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9章

 また佐伯の夢をみた。
 夕焼け空を眺めながら、佐伯と帰る夢だ。
 ああ、よかった、と思った瞬間、すぐに冷静になって夢だとわかったし、前みたのと同じような光景だというのもわかった。
 佐伯は俺に何かを喋りかけていて、俺はそれを聞き流しているのだ。佐伯もそれに気付いて苦笑するのが、顔を見なくてもわかった。
 俺はふと、佐伯に謝らなきゃいけないと思い出した。
 でもなにを謝るのかが思い出せない。
 相変わらず、佐伯の後ろ姿しか見えなかった。呼んだら、きっと振り返ってくれるのに、俺はそうはせず、ただ顔が見えないと思うだけなのだ。
 起きてから、なんであそこで名前を呼ばなかったのか、何度も後悔するんだ。
 俺はずっと、何をしていたんだろう。


 それから数日、どういう風に過ごしたのかあまり覚えていない。
 でも、佐伯がいなくなったときほどではなかったと思う。ちゃんと学校にも行っている。
 だって、あのときは気持ちのやり場がなかった。何が起きているのか、なにもわからなかったから。
 今は違う。全部わかった。
 自分の感情が沸き上がってくるのと同時に、佐伯の気持ちもおかしいくらいに想像できて、少し、佐伯に対する怒りの気持ちが出て、それからやっぱり、申し訳ない気持ちが怒りを打ち消して、そして、結局はまた会いたいと思ってしまうのだった。
 佐伯は、何度も俺に何かを伝えようとしていた。それを別れの言葉だと察して俺は何度も話を遮った。
 もしかしたら、妊娠したってことを打ち明けようとしていたのかもしれないのに。
 ……いや、佐伯のことだから、多分そんな話は決して俺にはしないだろうと思う。でももしかしたらを考えると、なんでちゃんと話を聞かなかったのか、そればかりを考えてしまう。
 年齢的には結婚できるって話、したのにな。
 しかし、どれだけ考えても出産して子供を育てるなら親の助けなしには無理だ。学校をやめて働くというのは……働けたって人二人を養えるほどの稼ぎはなかなかできることだとは思えない。
 自分一人の世話だって焼けないのに。
 考えれば考えるほど、そりゃあ頼られるわけがないと理解していく。俺に言ったところで、だ。
 しかし、だからって俺のいないところで話が進むのはやっぱりおかしい。なんの責任も取らずにのうのうと過ごすなんて。大変なことをすべて佐伯に押し付けて。
 俺が軽蔑していた、佐伯を泣かせた男どもの仲間入りというわけだ。
 落ち込む。
 自分の行動すべてが許せなくなってくる。
 佐伯は今大丈夫なのだろうか。
 母親が嫁探ししている男にあてがわれたという話らしいが……、それだけ聞くと、ろくな男ではなさそうな気がする。
 第一、会ったこともないような遠い地にいる妊娠中の女子高生と結婚する男だぞ。
 俺は佐伯の良さを十分理解しているが、まったく佐伯のことを知らない人からすれば、学生のうちに妊娠して相手もわからないという女性というのは、なかなかこう……ちょっと、ハードルが高いというか……、その人間性まで偏見の目で見てしまうのは避けられないと思う。判断材料も少ないわけだし。
 それに嫁探ししているという母親だって普通はそういう女性を毛嫌いするんじゃないだろうか。だって、明らかに財産狙いとかそういう理由でしか結婚する意味ないじゃないか。それでもお嫁さんが必要だという利害の一致ということなのだろうか。
 親が相手を見繕うってことは男は結婚不適合者なのか、ただ結婚に興味ない人なのか……どちらにせよ経済的な余裕はあるんだろう。うん、子供を産める人を探していたらしいし、いい家柄ではあるんだろうな。
 うちの祖母もそうだが、家を守るということに躍起になる大人というのは意外といるし、俺の常識の範囲外なだけで、決して異常ってほどではないんだろう。地域によっては未だにお妾さんという概念もあるらしいし。まあ、考え方的にはそういう感じなんだろうな。血筋を絶やさないという考え方もあれば、家業を継ぐというのが何より大事な家もある。それなら、佐伯の子供が全く血の繋がりがなくても構わないし、もしも男側に子供を作れない事情があればむしろ好都合、という場合もあるだろう。独身だとまず養子もとれないし。
 まあ、わざわざ妊娠中でも引き取られたと考えると、当然子供を相手方の子供として認めるつもりであるということ……だよな? それならひとまず、子供を無事に産めるほどには大事にされているはずである。
 でも世の中には平然と矛盾した行動をとる人っていうのはいるからな……。嫁いびりみたいなことをされていないだろうか……。
 佐伯のことだから、ある程度まともな人だったら仲良くやれるんじゃないかと思うが……。
 妊娠中なんて、普通にしてたってストレスに弱いだろうなんてことはいくら縁がなくともさすがに察しがつく。そんなときに知らない土地で、もしも意地の悪い人たちと同居するってなったら……。
 いや、仲の良い相手とだって一緒に住んだらきっとストレスになる人はいるんだ。俺だってそうだろうし。佐伯も和泉の家族にすら気を遣ってたんだ。しんどいに決まってる。
 ……でも、そんな不安な要素ばかりの家でも、佐伯は俺に打ち明けるんじゃなく、そっちを選んだのだ。
 佐伯はきっと子供を最優先で考えたはずだ。結婚観だとか、子供好きかどうかなんて話はしたことなかったけど、頑として産むことを譲らなかったんだし、あいつはそういう奴だと思う。
 もし向こうに嫁いで話が違うとなったら、もし子供に危険があると思ったら、どうにか逃げる……はずだ。そのくらいの気概でなきゃ、今までの人生全部捨てて知らない家に嫁ぐなんて行動でるわけない。佐伯はきっと、そういうやつだ。

 あーっと意味もなく声を出してベッドに顔を押しつける。
 考えればキリがなかった。
 とりあえず、だ。
 どうにか佐伯に会う方法はないだろうか。
 身内でもないのに行方不明者としてテレビやらで情報を募るってことはできないよな。そもそも名前が変わっているんだ。本名を知らないのに探して欲しい、なんて誰も協力してはくれないだろう。
 担任はなにか知らないか、と思ったのだが和泉のおばさん曰く転校したわけではなく退学したのだということで行き先はわからないらしい。
 佐伯の父親とも当然連絡はつけようがなくなっている。

「つんでるな。色々と」

 しかし考えることが多すぎて気分はそれほど落ち込まずにすんだ。
 佐伯に会う方法はどうにか探し続けよう。
 それから、もし会えたときのためにできることを探さないと。
 もし会えたら、ちゃんと責任取らせて欲しい。できれば、結婚させてほしい。子供の父親にならせてほしい。
 ……でも見つかったからって簡単に離婚なんてできないよなあ……。
 それに向こうは向こうで、もしかしたら幸せにやってるかもしれないよな……。そしたら……ちょっとは怒ってもいいかな。だめかな。でもとにかく、俺が責任をとらない理由にはならない。養育費っていうのか、慰謝料っていうのかわからないけど……、とにかくどんな状況でもあって困らないのはお金だ。
 うん。お金を稼ごう。ちゃんと自分と人と子供を養えるくらいに。稼げる仕事に就こう。
 ああ、でもやっぱり佐伯が心配だな……。
 元気でいてほしい。できれば楽しくやっていてほしい。でも、俺よりそっちの男の方がいいってことにはならないで欲しいと思ってしまう自分もいる……。
 今妊娠八ヶ月くらいのはずだ。身近に妊婦さんなんていないからよくわからないけど、きっともうおなかは大きいよな。あと二ヶ月くらいで生まれるってことだよな。
 産婦人科に検診に行ったり、色々してるよな。一人で行ってるんだろうか。旦那は付き添ってくれるんだろうか。ああ、くそ。なんで知らない男のことを旦那とか言わなきゃならないんだ。
 わかってる、わかってる。俺がもっときちんとしていて、避妊だってもっと気をつけていて、そもそもはじめから大人になってからそういうことをしていればよかった話なんだ。
 ああ、もう、こういうことを考えるとさすがに涙が出てくるな。ダメだな、俺。情けないにもほどがある。
 今まで滅多に泣かない方だったのにな。泣いてばかりだ。

 しかしやることが決まったら落ち込んでいる暇がなくなった。
 佐伯がきっと大変な思いをしているのに自分だけが学校に通うというのには抵抗はあったが、やめてどうするって話だ。
 やめて働いて、頑張れば金が貯まるっていうならそうするが、今の俺にできる仕事なんてほんの僅かだ。
 俺は両親にその意志を説明して、大学卒業まで面倒を見て欲しいとお願いした。
 父親と話すのは久しぶりな気がする。引きこもっている間、学校には行っていたし、母親とは会話していたのだが、父とは顔も会わせなかった。
 両親は俺の主張にひとつも反対しなかった。

「流ちゃんは、私たちが叱らなくても、自分で間違いに気付いて正しい道に向かおうと頑張れる子だもの。大丈夫よ」

 母は言葉少なにそう言った。
 多分、言いたいことはもっとたくさんあったんだろうと思う。母もずっと元気はなかった。父の遺影に話しかけてるところだって見た。それだけのことをしたのだと思う。
 勘当されたって文句言えないもんな。
 それでも結局うちの親は、どこまでいったって俺の味方なのだ。絶対もう悲しませることはしたくない。
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