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誕生日大作戦

「しゅんこれほしいんだよおう~!」

 案の定、というかなんというか。
 休日、市内でも有数の商業施設に繰り出した俺たち親子三人は、早速瞬くんの駄々に巻き込まれていた。
 なんとか店先から少し外れた壁際まで移動できたものの、やはり子供の声というのは目立つらしく、通行人の視線が少し痛い。
 千紗は屈んで瞬くんと目線を揃え、極めて冷静に落ち着いた声で諭していた。俺はその斜め後ろでスタンバっている。なんのスタンバイなのかは俺もよくわかっていないが……

「瞬、誕生日まだ先でしょ? それに腕時計なんてつけないじゃない」
「つける!! だいじにするから~!」

 瞬くんがほしがったのは、瞬くんが好きな、しかし大人からも人気もあるアニメの腕時計である。
 おもちゃの時計とか、何かボタンを押したら光ったり音がでるギミックがある……というわけではなく、本当にただの腕時計だ。元のアニメよりも可愛くほのぼのとした絵柄でマスコットキャラがかかれているのを見るに、おそらく十代後半から二十代くらいの女性をターゲットにしたものだと思われる、普段使いできそうなデザインである。時計としては安いが、子供に与えるにはちょっと高い……そんな価格設定である。
 それにいくらなんでも四歳児には必要ないものだ。そもそも時間の感覚というのがまだ大ざっぱにしかわかっていないし……もう少し大きくなって一人で遊びに出かけるようになったらあってもいいだろうけど。
 まあ、必要不必要で選ぶことでもないかもしれないけどさ。必要ないとわかっていてもどうしてもほしいものっていう気持ちはわからなくはないし。俺も子供の頃は双眼鏡がほしかったものだ。そうまでして一体何が見たかったのかというと、別になにもなかった。

「パパ~!」

 ママに言っても進展なしと踏んだのか、瞬くんのターゲットがこちらに移った。

「そ、そんな甘えられても……。瞬くん、まだお店回り始めたばかりじゃない。あとでもっと欲しいものが見つかっちゃうかもよ? もっといろんなところ回ってから考えようよ」
「でもそしたらなくなってるかもしれないじゃん!」

 瞬くんは最近手強い。
 たしかに、いくらでも在庫がある大量生産されたものではないだろうけど……。

「でも瞬、これ買っても幼稚園には持ってけないよ?」

 千紗の困り切った声に、瞬くんはぐむっとするように口を噤む。
 瞬くんの状態はあと少しでも下手な宥め方をすると、地面に座り込んだり転がって遺憾の意を表したりしそうな、ぎりぎりの段階である。俺たちも慎重になっていた。
 さすがに店先でそれは、……まあ、おもちゃ売場なんかではよく見る光景ではあるけど、でもああなってしまっては数時間引きずる。楽しいお出かけはぶちこわしである。こんなところで瞬くんの嫌な思い出として刻まれるのは避けたい。かといって騒ぐからってそれを解決するために甘やかすのだってだめだ。
 どうにかこちらの訴えに納得してもらわないと。
 千紗が諭す様子に俺もそっと加わる。

「それにね瞬くん、砂遊びとか、水遊びとかするときも外さないといけないんだよ。ほら、割れちゃったり壊れちゃったりするかもしれないでしょ? でも遊ぶたびに外して置いておいたらどこかでなくしちゃうかもしれないよね? 瞬くんが大事にしようと思ってても、難しくないかな?」

 むうと瞬くんはほっぺたを膨らませた。でも先ほどのようにすぐさま反論したりはしない。俺は泣くんじゃないかと少しはらはらするのだが、千紗は動じない。

「瞬~、だって今日まだこれからおもちゃ屋さんも本屋さんも行くんだよ? ママたちもっと色々瞬と一緒に見て回りたいよ? でも時計買っちゃったら、今日はもう欲しい物買えないんだよ、それっていやじゃない? こっちがよかったーってなっちゃったらやでしょ?」
「……やだけど……」

 よ、よし……! ちょっと折れてくれそうな雰囲気だ! 泣きわめくパターンだったら大変なことになるからな……。

「じゃあ、ほしいのなかったらかう?」

 ぐっ、とこちらが一瞬黙ってしまった。
 ま、まあ、たしかに、欲しい物があるかもしれないから、という名目で諦めさせるならそういう約束になるのか。
 ……買ったとしても、絶対飽きて忘れられてしまうと思うんだけどな……。そしておもちゃと比べると値段もやっぱり張る。けどひとつ譲歩してもらったのに、今度はこの理由があるからだめ、というのはなんだかこっちがわがままを言ってるような気分になる。ううーむ。説得方法を誤ってしまったのだろうか。

「わかった、お店を全部回っても欲しい物がなかったら、腕時計かおっか」

 千紗が「マジで?」というやや非難めいた視線を送ってくるが、とりあえず頷いておいた。
 だ、だってさ、そこまでしてほしいなら、しょうがなくないか? 瞬くんにはまだ物の価値がわかっていないし、大きいおもちゃは誕生日に、くらいの区別しかつかないのだ。高いからだめ、というのを伝えるのは難しい。腕時計を我慢するのも、ガシャポンの景品を我慢するのも、同じだけ欲しいものなら瞬くんにとっては同じ価値なのだ。多分これがガシャポンだったら、最終的に他のおもちゃを我慢したのだったらいいよ、となると思う。だったら腕時計も許可しないとおかしい、ような気がする。
 ……というのはきちんと千紗と話し合ってから決めるべきなんだが……勝手に決めてごめん……あとで話し合わせてください……と表情で語る。

「じゃあがまんする……」
「ほんと!? ありがとー瞬! 話がわかるやつだよー」

 わしゃわしゃと千紗に撫でられた瞬くんは、くすぐったいのか少し身をよじって笑った。
 名残惜しそうにしつつも、千紗の明るい声での励ましにより瞬くんは落ち着いた様子で気持ちを切り替えてくれたようである。
 ううっ、こんなに小さな子に我慢させるなんて、なんだか罪悪感が……。
 俺も瞬くんの頭をひたすら撫でた。

---

「わーっ! これかわいいねえ」
「あ、瞬ーこっちに怪獣あるよ!」

 いくつか店を見てまわるうちに、すっかり瞬くんの機嫌は元に戻っていた。
 巨大なぬいぐるみを千紗と二人でさわさわしている。
 あれこれに目移りするものの、これ欲しい! 買って! と騒ぎはしなかった。それほどさっきの腕時計が欲しかったんだろうか……と思うとやっぱり罪悪感におそわれるのであった。これがデートなら別れ際に、ほしがってたでしょ? とかいってこっそり買っていた腕時計をプレゼントするんだろうな……。残念ながらそういうサプライズはない。
 ……と、本来の目的をすっかり忘れていた。いけないいけない。
 千紗の好みを探るために誘ったのだ。もちろん、瞬くんの誕生日も三ヶ月後に控えているから、今のうちに好みをチェックしておくつもりだ。

「千紗、ふわふわのもの好きだよね」
「え? みんな好きじゃない? 思わず触っちゃうよねー」
「やーらかーい」

 ほらあ、と差し出され、怪獣の頭を撫でる。

「た、確かにふわふわさらさらで撫で心地はいいよ」
「でしょ? 癒されるでしょー?」

 なるほど……。うーん、ぬいぐるみ……クッションとか、タオルとかがいいのかな。バスタオルは家族で揃いのデザインのものを使っているから、ハンドタオルとかがいいかな。でも誕生日プレゼントって感じじゃないよな……。ぬいぐるみ自体はそれほど興味ないようだし、だとするとクッションか……? うん、ソファの上に置いたらちょうどよさそうだ。……でも個人で使うものって感じはしないし、どうだろうな……。

「でもこういうの、実際買ったらすぐ毛羽立っちゃったりして長持ちしないんだよね~」
「み、店でそんなこと言わなくても……」
「あ。そうだね。ごめん、今のなし。しーっね」

 千紗はこそっと口の前に人差し指を立てて瞬くんと顔を見合わせた。
 ……買いたい、というわけではないらしい。
 うーむ。とりあえず第一候補からは外しておこう……。
 一通り触って回って満足したらしく、瞬くんと手を繋いだ千紗はふわ~っと店を離れた。美しい冷やかしっぷりである。
 今日も買わないものを無闇に触るのはやめよう、と注意できなかった……。

「ちょっとトイレ行きたいかも。瞬一緒にいく?」
「しゅんへいきー」
「じゃあそこのベンチで待ってるよ」

 瞬くんは千紗の手を放すと、俺の腕にぴたっと寄り添った。可愛い。見てくださいみなさん。俺の息子です。
 千紗は待っててね、と小さく手を振ると、トイレの看板が示す方向に向かって行った。俺は瞬くんを連れてベンチに腰掛ける。
 近くに千紗がいなくなると、瞬くんはいつも少しだけ大人しくなる。というか、今外にいて周りにたくさんの知らない人がいるということを自覚して緊張する、というのが近いかもしれない。
 俺では周囲の環境を忘れさせるほどの安心感はまだ与えられないようだ。……まあ、普通に考えればしょうがないことなんだけどな。
 俺と瞬くんは出会ってから、まだたった一年しか経ってないのだ。厳密に言えばもうすぐ一年だ。瞬くんからすれば急に現れたおっさんである。実の親子であることは確かだけど、だからって血の繋がりに甘えても何にもならない。これだけ懐いてくれているのは奇跡的なことなのだ。

「瞬くんさっき偉かったねー。我慢してくれてありがとうね」

 小さな頭がこちらを見上げて、うへへと照れるように笑った。足が犬の尻尾のようにぱたぱたしている。

「しゅんえらい?」
「偉い。マジで。前だったらやだやだって大泣きだったでしょ? でもちゃんとママやパパの話聞いてくれたじゃん。大人だな~って思ったよ」
「だあーって、しゅんようちえんのおにーさんだからさっ?」
「うん、お兄さんだねえ」

 ふんふん、と瞬くんは機嫌良さそうに鼻をならした。
 最近瞬くんは「お兄さん」という言葉に固執するようになった。
 幼稚園の友達に弟がいるらしく、何度か遊んだときに瞬お兄ちゃんと相手のお母さんに呼ばれたのが瞬くんの心に響いたらしい。
 あまり、お兄さんだから、とか、親のいいつけを守るのがいい子、というような教育はしたくはない。こちらの反応を伺っていい悪いを判断する癖がついてはよくないからな。……しかし、本人のモチベーションになっているのならなによりだろう。

「しゅんもはやくおとーとほしーなー」
「うっ……」

 それを言われるとちょっとパパ……困っちゃうな……!
 しかも弟確定らしい。ごめん、それはちょっと操作できないところなんだよな。
 そもそも男の子か女の子か、以前の段階だし。まあ瞬くんからすればそんなもん知ったこっちゃないだろう。突然湧いて出てくるとか思ってるんだろうし。
 このままいくと今度は弟欲しい欲しい攻撃がはじまりそうだったので、話題を変えるためにぐるりと視線を巡らせる。
 ふうむ、そうだな……。このままじゃ最後まで瞬くん中心になってしまって、結局千紗の好みなんてわからずに終わってしまいそうだ。まあ、そうなったらそうなったで諦めはつくけど……。
 ここはひとつ協力して貰おう。

「あのさあ瞬くん、実はパパね、今日はある作戦があるんだよ」
「さくせん?」

 きらりんと瞬くんの目が光る。果たして作戦という言葉の意味を正しく理解しているのかは謎だが、それってなあに? と話の腰を折られることなく続きを促される。

「ほら、ママってさ、もうすぐお誕生日でしょ?」
「えっ! そうなの?」
「そうだよ、そっか。瞬くん知らなかったのか」

 それもそうか。よくよく考えたら、これまでの生活で千紗が誕生日を祝われるというシチュエーション自体なかった可能性が高いし、あったとしても瞬くんにはまだ自発的にいつが誰の誕生日、というように把握できるほど日付の感覚はない。

「だからね、ママに内緒でプレゼントを買ってあげたいなって思ってさ。ママがどんなものが好きか、ほしがってそうかチェックしてたんだよ」
「へー! プレゼントなににするの?」
「それがまだ決まってないんだよね。このあともいろんなお店回るでしょ? そのときママが好きそうなものとか、瞬くんも見つけたらあとでこっそりパパに教えてくれないかな? 一緒に考えて一緒に渡そう」
「しゅんはじぶんでつくったのあげる! でもパパはねこちゃんあげることにしたら?」
「それは瞬くんが欲しいんでしょー」

 俺の真剣さが伝わっているのかいないのか。瞬くんはあれこれおもちゃの名前を挙げている。

「今まで瞬くんは、ママがこれ好きーとか言ってるの聞いたことある?」
「えー? えっとねー、なにかなー」

 瞬くんの視点で見る千紗とは一体どんな風に映っているのか、すごく気になる。ついでに俺のこともどんな風に見えているのか。気になるけどそれは今じゃなくていいな。

「しゅんのことがすきっていってたー」
「……それはねえ、パパもよーーく知ってるよ」

 瞬くんはでへへと笑う。これはもしかしてボケなのか?

「んーとねー、『はみれす』いったときねー、のみものじぶんでいれるのあるでしょ?」
「……ええと、ファミレスのドリンクバー?」
「すぉう! ママはねえ、いっつもメロンソーダとカルピスをかわりばんこでのむよ」
「な、なるほどお」

 とりあえず、好きな飲み物はわかった。
 ジュースが好きだという印象はあったけど、瞬くんも意外と見ているもんだな……。
 じゃあ最悪お取り寄せのカルピスでも……って、これじゃまんまお中元じゃないか。どうしよう。ドリンクバーっていくらするんだろう。

「あとねーねこちゃんでしょー、それとピカチュウでしょー、あとおにおんさーもん」
「……なるほど……」

 参考になるような、ならないような。
 瞬くんはママのことを思い出しているせいか、すこしテンションが上っている。

「パパ~、しゅんとけーかわなくていーよ?」
「……えっ!? ど、どうしたの突然。ほしかったんでしょ?」

 ママの話題から急な方向転換にも驚く。聞くと瞬くんはなぜかもじもじしていた。

「だってママのプレゼントにおかねいるでしょ? しゅんがまんするからかわなくていーよ」
「しゅ、瞬くん……!」

 思わず口を両手で覆っていた。そうしないと人目も憚らず叫んでしまいそうだったからだ。

「ど、どうしたの瞬くん……こんないい子みたことないよ……!」
「えへへへえ」

 うまく言葉にできない。この感動、一人で受け止めるには大きすぎる……! でも千紗に話すわけにもいかないし!
 欲しいもの全部あげたい……!!!

「あっママ~」

 瞬くんの声に現実に引き戻された。あ、危ない。瞬くんと二人の世界になりかけていた。

「しゅ、瞬くん、このこと誕生日までママには内緒ね?」

 こそこそと伝えると、瞬くんはあわわと自分の口を押さえた。
 だ、大丈夫かな? 別に嘘をつくわけではないんだけど、隠し事というのはこの年の子にできるものだろうか。……まあ、言ったら言ったで、しょうがないか。
 そのときには瞬くんの素晴らしさを千紗と共有すればいいのだ。
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