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誕生日大作戦

 どうやら俺が帰るとき特有の足音がするらしい。
 リビングなどから外の音がそうそう聞こえることはないと思うのだが、千紗も瞬くんも敏感に察知する。

「おかえりなさーい」

 玄関を開けると大体こうして千紗は出迎えてくれるのである。
 何度やってもこれは良い。疲れが吹き飛ぶ。

「残念。今瞬とお風呂上がったとこだよ」
「うわーそっか。もうちょっと急げばよかったね。じゃあこのままお風呂入ってくるよ」

 ぎりぎり間に合うかと思ったのだが……。瞬くんとのお風呂タイムは、貴重なお話できる時間である。上がってしまえばテレビだの本だの、瞬くんの興味を奪うものが多すぎる。日中遊べない間、お風呂の時間に今日あったことを聞くのが楽しみなのだ。……それに、お風呂の時間くらい千紗にゆったりと休んでほしいし。けど最近は間に合わないことが多いのだ。不甲斐ない。
 初夏だし、我が家の険しい立地条件もあってすっかり汗だくだ。ささっと流してすっきりしたかった。

「ぱっぱーおかえり~」

 千紗の後ろから顔を出した瞬くんはどこかいつもよりテンションが高い気がする。

「ただいまー瞬くん、ごきげんですねえ」
「きょーデザートあるからね~。これからたべるんだ~」
「お。それは楽しみだね」

 そう返すと、んふふと千紗が笑う。

「パート先のプリンなんだー。特別にお持ち帰りさせて貰ったんだよ」
「お、そりゃあ役得だねえ。喫茶店のプリンなんて、絶対おいしいじゃないか」

 千紗が喫茶店でのパートをはじめて、一ヶ月ほどが経っただろうか。
 どうやらすっかり馴染めたようだ。元々人好きする才能みたいなものがあったし、心配する必要はなかっただろうけど。
 それに表に出るようになったおかげか最近はだいぶ元気もいいような気がする。元々大人しいわけでもないけど、何度かパートの応募をしては落とされていた頃は元気がなかったし。

「パパはお風呂入ってくるから、ママと先に食べててね」
「いいよっ」

 俺の帰りが遅くなって、瞬くんとはお風呂はもちろん晩ご飯の時間が合わないことが増えてきた。ものすごく寂しい……。かといって俺の帰りを待たせては寝る時間が遅くなってしまうし、しょうがないのだが。
 ……でも、子供が起きている間に帰ってこられるのはきっと幸せ者だよな。うちの父なんて、朝も早ければ夜も遅いし、休日出勤だってあるからな。とても真似できない。
 週に二日は休みがあるし、相当恵まれてるのだ。


 湯船に浸かりつつ、思考はまた千紗の誕生日のことに戻っていた。
 普段から千紗はあまり自己主張をしない。何に興味を引かれているのかよくわからない。ショッピング中にじっと商品を見つめているから気になってるのかなと声をかけると、全然違うことを考えているだけだったり、ぼーっとテレビを見ていると思っていれば、特集されていたDIYに興味を持っていたらしく、俺が仕事に行っている間に挑戦していたり……。
 読めない。
 付き合いは……長い……わけじゃないけど、でも密度は濃い。この世界で一番千紗のことを考えているのは俺である。しかしそんな俺からしても、千紗の行動は予想できない。突拍子もないことをしているわけでもないのに……。
 ……よく考えたら千紗の好きな色すら知らなくないか?
 携帯も、結婚してから一緒に買い換えに行ったのだが、在庫が残っているやつから適当に選んでいたし。カバーも安さ重視で地味な黒いやつだ。
 服だって、こだわりないみたいだし……。
 こういう相手の趣味って、きっとあれこれ聞き出して手に入れる情報じゃなくて、日常生活の相手の行動や言動から察するもの……なんだろうな……。
 現に千紗は俺の好みをさりげなく把握してくれているし。
 今年の俺の誕生日、千紗はお弁当箱をプレゼントしてくれた。
 大学での食事は殆ど食堂なんかで済ませていて、千紗と暮らすようになってからは節約のため弁当を持たされるようになった。しかしお弁当箱は高校時代に使っていたものだったので、若干使い古されたところがあったのだ。
 色味も俺の好きな落ち着いた色合いだし、容量もちょうどいい。
 毎日使えるものだし、そうそう壊れるものでもないところも楽に使えていい。
 プレゼントって、こういうの、なんだよなあ……。
 つくづく思い知らされる。
 俺にはそんなリサーチ能力はないのだ。俺の力不足なのか、千紗が鉄壁なのかは知らないが。
 思えばかつてのクリスマスプレゼントで選んだマグカップはなかなかいいチョイスだったらしい。今でも大事に使ってくれているし。
 それと結婚指輪。俺が贈ったものといえばそのくらいだ。なんて慎ましやかなんだ。母の日も、お店で母の日ギフトみたいなものを頼りに選んでしまったし。喜んではくれたけど。
 俺の気持ちはこんなもんじゃないんだぞ、というのを行動で示したい。
 うう~む……。

「パパ? 大丈夫? 寝ちゃってない?」

 ドア越しに千紗の声が響いて現実に引き戻される。

「あっごめん! 大丈夫だよ、もう出るね」
「はーい」

 いかんいかん、指がしわくちゃだ。
 最近入浴中につい考えふけってしまう。千紗や瞬くんのいるところであれこれ考えるのは時間がもったいないからな。しかし、考えている暇があれば本人たちをもっと見ろってことだ。うん。

---

「なあにー、じっと見つめてきて」

 俺の視線に気付いた千紗が笑いながら言う。
 食事を終え、瞬くんと戯れつつ寝かしつけたあとのことだ。俺は待ちに待ったデザートを頂いていた。俺の反応を伺うような千紗を、俺もついつい熱烈な視線を送ってしまっていたらしい。

「あ、いや。……そんなに可愛いならさぞパート先でも人気なんだろうと思って」
「申し訳ないけど、他の人から見たらただの店員Aにしか映らないんですよ」
「どうだろう、千紗が自覚してないだけじゃないかなあ」
「はあ全く。身内に甘いねえ」

 千紗はやれやれ、と首を振るが、本当にそう思ってるんだけどな。
 お客さんにナンパされないだろうか、ストーカー化してつきまとわれたりしないだろうか、セクハラされたりしないだろうかと心の底では心配しているのだ。千紗曰く時間帯的にもメニュー的にも女性客がメイン層らしいから、やっぱり俺の杞憂なんだろうけど。

「それにしてもやっぱりプロの味はうまいね。スーパーのとは違うや」
「でっしょ~! 卵とかこだわっててさー、これとね、ミルクセーキもおいしいんだよ~」

 ザ・喫茶店のプリン、というような少し固めで、カラメルがほろ苦い絶妙なプリンだ。卵とバニラの風味が非常に良い。
 千紗は昼を挟んでシフトに入っているため、賄いを貰っているそうだ。しかし労働時間も短いし、さすがに割に合わないので申し訳ないと、お金を払おうとしたりお弁当代わりにおにぎりなんかを持って行ったりしていたそうだが、いいからいいから、と問答無用で軽食を出されるため厚意に甘えることとなったのだという。
 このクオリティの食事をタダで……。すばらしいな……。俺も飲食のバイトを一回くらいやっておくんだった。

「私好き嫌い結構あるでしょ? でも喫茶店のメニューって子供でも好きなものが多いから、最高~って感じ!」
「なるほどなあ」

 言われてみれば、たしかにそうか。
 千紗は地味に好き嫌いが多い。しかしうちの母が作る料理は大抵食べてくれるので、多くは食べられないほど嫌いというわけではないようだが、無理して食べてるとき結構わかりやすいのだ。
 好きな物ももっとアピールしてくれたらありがたいんだけどな……。

「おいしかった……。ごちそうさま」
「喜んで貰えてよかったー」

 にこにこと笑いながら千紗は食器を片づける。
 あっという間に食べきってしまった……。俺が喫茶店のマスターだったら毎日どんぶり一杯分くらい作って平らげていただろうな。生活習慣病まっしぐらだ。よかった、俺にお菓子作りの才能がなくて。
 千紗がキッチンに引っ込むと代わりに廊下のドアが開いて母が顔を出した。

「二人とも~ごめんねえ、私これからどうしてもみたい番組があって……」
「あ、いいよいいよ。何チャンネル?」

 我が家のテレビはリビングにしかない。昔は俺がよく寝込んでいたため暇つぶしのために自室にもあったのだが、古くなってパソコンに置き換わってしまった。
 毎晩なんとなく瞬くんが寝たあとリビングを占拠してしまっているのだが、家族の共有スペースである。母が申し訳なさげに入ってくる必要などない。
 千紗も手を拭きながら戻ってきた。

「あ、そっか。今日火曜日かー。お母さんこの俳優さん好きだよね。録画したの昼間も見てるもん」
「そ、そうなの?」
「そうなのよ~! 俳優さん目当てで見始めたらストーリーにも夢中になっちゃって……いますっごく気になるところなのよ……! 二人っきりなのにお邪魔しちゃってごめんねえ」
「い、いやそれは別にいいんだけど……」

 し、知らなかった……。
 そりゃあ俺は日中は仕事だし、これまでだって学校やバイトだったし、しょうがないんだけど。千紗はパートと瞬くんの送り迎え以外母と一緒にいるのだから、当然俺より詳しいだろうけど……。
 ……ということは、俺より母の方が千紗について詳しいってことか!? い、いやいや、さすがに一緒にいる時間では負けていても、密度が違うもんな。
 千紗だって、いくら母に懐いているとはいえ気を遣わないというわけではないだろうし、開けっぴろげに何でも趣味趣向を伝えはしないだろう。
 一瞬母に相談に乗って貰うか? と考えてしまったが、それはない。さすがに。千紗が俺のことを母に相談するならわかるけど、逆はふがいなさすぎる。うん、ないない。
 なんとなく三人でソファに並んで、知らないドラマの続きを見る。ここで俺と千紗が退散してしまっては、本当に厄介者扱いみたいで嫌な感じだし、単純に興味もあったし。千紗も日中母が流しているドラマを見ているため、話はわかっているらしくちょこちょこ俺に説明してくれた。
 改めて思い返すと、千紗とこうしてドラマや映画を見る機会はなかった気がする。バラエティは見るけど、ドラマとなると毎週同じ時間帯にテレビを見るという習慣がないため、チェックし忘れるんだよな。
 瞬くんと一緒に子供向けのアニメや戦隊物は見るけど……。

「あのおじさんが絶対犯人よねえ」

 CM中、母が推理を展開しはじめた。俺は細かい人間関係がわからないので黙って聞いている。

「でもあっさりすぎじゃないかなあ。もっと意外! って展開にするもんだって前聞いたことあるよ」
「あらあ、確かにそういわれてみればわかりやすすぎるものねえ……」
「千紗は犯人わかるの?」
「えー? わかんないけど。でも怪しいのは被害者のお姉さんかなー。こういうのって大体すごい身近な人だったりしない?」
「なるほど……」
「あ、でも、あやしーって言われて怪しんでみるのはお話がおもしろくなくなっちゃうから、今のなし」

 それは無理な提案である。
 しかし千紗はあまり本を読まないし、国語だって苦手なのだが、物語を楽しむ能力は非常に高いようだ。漫画やゲームの影響だろうか。
 俺はそれほど娯楽作品に興味がないが、それでも見れば楽しめる。それが一緒に同じ調子で楽しめるかどうかというのは一緒に暮らす上で結構大きな部分だと思う。
 ……まあ、千紗以外と付き合ったこともないのに合う合わないなんてわからないけどさ。


 ドラマを見終え、歯磨きを終えて寝室に引っ込む。
 とはいえ寝ている瞬くんの隣ではあまりうるさくできないし、下手にいちゃつけもしないので、できればまだ眠たくない夜はかつての俺の自室の方にいきたいのだが、それでは今からいちゃついてきまーす! というのが丸わかりなので毎回行きそびれる今日この頃である。
 電気を眠りを妨げない程度に明るく調節し、瞬くんの寝顔を確認してから、二人がけのソファに隣り合って腰掛ける。春に購入したものである。がっしりした椅子ではなく、大きなクッションをソファ風の形にしました、みたいなやつだ。
 ここで明日の準備をしたり、携帯をみたり、ちょっとひっついてみたり、本を読んだりする。千紗は編み物なんかをすることが多い。はまっているらしい。そうして満足したらすぐそばの布団に入り込むのである。
 まあ瞬くんが寝ている手前、あまり騒いだり部屋を明るくできないので、夜は寝る直前にしか利用しない場所だけど、お気に入りである。

「ほら、昭彦が映画オタだからさ、映画館とか子供の頃付き合わされてたんだー。お泊まり行ったらいっつも何か見てたし」

 少し声を押さえて千紗は肩を竦めた。
 見事犯人を的中させたので、もしかしてとんでもない推理力の持ち主なのでは? と俺が褒め称えたらそんな種あかしをしたのである。

「ああ、なるほどなあ。英才教育一緒に受けてたんだ」
「そういうことー。だからあるあるとか、テンプレみたいなのはわかるんだよねえ。でもそういうの考えずに観るのが一番楽しいよー」

 うーん、と千紗は伸びをする。
 上体を反らし、服の上から薄っすらと胸の曲線が見えたものだから思わずちらりと視線を向けてしまい、慌てて目を逸らした。
 お、俺はいつまで中学生みたいな反応を……!

「い、和泉はうまくやれてるのかな。結局あいつ進路どうするつもりなんだろう」

 取り繕うように話をそらす。

「ああー、そうだよね。しばらくフラフラしたいって言ってたけど」
「……まあ、なんだかんだやりたいようにやるんだろうね、あいつなら」

 和泉は五月に大学を卒業したのだが、特に就職などはしていないらしい。前聞いたときは向こうで慕っている先生という人の紹介で、アートだかなんとかグラフィックだかのプロジェクトというのに参加することになった、というのは聞いたけど。固定給があるわけもなく、どうも食っていくための活動ではなさそうだ。まあ、そこで作品が表に出て名が売れれば商売に繋がるのかもしれないけど、それって希望的観測じゃないか? 俺にはよくわからない世界だ。実を結ぶかどうかがわからないことに熱を入れられるというのも才能だろう。
 そのプロジェクトが一段落ついたらとりあえず一度日本には帰ると聞いたが、「とりあえず」とか「一度」とか言ってるあたり、こちらに腰を据える気はないのだろう。まあ、好きにすればいいけどさ。和泉と河合さんがいいなら。
 なんの根拠もないのに、やりたいことをやってるあいつの姿はいつも容易に想像つくんだよな。千紗も同じらしい、くすくすと声を抑えながら笑っている。

「たしかにそうなんだけどさ、昭彦だっていちおー悩んだりへこんだりすることあるんだよ? 子供の頃はもっと繊細だったんだから」
「そ、想像つかない……」

 年末年始に帰省したきり、相変わらずあいつから個人的な連絡はないし、こちらもしていない。すべてSNSや河合さんからの情報である。

「……あっそうか……! 和泉がいたか!」
「え? なに?」

 思わず声に出すと、千紗には不思議そうな顔をされた。
 すっかり忘れていた! 俺が知らない千紗のことを知っているであろう人物を! ……いや、こう言うとなんだかちょっと悔しいな。俺だって和泉が知らない千紗を知ってるんだからな!

「昭彦がどうかしたの?」
「い、いや、その、ちょっと、か、海外についてちょっと知りたいことがあって、和泉に聞けばいいんだーって思い出して」
「ああ、そういうこと? もー、忘れないであげてよー」

 我ながらそれっぽい嘘がうまくなったぜ。
 しかし和泉はそれなりにセンスもいいし、千紗の趣向も、まあ古い情報かもしれないけどよく知ってるはずだ。なんせ産まれたときから17年の付き合いなのだ。
 突破口が見えてきた。嬉しくなって、身をソファに完全に預けて殆ど寝てる状態の千紗に覆い被さるように抱きついた。

「わ、重ーい」

 一応押しつぶさないように気を遣ったつもりなんだけどな。
 千紗はとっさに俺との体の間に腕を挟みこんだものの、押しのけたりはしなかった。近頃、千紗が怯えたり驚いたりしない接触の仕方というのがわかってきた。

「小さくて可愛いですねえ」
「な、なに? 恥ずかしいから変なこと言うのやめて」

 こういうこと言うとすぐつれない態度になる。
 でも本気で嫌がってはいないのだ。まったく、とんだひねくれ者である。

「うぶで不器用な桐谷はどこにいったんだよー」
「さすがに子持ちでうぶではいられないよなあ……」

 っていうか、おたくも桐谷なんですけどね。言いたいことはわかるけどさ。
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