り声。
――殴られた痛み。
――「返事をしろ」と言う低い声。
――「お前は俺の所有物だ」と笑った目。
溜まらず、膝を抱え込む。
そのとき、ふと顔を上げた先――監視カメラ。
天井の隅に設置された黒い球体。その奥、レンズと赤く点滅するランプ。
(……見られてる……?)
その瞬間、カチッとと何かが切り替わるような音がして天井のスピーカーから、あの低くてどこか笑っているような声が響く。
『起きたか』
その一言だけで、フユの心臓が跳ねた。
『じゃあ――起きたなら、扉の前、立っとけ』
一瞬で空気が凍りつき、身体が勝手に動いた。
昨日のおしおきを思い出したのだ。
逆らえば、また叩かれると。
ベットを這うようにして降り、まるで死刑台に向かうかのように扉の前へ向かう。
呼吸が浅くなる。扉の向こうにどんな支配が待ってるのかそれを考えると恐ろしくてたまらなかった。
それでも――逆らうほうがもっと怖い。
だから、彼女は足がどれだけ震えても、言われた通りに扉の前に立つしかなかった。
やがて静寂を切り裂くようにして、鉄の扉が音を立てて開く。
恐る恐る顔を上げると、やはりあの男が立っていた。
――朝日奈シュウ。
今日はスーツではなく、ラフな黒の開襟シャツ。
胸元は深く開き、のぞく刺青。首元には巻き付いたような鎖の模様。鎖のように巻き付く模様と、色濃い和彫り。
その模様たちが何を意味するのかフユには当然分からなかった。けれど”危険”ということだけは、はっきりと伝わってくる。
「……ちゃんと起きて言うこと聞けたな」
低く柔らかな声。
けれど、頭に置かれたその手が優しいのかどうか、もう分からなかった。
撫でたかと思えば、そのまま腕をつかまれ、部屋の外へ促される。
(この部屋から出してくれるの……?)
フユは思わずシュウを見上げた。
てっきり二度とこの真っ白な監禁部屋からは出られないと思っていたからだ。
そんなフユの様子を見たシュウは楽しげに笑う。
「朝飯、準備させた。 ご褒美やるよ」
ご褒美――それが何を指すのかは分からない。
本当にご褒美なのかもしれないし、はたまた酷い何かかも。けれど、口を挟む余裕などない。
ただ、ついていくしかなかった。
裸足の足が床を踏むたび、ひんやりとした冷たさが皮膚を刺す。それでも腕を引かれるままは歩く。
連れ出された先は、ホテルのダイニングのような部屋だった。
テーブルの上にはすでに数種の食事が並んでいる。
香りが鼻先をくすぐるが、食欲は湧いてこなかった。
安心が伴わない場所で、食欲は生まれない。
シュウはフユを椅子に座らせ、料理の皿を軽く指さす。
「食いたいよな?……何て言うんだ?」
その問いかけフユは少しだけ唇をかんだ。
これは昨日教えたことの確認。つまりは復習だと、そうすぐに分かった彼女は唇を震わせ慎重に言葉を紡ぐ。
「……ご、ごはん……食べたい、です……」
一拍の沈黙のあと、空気が一変する。
「……ちげぇよ。言い直せ」
まるで死刑宣告のような低い声にフユが反応するよりも早く、シュウの手が乱暴に彼女の前髪をつかむ。
視界が持ち上げられ、二人の視線がぶつかる。
笑っているのに冷たい獣のような双眸がフユを刺した。
「……まだ分かってねぇな。頭足りてねぇんだよ、お前。」
シュウが身を乗り出し、フユの耳元に唇を寄せる。
「“食べさせてください、シュウさん”――だろうが。」
「褒美ほしいなら言えんだろ? お前はペットなんだからよ」
耳元でくつくつと笑いながらそう言ったシュウの言葉に胸が締め付けられる。
屈辱。
羞恥。
恐怖。
全部をぐちゃぐちゃに混ぜたような重みに心押し潰されてしまいそうだった。
それでも――フユに選択肢なんてものはない。
「……た、たべさせて、ください……シュウさん……」
喉の奥が震え舌が思うように回らなかった。
言い終えると、前髪を掴んでいた手は離れ頭を撫でられる。
「……いい子だ」
それが賞賛なのか、はたまた支配の確認なのか。
シュウの笑みはどこまでも冷たい。感情のない目がフユの顔をじっと見下ろす。
フユは、視線を逸らすことも、息を整えることもできず、ただその場で固まるしかない。
――試されている。
そんな感覚だけが、彼女の中にはっきりとあった。
やがて、シュウの口元がわずかに歪む。
満足したように小さく息を吐くと、テーブルの上のスプーンを手に取った。
金属の触れ合う、かすかな音。
たったそれだけで、フユの肩が小さくびくりと揺れる。
シュウの視線が、再びスプーンからフユに注がれる。
口元は三日月型に歪んでいたのに、目元だけは射抜くような鋭さを残していた。
「ほら、食えよ」
シュウがスプーンを差し出す。
優しそうに見えるのに、やはり彼の笑顔はどこまでも冷たかった。
けれど――差し出されたスプーンは、思ったより乱暴ではなかった。
タイミングを見計らい、自然に口に運べる距離で止まる。無理に口の中に押し込まれることもなく、手首の動きはどこまでも繊細だった。
それが、余計にフユを混乱させる。
(……なんで、こんなふうに優しくされるの……?)
昨日、自分の頬を容赦なく叩いたその手が、今はスプーンを静かに握っている。
恐怖で胃が重たくなる。
それでも、食べなきゃいけないという義務感だけで、無理やり喉を通す。
「……ちゃんと食えてえらいな。……なあ、フユ」
名前を呼ばれ、びくりと肩が跳ねた。
視線を外すことも出来ずに、スプーンの先を見つめるしかない。
そんなフユを嘲笑うかのようにシュウの声は、どこまでも楽しげだった。
「全部食えたら、ご褒美やる」
“ご褒美”の意味はやはり分からない。
けれど、逆らったら“おしおき"が来ることだけは分かる。あの痛みがまた来るくらいなら、食べた方がまだマシだった。
一口、また一口。
今回も味を気にする余裕なんてなかった。けれど、スプーンを受け入れる度に「いい子だな」「偉いな」と言葉が落ちてくる。
まるで正解を出した子どもに与えれれる賛美のように。
その度、フユの胸の奥には奇妙な安堵が広がっていった。
「……ん、よくできました」
最後の一口を飲み込むと、シュウがスプーンを置く。
そして、手を伸び――フユの頭を、撫でた。
くしゃ、と髪を梳く手のひらの温度。
(優しい……? 違う……違うのに……)
昨日あれだけ怖かったはずの手に、今は微かな安堵を感じてしまっている。
脳が、心が、思考が、鈍っていく。判断が、曖昧になる。
シュウの"優しさに見えるもの"は、甘い檻のようフユの感情を絡め取っていった。
「……なんつー顔してんだ。もっと撫でてほしいか?」
冗談のように囁かれる。
フユは俯いたまま、震えながら小さく首を横に振ることしかできない。
けれどシュウは、手を止めないまま笑った。
「……ご褒美、欲しいって顔してんな」
空の皿と震えるフユの顔を交互に見ながら、愉快そうに言う。
身体がびくりと震え、咄嗟に視線を落とすフユ。
何が“ご褒美”なのか――怖くて、想像すらしたくない。
「……キス、してやろうか?」
さらりと落とされた言葉に、心臓がどくりと跳ね固まる。
(キス? ……どこに? 昨日、額に落とされたようなもの?)
(それとも、もっと“ちゃんとした”キス……?そんな経験ない…………)
(……やだ……怖い。けど……)
シュウの瞳は、じっと射抜くようにをフユを見下ろしていた。その瞳の中には、命令でもなく、強制でもなく、試すような光があった。
まるで、“お前はここでどう出るのか”と問いかけられているようだった。
「……どうすんだ? お願いは?」
甘い。
声も、仕草も、まるで恋人にねだるような囁き。
けれどそれは、“拒否できない甘さ”だった。
甘さに見せかけた支配。逃げられないように優しく縛る声。
(言わなきゃ……また、怒られる……でも……でも……)
唇が震える。
けれど、抗えない。抗いたくても、心も体も恐怖に絡め取られて動けず、反抗する意識なんてもう残っていなかった。
「……ご、ご褒美……して、ください……」
吐き出すように絞り出したその言葉に、シュウがくつくつと低い声で笑う。
「及第点だな。でも、その顔……悪くねぇから許す」
ふわり、と。
フユの頬に優しく、やわらかく手が添えられる。まるで、恋人を包むような掌の温度。
「目、閉じろ」
耳元で囁かれた声に、体が勝手に従ってしまうかのように瞼が閉じる。
次の瞬間――
唇に、熱が触れた。
1度。
2度。
3度――
何度も、何度も。
触れては離れてを繰り返す。
濡れた音を立てて、マヒルはフミナの唇を食むようにキスを降らせた。
それは、甘くて。逃げられなくて。
ただただ、恐怖と混乱と羞恥で、心がぐちゃぐちゃに溶かされる。
(優しい……の? でも、怖くて……)
心の中の感情が、溶けていく。支配と甘さの間で揺らぎながら、混ざって分からなくなる。
ただ目を閉じて、その唇を受け入れるしかない。
恋人のようなキスを何度も与えられ、ゆっくりと、シュウの唇がフユから離れていく。
ぬるい唾液の感触が残る唇。
繋がっていたはずの距離が離れたのに、フユの頭はまだ痺れていた。
(……なに、これ……)
舌を絡め取られるでも、唇の形を歪ませるような激しいものでもない。
なのに、全部を揺らされる。何もかもが甘くて、怖くて、恥ずかしくて。
息を整えるだけで精一杯だった。
そのとき――
ふいに頬へ熱が滑る。
シュウの指だった。
頬を優しくなぞり、喉元へ、さらに鎖骨のあたりまで。ゆっくりと、まるでその先の期待を引き伸ばすような動きで撫でてくる。
「っ……」
肩を震わせたフユに、シュウは笑いを小さく零す
「擽ったいか? ……それとも、感じてんのか?」
囁く声が、喉元に吹きかかる。
ぞわりと肌が粟立ち、思わずフユは首を横に振った。
ただの拒否だったのか、感覚を振り払う動作だったのか。
「……首、弱えの?」
からかうような声音。
指先は鎖骨のあたりで止まり、決して下へは進まない。
ただ、“その気になれば壊せる”という余裕だけが、その指先に残して。
(こわい……でも……なにも、してこない……)
頬が、羞恥と混乱であつい。息がうまくできない。
そんな彼女の様子を観察していたシュウが小さく笑うように息を吐くと、指先をすっと離し気まぐれな声色で囁く。
「まだ全部やんねえよ」
「じっくり時間かけてやるもんだろ、躾ってのは」
そう言って、まるで“余韻”を愉しむように距離を取る。
恋人でもなく、暴君でもない。
――“飼い主”の距離。
すべてはシュウの都合で、シュウの速度で。
(……いま、助かったの……? それとも……)
助けられたのか、許されたのか。分からない。
どちらにしても、“自分では何も選べない”という現実だけが、フユの胸に重くのしかかっていた。
そうして、フユの顔を見つめたシュウが、ただ無表情のまま口を開く。
「お前の持ち物、捨てといたから」
唐突な言葉だった。
その一言だけで、場の空気が凍りつく。
「……え?」
小さくこぼれた声は、乾いた空間に吸い込まれていった。
「今日からは、俺が選んだ服だけ着て、俺の言うことだけ、聞いてろ」
まるで“物”に言うような、自分の所有物だと、決めつけているような口調だった。
全てが、“これからの支配”を当然だと言わんばかりに。
「どうして……」
思わず、呟いてしまった。
その瞬間──
頬を、つねられた。
驚く間もない痛み。
「質問は許可制な。喋っていいか聞いてから喋れ」
低く、冷たい声。
怒鳴られてはいないのに、全身が跳ねるように強張る。
「……は、い……」
掠れた返事が喉から溢れた。
何も言えない。何も言えなくされる。
シュウは無言でフユの腕を掴み、歩き出した。
その手は乱暴ではない。けれど逃げられないように、しっかりと繋ぎ止められている。
たどり着いたのは──あの真っ白な部屋。
鉄のドアが音を立てて開かれる。
まるで檻に戻されるような気分だった。
「今からお前のもん、いろいろ買ってきてやる。大人しくしてろよ」
無機質に投げられた言葉。
けれどその直後、吐き捨てるように続けられた声音が、フユの背筋を冷やす。
「俺に逆らったり、俺の気分損ねたりしたら“お仕置き”。逆に、俺を楽しませたら“ご褒美”な。ここから、俺の許可なく出たら──殺す」
その言葉には、怒気も笑みもない。
ただ、“ルール”を述べているだけのような声音だった。だからこそ、余計に怖かった。
いつの間にかシュウは部屋の外へいて、カチン、と扉が閉まる音が響く。
フユは、冷たく閉ざされた部屋の中で動けず立ち尽くした。
喉が乾き、心が軋んでいく。
(私、これから……)
ここが“飼われる場所”なのだと、思い知らされる。
部屋は、しんと静まり返っていた。
時計の音も、風の音も、人の気配もない。
白い壁。無機質な床。閉ざされた扉。
シュウの姿が消えてから、どれくらい時間が経ったのだろう。
もう、時間の感覚すら曖昧だった。
ゆっくりとベッドに腰を下ろす。
さっきの言葉が、何度も頭の中で反響していた。
――俺の言うことだけ聞いてろ。
――ここから出たら殺す。
――お前の私物は全部捨てた。
(現実じゃなければ、よかったのに……)
(なんで……私、こんなとこにいるんだろ)
何度、思考の渦に沈んでも答えは出ない。
この部屋の中にあるのは、ベッドとテーブルと監視カメラだけ。
(……思い出しても、意味ないのに)
ゆっくりと瞼を伏せた瞬間、脳裏によぎったのは"逃げる前の光景"だった。
あの日。
バイトを終え、眠れない夜を何度も数えていた。
朝日奈組からの借金の催促が、また来た。
もう、自分ひとりではどうにも出来ない額だった。
夜逃げという形でどこかへ消え去った両親。
フユに残されたのは、彼らに押し付けられた借金だけだった。
それでも、フユは“逃げちゃいけない”と、自分に言い聞かせてきた。"親の尻拭い"をしなければならない。"家族"なのだからと。
けれど現実は、その思いごと全てを粉々に砕いてきた。だから、逃げた。
(怖かった……ほんとに、怖かった)
逃げる時も。捕まった瞬間も。目の前で人が殺された、あの時も。
音も色も匂いも、全てそのまま焼きついてる。
あの瞬間、殺されると思っていた。
なのに、シュウは言った。
――飼ってやるよ。お前は俺のもんだ。
“殺されなかった”という安堵と、“飼われる”という言葉の意味が、何度も自分の中で衝突する。
助かったのか、それとも地獄が始まったのか。それすら、分からなかった。
(あの人は……優しくない……怖い……)
けれど。撫でられた頭。食べさせてくれた手。
あんなものは、優しさなんかじゃない。
分かってるのに──
誰にも褒められたことがなかった。親にだって、頭を撫でられたことはなかった。
“いい子だ”なんて、言われたこともない。
だから今のフユは、“優しさのフリ”ですら簡単に境界線を狂わされてしまう。
──ご褒美。
──キス。
唇に触れた温度が、まだ微かに残っている気がした。
怖いのに、体のどこかが、あのぬくもりを思い出している。
(こんなの、きもちわるい……)
ぎゅっと、膝を抱える。
逃げたい。誰か助けてほしい。
でも、逃げる場所なんてない。助けてくれる誰かも自分にはいない。
──この“檻”が、今のフユの全てだった。
感情が、薄く、静かに、溶けていくようだった。
そのとき――
電子ロックが外れる、低い音にフユははっと顔を上げる。
膝を抱えたまま、小さく身を縮めることしかできない。
――シュウが、帰ってきた。
(……“いい子”じゃないと、また怒られる……)
白い部屋。何もない空間。
余計なことをしたら、気分を損ねたら――そう思うだけで身体が震えた。
──そして、扉が開く。
「……大人しく、出来てんじゃん」
軽い口調とともに、シュウが現れた。
彼の両手には、いくつもの紙袋が下がっていた。
高級ブランドのロゴ。生活に困窮していたフユですら、見覚えのある名が、現実離れした光景をさらにぼやけさせた。
「服も、下着も、靴も、色々買ってきてやった。サイズは……まあ、大丈夫だろ」
床に袋を並べ、シュウは次々と中身を取り出していく。
レースの下着。大人っぽいワンピース。タイトなスカート。
どれも自分のために用意されたものだとは、すぐに信じられなかったし、自分には似合わないとしか思えなかった。
そして──
「あと、これ。似合いそうだから」
さらりと取り出されたそれを見た瞬間、フユの心臓が一気に跳ね上がる。
――首輪。
今、首に巻かれているのはシンプルな黒のチョーカーだ。
それだけでも充分に“所有”を感じさせたのに。
シュウの手の中にあるそれは、もっと露骨だった。
太めの革。重そうな金具。金属のリング。
どこからどう見てもも犬用の"本物の首輪”だ。
(……なに、それ……本当に、使うの……?)
(私に……それを、つけるの……?)
喉が詰まり、言葉がでない。何も聞けない。聞けるわけない。
また殴られるかもしれない。
余計なことを言えば、また“お願いしなきゃダメだろ”と追い詰められるかもしれない。
シュウそんなフユの沈黙を面白そうに眺め、ゆっくりと目の前にしゃがみ込んだ。
首輪を、手のひらでくるりと見せつけるように弄ぶ。
「……お前、これ見て怯えてる顔、いいな」
喉が震えた。
シュウはそれ以上何も言わず、首輪を床の上に置く。
代わりに袋の奥から、何冊かの文庫本を取り出した。
「暇つぶしぐらい、必要だろ」
それが、優しさなのか、支配をせるための道具なのか、フユには考える余裕もなかった。
床に置かれた“首輪”の存在に、意識はずっと引き寄せられている。
フユの視線の先に気付いたシュウは、再び革製の首輪を手に取ってみせる。
「ちょっと、試してみっか」
あまりに自然に、そして唐突に投げられた言葉にフユの肩が大袈裟に震えた。
「……え、っ……な、なに……?」
震えた声が漏れた瞬間、部屋の温度がすっと下がったような気がした。
マヒルの目が細くなる。
「……“質問は許可制”って、言ったよな?」
フミナは反射的に首を横に振る。
「ち、ちが……っ、ご、ごめんなさい……っ」
言葉に詰まった瞬間、シュウの指が頬に伸びた。
殴られると、フユはぎゅっとまぶたを強く閉じる。
けれど、その手が頬を打つことはなく、顎を持ち上げただけだった。
「……怯えすぎだろ。そんな怖かったか?」
そう笑いながら、シュウはフユの首に手を添える。
「動くなよ。ほら、深呼吸しろ」
冷たい金属が首筋に触れる。革が肌に沿い、金具が留められる音が響く。
言葉が喉元を迫り上がっても、それを発することはできなかった。
首にはめられたそれは、紛れもなく犬用の首輪"だった。
シュウは立ち上がって、腕を組みながら首を傾げる。
「へえ。似合うな。肌白いから赤い革が映える」
まるでアクセサリーでも褒めるような声音で、その甘さが、逆に恐ろしかった。
「これな……リード付けるリングもあるし、GPSも入ってる」
――リード。
――GPS。
その単語の意味を理解すると、背中に冷たい汗が流れた。
「ま、逃げようとしたらこの首輪が爆発する──とかじゃねえよ」
冗談めかして楽しげに笑う。けれど、目だけは一切笑ってなかった。
「“俺のもん”って、ちゃんと分かるようにな。周りのバカどもが触りたがるかもしんねぇだろ?」
この赤い革がただの道具ではなく、"所有の印"なのだと、嫌でも分からされる。
フユは俯いて、もう何も言えなかった。
「……チョーカーより、こっちのがずっとペットっぽいだろ?」
耳元に落とされた低い囁き。
震えそうになるのを必死に堪えるなか、フユは気付いてしまう。
――殴られなかった。
そう心のどこかで安堵している自分に。
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