誕生日大作戦
そして千紗の誕生日、前夜がきた。
両親にはもちろん、事前に今日が千紗の誕生日であることは伝えてある。夕飯は千紗の好物を母が作ってくれるらしい。デザートは注文したホールケーキ。完璧だ。
問題はお祝いのタイミングだな。
父は残念ながら俺が千紗の誕生日の話を持ちかけた時点でみっちりとスケジュールが詰まっていたので不参加である。そうなれば瞬くんのタイミングに合わせるのが妥当だと思うが……、ケーキを食べるとなるとおやつ時かな? それってちょっと遅くないか? 誕生日の半分の時刻が過ぎてしまっているじゃないか。
それなら口頭でまずお祝いして、ケーキはあとで? じゃあプレゼントを渡すのは?
そしてよく考えたら朝起きて千紗が一番に顔を合わせるのはうちの母だ。母に先を越されるのは納得いかない。……もちろん、俺が起きてくるまでお祝いの言葉は待って、といえば待ってくれるだろうけどさ。なんというか、あんまり周りにお膳立てしてもらうのも格好悪いじゃないか。
だとすると、チャンスはひとつしかないよな。
「もー、さっきから船漕いでるよ? お布団目の前なんだから、入ってねなよね。体痛くなっちゃうよ」
「わ、わかってる、わかってる」
というわけで、俺は絶賛夜更かし中だった。
いい大人なのに、日付変更まで起きているのがつらいなんて……。
ぶんぶんと頭を振って眠気を追いやる。
寝室のソファはリビングにあるものに比べてくたくたで、うたた寝するのに最適なのだ。俺はこいつと相性が悪いらしい。いや、むしろ相性最高なのか?
「別に今日はお仕事の持ち帰りも勉強もないんでしょ? 無理するのやめなよ」
「いいやまだまだ。俺はやれる」
「何と戦ってんのさ」
千紗は呆れ顔で読んでいた漫画を開いたまま伏せた。
パート先の娘さんが読まなくなった漫画を譲ってくれたんだそうだ。最近暇なとき、千紗はそれを読み進めている。
暇なとき、というか、俺が仕事やなにやらで夜遅くまで起きているときの時間潰し、だな。先に寝ていてもいいよと言っても千紗は必ず俺が寝るまで付き合ってくれるのだ。
いや、ちょっと違うかな。別に俺が練るのを今か今かと待っているわけではなく、ただ、俺が寝るのをちゃんと確認してから寝たいようなのだ。いつも俺の方が先に寝ているな、と気づいたのは割と最近である。
「千紗って、なんでいつも俺より後に寝るの?」
俺の何気ない疑問に、千紗は「え」と声を漏らした。
「そうかな? 殆どは一緒の時間に寝てない?」
「そ、そう……? でも俺の方が先に寝てしまうことはあっても、逆はないでしょ。クリスマスのときくらいだよ」
「あー……、あれは疲れてたしね。ほら、疲れてたら私も先に寝るよ。普段は疲れてないから。パパはお仕事行ってるんだし、元々よく寝る人なんだから先に寝て当然じゃない?」
「まあ、そうなんだけどさ……?」
ちょっと納得いかない。
俺が先に寝て、起きるのは俺の方があと。完全なるロングスリーパーなのだ。
でもそれって、俺のせいで一緒にいられる時間が少ないみたいで、ちょっと残念なんだよな……。かといって睡眠時間を削ることはできないんだけどさ。これこのように、ただ頭をかくんかくんと必死に縦にするので精一杯なのだ。
「……よし、じゃあオセロでもしよう」
「今から!? ね、寝ないの?」
「頭を動かしてから寝たい気分なんだよ」
「どういうことなの~」
千紗はいつもさりげなく夜更かしに付き合ってくれているというのに、俺の必死さといったらない。
いつもそうなんだよな。自然と、さりげなく、相手に気にさせることもなく千紗はあれこれやってくれるのに、俺はそれをかなり神経を使わないと真似できない。いや、真似にすら満たないんだけど。
ソファーに隣り合って腰掛け、二人の間の床にオセロを広げて、パチパチと交互に石を置いていく。
うん、少なくとも意識が途切れ途切れになるほどの眠気は消えた。
いつの間にやら千紗も漫画を完全に閉じ、真剣な様子で緑の盤面に向き合っていた。
「……千紗って……いいやつだねえ……」
「へえ!?」
急になに? という目で、千紗の顔がこちらを見上げる。
「だってさあ、急に俺がオセロしたいって言ったら、なんの文句も言わずに漫画読むのやめてさあ……」
「な、何言ってるんだよ……別に、漫画なんていつでも読めるし……」
「俺とのオセロは今しかできないから……!?」
「そこまでは言ってないけど。面白いからいいんだよ」
「こ、こいつぅ~かわいいやつめ~」
「わーバカップルのノリうざいうざい」
俺は自分が本を読んでるとき、突然全く別のことしようと言われたら、ちょっと待ってよとか、今じゃなきゃだめ? とか、そんな気持ちになると思う。それなのに!
……いや、千紗や瞬くんだったら別か。二人に誘われたら嬉しすぎてやらなきゃいけないことでも後回しにしてしまいそうだ。
でも千紗も俺に対してそんな風に俺を優先して思ってくれているかと聞かれると、どうだろう。そうだとすれば嬉しいことこの上ないけど。
「あ、やっりい、角とったー」
「げ。ほ、ほんとだ……」
「ふふ。流って相変わらず頭はいいのに、ゲームは苦手だよね」
「お、おかしいな……結構優勢だと思ってたんだけど……」
「コツがあるんだよー。私も小さい頃はなんにもわからなくて兄貴にコテンパンにされたけどね」
そう言って千紗は肩をすくめた。
今の姿とはまるきり違う、幼い頃の千紗を想像する。千紗も同じようにもう会えない家族のことを思い出したのか、ほんの少し表情が暗くなったような気がする。
「……ここから起死回生するためのコツ教えてよ」
「えええ、やだよー。っていうか、もう無理じゃない?」
「そ、そんなことない……! 活路はあるはずだ……」
俺が往生際悪く頭をひねらせているのが面白いのか、千紗はにやにやと笑っている。うん。こういう顔の方がいい。
結局、活路もなにも俺が打てる場所自体が限られていて、その数少ない選択肢もどれをとっても展開は同じようなもんだったらしい。俺のあがきもむなしく、盤面の九割は白く染まっていた。
「ちょ、ちょっと時間をください……必勝法調べるから!」
「あっずるい! ドーピングだ!」
文句を言われつつもこのままでは引き下がれないと俺はスマホを取り出す。
なんとか理論だとかどうのこうのというサイトが出てきて、千紗もどれどれと覗き込んでくる。な、なるほど……先の手を読む能力が大事なのだろうと思っていたが、やはりある程度理論があるらしい。
「流ってチェスとかすっごい強そうな顔してるのにねえ」
「そもそもボードゲームをやる機会がないからね……」
く、悔しい……! まるで期待外れみたいじゃないか!
俺の負け惜しみに、千紗はそれもそうかあと素直に頷いた。
うん、そうだ。そもそも俺は兄弟もいないし、ゲームより本が好きな子供だったし! このオセロだって、千紗たちがうちに来てから父が買ってきてくれたものなのだ。
他にも少しずつ我が家にはゲームの類が増えてきている。瞬くんへ、というより家族みんなで遊びなさいということで、なんとなく他のおもちゃとは別枠の扱いを受けている。
しかしなんでも一番強いのは千紗だ。瞬くんは小さいから仕方ないにしても、俺がいつも負けっぱなしなのはそろそろ悔しいというか、一回でもパパすごーいと言われたいものだ。
これからはきちんとゲームの攻略法も勉強すべきか……。
「でも俺が強くなりすぎて、こてんぱんにされた千紗が悲しむ姿は見たくないな……」
「一勝でもしてから言ってよねー」
おっしゃる通りで。
二人でふむふむと呟きながらスマホの解説を追っていると、部屋の隅で重たいバイブ音が響いた。千紗のスマホが充電してある場所だ。すぐに鳴り止んだあたり、電話ではなくメールだろう。
「げ、もう十二時じゃん。こんな時間に珍しいな……」
よいしょと千紗が立ち上がり、枕元の方に歩いていく。
俺たちくらいの年頃だと、夜はまだまだこれからだというやつも多いのだが、千紗の周りにはそういったタイプはいない。少なくとも俺の知る限りでは。
俺の知らないママ友はいるだろうけど、非常識な時間に連絡を取り合うほど気心がしれた相手、というのはまだいないようだし。
のっぴきならない用事でもあるんだろうか……とぼんやり壁にかかった時計を眺める。十二時をちょうど1分過ぎたところだった。
……十二時……?
「あっ! ま、待って!!」
「うひゃあ」
俺が時間に似合わない大声で制止すると、千紗は叱られた子供のように体を跳ねさせてスマホを床に落とした。といっても床に置いてあったスマホをしゃがんで持ち上げようとしていたところだったため、大した衝撃ではないはずだ。
「大声やめて~! びっくりしたじゃない」
「ご、ごめん」
「まあ、このくらいじゃ瞬は起きないけどさ……どうしたの?」
「あっいや……」
十二時、十二時だぞ! 日付が変わったのだ!
日付が変わった瞬間、さりげない調子でおめでとうと声をかけるつもりだった。予定が狂ってしまい、俺は「ああ」「うう」と唸り、手を振って誤魔化そうとしたり引っ込めてみたりを数秒のうちに何度も繰り返した。
「ど、どうしたどうした」
どうどう、というように千紗はソファの方に引き返してきて、腰を浮かせようか、どうしようかと悩む俺をやや心配げに見下ろす。
その光景は無性に懐かしい気がした。
もはや今の千紗の姿はかつての姿とは似ても似つかないけど。所作も、喋り方も変わってしまったけど。
今の千紗は昔よりもおどおどとしていて、不安げなところがある。でも俺が動揺していると、千紗の方はむしろ普段より冷静になれるらしい。その雰囲気というのは昔となにも変わらなかった。
それになんだか安心して、少し落ち着いた。
……本当はもっと格好のつく状況で言いたかったけど、まあ、そんな気取ったのは俺らしくないか。
「誕生日、おめでとう。佐伯」
ぱちんぱちんと二つの目が瞬いた。猫のような大きなつり目だった。
両親にはもちろん、事前に今日が千紗の誕生日であることは伝えてある。夕飯は千紗の好物を母が作ってくれるらしい。デザートは注文したホールケーキ。完璧だ。
問題はお祝いのタイミングだな。
父は残念ながら俺が千紗の誕生日の話を持ちかけた時点でみっちりとスケジュールが詰まっていたので不参加である。そうなれば瞬くんのタイミングに合わせるのが妥当だと思うが……、ケーキを食べるとなるとおやつ時かな? それってちょっと遅くないか? 誕生日の半分の時刻が過ぎてしまっているじゃないか。
それなら口頭でまずお祝いして、ケーキはあとで? じゃあプレゼントを渡すのは?
そしてよく考えたら朝起きて千紗が一番に顔を合わせるのはうちの母だ。母に先を越されるのは納得いかない。……もちろん、俺が起きてくるまでお祝いの言葉は待って、といえば待ってくれるだろうけどさ。なんというか、あんまり周りにお膳立てしてもらうのも格好悪いじゃないか。
だとすると、チャンスはひとつしかないよな。
「もー、さっきから船漕いでるよ? お布団目の前なんだから、入ってねなよね。体痛くなっちゃうよ」
「わ、わかってる、わかってる」
というわけで、俺は絶賛夜更かし中だった。
いい大人なのに、日付変更まで起きているのがつらいなんて……。
ぶんぶんと頭を振って眠気を追いやる。
寝室のソファはリビングにあるものに比べてくたくたで、うたた寝するのに最適なのだ。俺はこいつと相性が悪いらしい。いや、むしろ相性最高なのか?
「別に今日はお仕事の持ち帰りも勉強もないんでしょ? 無理するのやめなよ」
「いいやまだまだ。俺はやれる」
「何と戦ってんのさ」
千紗は呆れ顔で読んでいた漫画を開いたまま伏せた。
パート先の娘さんが読まなくなった漫画を譲ってくれたんだそうだ。最近暇なとき、千紗はそれを読み進めている。
暇なとき、というか、俺が仕事やなにやらで夜遅くまで起きているときの時間潰し、だな。先に寝ていてもいいよと言っても千紗は必ず俺が寝るまで付き合ってくれるのだ。
いや、ちょっと違うかな。別に俺が練るのを今か今かと待っているわけではなく、ただ、俺が寝るのをちゃんと確認してから寝たいようなのだ。いつも俺の方が先に寝ているな、と気づいたのは割と最近である。
「千紗って、なんでいつも俺より後に寝るの?」
俺の何気ない疑問に、千紗は「え」と声を漏らした。
「そうかな? 殆どは一緒の時間に寝てない?」
「そ、そう……? でも俺の方が先に寝てしまうことはあっても、逆はないでしょ。クリスマスのときくらいだよ」
「あー……、あれは疲れてたしね。ほら、疲れてたら私も先に寝るよ。普段は疲れてないから。パパはお仕事行ってるんだし、元々よく寝る人なんだから先に寝て当然じゃない?」
「まあ、そうなんだけどさ……?」
ちょっと納得いかない。
俺が先に寝て、起きるのは俺の方があと。完全なるロングスリーパーなのだ。
でもそれって、俺のせいで一緒にいられる時間が少ないみたいで、ちょっと残念なんだよな……。かといって睡眠時間を削ることはできないんだけどさ。これこのように、ただ頭をかくんかくんと必死に縦にするので精一杯なのだ。
「……よし、じゃあオセロでもしよう」
「今から!? ね、寝ないの?」
「頭を動かしてから寝たい気分なんだよ」
「どういうことなの~」
千紗はいつもさりげなく夜更かしに付き合ってくれているというのに、俺の必死さといったらない。
いつもそうなんだよな。自然と、さりげなく、相手に気にさせることもなく千紗はあれこれやってくれるのに、俺はそれをかなり神経を使わないと真似できない。いや、真似にすら満たないんだけど。
ソファーに隣り合って腰掛け、二人の間の床にオセロを広げて、パチパチと交互に石を置いていく。
うん、少なくとも意識が途切れ途切れになるほどの眠気は消えた。
いつの間にやら千紗も漫画を完全に閉じ、真剣な様子で緑の盤面に向き合っていた。
「……千紗って……いいやつだねえ……」
「へえ!?」
急になに? という目で、千紗の顔がこちらを見上げる。
「だってさあ、急に俺がオセロしたいって言ったら、なんの文句も言わずに漫画読むのやめてさあ……」
「な、何言ってるんだよ……別に、漫画なんていつでも読めるし……」
「俺とのオセロは今しかできないから……!?」
「そこまでは言ってないけど。面白いからいいんだよ」
「こ、こいつぅ~かわいいやつめ~」
「わーバカップルのノリうざいうざい」
俺は自分が本を読んでるとき、突然全く別のことしようと言われたら、ちょっと待ってよとか、今じゃなきゃだめ? とか、そんな気持ちになると思う。それなのに!
……いや、千紗や瞬くんだったら別か。二人に誘われたら嬉しすぎてやらなきゃいけないことでも後回しにしてしまいそうだ。
でも千紗も俺に対してそんな風に俺を優先して思ってくれているかと聞かれると、どうだろう。そうだとすれば嬉しいことこの上ないけど。
「あ、やっりい、角とったー」
「げ。ほ、ほんとだ……」
「ふふ。流って相変わらず頭はいいのに、ゲームは苦手だよね」
「お、おかしいな……結構優勢だと思ってたんだけど……」
「コツがあるんだよー。私も小さい頃はなんにもわからなくて兄貴にコテンパンにされたけどね」
そう言って千紗は肩をすくめた。
今の姿とはまるきり違う、幼い頃の千紗を想像する。千紗も同じようにもう会えない家族のことを思い出したのか、ほんの少し表情が暗くなったような気がする。
「……ここから起死回生するためのコツ教えてよ」
「えええ、やだよー。っていうか、もう無理じゃない?」
「そ、そんなことない……! 活路はあるはずだ……」
俺が往生際悪く頭をひねらせているのが面白いのか、千紗はにやにやと笑っている。うん。こういう顔の方がいい。
結局、活路もなにも俺が打てる場所自体が限られていて、その数少ない選択肢もどれをとっても展開は同じようなもんだったらしい。俺のあがきもむなしく、盤面の九割は白く染まっていた。
「ちょ、ちょっと時間をください……必勝法調べるから!」
「あっずるい! ドーピングだ!」
文句を言われつつもこのままでは引き下がれないと俺はスマホを取り出す。
なんとか理論だとかどうのこうのというサイトが出てきて、千紗もどれどれと覗き込んでくる。な、なるほど……先の手を読む能力が大事なのだろうと思っていたが、やはりある程度理論があるらしい。
「流ってチェスとかすっごい強そうな顔してるのにねえ」
「そもそもボードゲームをやる機会がないからね……」
く、悔しい……! まるで期待外れみたいじゃないか!
俺の負け惜しみに、千紗はそれもそうかあと素直に頷いた。
うん、そうだ。そもそも俺は兄弟もいないし、ゲームより本が好きな子供だったし! このオセロだって、千紗たちがうちに来てから父が買ってきてくれたものなのだ。
他にも少しずつ我が家にはゲームの類が増えてきている。瞬くんへ、というより家族みんなで遊びなさいということで、なんとなく他のおもちゃとは別枠の扱いを受けている。
しかしなんでも一番強いのは千紗だ。瞬くんは小さいから仕方ないにしても、俺がいつも負けっぱなしなのはそろそろ悔しいというか、一回でもパパすごーいと言われたいものだ。
これからはきちんとゲームの攻略法も勉強すべきか……。
「でも俺が強くなりすぎて、こてんぱんにされた千紗が悲しむ姿は見たくないな……」
「一勝でもしてから言ってよねー」
おっしゃる通りで。
二人でふむふむと呟きながらスマホの解説を追っていると、部屋の隅で重たいバイブ音が響いた。千紗のスマホが充電してある場所だ。すぐに鳴り止んだあたり、電話ではなくメールだろう。
「げ、もう十二時じゃん。こんな時間に珍しいな……」
よいしょと千紗が立ち上がり、枕元の方に歩いていく。
俺たちくらいの年頃だと、夜はまだまだこれからだというやつも多いのだが、千紗の周りにはそういったタイプはいない。少なくとも俺の知る限りでは。
俺の知らないママ友はいるだろうけど、非常識な時間に連絡を取り合うほど気心がしれた相手、というのはまだいないようだし。
のっぴきならない用事でもあるんだろうか……とぼんやり壁にかかった時計を眺める。十二時をちょうど1分過ぎたところだった。
……十二時……?
「あっ! ま、待って!!」
「うひゃあ」
俺が時間に似合わない大声で制止すると、千紗は叱られた子供のように体を跳ねさせてスマホを床に落とした。といっても床に置いてあったスマホをしゃがんで持ち上げようとしていたところだったため、大した衝撃ではないはずだ。
「大声やめて~! びっくりしたじゃない」
「ご、ごめん」
「まあ、このくらいじゃ瞬は起きないけどさ……どうしたの?」
「あっいや……」
十二時、十二時だぞ! 日付が変わったのだ!
日付が変わった瞬間、さりげない調子でおめでとうと声をかけるつもりだった。予定が狂ってしまい、俺は「ああ」「うう」と唸り、手を振って誤魔化そうとしたり引っ込めてみたりを数秒のうちに何度も繰り返した。
「ど、どうしたどうした」
どうどう、というように千紗はソファの方に引き返してきて、腰を浮かせようか、どうしようかと悩む俺をやや心配げに見下ろす。
その光景は無性に懐かしい気がした。
もはや今の千紗の姿はかつての姿とは似ても似つかないけど。所作も、喋り方も変わってしまったけど。
今の千紗は昔よりもおどおどとしていて、不安げなところがある。でも俺が動揺していると、千紗の方はむしろ普段より冷静になれるらしい。その雰囲気というのは昔となにも変わらなかった。
それになんだか安心して、少し落ち着いた。
……本当はもっと格好のつく状況で言いたかったけど、まあ、そんな気取ったのは俺らしくないか。
「誕生日、おめでとう。佐伯」
ぱちんぱちんと二つの目が瞬いた。猫のような大きなつり目だった。