9章
早いもので、年末年始である。
今年のクリスマスは去年の楽しい夢のようなひとときが嘘のように退屈だった。欲しいものなんて相変わらずないし。そんなことより勉強勉強、という空気が俺だけじゃなく他の生徒にも漂っていたし。
今年は田舎にも母だけが帰った。俺はお留守番。父は年が明けてから母を迎えに行くついでに挨拶するだけで泊まらずに帰ってくるという段取りだった。休暇も僅かしかないのに、ほとんど移動に潰すなんて俺には考えられない。まあ、父一人だったら飛行機が使えるから俺が思っているより楽なのかな。俺は修学旅行で乗っただけで、それ以外は陸路しか使わないのだ。万が一体調に影響が出たら、と子供の頃から気にしている癖がいまだに抜けない。俺も母も。
親が帰ってくることのない一人きりのお留守番だなんて、こんなこと人生で一度もなかったことである。昔はもしそんな状況になったらあんなこともこんなことも親の目を気にせずにできるぞ! と心踊ったし、佐伯と付き合ってた頃はそんな状況になれば家でいちゃつけるのになあと思ったものだが、今現在、何もやる気はでなかった。
いや、まあ、エロ動画をイヤホンを使わずに流してみるとかはしたけど。
な、なんだか俺性欲減退してないか……? だ、大丈夫だよな……。もしかして佐伯との別れのショックで変なところに影響が出てはいないだろうか……。まあ、全くの無という領域にはまだ達していないのだが……。頻度というか……なんだろう……もっと反応を検知する範囲はガバガバだったはずなんだけどな……。ものすごくストライクゾーンみたいなものが狭くなっているような気がする……。お、おかしい。昔のお気に入りの動画や画像もそこまで反応しない。
俺は男として大丈夫なんだろうか……不安だ……。
俺が一人慎ましく清らかに過ごしていると、なんと河合さんが新年の挨拶にきた。
「初詣行った?」
「いやあ。今年はやめておこうかなって。インフルとか貰ったらことだし」
「だと思った」
一応人生でも大事な受験を控えているわけだし、ちゃんとお祈りしておいた方がいいのかなと思いつつ、自分の体の弱さは自分がよくわかっている。体力がついてきたとはいえ、やっぱりまだ自分を信頼はしていないのだ。
「これ、あげるわ」
「おお……」
思わずお礼よりも先に動揺が出た。
河合さんの手にはまさに合格祈願のお守りがあった。
「あ、ありがとう……頑張るよ」
「そうね。和泉にも渡したのよ。二人には頑張って貰わないと。慰めるの大変そうだもの」
「そ、そうだね」
和泉なんか、結局滑り止めも受けるつもりがない……というかそもそも行くつもりながないらしいから、完全に落ちてしまったらあっぱれプータローの完成だ。そんな暇人になったら全力で河合さんにまとわりつくだろうな。
「わたしにできるのはこのくらいしかないしね」
「そんなことないよ。河合さんに落ち込んでる姿見せたくないから、俺も和泉も張り合いがでるしさ」
ふふふと河合さんは照れくさそうに笑う。可愛いと思った。マスコット的なかわいさだ。和泉が河合さんに抱く気持ちはこれに近いんだろうと思う。
河合さんはどこにもいかないし、きっと今まで通りでいてくれるんだと思う。それってすごく貴重で幸せなことなんだと思った。
佐伯はいないし、和泉だって合格したら当分いなくなる。俺も進路によっては地元を出ていたと思う。三年続けてきた生活が、これからたった数ヶ月で様変わりするのだ。実感がわかなかった。それでも、河合さんは河合さんのお店に行けばきっといつでも会えるんだと思うと、そわそわするような気持ちが少し和らぐ。
「ありがとう河合さん。ほんと、俺頑張るから」
「期待してるわ」
河合さんは、どんな気持ちなんだろう。周りのみんながどこかに行こうとしていて、今までの日常を崩そうとしているのは、やっぱり寂しいんじゃないだろうか。
なんでずっと続けられないんだろう。あんなに楽しかったのに。新しい環境でもまた誰かと知り合って、仲良くなって、新しい日常ができていくんだろう。
そんなの当然のことなのに、やっぱりとても寂しいし、不安だし、嫌だと思ってしまうのだ。
河合さんは長居しちゃ悪いから、と早々に帰ってしまった。なんとなく寂しく思ったけど、彼女の家とはバス停ひとつ分の距離しかない。行こうと思えばいつでも河合さんの家に行けるのだ。
今まではずっと色々なことを気にして遊びに行くなんてしたことなかった。でも学校を卒業したら用がなければどんどん会わなくなっていくんだろう。……何かあれば積極的に寄ってみようかな。邪魔にならない程度に。新しい日常の一部に、河合さんもついてきて欲しいのだ。俺は。
そこからはあっという間だった。三学期が始まったが、3年生の登校日はかなり少ない。そしてすぐに入試。
バレンタインで河合さんと、あとクラスの女子のうち何人かからチョコをもらって、機嫌よくしているうちにすぐに卒業式だ。
小学校、中学校とまともに出席できず、初めて経験した卒業式はそれほど熱が入ったものではなかった。それでも教室で担任に話を聞いていると少しだけうるっときたのも事実だ。
式には母が来ていて、和泉のお母さんや河合さんのお父さんと挨拶をしたりして。
河合さんはもうぐずぐずに泣いていたな。やだやだと声を上げる姿は初めてあった頃想像つかなかった。和泉にはもちろん、俺にも抱きついてきてブレザーに涙の跡がついた。河合さんのお父さんはものすごく何か言いたげだったけど、でも穏やかで優しい人のようだった。
まあ、親の前で和泉が河合さんに「卒業して離ればなれになるからって浮気は許さないからな」なんて恋人面した発言して相変わらずだとは思ったけど。俺もそれ佐伯に言えばよかったよ。目を剥く父母の前で河合さんも相変わらず、別に付き合ってないのに浮気もくそもないでしょ、と取り付く島もなかったが。
でも河合さんはやっぱり浮気しないと思う。これから先河合さんのことが好きになる人が現れたとしても、やっぱり河合さんにとっての和泉を越えるっていうのは並大抵のことではできないだろう。俺にはよくわかった。単純に和泉の上位互換が現れたって揺らぐような問題ではないのだ。和泉がちょっとくらいプータローのクズになったって変わる問題ではないのだ。
……まあ、そんなこといって、まだまだたった18年しか生きていないんだしなあ。
俺たちはそのうちの2年を共にしただけ。これから先別の人と5年や10年一緒に行動するようになったら、また気持ちも変わってくるのかな……。
それはとても普通のことなのに、やっぱりなんだか寂しいよな……。
あ、そうだ、第二ボタンが欲しい、というドラマか何かみたいな台詞も聞くことができたんだ。
相手はクラスの、ちょっと大人しい真面目な女子だ。何度か他の子に混じって勉強のわからないところを聞きに来たことがある程度で、他に会話もしたことのない子だ。
思わず、今度入学する子に渡す約束してるから、と嘘をついて断ってしまったけど、あれはやっぱりそういう意味なんだろうか。俺の返答を聞くとあっさりと引き下がり、好きだとかは言われなかったから、考えすぎなのかな。
ちなみに和泉は写真部の後輩の子に全てのボタンをむしり取られていた。いつの間にやら変な人気が出ていたらしい。女子たちが力任せにぶちぶちとむしっていく様子は圧巻だったな。和泉の女嫌いが再発しそうだ。
とにかく、俺たちは高校を卒業した。河合さんは学生でもなくなった。学割が使えなくなるのが惜しいとそれだけはしきりに言っていた。
そして翌日、大学の合格発表の日。
もっとはらはらどきどきしたかったのに、掲示板からだいぶ離れた段階で俺はすぐに自分の受験番号を見つけていた。
よし。まずは、第一目標クリアだ。
万歳三唱や胴上げしている面々を後目に、俺はさっさと帰路についた。家に帰ってから河合さんと和泉にも連絡した。ついでに長門の様子を伺ったら向こうも受かったらしい。うん。何も問題はない。
それにしても頑張った時間の割に、それほど満足感とか達成感とか、喜びめいたものは沸き上がってこない。入試時点で手応えはそれなりにあったというのもある。
でもなにより、ここで合格しないと話にならないのだ。佐伯と再会できるかもしれない、一番可能性が高いのはそこなんだ。受かるに決まっていた。
そりゃあ、ほっとはしたけどさ。ほっとしたついでに、12時間くらい寝ちゃったけどさ。
こうして、俺の高校生活は無事に終わったわけだ。
今年のクリスマスは去年の楽しい夢のようなひとときが嘘のように退屈だった。欲しいものなんて相変わらずないし。そんなことより勉強勉強、という空気が俺だけじゃなく他の生徒にも漂っていたし。
今年は田舎にも母だけが帰った。俺はお留守番。父は年が明けてから母を迎えに行くついでに挨拶するだけで泊まらずに帰ってくるという段取りだった。休暇も僅かしかないのに、ほとんど移動に潰すなんて俺には考えられない。まあ、父一人だったら飛行機が使えるから俺が思っているより楽なのかな。俺は修学旅行で乗っただけで、それ以外は陸路しか使わないのだ。万が一体調に影響が出たら、と子供の頃から気にしている癖がいまだに抜けない。俺も母も。
親が帰ってくることのない一人きりのお留守番だなんて、こんなこと人生で一度もなかったことである。昔はもしそんな状況になったらあんなこともこんなことも親の目を気にせずにできるぞ! と心踊ったし、佐伯と付き合ってた頃はそんな状況になれば家でいちゃつけるのになあと思ったものだが、今現在、何もやる気はでなかった。
いや、まあ、エロ動画をイヤホンを使わずに流してみるとかはしたけど。
な、なんだか俺性欲減退してないか……? だ、大丈夫だよな……。もしかして佐伯との別れのショックで変なところに影響が出てはいないだろうか……。まあ、全くの無という領域にはまだ達していないのだが……。頻度というか……なんだろう……もっと反応を検知する範囲はガバガバだったはずなんだけどな……。ものすごくストライクゾーンみたいなものが狭くなっているような気がする……。お、おかしい。昔のお気に入りの動画や画像もそこまで反応しない。
俺は男として大丈夫なんだろうか……不安だ……。
俺が一人慎ましく清らかに過ごしていると、なんと河合さんが新年の挨拶にきた。
「初詣行った?」
「いやあ。今年はやめておこうかなって。インフルとか貰ったらことだし」
「だと思った」
一応人生でも大事な受験を控えているわけだし、ちゃんとお祈りしておいた方がいいのかなと思いつつ、自分の体の弱さは自分がよくわかっている。体力がついてきたとはいえ、やっぱりまだ自分を信頼はしていないのだ。
「これ、あげるわ」
「おお……」
思わずお礼よりも先に動揺が出た。
河合さんの手にはまさに合格祈願のお守りがあった。
「あ、ありがとう……頑張るよ」
「そうね。和泉にも渡したのよ。二人には頑張って貰わないと。慰めるの大変そうだもの」
「そ、そうだね」
和泉なんか、結局滑り止めも受けるつもりがない……というかそもそも行くつもりながないらしいから、完全に落ちてしまったらあっぱれプータローの完成だ。そんな暇人になったら全力で河合さんにまとわりつくだろうな。
「わたしにできるのはこのくらいしかないしね」
「そんなことないよ。河合さんに落ち込んでる姿見せたくないから、俺も和泉も張り合いがでるしさ」
ふふふと河合さんは照れくさそうに笑う。可愛いと思った。マスコット的なかわいさだ。和泉が河合さんに抱く気持ちはこれに近いんだろうと思う。
河合さんはどこにもいかないし、きっと今まで通りでいてくれるんだと思う。それってすごく貴重で幸せなことなんだと思った。
佐伯はいないし、和泉だって合格したら当分いなくなる。俺も進路によっては地元を出ていたと思う。三年続けてきた生活が、これからたった数ヶ月で様変わりするのだ。実感がわかなかった。それでも、河合さんは河合さんのお店に行けばきっといつでも会えるんだと思うと、そわそわするような気持ちが少し和らぐ。
「ありがとう河合さん。ほんと、俺頑張るから」
「期待してるわ」
河合さんは、どんな気持ちなんだろう。周りのみんながどこかに行こうとしていて、今までの日常を崩そうとしているのは、やっぱり寂しいんじゃないだろうか。
なんでずっと続けられないんだろう。あんなに楽しかったのに。新しい環境でもまた誰かと知り合って、仲良くなって、新しい日常ができていくんだろう。
そんなの当然のことなのに、やっぱりとても寂しいし、不安だし、嫌だと思ってしまうのだ。
河合さんは長居しちゃ悪いから、と早々に帰ってしまった。なんとなく寂しく思ったけど、彼女の家とはバス停ひとつ分の距離しかない。行こうと思えばいつでも河合さんの家に行けるのだ。
今まではずっと色々なことを気にして遊びに行くなんてしたことなかった。でも学校を卒業したら用がなければどんどん会わなくなっていくんだろう。……何かあれば積極的に寄ってみようかな。邪魔にならない程度に。新しい日常の一部に、河合さんもついてきて欲しいのだ。俺は。
そこからはあっという間だった。三学期が始まったが、3年生の登校日はかなり少ない。そしてすぐに入試。
バレンタインで河合さんと、あとクラスの女子のうち何人かからチョコをもらって、機嫌よくしているうちにすぐに卒業式だ。
小学校、中学校とまともに出席できず、初めて経験した卒業式はそれほど熱が入ったものではなかった。それでも教室で担任に話を聞いていると少しだけうるっときたのも事実だ。
式には母が来ていて、和泉のお母さんや河合さんのお父さんと挨拶をしたりして。
河合さんはもうぐずぐずに泣いていたな。やだやだと声を上げる姿は初めてあった頃想像つかなかった。和泉にはもちろん、俺にも抱きついてきてブレザーに涙の跡がついた。河合さんのお父さんはものすごく何か言いたげだったけど、でも穏やかで優しい人のようだった。
まあ、親の前で和泉が河合さんに「卒業して離ればなれになるからって浮気は許さないからな」なんて恋人面した発言して相変わらずだとは思ったけど。俺もそれ佐伯に言えばよかったよ。目を剥く父母の前で河合さんも相変わらず、別に付き合ってないのに浮気もくそもないでしょ、と取り付く島もなかったが。
でも河合さんはやっぱり浮気しないと思う。これから先河合さんのことが好きになる人が現れたとしても、やっぱり河合さんにとっての和泉を越えるっていうのは並大抵のことではできないだろう。俺にはよくわかった。単純に和泉の上位互換が現れたって揺らぐような問題ではないのだ。和泉がちょっとくらいプータローのクズになったって変わる問題ではないのだ。
……まあ、そんなこといって、まだまだたった18年しか生きていないんだしなあ。
俺たちはそのうちの2年を共にしただけ。これから先別の人と5年や10年一緒に行動するようになったら、また気持ちも変わってくるのかな……。
それはとても普通のことなのに、やっぱりなんだか寂しいよな……。
あ、そうだ、第二ボタンが欲しい、というドラマか何かみたいな台詞も聞くことができたんだ。
相手はクラスの、ちょっと大人しい真面目な女子だ。何度か他の子に混じって勉強のわからないところを聞きに来たことがある程度で、他に会話もしたことのない子だ。
思わず、今度入学する子に渡す約束してるから、と嘘をついて断ってしまったけど、あれはやっぱりそういう意味なんだろうか。俺の返答を聞くとあっさりと引き下がり、好きだとかは言われなかったから、考えすぎなのかな。
ちなみに和泉は写真部の後輩の子に全てのボタンをむしり取られていた。いつの間にやら変な人気が出ていたらしい。女子たちが力任せにぶちぶちとむしっていく様子は圧巻だったな。和泉の女嫌いが再発しそうだ。
とにかく、俺たちは高校を卒業した。河合さんは学生でもなくなった。学割が使えなくなるのが惜しいとそれだけはしきりに言っていた。
そして翌日、大学の合格発表の日。
もっとはらはらどきどきしたかったのに、掲示板からだいぶ離れた段階で俺はすぐに自分の受験番号を見つけていた。
よし。まずは、第一目標クリアだ。
万歳三唱や胴上げしている面々を後目に、俺はさっさと帰路についた。家に帰ってから河合さんと和泉にも連絡した。ついでに長門の様子を伺ったら向こうも受かったらしい。うん。何も問題はない。
それにしても頑張った時間の割に、それほど満足感とか達成感とか、喜びめいたものは沸き上がってこない。入試時点で手応えはそれなりにあったというのもある。
でもなにより、ここで合格しないと話にならないのだ。佐伯と再会できるかもしれない、一番可能性が高いのはそこなんだ。受かるに決まっていた。
そりゃあ、ほっとはしたけどさ。ほっとしたついでに、12時間くらい寝ちゃったけどさ。
こうして、俺の高校生活は無事に終わったわけだ。