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17章

「俺先月結婚したんだよねー」

 肉を焼きながら報告すると、目の前にいる全員の動きが止まった。
 とうとう時間停止能力を手に入れてしまったのかと一瞬気分が高揚してしまったが、勘違いであった。

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 世話になった相手に結婚の報告をするのは礼儀らしい。
 俺はそんな社会常識を全く知らなかった。
 会社には報告する必要があるだろうとは思っていたけど。ちなみに、内定先には面接の時点で俺の立場を洗いざらい告白しているから問題はないはずである。
 しかし式をするんでもないのに結婚しましたーだなんて、私事にもほどがあると思っていたのだが……。そんなこと聞かされても困るだろうと思っていた。しかしこれは俺の勝手な判断だったようだ。
 手始めに四年間非常に世話になった教授を捕まえて、結婚しましたわーと報告すると、持っていた本をばさばさと床に取りこぼして動揺されてしまった。よろよろと後ずさりながら、君は一生独身だと信じていたのに……と震え声で言われてしまった。俺は知らぬ間に人を裏切っていたらしい。なるほど。効果的面である。
 こんな反応が返ってくる事柄を黙っていたというのは、確かにちょっと失礼だったのかもしれない。
 あとは誰に報告するか、俺は選別することにした。
 何度も飲み会に行った馬場たちには言っておくべきか。一度や二度だったり、個人的な交流はない相手には別に必要ないよな。
 中高時代の知り合いというのも、まめに連絡をとっているのは河合さんくらいのものだし……。小野さんやしのぶちゃん……は、いいか……。普段全く連絡をとらないくせに、こんなときばかりメールするのはまるで祝えと要求しているようではないか? それともこれも俺の考えすぎでむしろ失礼な行為なのだろうか。うーむ。帰って千紗に相談してみるか……。
 ああそうか、高校時代の知人に関しては千紗だって仲が良かったのだから、相談なしに言うのはやっぱりなしだな。
 うん、なら大学で知り合った比較的仲のいいメンバーだけでいいだろう。さっさと連絡つけることにした。

 俺は焼肉屋に友人を集めた。たった四人である。少なすぎる。俺の大学生活って一体。
 飲み屋だと他の知人に出くわしかねない。俺が知ってる店なんて他の連中も知っているに決まっているのだ。盗み聞きされては敵わない。なにより報告する相手を選別したことがバレるのは非常に具合が悪い。
 話がある、と提案して、ここに行きたいと提案されたうちの中、一番アクシデントが少なそうなのが焼肉屋だったのだ。
 俺の発言で数秒世界が止まったように感じたのち、やっぱり急に時間が進み始めたように目の前のやつらが慌てふためくように動き始めた。

「け、けけけ結婚!? あ、親!? 親が再婚したって話!?」
「違うよ、なんで親の話を報告するんだよ」
「だってお前、そんな素振りひとつも……!」

 肉が焼ける音に負けじと声を張る連中に頭がガンガンしてくる。気分を落ち着けさせるためにとりあえずカルビを食べた。

「食うな!」
「えっ……?」

 箸をとりあげられた……。
 そこからは酷かった。
 俺への尋問でしかなかった。
 肉は一度網から救出され、あまつさえ火も止められてしまった。焼肉屋さんで肉を焼かずに囲うだけなんて、こんな光景みたことない。

「えー……その相手とはいつからの付き合いで……?」
「てか同棲してたの!? それともなしで結婚!? 早まったことしないほうがいいよー」
「まずは相手の写真だ! 話はそれからだ!」
「なんで今のタイミングで? 就職してからでよくない?」

 あ……めんどくさい……。今猛烈に面倒になってきた。
 自分で開いた報告の場だが……。

「えーっと……相手は高校時代付き合ってた子で……」
「高校時代……ってことは一回別れたの? なんでよりを戻したの?」
「あっ前言ってた女子なー!」
「これ聞いたらめぐみ死ぬんじゃねー?」
「えっめぐみって誰」

 誰よ。めぐみって。
 その質問には誰も答えてくれなかった……。

「なんか……報告しなきゃ失礼かなって思ったんだけど、面白おかしく吹聴されそうだし、やめとこうかな……」
「う、嘘嘘嘘! 真面目に聞く! 誰にも言わない! ほらみんな! 静かに!」

 しん、とここのテーブルだけ静まり返る。これはこれで話づらい。
 友人たちの表情を見る、が、よくわからん。俺の次の一言を期待しているようである。
 ……まあ、俺はある程度信頼できる友人と判断したのだ。それを信じるしかないか。
 腹を括った。引かれても嫌われても、それはそれ。試してみない限り結果はわからない。
 俺は高校時代からの経緯を話すことにした。

 高校時代に付き合いはじめたこと。そして途中で引っ越してしまい連絡がつかなくなってしまったこと。
 あとから自分の子供を妊娠したのだということを知ったこと。その子に会うためにこの大学を選んだということ。
 そして予測した通り、息子の治療のために帰ってきたところで再会したのだということ。

「……まあ、そういうわけだよ。子供もいるのに結婚しないなんておかしいだろ」

 俺の話を聞いて、連中は呆気に取られたように言葉を失っていた。
 そして女子二人が目を合わせる。

「なんか執念……って感じだね……」
「めぐみ完全に死んだわ」

 だから誰だよ。
 そして執念ってなんだよ。ストーカー怖いという意味だろうか。
 めぐみが完全に死んだということしかわからない。
 
「お前しれーっとした顔して裏でそんなことやってたのかよ」
「俺なりに表も裏も必死にやってたつもりだけどね」

 馬場は呆れたような顔をしていた。

「でもまあよかったじゃん。おめでと」
「あ、そうじゃんおめでとう言ってなかったわ」
「ど、どうも」

 俺の聴くも涙語るも涙のはずのこの数年間軌跡であったのだが、感想は大してなかった。しかし誰も想像したような嫌な顔はしていない。

「人は見かけによらんもんだねえ」
「それは我ながら同意する」

 まあ多少いじられたりはしたものの、お祝いとして食事代もおごってくれたし。
 瞬くんの写真を見せると「ぎゃあ可愛い!」と悲鳴があがり、これは気分がよかったな。
 別れ際、馬場が馬場のくせにちょっと神妙な顔をしてこう言った。

「なんか、お前が俺らに話してくれたっていうのが、すげー嬉しいわ」
「へえ。みんな俺のこと大好きなんだね」
「うざ!」

 そんなことで喜んでくれるというのが、内心本当に不思議だったのだ。そして見透かされたような気持ちになった。千紗や瞬くんのことを打ち明けられないということで、みんなには壁を張っているような気持ちになっていたのは事実だ。
 思った以上に、俺の友人はいいやつだったのかもしれない。
 報告遅れてごめん、と言うとそれは本当にそうだぞと口を揃えて叱られた。

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「というわけで問題なかったよ」

 俺の報告に、千紗は体から全部の空気を抜くように深いため息を付いた。

「よかったあ……」

 今日は予め外で報告も兼ねて食べてくる、と言っていたので帰宅した頃、すでに千紗と瞬くんは夕飯もお風呂も終えていた。

「瞬くんの写真見せたら女子は可愛すぎて雄叫び上げてた」
「えーっ? ふふふ」

 嬉しそうに千紗はにこにこと笑う。
 ……あっ、友人の中に女性もいるっていうのはもしかしたら失言だったのでは……? だって、千紗は家にいるのに他の女の人と食事をとっていたなんて……嫌な人も当然いるよな、と言ってしまってから気づく。
 というか夫婦に関する秘密を打ち明ける友人に女性を含めている時点で……嫌だよな!? あ、しまった。何も考えていなかった。河合さんがいるから、女性が男性がという考えが抜けていたのだ。

「ご、ごめん。女の友人とかいるの嫌かな?」

 おずおずと私は地雷を踏みましたかという確認も込めて聞いてみると、千紗はきょとんとした顔で俺を見上げた。

「えっ? なんで? 友達なんでしょ?」
「あ、はい」
「友達に性別なんて関係ないよ」

 ……あ、そうか。言われてみれば、千紗は男時代、女友達のほうが多かったくらいなのだ。その感覚というのがわかっているのかもしれない。

「昔の流だったら疑いの眼差し向けちゃったかもしれないけどねー」
「うっ……」

 な、なるほど……よくわかってらっしゃる……。
 千紗のお陰で高校三年生頃は女子を相手にしても落ち着いて話せていたものの、それ以前の俺はちょっと優しくされるだけでころっと絆されていたところはある。しかしそれはどれも一時的なものだったから、恋愛感情とすら言えないものだったのだが……。
 しかし大人の男女の付き合いともなれば、真剣な恋愛なんかじゃなくても勢いとかなし崩しだとかでそういう関係になるという話も聞いたことはあるしな……。
 それを考えれば今の俺は堅牢である。
 なんてったって千紗がいるし、瞬くんがいるっていうのにそんなことにうつつを抜かすわけはないのだ。それにいくら千紗が優しくて怒らない人だと言っても、浮気だけは許してくれないそうだし。疑われることすらしないと誓っているのである。

「パパくしゃーい」
「えっ!?!?」

 突然の暴言。瞬くんが鼻をつまんでこちらを見ていた。

「ああ、焼き肉の匂いね。たしかに結構きついよ。このまま真っ直ぐお風呂入っちゃいなよ」
「す、すいません……」

 そ、そうか、たしかにちょっと独特の匂いがついてしまってるかもしれない。しかし、ちょっとズキッときた……。思春期の娘に言われたら立ち直れなかったかもしれない……。

「そうだ、瞬くんももうそろそろ焼き肉連れてってもいい年だよね?」
「え? ああ、うん、多分」
「そっか、じゃあ今度は家族で焼き肉行こうね」

 今日行ったところはお肉がすごく柔らかかったし、瞬くんくらいの年の子供連れもいたしな。
 うちの料理は美味しいけど、焼き肉はこの通り匂いがついてしまうし、やっぱり外でやったほうが好き放題楽しめるしな。
 千紗はぱあっと顔を明るくした。

「ほんとに? いいの?」
「そりゃもちろんいいよ。……あ、そっか。今まで行けてなかったのか」
「うん……、うわあ、嬉しいかも……」

 俺が思っていた以上に喜んでいるのが伝わってくる。
 なんということだ。今までこんな喜んでくれることに気づかなかったなんて。

「よし、行こう、来週の休みにがっつり行こう!」
「やったー! 瞬、焼き肉デビューだ!」
「そうなのー!? やったー!」

 わけも分からず瞬くんは千紗の笑顔を見て一緒に喜んでいる。
 こんなことで大喜びしてくれるなんて。つられてなんだか嬉しい気持ちになりながらお風呂に向かう。
 よく考えれば、千紗たちがうちに来てから外食など一度もしていなかった。瞬くんが外だと緊張してしまうというのもあるし、俺自身、というか我が家自体が外食より家でゆっくり食べるタイプだったから。それに俺の知り合いに見られたら、と千紗が心配しているのもあった。が、これは今日クリアしたしな。
 しかし千紗は昔は外食が多かったようだし、やっぱり家庭料理とは違うからたまには外で食べるのが恋しくなったりもするよな。食事の支度や片付けもしなくてすむし。
 千紗が自分から外食したいなんて言い出すわけないのだから、これからはたまに提案してみることにしよう。
 友人にもずっと隠していたことを告白できたし、なんだかすっきり下気持ちである。

「あ」

 筒井さんに改めて説明すると言ったまま放置していたことを思い出し、慌てて連絡するとまた叱られてしまった。やれやれである。
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