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9章

 夏休みは終わり、二学期が始まった。佐伯がいなくなってから半年が経とうとしている。九月といえば、佐伯が女になって一気に日常が変わった月でもある。
 もう子供は産まれたんだろうか……。まだだとしたら臨月ってやつのはずだ。きっと元気に過ごしてくれているよな、と信じるしかできない。出産なんて、考えるだけでも恐ろしい。ネガティブに考えたらいくらでも考えられる。立ち会いとかしたかった。妊娠中だって、調べてみたらお腹がつかえて足の爪が切れないという話が出てきた。そんな変化をずっと見たかったし支えたかった。そう思う度にやっぱりちょっと涙が滲んでしまう。悔しい。
 それにしても今年の夏休みはやはり勉強に埋めつくされていた。さすがに高校最後の夏休みというのもあって河合さんを中心に祭りに行ってみたり、水族館に行ってみるだとかはしたけど……、でもそのくらいだ。
 元々勉強は趣味みたいなものだったが、自分で思っていた以上に苦にならないようだった。もう勉強なんて嫌だあれしたいこれしたいと嘆く和泉を見ているとそれをひしひしと感じる。俺はやっぱり学業に適正がある。息抜きや休憩をそれほど必要に思わないのだ。頭は疲れるけどさ。
 だからといってこれで受験に合格できるかと言われるとやっぱり未だに自信はないのだが。好きだからって全国一位を取れるくらい天才的なわけではないし、凡ミスはするし、面接だってあるし、どこまで行ってもいくら教師に褒められても確証はもてない。
 そういえば毎年お盆には両親の実家に顔を出していたが、今年はやめておくことにした。受験勉強もあったし、祖母にはどんな顔をして会いに行けばいいのかわからなかった。
 祖母に佐伯のことは報告していない。子供ができたといっても会わせることもできないし、両親と相談した結果ショックを与えるだけだからやめておこうと決めた。叱られるのを恐れて隠蔽しているかのようで卑怯な気がするし、佐伯を見つけだしてから実は……と事後報告するのもどう考えてもよくはないのだが……、やっぱり、遠くの土地で一人暮らす祖母を、責任の取りようも謝る相手もいない状況に巻き込みたくないという結論に至った。しょうがない。このモヤモヤ感も結局は身から出た錆だ。
 ……でも、大学になったらやっぱり忙しくなって田舎に帰るのも難しくなるんだろうか。
 それに長期休みができたらやっぱり佐伯を探しに行きたいしな。祖母には悪いけど、当分会えなさそうだ。

 さて、どれだけ受験勉強に勤しんでいても、大学合格のことばかり考えていても高校生活はまだ半年続くのだ。
 やはり高校最後ということあって行事ごとにもみんな張り切っている。
 とはいえなんとなく疎外感のようなものを感じていた。疎外感、というか佐伯のいない寂しさなのだが。どうにも心の底から楽しみきれない。こうしている今佐伯はきっと大変な毎日を送っているのだと思うと……。
 しかし体育大会の準備中、驚愕の場面に出くわした。
 小野さんが……あの小野さんが和泉と一緒にポールを運んでいたのだ!
 しかも楽しげに会話しながら! これは! これはどうなんですか河合さん! 河合さんにプロポーズまでしておきながらあの野郎!!!
 俺は大急ぎで手の空いた和泉をひっつかんでひとけのない隅っこに連れだし詰問した。

「何言ってんだよお前。クラスメイトと会話するのも浮気とかいうタチか? 束縛きつすぎねえ?」
「クラスメイトである前に小野さんだろ! あんなに怖がってたくせにお前というやつは! どこまで行ったんだ!」
「やだやだ。これだから異性だからってすぐ恋愛に結びつけようとする輩は……」

 はあーと和泉はあからさまなため息をついて首を振った。
 納得いかない態度だ。もしかして俺の知らない間に何かあったのか?

「小野を見りゃわかんだろ。ありゃもうおれのことなんとも思ってねえよ」
「ええっ!? なんで!?」

 思わず小野さんのいる方向を振り返る。しかし何人もの生徒が入り乱れて準備にとりかかっているため見つけだすことは困難だ。
 たしかに最近小野さんは大人しい。和泉と河合さんがいくら仲良くしてても全く主張しない。睨みもしない、それどころか目を向けすらしない。
 でもあれだけ熱狂的だったんだ。いくらなんでも変わりすぎだろう。むしろ俺は和泉に執着している小野さんしか知らないのでさすがに信じがたい。そんなの、小野さんって呼べるのか?

「なんでかは知らねえけど、ほら。髪型変えたあたりじゃね。おれも最初はへこんだけどさー。なんかしたかなって。まあ好かれても困るんだけどさ」

 髪型……、たしか二年の頃は横にひとつくくりにしていた。かなり印象的な髪型だった。でも今は下ろしてカチューシャをしている。ああ、今現在は動き回るためかひとつにまとめてはいるけど、後ろ側のそれほど高くない位置でくくっているから、目立ちはしない。
 変えた時期っていうのはちょっと覚えていないな。小野さんは俺とは殆ど関わりがないし。女子の髪型なんてわざわざチェックしない。二年の頃は委員会は同じだったけど、同じだからって一緒に行動はしないし。気付いたら変わっていた。

「ええー……でも……そんな……、なんかあったの?」
「なにもねえってば。飽きたんじゃねえの?」
「ええ〜? 飽きるかあ~?」

 恋愛って飽きたりするもんだろうか……? そりゃあ付き合ってたらそういうときもくるのかもしれないけど……、片思いで何も成し遂げないうちに心変わりするのがいまいちピンとこない。他に好きな人ができたとか、どうしても許容できない一面を見て気持ちが冷めたとかってことか。でも他に対象が移った様子もなければ、冷めるほどの接点もなくないか。
 もしかして河合さんにある意味不純な動機で告白したりプロポーズしたりしているのを見て諦めがついたんだろうか……?

「まっあのおれにだけ態度を変えるあの感じ? あれがなくなったら意外と話しやすいやつだぜ。ノリいいし」
「そ、そんな……和泉のくせに……」
「くせにってなんだよ!」

 驚きだ……。和泉も和泉で、ここ最近は女子への苦手意識はだいぶ薄まっているようだ。前は声をかけられるとあからさまにぎこちなく、焦って困っているのが伝わってきた。俺みたいに意識しすぎて緊張しているというより、怯えているような様子だったのだ。今は何も知らない周りの人間にはわからない程度にはなっている。
 そうなってくると河合さん以外の女子とも親交が深まっていくのではないかと俺、と密かに河合さんも危惧していた。
 和泉はあれで見た目はいいからな。小野さんのことと、あからさまに女子に怯えているおかげで1、2年の間は女子からも距離を置かれていたようだが、ちゃんと対応できるならお近づきになりたい女子も多いはずだ。河合さんとの触れあいを見ていたらいい奴だってことは十分伝わってるだろうし。

「まあ、河合さんが嫉妬しない程度にね」
「河合が嫉妬~!? あり得ねえな。してくれたら可愛いんだけどなあ」
「しなくたって可愛いだろ!」
「お前は河合のなんなんだ」

 贅沢者め! これ以上なにを望むって言うんだ!
 河合さんはたしかにさっぱりした性格だけど、結構俺たちのことは大事に思ってくれているし、誰かが寂しい思いをすることには敏感で、そういうことにはかなり抵抗感を持っているようだ。
 みんな仲良く、みんな一緒に、だ。普段の河合さんの振る舞いとは真逆だけど、内心はそういうことを考えている子なのだ。
 仲良くできない相手が多い人ではあるけど、その分親密になった相手のことはとても大事にしてくれていると感じる。そんな風に思われたら、やっぱり俺たちもその気持ちを裏切りたくはないだろ。ただ和泉は河合さんに特別視されていることに気づいているのかいないのか……、まあ、元々河合さん贔屓なやつだから、問題はないんだろうけど。
 いつまでもサボっているわけにもいかず、追及もそこそこに作業に戻った。
 しかし河合さんが一人でテントを支えるための骨組みを運ぼうとしているのに、真っ先に助けに行ったのはやはり和泉だった。まあ、そういう奴だよなあ……。

 体育大会では予想外の結果となった。
 近頃の体育はきちんと記録を測ったり、競ったりする授業はとんとなくなっていて、誰がどの種目にでるのかは完全に適当だった。適当に出たいものに出るし、出たいものがなければ余ったのに割り振られる。クラスで勝とうという意気込みを持つ者はもはやいなかった。それなりに楽しもうという姿勢だけだ。
 そんなわけで俺は余ったリレーに割り振られたのである。ただ走ってバトンを渡すだけなのでなんの不安もない。河合さんは勝手に割り振られた障害物競走がプレッシャーになってぎりぎりまで休みたがっていたが、それでもちゃんと走った。
 そして俺はというと毎日続けていた走り込みのお陰か、3人追い抜いた。そこからアンカーに繋いで、はじめはビリだったのが一位でゴールだ。他の走者が運動部でなかっただけかもしれないけど、しかしまあ、これにはクラスのみんなもだが、自分が一番驚いていた。
 クラスメイトに褒められてくすぐったい気持ちになった。運動で誰かに勝つという経験はほぼない。年甲斐もなく喜んだ。
 頑張ればちゃんと結果に繋がるということをようやく実感した気がする。
 今までの頑張りというのは殆ど自己満足で、人よりもできない分を並程度に引き上げるものと認識していた。そりゃあ元々できる人が努力すれば人よりも抜きんでた結果が出るんだろうが、俺はそもそもできることが少ないのだ。
 勉強はできるけど、点数には上限があるし。加点というより減点方式という印象だ。いつも俺と同じ順位をうろついている名前をいくつか認識しているが、それだって俺が頑張れば勝てるわけじゃない。俺がミスしなくても、相手がミスしなければ同点なのだ。同じテストを受けた結果なだけで、もっと難しい問題だったらむこうが圧倒的に高得点をとるかもしれないし。でもそんなことをわざわざ調べる機会などないし。体育大会と同じ並びで数学大会とか、雑学大会とかあればまた違ったんだろうけど。
 そのため明確に人に勝つ、という感覚を得たことはなかった。うん。初めてだ。
 嬉しい。純粋にこれは嬉しい。
 今まで負けた側に感情移入するばかりだった。
 程度の低い競争だったのかもしれないが、人に勝って嬉しいというのは負けた相手に優越感を抱くわけではないと思った。負けていた頃の自分に明確に勝ったという事実が嬉しかった。
 ふと、やったよ、と振り向いて、佐伯がいてくれたらと思った。
 きっと自分のことのように喜んでくれただろうと思う。
 でも佐伯がいたら、きっと俺は走り込みを習慣になんてしてなかった。二年の頃のように家に帰って適度に勉強をして、ごろごろして佐伯とデートして……そうしていたんだと思う。
 うん。いいな。最高だ。
 ……でも、今の俺のほうが、佐伯に見せてやりたい俺になれていると思う。だから、いいんだ。
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