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9章

 喫茶店の一番奥の、角の席にすでに裕子さんは席に座っていた。やはり芸能人だから人目を避けるためか、入り口側には背を向けていて、顔は見えない。それでも帽子からでている金髪は見間違えるはずはなかった。

「お、遅れてすみません」

 遅刻はしていないのだが、一応待たせたのでそう声をかけると、くるっと小さな顔がこちらを振り向いた。

「あっ、ううん。時間通りだよ」

 裕子さんは思った以上に今まで通りの声と表情で接してくれた。こちらが驚いていると、裕子さんは、はっと何か思い出したようにして、それから真剣そうな表情に切り替わった。……怒っているふりをしているようにしか見えないのだが……。
 そんな仕草ひとつひとつに、どこか佐伯の空気に似てる部分が感じられて、少し泣きそうになってしまった。きっと周りから見たら全くわからないだろうけど。
 ひとまず飲み物を頼む。暑かったしかき氷も食べたかったのだが、そういう場じゃないと思い出してやめた。うん。さすがに違うよな。甘いもの食べながら謝るというのは。

「あ、あの、佐伯のことなんですけど、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 まず、それだ。
 頭を下げ、テーブルの木目を見つめる。
 しまった、どのくらいの角度で、どの程度の時間頭を下げるのが適切なのかくらいは調べておくべきだった。あんまりきちっとしすぎた謝り方をしても嘘っぽくなりそうな気がして謝罪時の礼儀作法については勉強しなかったのだ。マナーはともかくとして、心理学的に相手に謝罪の気持ちが伝わりやすい仕草だとか、タイミングなんかは学んでおくべきだった。
 正式な場での謝罪方法など、俺は知るわけなかった。

「……うん。うーん……」

 裕子さんのうなり声で俺は顔を上げる。
 両手を腰に当て、思い悩むような表情をしている。謝罪を受けて入れてやろうというような姿勢と、許していいのかと葛藤している表情ということだろうか……。
 そのあと、裕子さんは少しあたりを見回した。客入りは少ない。このあたりの席は空いている。

「……子供ができちゃったのは、たしかに、流くんも責任あるよね」
「は、はい。もちろんです」
「…………うん、ううん。ごめんね、嫌な言い方するけど、……友也くんが嫌がるようなことをした覚えはある?」

 優しく促すように裕子さんは尋ねる。俺の話をじっくり聞いてくれそうな雰囲気が伝わってきた。やっぱり少しうちの母に似ているのだ。でも母とは違って無条件に俺の味方はしない。

「……したつもりはないです」

 もしかして、佐伯はああいう行為がやっぱり好きじゃなかったんだろうか。そのことを裕子さんに相談していたとか。そういうことを言っているんだろうか。
 でも俺は嫌がっているのを無理矢理抱いたつもりはひとつもないし、少しでも嫌ならなにもしなくたって十分だと思っていた。
 それともただ、佐伯はなんの話もしていなくて、俺が深く考えずに避妊せずに行為に及んだ可能性について聞いているんだろうか。しかしいくら気をつけていたと言っても結果がこれでは意味はないし。
 なんにせよ、なにを言っても言い訳のようにしか聞こえないだろう。端的に答えるしかない。
 裕子さんは、そっか。と頷いてカフェオレを飲んだ。

「うん、じゃあ、そうだね。わかった。……怒ってなんかないから、そんな怖い顔しないでいいんだよ?」
「こ、怖い顔してますか?」
「思い詰めた顔してる。ほら、甘いもの食べよ?」

 裕子さんだってずっと難しい顔をしていたのに、緊張が解かれたようにいつも通りのにこにこした顔に戻ってメニューを開く。
 ……拍子抜けだ。さすがにこっちの気持ちがついていかない。

「あ、あの、でも、こんな時期になるまで俺なにも知らなくて……佐伯が一人で苦しんでたのに、全部裕子さんたちに任せきりで……」
「それは友也くんが悪いよ。流くんはわかりっこないもん、仕方ないよ」
「いや……でも……」

 裕子さんは和泉と同じことを言った。
 けれど知らなかったではすまされないことはたくさんある。そして気づけなかった俺にも責任がある。
 佐伯は俺に迷惑をかけないよう気を遣ったに決まっている。佐伯が悪いとは全く言えない。

「友也くん、ああいうこと隠すの上手でしょ。あたしわかるの。長い付き合いだもん」

 裕子さんはストローが入っていた紙の袋を小さく折り畳んで、もう一回広げて皺を伸ばして、やっぱりまた畳んでいた。そうしながら口を開く。

「……友也くんのこと好き?」
「あっ……たりまえじゃないですか……」

 子供作ることやってんだぞこっちは。
 ……いや、そもそも付き合ってたということを隠してたんだから、そう聞かれるのも当然か。もしかしたら俺が女性に飢えて、好きでもないのに手を出したと思われてたのかもしれない。正直、女になったばかりの時のことを思い返すとそう思われても文句は言えない。

「……す、すいません、ずっと隠してたんですけど、去年の11月……くらいからつ、付き合いはじめて……」
「……そっかそっかあ……気付かなかったなあ……」

 裕子さんは笑いながらも少し寂しそうな表情で何度か頷いた。
 やっぱり、身近な人に隠されるのは寂しいよな。なんでも報告するっていうのもどうかと思うし、俺だって親に恋バナとかは絶対したくないけど、それはそれだ。隠された側は寂しいはずだ。
 裕子さんは何度かそっかあと呟いていた。

「友也くん、小さい頃からさ、よくこっそりいなくなる子だったんだ」
「い、いなくなるって迷子ですか?」
「うーん。っていうより家出? 悲しいときとかね、公園の遊具の中とか、茂みの奥とか……一回犬小屋の中に隠れてるときもあったなあ。そんな風にね、誰にも見つからないところにいくの」

 それはなかなか危険な子供時代だな。いつも人の輪の中にいるのに、あれで結構一人でいるのも嫌いじゃなさそうなのが不思議だとは思っていたけど。

「それでね、いつの間にか帰ってきてるの。けろっとした顔で、こっちは心配したのにさ」

 くすくすと裕子さんは笑う。
 やっぱり細かい仕草がちょっとだけ佐伯と似ているところがあって、でもどこかが明確に違った。
 裕子さんは続ける。

「でもね、隠れてるときに見つけると、いっつも泣いてるの。そんなとき一人なのって、悲しいよね? そういうとき、あたしは一番そばにいたかったのに、友也くんいっつも逃げちゃうの。ひどいよねえ」

 少しだけ裕子さんの目が潤んでいるような気がして、目を逸らす。

「そういう子なんだ。困っちゃうよね」

 佐伯、お前裕子さん泣いてんぞ。なにしてくれてんだ。心配ばっかりかけて。そういうところだぞ。

「あの頃みたいにしれっと帰ってきてくれればいいのにね」
「……そうですね……」

 ……さすがに、そういうわけにはいかないだろう。せっかく俺に妊娠したことを知られないように出て行ったのに帰ってきたんじゃ台無しだもんな。でもそう思う気持ちは痛いほどわかる。
 それから、結局裕子さんの勧めもありかき氷を頼んだ。俺、そんなに食べたそうにしていたんだろうか……。
 イチゴの果肉の混ざったソースと練乳がかかったかき氷だ。夏って感じがする。
 佐伯ともこういう夏を過ごしたかった。

「……俺は佐伯の行方を探したいんです。何か知りませんか?」
「……」

 裕子さんは表情を消して、押し黙る。手を口元に当て、考える仕草をした。

「行き先はあたしにも教えてくれなかったの。でも新幹線に乗るから、駅までお見送りはしたんだよ。たしか○×方面……」

 新幹線。飛行機の距離じゃないのか。そして大まかな方角もわかった。
 まあ、それだけじゃ探索範囲は果てしないのだが、闇雲に全国行脚して回るより何倍もマシだ。

「ごめんね、それ以外はわからないや……」
「いや! 十分です、助かります」

 なんにせよ、今すぐ探しに行くというのはさすがにできないのだ。受験勉強が最優先だし。無計画に新幹線の距離を旅するなんてことはできない。金だってないし。
 できるとすれば大学生になってバイトしてお金を貯めてからだろうな。それまでにもう少し計画を練っておかないと。

「あ、あのう、佐伯とどんな話をしたかとか、家を出るまでの様子とか……聞かせて貰ってもいいですか?」
「……ふふふ。いいよお、なんでも聞いてっ」

 裕子さんの話によると、一月の終わり頃にはすでにただの体調不良ではないと佐伯も周りも感じていたようだった。それでも佐伯は本当に気分が悪いときは佐伯家の自分の部屋で休んでいたようで、裕子さんや和泉のおばさんたちははっきりとした異変に気付くのが遅れたらしい。
 ある日突然席を立ってトイレで吐いているのを見て、さすがにつわりではないかと勘付いたそうだ。そこまでやってたら、確かにただちょっと気分が悪いでは片づけられないよな。
 妊娠がわかり、相手を聞いても全く口を割らない。一時は謝るばかりで会話がまともに成立しなかったそうだ。そこから佐伯は自分で父親に報告して、何日か和泉家には帰っていなかったらしい。気にして訪ねても門前払いの日々が続いたそうだ。これが二月の半ば、佐伯がインフルだと言って休んだあたりだろう。
 そして佐伯は一人でよそへ嫁ぐことを決めたわけだ。
 それ以降は今まで通り和泉家に世話になっていたらしい。佐伯は遠慮していたらしいが、せめて最後に一緒にいたいと裕子さんが懇願したんだという。最後までどうにか他の手を模索していたそうだが、結局なにひとつ納得してもらえる方法は見つからなかったんだと言う。

「一緒に布団並べて寝たり、楽そうなときは一緒に料理したり色々したよー。あ、バレンタインにケーキ作りたいって言うから一緒に作ったの、あれもしかして流くん宛て?」
「あ、あああ……っお、おいしかったです……!」
「でしょ~? 友也くん一生懸命作ってたもん。ああー彼氏の子に渡すんだろうなってわかったの。言わなかったけどね。好きなんだろうなって伝わってきた」

 なんだか人から聞くと照れるな……。
 二人が楽しげにお菓子作りしている姿を想像する。見たかったな。

「他にはね、子供が無事に産まれたらどんな名前にしよう、とか。どういう風に育てたらいい子になるかな? とか。色々話したけど、あたしも友也くんも結局答えはわかんなかったなあ……」

 当然だ。裕子さんはまだ二十歳だし。佐伯は十七だ。子供のことなんてずっと遠い未来のことであってもおかしくないのだ。
 でも、きっといい子に育つに決まってる。だって佐伯の子供だ。

 帰り際、裕子さんは手を差し出してきて、握手をした。

「友也くんが心配かけちゃって、ごめんね」
「そんな……全部俺がしっかりしてないせいで……」
「ううん……。こんなことお願いして、負担に思っちゃったらごめんねなんだけど、……友也くんのこと、お願いね」

 そういって、裕子さんと別れた。
 他ならぬ裕子さんにお願いされたのだ。佐伯のことを。
 探し出して、とは言わなかった。きっとそれを望んでいたと思うけど、俺に背負わせたくはなかったのかもしれない。なんせ、自力で見つけだすというのはほぼ絶望的な状況だもんな。
 それでもやれるだけはやってやる。きっとそれ自体を裕子さんは期待してくれているんだと思う。
 早く佐伯に伝えてやりたい。裕子さんを悲しませるなんてそれでも佐伯か? って。いくら逃げたって追いかけるから、せめて尻尾くらい掴ませてくれよな。
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