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9章

「おはよう和泉」
「おはよ」
「おー」

 和泉は何事もなかったかのように接してきていた。
 俺もなんにもなかったように話す。
 だって俺たちがぎこちなかったら、一番気にするのは河合さんだ。和泉はきっとそれが一番嫌だろうということは俺にもわかるし、俺だって河合さんに心配をかけるのは嫌だ。
 二人っきりになったらどうなるかはわからないけど。恨まれたって文句は言えない。むしろ今まで黙って、何も知らない俺と仲良くしてくれてたことと、真実を教えてくれたことをありがたく感じていた。気まずいからって避けるのは違うと思った。

 学校へ向かいながら俺は意を決して二人に話しかけた。

「俺さ、特殊脳理学を学ぼうと思ってるんだ」
「あん?」

 特殊脳理学というのは、いわゆる俺のような特殊能力を持った子供についての研究や治療を目的とする分野だ。
 そういう方面を学べる大学というのは全国的に少ない。しかしなんと、このすぐ近くに全国有数の特殊脳理学の研究に特化した大学と、就職先であるセンターがあるのだ。……なんともなにも、だからこそ俺はこの地域に越してきたわけだが。

「それって理系なんじゃないの? 文系クラスからでも受験できるの?」
「文系だって受験自体はできるよ。過去問とかも見たけど、多分いけると思う。趣味で授業の範囲外の科目も勉強してたし」

 河合さんは目を白黒させていた。のほほんと自分と同じ授業を受けていた奴が突然医大を目指し始めたみたいな感覚なんだろう。たしかに、うちのクラスの偏差値的には厳しいかもなあ……。特進クラスの生徒が狙う大学であることは確かだ。
 しかし素人からするとどちらも同じようなものに映るようだが、医学とは勉強する範囲も量も違う。一緒にしたら一部には酷く怒られるらしいから注意が必要だ。
 その道を選んだのは俺自身実際にセンターに世話になったことがある分親近感もあったし、色々と考えた結果、将来的にも都合がいいと判断したのだ。
 その学校を卒業すれば、全国に点在する特殊脳理学研究センターという施設で働くことができる。そこでは特殊能力による健康被害がでている対象者の検査、治療、カウンセリングと、特殊能力自体の研究が行われているのだ。
 症状や程度によっては一般的な病院で十分事足りるのだが、そもそものどういった能力がどの程度備わっているのかという詳細はこの機関を通さないと診断できない。
 また治療自体は、俺のように手術が必要な場合なんかは医師免許も必要なので、俺が進学する学校ではその資格は得られない。そういう対象者は治療方針を決定したのち専門の病院にいくか、センターにいる医師のもと治療をするかだ。この医師免許が必要な治療とそうでないものの区別が俺にはまだ微妙によくわからないのだが……医療行為にあたらない治療方法もたくさんあるらしい。
 とにかく、就職先はセンターか病院の検査技師、カウンセラー、あとは研究者、それから幼稚園や小学校での指導員あたりで、俺はセンターでの仕事を目指すつもりである。……まあ、他の分野でのつぶしはあまり効かなそうだよな。
 最近は少しずつ特殊能力による健康被害への認知度もあがってきていているし、子供の成長への影響度なんかも問題視されるようになってきて、こうした知識を取り扱う新しい職業なんかもちょこちょこ出てきてはいるが……今のところはまだそれほど競争率も高くないようだ。
 国をあげて特殊能力の永続化などの研究は進められているが、ここ数年の災害や異常気象の影響でこのまま能力者はどんどん数を減らしていくのではという意見もあるし、もしそんなことになったら仕事ががっつりなくなってしまうわけだし。とにかく歴史が浅すぎる学問なのだ。
 しかし俺としては都合がいい。ライバルが少ないことは良いことだ。
 それに、症状の重い子供は気候や環境に強く影響を受けるため、そういった子が入院する施設でもあるセンターは、気候の安定している地域であることが最優先事項として建てる場所が決められているのだ。
 俺はもう命に関わるような影響は受けないのだが、それでも雪国だとか、台風の多い地域なんかは体に合わないらしい。行ったことはないし、立ち寄る程度ならなんともないはずだが。
 つまり俺の体質的に地元で就職するのが一番というわけだ。で、知識も人より多少はあるし興味もある。転勤先も少なくとも気候の良さは保証されているから問題がない。うん。ぴったりだと思った。これ以上ないくらいだ。
 そんなわけで俺は今更ながら進路を決定したのだ。すぐに担任に相談し、資料を集めた。本当なら理系クラスに移った方がいいのだが、まあ今更だ。代わりに予備校に通うことにした。国立だから科目数も多いし。そうしてもろもろの筋道が立って、多分いけるだろうと踏んだ上での告白であった。

「というわけで放課後あまり遊べなくなるよ」
「それは……仕方ないわねえ……」
「ごめんね、この間もプール行けなかったのに」
「ううん、いいのよ」

 そう言うものの、河合さんの声はあからさまに寂しそうだった。そんな反応をされると心にぐさっときてしまう。
 しかしここで手を抜いて、やっぱりだめでしたってわけにはいかないのだ。浪人するつもりはないので滑り止めは受ける予定だが、そうすると全く違う路線になる。それは困るのだ。
 河合さんと最後の学生生活を満喫できないと思うと心苦しいけど、そんな贅沢は言っていられないのだ。

ーーー

 その日の掃除時間、雑巾を洗っていると和泉が横からこそこそと話しかけてきた。

「お前、考えたな」
「何を?」
「進路。あのなんちゃらセンターってとこで働くんだろ?」
「ああ、まあ順調にいけばそうなるだろうね」

 和泉はにっと笑った。
 俺は和泉が話している内容よりも、和泉が怒っていないということに安堵していた。

「お前、一年のとき言ってたろ、あそこ通ってたんだって。たしかそういうのって父親から感染するんだろ?」
「……感染じゃなくて遺伝な」

 まあ、一般人の知識はこんなもんだ。
 和泉はやっぱりにやにや笑った。それから身を寄せて声を潜める。

「ってことはお前の子供も将来そのセンターの世話になるから、そこで再会できるかも……って魂胆だろ? やるじゃねえか」
「えっ」

 和泉の発言に思わず声をあげる。せっかく和泉が内緒話をしたのに、俺の声で他の通りがかりの生徒がちらっとこちらを見るのがわかった。

「あっ、そ、そうかあ……! たしかにそうだ……思いつかなかった」
「はあ……? お前バカなのか?」

 和泉に言われると傷つく。
 しかし、そうか。いや、考えればわかるはずなのに、そうだ。俺の子供なんだ。頭ではわかっていたつもりだったが、いや、でもわかっていなかったのだろうか。自分の血を引いているということを。
 佐伯がどこに行ったのかはわからないし、もしかしたらうちより近所に別のセンターがあるかもしれない。そしたら全く関わることはないだろうが、でもセンター自体が数少ない上、俺と同じ体質だとしたら対応できる施設は僅かだ。可能性は高い。
 まあ、子供が女の子だったら将来的に重症化することは滅多にないから、わざわざ遠くのセンターに通うなんてかなり可能性は低いのだが。でも、0じゃない。
 それになんとなく、今まで俺の父も祖父も曽祖父も、代々男のひとりっ子だったんだから、俺の子供も男の子である可能性が高いように思えた。こんなのなんの根拠にもならないだろうけど。

「そうかあ……! その手があったかあ……!」
「もし見つけたらおれにも会わせろよな。絶対だぞ」

 和泉の顔は少し怖かったが、俺のモチベーションは最高潮だった。
 正直二人を見つける方法に関しては全くあてがなかったのだ。
 ぼんやりと探偵でも雇ってみるか、なんて考えていたが、正直それで見つかるとはとても思えなかったし。
 最終的には連休時にでも写真を持って地道に、このご時世でも嫁探ししてそうな田舎を巡って聞き込みでもするしかないと思っていた。
 それに比べたらずっと希望がある。だめならだめで、きっと子供は女の子で、大変な治療とは無縁に元気に過ごしているんだろうとも思えるし。
 ……今更だが、どうにも俺は後ろ向きなのかもしれないな。いつもダメだったときのことを考えて、ダメならダメでどうにかいいように解釈できるように備えている気がする。そのくせここ一番で大間違いをするんだ。自分で自分に呆れる。
 ともかく、これでもう他の道を考える必要はなくなったんだ。余計なことを考えるのはやめよう。
 久しぶりに元気が湧いてきたような気がした。
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