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9章

 見た目でいけば、和泉と河合さんの関係は彼氏彼女としてお似合いといえる。美男美女だし。あー納得、って感じだ。
 しかし精神的には恋人っていうのはなんだか全然見当違いに思えてくる。色気とか、独占欲とか、そういうエゴのような感情が少なすぎるのだ。でも人生の伴侶、みたいな言い方をすると第三者ながらしっくりくる不思議な二人だった。

「ま、全員行き遅れたら三人でシェアハウスでもしましょうよ」

 河合さんはどうでもよさそうにそう言った。俺に気を遣ってくれたのかもしれない。
 多分、実際は大人になってもそんなことは結局やらないだろうな。二人はなんだかんだ結婚して俺は一人、有り得そうだ。

 五月はそんな調子で過ごした。
 別に孤立しようなんて思っていないが、気を遣うつもりで俺が距離をとっても、結局ふたりのうちどちらかが声をかけてきて、三人で行動するというのが定着した。
 三人組というのは一人があぶれてしまいそうだというイメージがあったのだが、河合さんを真ん中に配置すると意外と問題なさそうだ。河合さんは平等で、誰かが一人になることに敏感だった。もちろん自分があぶれることにも。河合さんは去年よりももう少し我が強くなった。俺たちの会話に入ることに気後れしなくなってきたようだ。

 聞くと、佐伯がそっと距離を置くようにしたことに結構ダメージを受けたようだった。なんの相談もなく、突然のお別れは衝撃だったそうだ。
 もうそういうことは嫌だから、きっと自分が他の人にそういうことを嫌がられるだろうと思うことにしたんだと、河合さんは言っていた。勝手に思い詰めたり、悩みを抱えたり、こっそり離れていくようなことを。自分も苦しいし、相手も苦しめるのだと河合さんは強い意志を持って断言した。もし佐伯にまた会えたら是非とも説教して貰いたいね。

「河合さんはさ、誰かを見て立派な人だな~って思うときってある?」
「ええ? なあに? 偉人なんかにはそれほど詳しくないんだけど」

 いつも通り通学のバスの中、俺は河合さんに質問していた。
 これから先、いつ佐伯に見られても恥ずかしくない、むしろ自慢できるような人間になりたいのだ。
 しかし自分で考えるだけではどうすべきかあまり思い浮かばない。とにかく勉強は引き続き頑張るとして……、筋トレとかも少しした方がいいかもな。和泉みたいに力持ちにはなれなくたって、ないよりずっとましだ。健康にもいいし。
 ほかにも立ち振舞いだとか気遣いだとか、課題は色々とあるものの、漠然としすぎていても継続は難しいだろう。きちんと言語化して明確にしておいたほうが意識をしやすいと思う。まず自分に足りないのはなにか、きちんと割り出さなければ。手当り次第に思いついたことをやるよりも、ひとつずつ意識して習慣化していく方が達成率も最終的には上がるように思っている。
 河合さんは頭にはてなを浮かべて首を傾げた。

「そういう立派じゃなくてさ、こう……人として尊敬できる身近な人の行いみたいなものって、ないかな」
「はあ……。そうねえ……いつでも愛想がいい人は立派よね。わたしはちっともできないもの。真似しようとしても、無理してるのがダダ漏れになるの」
「ああ……」

 頷きながら、必死で意識をそらす。愛想がいいといわれると真っ先に浮かぶのが佐伯だったからだ。
 愛想か。たしかに俺にもないな。

「……俺がにこにこしてたら、いいと思う?」
「…………。愛想がいい人は素敵だけど、愛想が悪い人が悪いとは言ってないのよ」

 どういうフォローだ。
 愛想が悪いんだから悪いだろ。

「みんながみんな愛想がよくても、ねえ? 舐められちゃいけない仕事だってたくさんあるでしょ。それに普段愛想の良くない人が不意に笑うととっても嬉しいって言われたし」

 ……たしかに。河合さんが言うと説得力がある。

「それに少女マンガのヒーローだって、主人公の前でだけ緩んだ顔とか見せるのがいいのよ」
「別に俺はイケメンキャラになりたいわけじゃないんだけどね」

 そういう、わかる人だけわかってればいい、みたいな魅力は今お呼びでない。そんなものは選ばれし者の特権だ。
 かといって別にみんなにいい人に思われたいわけでもないから、難しいな。取り繕った愛嬌なんて胡散臭いだけで逆効果だ。
 ううーん、でも愛想がいいまではいかなくても、もう少し物腰柔らかというか、人に怖がられない程度の人当たりの良さは絶対あって損はないよな。
 ……どうすればいいんだ?

「俺ってどういうところが人に怖がられる原因だと思う?」
「目つきじゃない?」

 身も蓋もなかった。
 目つきは……さすがに意識したって変えられるものじゃないんではないだろうか……。それとも目配せとか視線の向け方で変わってくるものなんだろうか。
 ああ、そういえば子供の頃から俺はベッドや椅子に座って人よりも低い視点にいることが多かったため、すっかり人を見上げる目つきが癖になっていた。河合さんくらい身長差があればともかく、同じくらいの目線だったら、つい顎を引いて上目遣いにしてしまう。ぶりっ子に見えればよかったのだが、態度が悪いと学校の先生だかに言われたことを思い出す。
 長年染み付いた癖だから、治せるかはわからないけど……意識してみた方がいいよな……。

「……あと、喋り方ね。桐谷の話し方は事務的っていうか……、喋り方からして理屈っぽいのよ。自分の意見を言うっていう意志が強いというか……聞く耳持たなそうっていうか……あ、実際はそんなことないのよ? ちゃんとわたしの話聞いてくれるし」
「あ、ああ、うん、どうも……」

 喋り方、喋り方ね……。理屈っぽいというのも、人当たりの良さという観点からするとマイナスポイントだよな。第一理屈なんて、きっと普段の会話でわざわざ持ち出す必要もないのだ。俺と違って話上手なやつの台詞にくどくどとした根拠やらなんやらは全くない。それはわかっているのに、どうしてもやめられないんだよな……。保身か何かのつもりなんだろうか。そんな気がする。
 ……あれ。こういうところが理屈っぽいのか?
 もしかして俺の考え方そのものがよくないんじゃないか? それとも思考回路はまた別として、そういう考え方を表に出さないというのが大事なんだろうか。む、難しいぞ……。

「……佐伯……」
「えっ?」
「佐伯ならどう答えるか、っていうのを参考にすればいいんじゃないかしら。まるきり真似なくっても……なんとなく参考にはなるでしょ」
「……ああ、うん……」

 うん、そうだよな……。俺の身近な奴で一番人を楽しませるのがうまいのは佐伯だ。

「佐伯なら……かあ……」

 あいつのは、声のトーンとかリアクションとかの影響もでかいからな。

「……やってみるよ」
「うん。応援してるわ」

 人当たりよく、か。努力はたしかに俺にとって必要だ。やれるかどうか考えたってしょうがないよな。

 佐伯の居ない学校生活は割と順調だと思う。部活に入っているわけでもないし、いわゆるリア充とかいうのとは違うんだろうけど、数年前なんとか通っていた状況よりは圧倒的によかった。
 それから、帰宅後の走り込みは習慣となっていた。もちろんあのときほどがむしゃらではないし、翌日に響かない程度だが、元々運動なんてひとつもしていなかったのだから少し動くのでも違いは歴然だ。朝、坂を下りていくのが全く苦ではなくなっていた。起きたときの若干の気の重さが消えた。和泉にも最近歩き方がよくなってきたと言われた。元はどんなだったんだと聞きたいが、動きにキレがあるとか、体幹がしっかりしているとか、そういう変化があるらしい。これは意外な収穫だった。
 それに、これは佐伯と接していた影響が大きいんだろうけど、クラスの女子に話しかけられても緊張しなくなっていたし、気を楽に会話できるようになると、自然と女子の側も気軽に声をかけてくるようになった。もちろん仲がいいってほどではない。友達と呼べるほどではないが、クラスメイトとして過不足ない程度の交流はできるようになった。
 未だ女子とは壁のある河合さんに抜け駆けするなと睨まれたけど。
 うん。悪くない。ストレスがないと思う。

 梅雨になり、雨になるたび、少しだけ佐伯のことがよぎった。何故だろうと考えてみると、きっと一年前雨の日の朝、俺はいつも佐伯は休みか、と思っていたからだ。女になってからは天候に関わらず学校にくるようになっていたけど、それでもなんとなくその習慣は抜けていないらしい。雨は滅多に降らない土地だから、梅雨の頃の印象が抜けなかったんだろう。
 雨の日は走り込みは中止だ。坂がよく滑るからだ。それにやっぱり雨が降ると頭が重たくなる。こういう体質はちょっとやそっとじゃ変わらないらしい。
 そういう日は休むに限るし、体が起こせるなら勉強だ。うちの親は惜しげもなく問題集を買ってくれる。知らないことを知ることも、自分の理解度を確認することもやはり楽しい。わからなかったところを見つけて解消するのは楽しい。やっぱり俺は勉強が好きなのだ。
 この勉強をしよう、という明確な目標は未だ定まらないが、それでも大学で勉強できるのが楽しみだ。多分やりはじめればなんだって熱中できるような気がした。なんせ、みんな勉強しに集まっているのだ。楽しいに決まってる。
 多分、充実している。大丈夫だ。うまくやっていけている。
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