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10章

 夏休みに入った。
 予定では俺は田舎巡りをして佐伯の足取りを追うはずだったのだが、バイトに学業にと明け暮れていた。学校が休みでも、秋や冬に受ける予定の資格の試験もある。一年生の受験は任意だが、どうせ2、3年で取るのだ。早い方がいい。学年が上がるとさらにやることは増えるのだろうし。
 そしてやはり車の免許がほしいから、お金は必要だ。
 まだバイトをはじめて二ヶ月だし、参考書や試験の費用もあるのでもう少し先になりそうだ。
 親に相談して立て替えて貰うべきだっただろうか。
 学校に関する費用は親に甘えているのだが、免許に関しては佐伯を探すためでしかない。そういったことで親を頼るのはなんというか、違う気がするのだ。自分の力で解決できるということを表明すべきだと思っているからだ。
 ……実家暮らしで、生活費も払えていないのに何を言っていっているんだろう。……いやいや、俺はまだ学生だし……! 許されるよな。意地になって自分の首を絞めて佐伯を探すどころじゃなくなったら本末転倒だ。……でも、家事とか少しは手伝った方がいいかな……。

 久しぶりに裕子さんからの連絡が入った。いつぶりだろう。卒業の時お祝いの電話を貰ったとき以来だっけか。直接会うのはもしかすると一年ぶりか……? まあ、俺も忙しかったし、裕子さんはもっと忙しかったはずだ。和泉の家にいくこともなくなってたし、仕方ないっちゃ仕方ない。
 大学のそばのカフェで落ち合った。やっぱり裕子さんと会うならカフェだ。オシャレな雰囲気が似合うし。

「うわあ流くん久しぶり、なんだか大人っぽくなったねえ」
「えっそ、そうですか?」
「うんうん。背伸びたよね。それにほっぺもふっくらしてたのにすっきりしてる!」

 それは単純に痩せただけな気がするが。
 でもそうか。俺も成長してるってことだ。大人になってきてる。もう中学生には間違えられないはずだ。

「ゆ、裕子さんは相変わらず、あの、えーと、いい感じですね!」
「お! お世辞言うようになってきたね~」

 ああこの感じ懐かしい……。明るくて少し距離の近い喋り方、少し佐伯を思い出す感覚。

「大学生活はどんな感じ? 彼女とかできた?」
「まさか!」

 そんなわけがないのだが、俺の返答に裕子さんは少しほっとしたような顔をした。

「よかった。……ううん、流くんがいい子と出会えたなら全然いいんだけどね。意地悪な聞き方になっちゃったかな……」
「い、いえ、そんな、別に……。気持ちはわかります」

 おそらく、環境が変わって佐伯のことを忘れていないか不安になったんだろう。それでも俺が彼女ができた、といったら怒りもせず受け入れるつもりでああいった聞き方になったのだと想像ついた。
 俺の決意が持続しているかなんて他人からはわからないのだ。

「あのね、あたし休みのときは小旅行を称して田舎巡りしてるんだよ」
「えっ、それってもしかして……」
「うん。友也くん探し! まだまだ途方もないんだけどね……。場所の目星とかもうまくつけられなくて」

 裕子さんは裕子さんで佐伯探しをしていたのだ。
 でもやっぱりそうか……。簡単にはいかないよな。
 もしも佐伯のいる町に辿りついたとしても、佐伯を知っている人に出会えなければ意味はないのだ。せめて名前がわかれば調べようもあるのだが……。

「あ、そうだ。俺も一応調べてみて、可能性が高そうな場所をいくつかリストアップしてたんです」
「えっうそー! そんなことできるの?」
「もちろん確証はないですけど……。よかったら、あとでデータ送ります」
「うわあありがとう、頼もしー!」

 裕子さんは少し気を緩ませるように顔を綻ばせた。
 俺だって俺なりに動いているのだ!
 ここ最近の成果を発表できる機会を得て俺もなんだか嬉しくなる。

「あたしは一応ね、そのあたりで一番大きいスーパーで聞いてみることにしてるの。駆け落ちして生き別れた妹を捜してるってていで」
「おお。頭いいですね」
「でしょー」

 裕子さんはえへんと胸をはる。たしかに、駆け落ちして結婚したなら新しく名乗っているであろう苗字を知らないって言っても筋は通るか。

「でも全然だめ。きっとあたし、全然違うところにいるんだろうなあって思いながら聞くの。でもその町を出るときにはいつも、もしかしたらすれ違っちゃっただけで友也くんはここで暮らしてるのかもしれないって思いながら帰るの。どれだけ探しても納得できないんだよねえ……」

 本当に、途方に暮れるような捜し物だ。佐伯が見つかるまで終わらない。精神的にきついし、毎回遠出するんだから体力的にも金銭的にも大変だろう。
 これでもし佐伯がどこかで死んでしまっていたら、俺たちは一生見つからないものを求めているわけだし。……縁起でもない考えはやめよう。
 裕子さんはグラスについた水滴を指でなぞりながら、伺うような目でこちらを見つめる。

「……あのね、流くん、大学楽しい? 忙しいかな」
「まあ、楽しいですけど……、それほど忙しくはないですよ。学年があがったらわからないですけど」

 なんとなく裕子さんが言いたいことは察しがついた。

「……あの……、また次に佐伯を探しにいくことがあったら、連絡ください。一緒に行きたいです」
「ほ、ほんとっ?」

 裕子さんの顔がぱあっと晴れやかになる。
 まあ、学校を休んでまで行くことはできないですけど、と付け足すと、もちろんだよ! とぶんぶん首を縦に振った。
 俺が勝手に自分の仕事を増やしているだけで、いくらでも予定は調整できるし、なんとかなるだろう。
 やっぱり、一人で知らない土地を探して回るのは精神的に相当しんどかったはずだ。道中だって、話し相手がいるほうがいいに決まっている。

「あ、ああーでもスキャンダルとか……大丈夫ですかね……」
「ん! あ、そっか。忘れてた。うーん。どうだろうね……変装していくから、多分大丈夫」

 それでなんとかなったら芸能人のスキャンダルはこんなに流れてこないと思うのだが……、まあ、隣を歩いていても恋人と間違えられるような距離感にはならないし……大丈夫……か?
 まあ間違えられたら間違えられたで、キスするとことかホテルから出るところを撮られるわけじゃないんだし、大丈夫……なのかな……?
 芸能人の事情はよくわからない。

 そのあとちょっとした大学での話とか、和泉がどうしてるかだとかの世間話をしたのち裕子さんとは別れた。

---

「お、お、お前一体どういうことだよ、裏切りもの~!!!」

 で、だ。俺は尋問を受けていた。場所はファミレスだ。

「何の話……?」

 テーブルから身を乗り出してまで頭を掴まれながらなんとかジンジャーエールを飲む。
 かーっとわざとらしい声をあげながら俺の頭から手を話すのは友人の馬場だ。同級生で、ちょこちょこと一緒に行動している程度の仲の男だ。まあ、大学で一番話しやすい相手ではある。
 声がでかく、お喋りな男だ。話好きだが聞き手に回るのが好きな佐伯とはまた違って、一人でも延々喋っていられるタイプ。こっちの反応にそれほど興味がないらしく、そのおかげで俺も初対面時から気を遣う必要がなくて楽な相手ではある。長門はこいつが現れるといつの間にか姿を消してしまうが。
 馬場はなにやらお怒りのようだ。しかし全く心当たりはない。これでも真面目に誠実に事には当たっているつもりだ。

「この前すんっげー美人とお茶してたろ! 今まで散々女には興味ないと強がっていたくせに、この裏切りものめ! 紹介しろ!」
「はあ? ああ……」

 なるほど、そういうことか。やっぱり学校の近くのカフェは選ぶべきではなかったか。裕子さんは帽子にメガネをかけていたが、田舎じゃあのオーラは隠しきれないよな。なんせ顔を見なくたって美人だとわかる。

「違うよ、高校の友達のお姉さんってだけ」
「友達のお姉さんと個人的に会う関係なのか……!?」
「ああー……まあそうなるか……」

 わからんでもない。友人の姉と仲良くなれるなら同級生の女子ととっくに話せているはずだもんな。
 ところで、別に大学の女子たちとも話せないわけではないのだ。俺はもう異性にどぎまぎする人間ではないからな。ただ何故か距離を置かれているだけなのだ。楽しそうにしているグループの中にわざわざ入っていく人間ではないだけなのだ。

「ま、怪しい関係じゃないよ。むこうからじゃ子供にしか見えないだろうし。えーと、家族ぐるみで仲良かったから、久しぶりに会っただけ」

 ちょっと誇張してしまったが、変に穿った目で見られるよりマシだろう。

「またまた、そんなこと言って、さてはずっと片思いをこじらせてきたんだろ!」
「そんな相手と何事もないように話せるほど器用ではないよ。本当に無実だよ。俺の澄んだ瞳を見なよ」
「淀みきっている……」

 うるさいな。
 それに片思いをこじらせていたのは佐伯だ。
 その後もしつこく疑ってくるので面倒くさいけどひとつずつ適当に誤解を解いた。俺は別にいいけど、万が一裕子さんの正体が知れたら一気に間違った噂が広がりかねないから、ここできちんと訂正しておかねば。
 時間にして二十分はかかった。

「なあんだ、そういうことは早く言えよなー。焦ったじゃんか。桐谷に先越されたらやってけねーよ」
「はあ? 調子に乗るなよ」
「あーよかった。おっとケーキ食うの忘れてた。お前もなんか頼めば」

 こいつはなかなか失礼なやつなのだ。勝手に俺を非モテ軍団の一員に認定している。まあ、深く考えずに喋る奴だから放置してるけど。馬場が俺の話を適当に聞いているように、馬場の言葉をなんでも真剣に受け取る必要はないのだ。

「俺はー……いいや」
「出たよドケチー。ノリ悪いとハブられちまうぞ」
「うるさいな。無駄遣いしないだけだよ。それでハブられるなら別にいいし」

 たまにはちゃんと遊びに付き合ってるつもりだし、飲み物だって頼んでるのに、何故かいつの間にかドケチ扱いされるようになっている。適当に将来旅行に行くために貯金しているとは公言しているのだが……。
 守銭奴と思われるのは、あんまり気分はよくないな……。

「で佐伯って誰?」

 ぶっっと飲みかけたジンジャーエールがストローを逆流していってぼこっと泡が出た。

「盗み聞きかよ……」
「いやっわざとじゃないぞ! お前らが俺の後ろの席に座ったのが悪い!」
「ああー……」

 声でかいくせに、肝心なときには存在感消しやがって。
 裕子さんとどういった会話をしていたっけ……。下手に嘘をついて矛盾を指摘されたら面倒くさそうだ。
 ああそうだ、生き別れの妹ってことにして探してるって話してたっけ。それも聞かれてたとしたら、裕子さんの妹って言い訳は通用しないな……。
 ふむ。悩む。性別もバレちゃってるしな。
 まあ、別にバレたって困ることはもはや何もないのだが。
 佐伯はもう預かり知らぬ場所にいるし、佐伯の家族も生活圏内にはいないわけだし。この学校で俺と佐伯の存在を知っていた奴は長門しかいない。馬場はこれで交友関係が広いってタイプではない。声の割に気の小さいところもあるし、そういう部分が災いして女子とは今一歩仲良くできないわけでもある。それに別に噂好きというわけでもないし……。

「元カノだよ。家の事情で引っ越してっちゃって連絡とれなくなったから探してるんだ」

 カラーンとやけに響く音を立てて、馬場の手からフォークが落ちた。生活音までうるさいやつだ。

「ももっもっもも元カノ!?」
「こら、うるさい。周りに迷惑だろ」

 ぱっと両手で自分の口を押さえ、馬場はゆっくりと席に戻る。驚きの表現で椅子から立ち上がるなんて、オーバーリアクションにもほどがある。劇じゃないんだぞ。注目されるし恥ずかしい。
 そして今度はあからさまに声を潜めているが、それでも何故かうるさく感じた。

「き、聞いてないぞーっ!」
「なんで恋愛遍歴をいちいち告白しなきゃいけないんだよ……」
「い、今までオレが合コンで惨敗したり勇気出してナンパして通報されたり女子に借りた消しゴム返し損ねていたら泥棒扱いされているのも陰で笑ってみてたのか……?」
「陰じゃなくてお前の目の前で指さして笑った記憶があるんだけど……。まあ……同類だと思っていた相手が自分より先を行っていたなんて考えもしないよな。ごめんな。俺、もう経験あるんだ。ごめんな、なんか」
「うわあああっう、嘘だ! そんなの嘘だ!!」

 まるで俺の言葉ひとつひとつが衝撃波となっているかのようにいちいち大げさにダメージを受けるのでなんだか楽しくなってきた。彼女の話、なんて今まで人にしたことがなかったし。
 佐伯がいなけりゃ俺だって馬場と同じように彼女持ちを妬む大学生活を送っていただろうに、人生って何があるかわからないよな。
 馬場はぜえぜえと肩で息しながらも逃げ出しはしなかった。ただもう食欲がないというのでもったいないから俺がケーキの残りを食べた。最高の気分だな。

「そ、それで……見つかりそうなのか……?」
「いや、今のところ全く当てもなく闇雲に探しているだけだからね」
「そ、そうか……ネットとかは使ってるか……? たまに行方不明になった猫の情報集めてる人見るぜ」
「さすがに他人の写真を無断でネットに載せることはできないよ」
「写真があるのか!? 見せろよ~~~」

 しまった……。どんどん情報が引き出されてゆく。
 しかし一人で探すというのも限界があるし、周りの人に協力を仰ぐというのもありかもしれない……。……いやいやっ、だとしてもこいつを選ぶ道理はないな。こいつの行動範囲は俺とそう変わらないだろうし、そもそも探すとしたら新幹線の距離なのは確定しているんだ。相手にかかる労力を考えればちょっと手伝って、なんて軽い気持ちでお願いできるようなことではない。

「誰が見せるか」
「ええ~~おっぱいでかい?」
「…………いや……それは……ううん……」
「あ、なんだ。よかったー」
「はーっ!? 大きさじゃねえから! バランスだから! バカにするなよ!」

 なんて失礼なやつなんだ! 人の(元)彼女捕まえておいて! 何ちょっとほっとしてるんだ! もっと悔しがれよ!
 きっと写真や実物を見せたらさぞ羨ましがられることだろうけどさ! 人に見せびらかせられるのは佐伯も嫌だろうからやらないけどさ!

「がり勉の桐谷にそんな過去があったなんてなあ……」

 馬場は腕を組んでしみじみと頷く。

「お、俺ががり勉だと……? 高校時代ならいざ知らず……、めちゃくちゃ充実したキャンパスライフを送っているつもりなのに……?」
「サークルも飲み会も参加せず図書館に引きこもってる奴のどこがリア充だって?」
「別に引きこもってなんかないよ」

 だってサークルは時間が奪われるし、飲み会に至っては時間も金も持っていかれる。大勢でわいわいすることには当然興味がないのだ。
 河合さんのように苦痛に感じるほど苦手というわけではないが、楽しめるかというと少し難しい。もちろん気心の知れた相手なら別なのかもしれないけど……、人に心を許すのはうまくない。第一、参加したって別に盛り上げることもできないし向こうも俺が参加したからって楽しいもんじゃないだろう。
 しかしがり勉だと思われていたのか……。いや、おかしくないか? 大学って深く勉強するための場所だろ……? 時間をフルに使って充実させているつもりなんだが……?
 もし佐伯や子供のことがなければ本当に一日中……。
 …………いや、だめだなこんなこと考えるなんて。一瞬で自分で自分に腹が立った。別にもし、の方がよかったなんて思う訳じゃない。ないのだが、その選択を想像した自分に嫌悪を抱いた。

「とにかく、俺は大学には勉強しにきてるんだよ。文句を言われる筋合いはないね」
「文句なんて言ってないけどさあ~、せっかく同級生になったのに、寂しくな~い?」

 むむ。
 と俺が眉を潜めたのに気付いたのか、馬場はやべっというような顔をして、話を切り上げに入った。
 別にムカついたというわけではないのだが、そう見えたのかもしれない。
 奴の言うことも一理あるとは思ったのだ。学生として最後の青春を送る大学で、友人関係をシャットアウトするのはたしかに、寂しいというかもったいなくはあるかもしれない。卒業したら確実に友人を作る機会は減るだろう。自ら趣味の集まりなんかに顔を出せば大人になってからでも新しい出会いというのはあるだろうが、俺がそんな行動に出るとは思えない。
 大学時代の友人、とか、サークルの先輩後輩とかよく聞くもんな。それがひとつもないままというのも……、いや、でも自分からそういう輪に入ったり作ったりするほど労力を割こうとは思えない。
 そりゃあ、わかるけどさ。
 きっと馬場には俺が尻込みしていたり、もしくは孤独な人間を気取っていたり、拗ねているように映っていたのだろう。
 佐伯のことだって、俺がそこまで本気で探しているとは思っていないだろうしな。でも俺は大学生活をなげうったっていいと思ってるんだ。かといって、それを一から説明するつもりはない。
 ……やっぱり、子供を相手に押しつけて自分は悠々自適に大学生やってるということは知られたくないのだ。恥ずかしくて悔しくて情けないことだ。
 でもそれが今俺の行動理念の大部分を占めている。
 それを隠して、人と親密になるということはできない気がした。どこか取り繕って、騙しているような気がしてしまうと想像できる。そんな状態で親友みたいな関係になって、でもいつか俺は佐伯を見つけだすつもりでいるわけで、そうなったら全部バレるわけだ。そこで失望や軽蔑されたら……やっぱり怖いのだ。
 ……そんなことを佐伯に背負わせておいて、とも思う。

「まあ、二十歳になったら酒の席には出てみたいから、そのときに誘ってよ」

 その頃にはもう縁が切れているかもしれないけど。忘れてるかも知れないけど。
 馬場は「真面目だな~」と呆れた顔で言った。
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