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9章

「なあー、そろそろおれら付き合わねえ?」

 弁当のことを考えていた。今日はすき焼き風の牛肉だ。魚も好きだけど、やっぱり肉は嬉しいんだよな。とか。
 言葉の意味がわかったようでわからず、聞き間違いか、聞き漏らしか、と顔を上げると、怪訝な表情の河合さんがいた。
 和泉はそれで言いたいことが一区切りついたのか、卵焼きを咀嚼している。
 今の発言だけだと、そういう意味にしか聞こえないんだが……。

「いやよ」

 河合さんの返事は簡潔だった。

「えーっなんでだよ、他に付き合ってるやつもいないんだろ?」
「桐谷もいないわよ。桐谷と付き合えば?」
「待って。俺を巻き込まないでよ」

 平然と会話が進んでいく。
 おかしいだろ。ドッキリか? でも和泉はこういう冗談を言うタイプではない気がする。

「なんでわたしとあなたが付き合わなきゃいけないのよ。あなた、近頃鬱陶しいわ」
「おお、言うなあ……」

 河合さんはまったく容赦がなかった。
 そして河合さんの言うとおりだ。近頃、少し和泉は河合さんに絡みすぎだ。休み時間になると毎回河合さんの席にいく。前はそれぞれ本を読んでいるときだってあったし、他の男友達と話が盛り上がることがあった。そのくらいの距離感が河合さんにもちょうどよかったのだと思う。
 河合さんは一人で行動するのに抵抗がない人だ。もちろん心細いときなんかは俺たちを頼っては来るけど、でもああ見えてしっかりしている人だから、いつも一緒に、なんて柄ではない。
 だから和泉のしつこい様子に一体どうしたんだ、と思ってはいた。
 ……まあ休日なんかは俺はいないし、知らないところで仲が進展している可能性はいくらでもあるけど、河合さんも戸惑っているようだし……。

「っていうか、付き合うってなんだよ!? お前河合さんのこと好きだったのか!?」

 しん、と静まりかえった。
 今昼休みの教室だということをすっかり忘れていた。クラス中がすぐに話題を察して和泉の次の言葉を待っていた。

「……そりゃあ、河合のことは好きだぜ?」

 おおっと教室が湧いた。
 でも、今のは多分そういう意味じゃない気がする。

「呆れた。それ、ただの友人としての好きでしょ。そんな気持ちで告白されてもねえ……」
「いいじゃねえか、友達として一番好きなんだから。めんどくね? いちいち付き合ってるのか聞かれて否定するの」
「面倒だからって付き合うのはおかしいでしょ」

 河合さんの言うことがまるきり正論だ。
 どうしたんだ和泉は。付き合うとか、そういうの一番苦手にしてたのに。いや、苦手だったとしても河合さんのことが好きで告白したんならわかる。

「どういう心境の変化だ……?」

 俺が口を挟むと、ふうむと和泉は腕を組んだ。和泉がよくする、頑固そうなポーズだ。

「確かにおれぁ恋だなんだにゃ興味ねえが、やるとしたらお前だと思った。それでよくねえか?」

 まあ、それは、確かに納得するが。誰かを好きになるとしたら河合さんが一番身近だし、お互い好きあっているように見える。しかし勝手な言い分だった。
 河合さんはお箸を丁寧に仕舞い、弁当を片づけた。それから河合さんの机の横側に座る和泉に少し体を向ける。

「なるほど。わかったわ。そういう理由なら改めてお断りします」

 丁寧に河合さんは和泉を振った。
 和泉はちぇーっと拗ねながら背もたれによっかかって天井を見上げた。
 それで終わりだ。
 クラスメイトの注目もゆるゆると解けていくのがわかった。


 以降も和泉と河合さんは相変わらず仲良くやっている。クラスのみんなも、さすがにこの二人はいじりづらいらしい。まったくもっていつも通りだった。
 その日、河合さんは和泉に後ろから抱えられて、頭の上に和泉の顎を置かれていた。

「あなたね、わたしに振られたのよ? ちょっとはしおらしくなさいよ」
「えー? なんでだよ、触っちゃだめなのかよ」
「だめよ。もう、暑苦しいのっ」

 河合さんは無理矢理和泉の腕の中から抜け出した。さすがの和泉もそれを追いかけていったりはしない。

「お前ほんとどうしたんだよ。河合さん戸惑ってるだろ」
「そうよ桐谷、もっと言ってやって。そいつをやっつけて」
「ぐぬぬ」

 和泉は悔しそうな顔をする。
 最近暖かくなってきたのもあって、下駄箱を出て少し横に離れた花壇や壁際の段差に腰掛けて話をして帰るのが定番となっている。
 いつのまにか河合さんを真ん中にして座るのが定番になっていたが、今は河合さんは和泉のちょっかいから逃れ、俺の反対隣に座り直した。
 それを見届けて、和泉はまたも腕を組む。そしてううーんと唸った。
 和泉は考えるのが苦手だ。いや、というより下手なのか。考えてもしょうがないことにはさっさと見切りをつけて感覚に委ねるのだ。しかし答えが見つけ出せそうだったり、考える必要があるのなら、ああして腕を組んでしっかりと考える。
 つまり和泉自身、自分に対して考えなければよくわからないのだろう。

「おれは河合と仲いいじゃん」
「うん」
「あ、嫉妬すんなよ、流。お前だって俺と仲いいからな」
「するかっ」
「まあまあ、それはいいとして。やっぱ河合は女子ってのもあんのか、流とかとは違う仲の良さなんだよ」
「それは……わかるけど」

 まあ、二人の仲の良さは普通の友人関係とは段違いだ。それこそ付き合ってるんじゃないかってくらい。クラスの誰もが一度は二人の仲を疑った。そして疑われても文句を言ってはいけないほどの親密さである。
 そもそも、男女の仲良しコンビってものがまずそうそういないし、和泉に関しては距離も近ければハグなんかも平気でする。そこは日本人の調子と違って、生々しい感じじゃないけどさ。河合さんのサイズ感もあって、お兄さんと妹、とか家族っぽいような距離感だけど、でも二人は他人同士でクラスメイトだ。そりゃあそういう関係なのかなと思うじゃないか。
 いくら他人と距離が近いからって、和泉も男相手にああして抱きついたりしない。ちゃんと相手を見ている。まあ、結局それでも下心がある様子はないのだが。なんというのかな、異性としてじゃなくて犬猫に対する愛情の示し方みたいなのが傍から見ていてもわかるのかもしれない。
 二人はそういった不思議な関係だった。河合さんだから許されているところはある。
 河合さんは河合さんで和泉のことをかなり慕っているんだろうというのは、淡泊な対応の中からも垣間見える。和泉の接触を嫌がってみせてはいるけど、河合さんだってだいぶ人との物理的な距離が近くても気にしない人だし。
 まあ、正直お似合いではある。
 ではあるが、それはお互い異性として意識していないからこそ成立しているようにも思える。
 お互いが両思いならいいんだろうが、片方が一方的に片思いしていたなら、なかなか地獄だろうな、とは察しがつく関係だ。
 和泉はちょっと話してはまた考える、というのを繰り返していた。
 やがて、うん。と頭の中身に納得がいったように頷いた。

「おれは河合と人生で一番仲がいいっつー自覚があるが、実際は河合になんの責任も権利も持ってねえのが嫌だ」
「せ、責任……」

 いやに重たい言葉だ。
 和泉と反対側にいる河合さんの様子を伺う。居心地の悪そうに顔をしかめているが、それでも和泉の真意を聞こうとまっすぐ見つめている。

「河合にもしなんかあったとき、おれがなんかする権利がほしい。もしさ、河合が山賊にさらわれたとするだろ?」
「突拍子がない!」
「もしもだってば。そんでさ、警察とかが捜索に行くとするだろ?」
「山賊が出てくる世界観なのに警察が解決するのか」
「当たり前だろ。法治国家だぞここは」

 バカみたいな例え話をするやつに常識を説かれた……。

「で、そんなのおれだっていてもたってもいられねえだろ。だからおれも助けに行きます! つってもじゃあお前はなによって話じゃん。ただの友達つって、いいよーなんて言われなくね? 恋人だったら、まあ、そりゃそうかってなんじゃん?」

 な、なる……か? 友達だろうと恋人だろうと未成年を危険な捜索に連れて行くことはないと思うが。まあ……いわんとすることはわかる。

「おれはそれがいい。いざというときのけ者は嫌だ」

 どきりとした。
 佐伯のことを思い出した。いや、思い出す、というかまさしく佐伯のことではないだろうか。
 和泉にとってはその相手が河合さんだったのだ。

「内縁の妻と夫とかいうのもそうらしいじゃん? 家族以外面会謝絶になったら、謝絶されんの。妻と夫なのに。ちゃんと籍入れてねえとだめなの。遺産相続だってそうだろ。ただ仲良しってだけじゃいざってときはじかれんだよ、証明できなきゃないのと同じ扱いなわけ」

 なるほど。まあ、遺産は遺書でなんとかなるけどな。
 しかしちょっと勝手すぎないか? 権利がほしいからってそういう関係になろうっていうのは、手段と目的が逆というか……。
 しかし今となってはその気持ちもわかるし。まあなんにせよ、河合さん次第だが。

「……じゃあ、わたしがあなたと付き合いますと言って、恋人になったとして、一体あなたになんの権利があるというのよ。キスだのする権利が欲しいって言うの?」
「それは人それぞれじゃねえか? その権利も得るかもしれないが、お前には拒否する権利もあるし、なにもかわらないだろ。ま、他のやつがお前にキスしようとしたら、止める権利はあるよな」
「んん……」

 河合さんが言い淀んだ。なるほど。自分が何かをする権利が欲しいというより、他の人にその権利を取られたくないというわけか。
 得心がいったので口を挟む。

「それさあ、自分は河合さんのこと好きってわけじゃないけど付き合え、っていうより、俺以外見るな、って言った方が伝わるんじゃない?」
「なるほど。お前頭いいな」

 そんな歯の浮くような台詞、普通の奴は言えないけどな。

「おれ以外見るな……河合」
「目の前で受け売りした言葉言われてもね」

 しかも提案した本人越しに。決め顔はやめろ。俺も流れ弾浴びてんだよ。
 河合さんは呆れていた。
 河合さんの恋愛観みたいなものは全くわからないが、興味がないというのは伝わってくるし、多分束縛だとか、そういうのが嫌いなんだろう。
 佐伯のような照れ隠しとは違うように思えた。…………はあ。
 和泉はあれで見た目はいいし、普通の女子だったらこれほどアピールされたら揺らぐ子も多いはずだ。っていうか普通はとっくに惚れててもおかしくない。しかし河合さんは頑なだった。

「……付き合わないわよ、わたしは」

 和泉もショックを受けたりはしていない。勝手な価値観で交際を迫って断られたからって、そこまでの厚かましさはないようだ。

「別に、他の人とも付き合わないわよ」

 それはどうだろうか?
 あんまり、そういう約束は信じられるものではないと思う。例え今は本心でも、何が起こるかわからないものだ。心変わり自体は裏切りでも何でもないと思う。でも口に出してしまったら、初志貫徹しないとまるで嘘つきのように思われるのも確かだ。
 和泉はそうかー、と手をついて体を反らし、上を見上げた。

「じゃあ卒業したら結婚するかー」

 こいつ、どういう神経してんだ。

「嫌よ。あなたがちゃんと仕事に就くかもわからないし」

 河合さんはいつでも冷静だ。
 ん? 仕事に就くならいいってことか?
 付き合うのはだめだけど、結婚なら条件付きでOKなのか?

「やったじゃん和泉。仕事見つけてきたらほぼ内定決まったようなもんだよ」
「まじか。トレジャーハンターも仕事ってことでいい?」
「……それ、ちゃんと税金納められるのかしら」

 なかなか道は険しそうだぞ、和泉。
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