千紗のお仕事探し奮闘記
「はあ……」
何度目かというため息をつく。
それから数分前の「あらあら」という困ったような女性の声を思いだし、やっぱりまたため息が出そうになった。
(やっぱりコンビニとか、スーパーとか当たってみるべきなのかな……)
のそのそとした足取りで坂道を上がる。しょげた日にこの道は過酷であった。
千紗は目下自分が働けるバイトを探しているのである。
しかし状況は芳しくない。
(でもなあ、もしも面接で落ちたら行きづらくなっちゃうしなあ……)
彼女の生活圏に存在するコンビニは貴重だ。だめなら別のところ……とはいかない。
かつて、生まれたときから高校時代まで住んでいた土地は恵まれていたのだと思う。
同じ市内、同じただの田舎であるものの、向こうは歩ける範囲にお店はいくらでもあった。対してこちらはまったりして住みやすいものの、商店街以外のお店は少なく、とてもバイト募集するほどの賑わいはない。
そして今日は、その商店街での貴重なバイト募集を友人の河合から聞きつけ、面接をしてきた帰りであった。猫の手も借りたいような状況らしいから、と。
結果は惨敗である。幼稚園児の息子がいるということがネックらしかった。義理の両親と同居なので送り迎えも頼めるし、突然穴をあけることはないと伝えたのだが、どうにも響かなかったようである。こちらが何度説明しても、何故だかシングルマザーだということ前提に話が進むし。
なにやら偏見の目で見られているぞ、というのはさすがに千紗でも勘付いた。
どうもはじめは高校生だと勘違いされたらしい。それなのに既婚者で子供もいる、ということで悪い方に印象づけられてしまったようだ。思ったよりもその反応は堪えた。
(高校を中退して子供を生んで、社会経験も全くないのはほんとだし……)
それがだめだというのなら、なんの弁解もできない。そのとおりですというしかない。
ただそれを皮切りに全く身に覚えのない難癖をつけられるなら、文句も言えるものだが。実際口にするほど辛辣な人ではなかった。ただそういう意図を孕んだ目というのはなんとなくわかった。
極めつけは、以前とあるパートを雇ったところ、店の備品や細かいお金がどうも合わなくなったことがあって、という話を振られ、さすがにこれは無理だなと悟った。どう楽観的に見ても、挽回は不可能だろう。
(……まあ、でも、あんまりこっちの話し聞いてくれなかったし、受かってたらそれはそれで苦労してたかも)
そうやって自分を慰めるほかない。
はじめ、河合に直接紹介しようかと提案されたのだ。知人の紹介だと知れば失礼な扱いはされないだろうという気遣いだったが、それはそれで相手も断りづらいだろうと遠慮したのである。それは正解だったと思う。
「ただいまあ」
どうにか坂のてっぺんまで登り、重厚なドアを開ける。すっかり馴染んだ玄関だ。
律儀にリビングから顔を出した義理の母は、千紗の表情から今日の結果を察したらしい。
「おかえりなさい。ちょうどお茶にしようと思っていたところなのよ~」
と、手招きをした。
---
「あらあ、やっぱり難しいのねえ」
紅茶を入れながら、千紗の義母……莉奈子は千紗を気遣うような、残念そうな顔をした。
千紗はあまり紅茶は得意ではない。しかし、ここで暮らし初めて半年以上経ってもそのことを誰にも伝えられずにいる。
本当はジュースでいいんだけどな、とこっそり思いながら、莉奈子の声に応えるように苦笑した。
「しょうがないよね、やっぱり小さい子供がいると風邪引いたとか、幼稚園の行事とかで抜けちゃうかもってイメージがついてるんだろうし……」
「でもそこはきちんと説明したんでしょう?」
「うん……。でも実際どうなるかまだわかんないから! まだ幼稚園始まって二ヶ月だし、もうちょっと様子見てからでもいいのかなって……」
千紗はすっかり友人と話すように莉奈子と接するようになっていた。実の母親のように慕っているし、莉奈子も千紗を娘や年の離れた友人のように可愛がっている。
「そこのお店が合わなかっただけよ。パートをしてるお母さんなんていくらでもいるでしょ? その人達だって一発合格ばかりじゃないわよ。千紗ちゃんに問題があるわけじゃないわ」
「……そうかなあ……」
「そうよー! ほら、ゼリー食べて!」
くすぐったい気持ちになりながら千紗は勧められたゼリーを開ける。
息子の瞬が幼稚園に通うようになり、その間だいぶ暇ができた。
そんな空いた時間、莉奈子にこうしてちょっとしたお茶の時間に誘われるようになったのだ。どうやら聞くとずっとお茶会というものに憧れていたらしい。しかしわざわざ人を招くには立地がよろしくないし、ちょうどいいママ友というのもいない。千紗の登場によりようやく理想的なお茶会をできる! と莉奈子はご機嫌だったのだ。
少し、息子や旦那や義父に申し訳ない気持ちになりながらも、千紗は千紗でこの時間を気に入っていた。
莉奈子は自分の正体を知っている。男だった頃、顔を合わせたことも話したこともあるのだ。直接その頃の話題や昔の名前などは出さないが、忘れられているわけではないのだとわかっていた。
元男が、息子と結婚して嫁としてやってくるなんて、と千紗は莉奈子の立場になって考えるととても容易に受け入れられることではないと考える。
そのためずっと後ろめたさがあったのだ。
そんな莉奈子が自ら自分をお茶に誘って他愛もない話しをしてくれることを思うと、嬉しくて仕方がなかった。
もちろんそんな過去がなくとも、こういった母親というものに憧れを抱いていたのも確かだ。
「……まだ商店街の辺りにバイト募集してるとこあるかもだから、探してみる」
「そうねえ、あそこだったら行き帰りも楽だし、良いところが見つかったらいいわねえ」
莉奈子ののんびりした返答にこくこくと頷く。
すると、くすくすと笑われながら肩を叩かれた。
「そんな思い詰めなくていいのよ、今にも稼いでこなきゃ生活に困るってわけじゃないんだから」
「う、うん……」
たしかに、焦る理由は何もないのだ。
この家の人は誰も千紗に外で働けなどとは言わない。千紗がこれまで生活を共に過ごしてきた相手の中で、一番まったりしていて余裕のある人達だと思う。
しかし実の親というのは所謂仕事人間という気質だったし、さらに言えばここに来るまでの数年間、常に何かしら家事だの手伝いだのをやっていた。できないなりになんとか動いたお陰で生活が保証されていた。そして一人で瞬を育てると決意した矢先に、こうして無理に働かなくてもいいと言われ時間が余る生活になってしまうと、どうも居心地が悪かった。
旦那の給料は、社会に出たての新米にしてはおそらく貰っている方なのだと思う。もしこの家を出ていって、三人でアパートなんかで暮らすとなればさすがに少し苦しいだろうと思うが、それでも食うに困るほどではないだろう。非常に恵まれている。
きっと自分が二ヶ月必死で働いても彼の一ヶ月分に追いつかない。
(まあ、パートはいくらでも働かせてもらえるわけじゃないだろうし……お話にならないのかもしれないけど……)
時給だって、自分が応募できるものをチェックすると最低賃金ばかりだ。旦那の大学時代のバイトはその何倍も貰っていた。なんの資格も免許もない千紗には逆立ちしても追いつくことはできないだろう。
どうもお荷物のような気がしてならない。こんなことを表に出すと、どうせまた困らせてしまうので、千紗はこっそり悩んでいた。
お茶会を終え、今日の昼と晩の献立をどうするか相談したあと一度寝室に戻った。
メールで河合に紹介して貰ったバイトに落ちたことを伝える。せっかく紹介してくれたのにごめんね、と謝罪すると、すぐさま「今度店主に会ったらたっぷり嫌みを言っておくわ」、と彼女らしい返事が返ってきて、一人苦笑した。
何度目かというため息をつく。
それから数分前の「あらあら」という困ったような女性の声を思いだし、やっぱりまたため息が出そうになった。
(やっぱりコンビニとか、スーパーとか当たってみるべきなのかな……)
のそのそとした足取りで坂道を上がる。しょげた日にこの道は過酷であった。
千紗は目下自分が働けるバイトを探しているのである。
しかし状況は芳しくない。
(でもなあ、もしも面接で落ちたら行きづらくなっちゃうしなあ……)
彼女の生活圏に存在するコンビニは貴重だ。だめなら別のところ……とはいかない。
かつて、生まれたときから高校時代まで住んでいた土地は恵まれていたのだと思う。
同じ市内、同じただの田舎であるものの、向こうは歩ける範囲にお店はいくらでもあった。対してこちらはまったりして住みやすいものの、商店街以外のお店は少なく、とてもバイト募集するほどの賑わいはない。
そして今日は、その商店街での貴重なバイト募集を友人の河合から聞きつけ、面接をしてきた帰りであった。猫の手も借りたいような状況らしいから、と。
結果は惨敗である。幼稚園児の息子がいるということがネックらしかった。義理の両親と同居なので送り迎えも頼めるし、突然穴をあけることはないと伝えたのだが、どうにも響かなかったようである。こちらが何度説明しても、何故だかシングルマザーだということ前提に話が進むし。
なにやら偏見の目で見られているぞ、というのはさすがに千紗でも勘付いた。
どうもはじめは高校生だと勘違いされたらしい。それなのに既婚者で子供もいる、ということで悪い方に印象づけられてしまったようだ。思ったよりもその反応は堪えた。
(高校を中退して子供を生んで、社会経験も全くないのはほんとだし……)
それがだめだというのなら、なんの弁解もできない。そのとおりですというしかない。
ただそれを皮切りに全く身に覚えのない難癖をつけられるなら、文句も言えるものだが。実際口にするほど辛辣な人ではなかった。ただそういう意図を孕んだ目というのはなんとなくわかった。
極めつけは、以前とあるパートを雇ったところ、店の備品や細かいお金がどうも合わなくなったことがあって、という話を振られ、さすがにこれは無理だなと悟った。どう楽観的に見ても、挽回は不可能だろう。
(……まあ、でも、あんまりこっちの話し聞いてくれなかったし、受かってたらそれはそれで苦労してたかも)
そうやって自分を慰めるほかない。
はじめ、河合に直接紹介しようかと提案されたのだ。知人の紹介だと知れば失礼な扱いはされないだろうという気遣いだったが、それはそれで相手も断りづらいだろうと遠慮したのである。それは正解だったと思う。
「ただいまあ」
どうにか坂のてっぺんまで登り、重厚なドアを開ける。すっかり馴染んだ玄関だ。
律儀にリビングから顔を出した義理の母は、千紗の表情から今日の結果を察したらしい。
「おかえりなさい。ちょうどお茶にしようと思っていたところなのよ~」
と、手招きをした。
---
「あらあ、やっぱり難しいのねえ」
紅茶を入れながら、千紗の義母……莉奈子は千紗を気遣うような、残念そうな顔をした。
千紗はあまり紅茶は得意ではない。しかし、ここで暮らし初めて半年以上経ってもそのことを誰にも伝えられずにいる。
本当はジュースでいいんだけどな、とこっそり思いながら、莉奈子の声に応えるように苦笑した。
「しょうがないよね、やっぱり小さい子供がいると風邪引いたとか、幼稚園の行事とかで抜けちゃうかもってイメージがついてるんだろうし……」
「でもそこはきちんと説明したんでしょう?」
「うん……。でも実際どうなるかまだわかんないから! まだ幼稚園始まって二ヶ月だし、もうちょっと様子見てからでもいいのかなって……」
千紗はすっかり友人と話すように莉奈子と接するようになっていた。実の母親のように慕っているし、莉奈子も千紗を娘や年の離れた友人のように可愛がっている。
「そこのお店が合わなかっただけよ。パートをしてるお母さんなんていくらでもいるでしょ? その人達だって一発合格ばかりじゃないわよ。千紗ちゃんに問題があるわけじゃないわ」
「……そうかなあ……」
「そうよー! ほら、ゼリー食べて!」
くすぐったい気持ちになりながら千紗は勧められたゼリーを開ける。
息子の瞬が幼稚園に通うようになり、その間だいぶ暇ができた。
そんな空いた時間、莉奈子にこうしてちょっとしたお茶の時間に誘われるようになったのだ。どうやら聞くとずっとお茶会というものに憧れていたらしい。しかしわざわざ人を招くには立地がよろしくないし、ちょうどいいママ友というのもいない。千紗の登場によりようやく理想的なお茶会をできる! と莉奈子はご機嫌だったのだ。
少し、息子や旦那や義父に申し訳ない気持ちになりながらも、千紗は千紗でこの時間を気に入っていた。
莉奈子は自分の正体を知っている。男だった頃、顔を合わせたことも話したこともあるのだ。直接その頃の話題や昔の名前などは出さないが、忘れられているわけではないのだとわかっていた。
元男が、息子と結婚して嫁としてやってくるなんて、と千紗は莉奈子の立場になって考えるととても容易に受け入れられることではないと考える。
そのためずっと後ろめたさがあったのだ。
そんな莉奈子が自ら自分をお茶に誘って他愛もない話しをしてくれることを思うと、嬉しくて仕方がなかった。
もちろんそんな過去がなくとも、こういった母親というものに憧れを抱いていたのも確かだ。
「……まだ商店街の辺りにバイト募集してるとこあるかもだから、探してみる」
「そうねえ、あそこだったら行き帰りも楽だし、良いところが見つかったらいいわねえ」
莉奈子ののんびりした返答にこくこくと頷く。
すると、くすくすと笑われながら肩を叩かれた。
「そんな思い詰めなくていいのよ、今にも稼いでこなきゃ生活に困るってわけじゃないんだから」
「う、うん……」
たしかに、焦る理由は何もないのだ。
この家の人は誰も千紗に外で働けなどとは言わない。千紗がこれまで生活を共に過ごしてきた相手の中で、一番まったりしていて余裕のある人達だと思う。
しかし実の親というのは所謂仕事人間という気質だったし、さらに言えばここに来るまでの数年間、常に何かしら家事だの手伝いだのをやっていた。できないなりになんとか動いたお陰で生活が保証されていた。そして一人で瞬を育てると決意した矢先に、こうして無理に働かなくてもいいと言われ時間が余る生活になってしまうと、どうも居心地が悪かった。
旦那の給料は、社会に出たての新米にしてはおそらく貰っている方なのだと思う。もしこの家を出ていって、三人でアパートなんかで暮らすとなればさすがに少し苦しいだろうと思うが、それでも食うに困るほどではないだろう。非常に恵まれている。
きっと自分が二ヶ月必死で働いても彼の一ヶ月分に追いつかない。
(まあ、パートはいくらでも働かせてもらえるわけじゃないだろうし……お話にならないのかもしれないけど……)
時給だって、自分が応募できるものをチェックすると最低賃金ばかりだ。旦那の大学時代のバイトはその何倍も貰っていた。なんの資格も免許もない千紗には逆立ちしても追いつくことはできないだろう。
どうもお荷物のような気がしてならない。こんなことを表に出すと、どうせまた困らせてしまうので、千紗はこっそり悩んでいた。
お茶会を終え、今日の昼と晩の献立をどうするか相談したあと一度寝室に戻った。
メールで河合に紹介して貰ったバイトに落ちたことを伝える。せっかく紹介してくれたのにごめんね、と謝罪すると、すぐさま「今度店主に会ったらたっぷり嫌みを言っておくわ」、と彼女らしい返事が返ってきて、一人苦笑した。
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