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3章

「一日しか休みないのおかしくない?」
「遊んできたんだから十分よ」

 バスの中。俺はじんわりだるさの残る体を小さいスペースいっぱいに使って伸ばす。
 河合さんは少し体を避けて、いつもの冷めた顔をしていた。

 初めての旅行というのはつつがなく終了した。俺にしては上出来だ。絶対向こうで熱を出すとかすると思ったし、先生もそれを覚悟していたらしく帰宅時にはよく頑張ったな! と俺だけ異常に褒められた。
 一日だけ休みが貰えて、その翌日である今日からは問答無用で通常の授業が再開されるのである。正直全然足りない。
 人生で最も遠出をしたのだから三日くらい休みを貰わないと回復できる気がしない。

「河合さんたちは、どうしてたの」
「自習よ。先生の監視も殆どないし、結構みんなゲームとか持ち込んでて無法地帯だったわ」
「へ、へえ……」

 なんか、よっぽど楽しそうじゃないか……?
 でも河合さん一人なら何日もそんな状態はつまらなかっただろうし、佐伯が休んでよかったかもしれないな。

「あなたは……いえ、和泉と一緒に聞いたほうがいいわね」

 たしかに、やつとは部屋割もグループ移動でも、移動中でも一緒だった。話したい内容は殆ど被っているだろう。
 さすがに何日も一緒にいると後半ちょっとギスギスしたりもした。お互い我が強いもんだから、容赦なく喧嘩になるのである。
 場を取り持つのがいつも佐伯や河合さんだったからというのも大きい。

「和泉は結構写真撮ってたから、それ見ながらの方がいいだろうね」
「ああ、そうね、昨日何枚かはメールで届いたけどね、明日のお楽しみって言われてたの」

 河合さんは少しだけ口角を上げた。
 普段和泉の絡みを鬱陶しがってはいるが、やはり数日ぶりに会うとなると楽しみなんだろうというのがその表情からわかった。

 バスを降り、学校への道を辿っていると途中で小走りに和泉が追いかけてきた。

「河合! 久しぶりのおれだぜ!」
「ああはいはい」

 勢いよく河合さんに飛びついた和泉は大型犬にしかみえない。
 飛びつきながらもそれとなく絶妙な距離感を保っているのがポイントだ。

「なあーおれがいなくて恋しかったろ」
「まあまあね。佐伯もいたし」
「ちぇー」

 和泉は納得いっていないようだが、河合さんがまあまあというのはかなり上等ではないだろうか。

「あなたはどうせ日本のことなんてころっと忘れて楽しんでたんでしょ」
「失礼な!」
「そうだよ、こいつずっと河合さんがいればー河合さんがこれ見たらーとかうるさかったんだから。こいつのこと舐めちゃいけないよ」
「ええ……? それはもっと集中しなさいよ……」

 一体河合さんは和泉がどうすれば納得するのだろう。
 何故か俺が和泉にバラすなよと文句を言われた。

「こいつだってさー帰りのときはさー」
「いいわよ、そういう話はあとでまとめて聞くわ」

 そうだな、どうせ佐伯にも聞かせるんだし。二度手間だ。

 ……と、思ったのだが、いくら待っても佐伯は来なかった。
 結局そのまま授業がはじまってしまった。
 和泉と目を合わせたが、当然知らないだろう。今日はわざわざ実家に寄る余裕はなかったようだし。昨日も丸一日ぐーたら過ごしていたとか行っていた。
 メールしてみたが返信はなかった。まあ体調悪いとすれば午前中は寝てる可能性高いよな……。
 せっかく土産話がたっぷりあるのに。まあ二回話せば話のクオリティも上がることだろう。河合さんが練習台となるのは癪だが。
 よりによってこんなときに休むなんて。あいつだけ連休じゃないか。


 しかしその原因は、思いも寄らないところで明らかとなった。


 その日、くたくたの体に鞭打つように体育があった。他の奴らはなんの文句も言っていなかったあたり、疲れが抜けないのは俺だけなんだろうか。
 うちの学校は体育の時間、男女で分かれて別の場所で授業を行う。そのかわり別のクラスの男子と一緒になるのだ。
 ちなみに佐伯は体育の授業は女子として扱われるようになっている。
 まあ、身体能力の違いを見越して男女で分けているんだろうから、当然なんだろうけど。
 だから今までの体育の授業と違って、男子グループに佐伯の姿はないのだ。運動会ではあんなに活躍してたのに。
 ……まあ、今日はどちらにせよ休んでいるのでどこにもいないわけだが。

 その日はバレーで、まあサッカーやバスケほど走り回る競技でもないし、自分なりに頑張ろうとやる気を出していたのだ。疲れてはいるものの、こういうときに頑張っている姿を見せないとな。一度くらい体育で4を取ってみたい。5なんて高望みはしないから。
 結果顔面にアタックを受けて鼻血出して退場した。
 派手に血が出たので保健室に向かって、ティッシュをもらって血が止まるのを待っている間に授業は終わっていた。虚しい。体操着には情けない点々とした血の跡が残った。
 一応体育館に顔を出すと後片付けの最中だったようだ。
 和泉は球技の時はいつも見学するため、代わりに後片付けだのに駆り出されていた。道連れにされては敵わないのでこっそりと体育館を後にして、更衣室に向かう。
 別に和泉や佐伯、河合さん以外に友達がいないわけではないのだ。だがなんとなく、他の奴らとはしゃいだり友情を感じたり、ということはない。
 とどのつまり張り切ってみたものの、楽しくない授業だった。
 チームメイトとしてのやりとりはそれなりにできた。孤立しているわけじゃない。でもなんだか前ほど、意外と体育も悪くないな、と思うような感覚はなかった。最近はずっとそんな調子だ。

 つまらない思いで扉に手をかけると、中からどよめきのようなものが響き、思わず手が止まった。
 好奇の声だ。
 そして次の声に、心臓が止まりそうになった。

「マジで佐伯とヤッたの!?」

 一瞬自分が呼吸をできてるかすら、わからなかった。
 頭の中で、言葉の意味をつなぎ合わせる前に、中の男たちの声が邪魔をする。

「嘘だろ、ありえね〜! ホモじゃん! 気持ち悪!」
「いや、でももう女じゃん」

 他にもその男を勇者扱いするような声とか、詳細を促すような声が口々に聞こえる。
 どうだった? と聞かれ、男は散々勿体ぶったあと、言った。

「まじで女だったわ」

 当たり前のような、そうじゃないような言葉に、おお〜と感嘆のような声が響く。

「写真みたい人〜!」

 募る声に、笑いの混じった声が飛びついていた。
 何か、胸からせり上がってくるものを感じて、吐き気だと気付いた。
 離れなきゃいけない、と思った。聞いていてはいけないことだというのは本能でわかった。
 でも中に入っていって、そいつをぶん殴って、携帯を壊すべきだとも思った。
 足がすくんでいるわけではないと思う。でも、縫い付けられたように動かなかった。どうするのが一番いいのか、頭が考えることを放棄していたように思う。

 すると向こうからガラリと扉が開いた。

「……」

 見下ろされた。俺は相手の首元あたりしか見えなかった。
 数秒、固まったあと、ゆっくりと押しのけられた。
 遅れて目を向ける。
 石橋だった。表情は見損ねた。通り過ぎていった後ろ姿だけだ。
 そして中を見ると、俺には気付かず、壁際に集まっている集団。
 どいつを殴ればいいのか、判断がつかなかった。
 あ、全員か。
 でもきっと、俺の手が持たないんだろうな。一発殴っただけで痛めてしまうだろうとぼんやりと考えた。
 それに、腕を振り上げる力すら、出ない気がした。
 怒ってるはずなのに、怒るべき時のはずなのに。変なところで頭が冷静に動いていた。
 こんなのは初めてだった。
 急に頭に、心臓に、もやがかかったようで、考えようとしてはすぐに思考が止まった。。
 何も健全に働いていない気がして、結局何もせず、その場を離れた。

 俺は自分を、怒るべき時に怒れる人間だと思っていたのに。
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